8.運命を拓く誓約-3

「なんで、ハオリュウがレイウェンに決闘を申し込みに行くんだよ!?」

 わけの分からない展開に、ルイフォンの雄叫びが響き渡った。

「たった今、申し上げましたでしょう? 『カイウォル摂政殿下へのご報告に、僕がシュアンを伴う、正当な理由を作るため』です」

「だから、どうしてそうなる!?」

 まるで要領を得ない。

 ルイフォンは猫の目を吊り上げて噛みつくが、ハオリュウには、まともに答える意思がないらしい。一方的に言い放つ。

「ともかく、レイウェンさんに決闘を受けてもらえなければ話が進みませんので、今から申し込んでまいります」

 足の悪いハオリュウが、肘掛けに捕まりながら椅子から立ち上がる。そのときになって初めて、クーティエが声を上げた。

「ちょ、ちょっと、ハオリュウ! ど、どういうことよ……!」

 彼女は、ハオリュウの発言に動転しているうちに、ルイフォンの剣幕に負けて出遅れてしまったのだ。どうにか口を動かせるようになったものの、語調は乱れていた。

「――どうして……、ハオリュウが父上に決闘を申し込むの!?」

 彼女の質問は、ルイフォンとまったく同じである。だが、ハオリュウの返答は異なった。彼は、まっすぐにクーティエを見つめ、凛然と告げる。

「今なら、レイウェンさんは、僕の決闘を受けてくれると思う」

「え……?」

 狼狽するクーティエに軽く微笑み、ハオリュウは扉へと向かう。杖を持たずに歩けるようになったとはいえ、その足取りは危うげで、機敏とは、ほど遠い。とても、決闘などできる体ではないだろう。

 ましてや、相手は、巨漢の武人タオロンをして、『鬼神』と言わしめるレイウェンなのだ。勝負になるはずもない。

 皆の注目を浴びながら、ハオリュウは、そのまま歩を進めた。そして、より廊下に近いところに立っていたルイフォンと、目と目が合う。

「ハオリュウ。賛同願う、などと言っておきながら、詳細は秘密なのか?」

 低い声で、ルイフォンは問う。

 ハオリュウは眉を寄せ、が悪そうに顔をしかめた。

 けれど、そのまま歩みを止めず、無言を貫く。ルイフォンは内心で舌打ちをした。恋愛クーティエ絡みの事情ならば、それも仕方なかろうと思いつつ。

 すれ違いざま、肩と肩が触れそうになる。また背が伸びた――急に成長しやがって、越される日も遠くはあるまい、畜生……と、ルイフォンが鼻に皺を寄せたとき、不意に耳元で囁かれた。

「僕は以前、レイウェンさんに『決闘を申し込む資格すらない』、『顔を洗って、出直してこい』と言われているんです」

「……は?」

「まるで相手にされていなかったんですよ。……でも、今なら違うのではないかと、期待しているんです」

「……?」

「これから僕は、レイウェンさんに、決闘を受けるに値する人間だと、認めてもらいにいくんです。……これでも緊張しているんですから、黙って見送ってください」

「……分かった」

 決闘を申し込む理由は、まったく分からないままなのであるが、要するに、勝敗の問題ではなく、相手にしてもらえるか否かが重要であるらしい――と、理解した。

 ルイフォンの表情が和らいだからか、ハオリュウも、ほんの少し口元を緩めた。

「本来なら、僕の相手は、ルイフォン――あなたです。けど、結果さえ同じならば、摂政殿下へのご説明に支障はありませんから、またとない機会チャンスとして、レイウェンさんにお願いするんですよ」

