5.死せる悪魔の遺物-2

 ハオリュウが草薙家にやってきて、早々に睡眠薬で眠らされた翌日。

 ルイフォンとメイシアが居候している部屋に、ハオリュウとクーティエが現れた。

 シュアン救出の作戦会議である。

 夏休みのクーティエはともかく、他の草薙家の面々は、それぞれに自分の仕事があるため、この場には来ていなかった。手伝えることがあれば、なんでも手を貸すと言ってくれているが、まずはルイフォンたちが方針を決めるべきだ、ということだろう。

 ……主に、ハオリュウが〈天使〉になるという策を採るか否か――の。

 皆がソファーに着席したのを確認すると、ルイフォンは「俺の調査状況を報告する」と、口火を切った。

「昨日、摂政が指示を出していた通り、シュアンは別の監獄に移された。そちらの監視カメラは、既に落としてある。見取り図と看守の勤務表も入手済みで、摂政が様子を見に来るのは、事情を知っている看守が担当のときのみだ。王族フェイラという立場上、特定の