「は?」

「レイウェンさんが、僕の決闘を受けてくださらなかった場合には、素直に、あなたにお願いしますので、そのときは頼みます」

「はぁぁぁっ!?」

 ルイフォンは、再び疑問の渦に呑み込まれた。しかし、ハオリュウは、今度こそルイフォンを無視して部屋を出ていく。

 ぱたん。

 誰もが判然としないながらも、引き止めるのは無粋――と沈黙を守る中、扉が閉じられた。それを見届けると、突如、ミンウェイが嬉しそうに声を弾ませる。

「ねぇ! 草薙家この家で『決闘』って言ったら、あれでしょう!? 昔、レイウェンが、チャオラウに『お嬢さんをください』って、申し込んだやつ!」

「ミンウェイ。お前、他人の色恋沙汰その手の話、好きだよな……」

 自分自身の追放ことに関しては、触れてほしくなさそうな顔をするくせに――と、半ば呆れたようにルイフォンが言う。

「だって、レイウェンとハオリュウって、時々、妙に薄ら寒い空気が流れるし、どう考えても、互いに意識しあっているでしょう? 普段、あれだけ人当たりのいいレイウェンが、一回り以上も年下のハオリュウにピリピリしているなんて……初めて見たとき、目を疑ったわよ! やっぱり、レイウェンは――」

「ちょっと! ミンウェイねぇ! お願い、もう、そのくらいにして!」

 真っ赤に顔を染めたクーティエが、たまらずに叫ぶ。それと重なるように、すっかり困惑した様子のメイシアが呟いた。

「ハオリュウ……、あの子、決闘なんて、どうするつもりなのかしら……」

 いつものルイフォンであれば、メイシアの不安には前向きな言葉を返すところであるが、さすがに今回のハオリュウに関しては何も言えず……。無言で彼女の髪をくしゃりとしていると、シュアンの濁声だみごえが響いた。

「メイシア嬢。あいつは、いつまでも小さな異母弟おとうとじゃねぇんだぜ? やたらと矜持プライドが高くて、奇天烈キテレツな思考の破天荒野郎だ。心臓に毛まで生えていやがるから、安心して温かく見守ってやれよ」

 にたりと細められた三白眼は、信頼の証か、野次馬根性か。判断に迷う悪人面であった。



 その日の晩。

「おい、レイウェン! ハオリュウの奴は、いったい何を企んでやがるんだよ!?」

 ルイフォンは、レイウェンの書斎を訪れていた。

 ハオリュウは、あれから小一時間ばかりのちに、『レイウェンさんが、僕の決闘を受けてくださいました』と、ルイフォンのいる客間まで知らせに来た。だいぶ疲れた様子であったが、満面の笑顔であった。

 しかし、この期に及んでなお、ハオリュウは『決闘』と『摂政への報告』との関連について、口を閉ざしたのだ。そのくせ、『決闘が終わったら、すぐにシュアンを連れて摂政殿下に報告に行きたいから、まずはシュアンの治療を急いでほしい』と、ミンウェイに頼み込んだらしい。

「ハオリュウは、はぐらかしてばかりでらちが明かねぇ! メイシアが凄く心配しているのによ!」

「だから、私に事情を聞きに来た、と?」

 テーブルに身を乗り出したルイフォンの怒気に、琥珀のグラスの液面が激しく揺れていた。けれど、レイウェンは気にせず、甘やかに笑う。あまつさえ、グラスを手に取り、優雅に口をつけた。

 そもそも何故、ルイフォンの顔を見るや否や、上機嫌で酒を出してきたのかが分からない。更にいえば、その際の台詞が『君の義弟おとうとへの祝杯だよ』――なのだ。

「レイウェンは知っているんだろ!? そうでなきゃ、勝負にならないと分かりきっている決闘なんて、受けないだろ!?」

「そうだね。確かに、彼が事情を説明しなければ、私は断っただろうね」

「なら、教えてくれよ!」

 喰らいつくようなルイフォンに、レイウェンは苦笑を漏らす。

「それは無理な相談だよ。だって、この決闘は、ハオリュウさんの『私への誓約』だからね。おいそれと口にできない」

「……っ」

 ルイフォンは舌打ちをしかけ、さすがにそれは失礼だと、慌てて唇を噛む。そんな彼に、レイウェンは、穏やかに目を細めた。

「前に、『君の義弟おとうとは、遠くない将来、私に決闘を申し込みに来るよ』と、言っただろう?」

「あぁ、そういえば……」

 確かに、そんなことがあった。

 あれは、シュアン逮捕の報に衝撃を受けているハオリュウを、クーティエが迎えに行ったときのことだ。以前とは違う顔つきで現れたハオリュウを見て、レイウェンは、そっとルイフォンに耳打ちしたのだ。

「あと数年は先だと思っていたのにな。まさか、こんなに早く来るとはね。……機会さえあればと、虎視眈々と狙っていたんだろうなぁ。さすが、ハオリュウさんだ。抜け目がない」

 右手のグラスを揺らし、からからと澄んだ音に氷を溶かしながら、レイウェンは語る。

「てっきり、盤上遊戯チェスか何か、頭を使うもので勝負を仕掛けてくるかと思っていたのにさ。私に敬意を払って、私が義父上ちちうえに申し込んだのと同じように、武器を取っての決闘で挑んでくれたんだよ。嬉しいねぇ」

 鷹刀一族の血統を具現化したような美貌に、とろけるような微笑が浮かぶ。

 ルイフォンは、なんとも微妙な顔で自分のグラスをあおり……、レイウェンの話を聞き流した。

 ――俺は、自慢話を聞きに来たんじゃねぇ!

 ルイフォンは、無言でからのグラスをテーブルに戻す。

 ごちゃごちゃと御託を並べているが、結局のところ、これは自慢なのだ。

 いくら薄ら寒い空気を流していても、レイウェンは既に、ハオリュウを身内だと思っている。重要な局面では、人一倍ハオリュウを気に掛けているのが、何よりの証拠だ。

 おそらくハオリュウは、レイウェンにも『生涯をかけて、この国から身分をなくす』と宣言したのだ。だから、クーティエの相手として認めてほしいと。

 それはきっと、レイウェンの想像を超えた誓約で――まだ、レイウェンとハオリュウの間に関係性を示す言葉はないけれど、はらを決めた『身内』が誇らしいと、レイウェンは自慢しているのだ。

 ……なるほど。『祝杯』だな。

 ルイフォンの心に、すとんと何かが落ちた。

 ハオリュウの企みを教えてもらうという、レイウェンの書斎を訪れた目的は果たせそうもないが、そう考えてみれば、この酒は悪い酒ではない。

 改めて飲み直そうと、からになったグラスにボトルを傾けようとしたら、目尻を下げたレイウェンが注いでくれた。優しく溶ける氷を揺らし、ルイフォンは、自分のグラスとレイウェンのグラスを重ね合わせ、より濃い琥珀色の響きを奏でる。

「乾杯。俺の義弟おとうとに――レイウェンの未来の娘婿むすこに」

 だいぶ気が早いような気もするが、きっとそうなるだろう。

「ルイフォン」

「うん?」

「君が常に携帯している武器は、ふところに隠し持てるサイズのナイフでいいのかな?」

「そうだけど? 武装するときは、その他に投擲用の刃に毒を塗って……」

「ああ、普段の装備だけでいいんだ」

 せっかく説明してくれているのに申し訳ないとばかりに、レイウェンが軽く頭を下げる。

「?」

 レイウェンの意図が読めず、ルイフォンは首をかしげた。

「ハオリュウさんとの決闘は、彼と私との勝負ではあるけれど、私の役割りは君の代役だからね。……そうなると、武器とは無縁のハオリュウさんは丸腰。私は小型ナイフで戦うことになるな」

「そんな!? 不公平だろ?」

 ふたりとも素手、というのが妥当ではないのだろうか。それに『代役』とは?

 そう言いかけ、ルイフォンは、はたと思いだす。そういえば、ハオリュウも、『本来の相手は、ルイフォン』と言っていた……。

「うーん、かなり派手に血を見ることになりそうだね。メイシアさんは、見ないほうがいいだろうなぁ」

「おい!? レイウェン!」

「可哀想だけど、それがハオリュウさんの希望だからね」

「やっぱり、ちゃんと説明しろよ!」

 ルイフォンが血相を変えて叫ぶと、レイウェンは少しだけ考え込むような素振りをして、にこやかに答える。

「ハオリュウさんが『摂政殿下に、なんて命じられたか』を考えれば、おのずとハオリュウさんの意図が見えてくるはずだよ」

「どういうことだよっ!?」

 困惑するルイフォンをよそに、レイウェンは琥珀のグラスを飲み干した。



 そして、ミンウェイの施術によって、シュアンの怪我は完治し、ハオリュウとレイウェンの決闘の日となった。

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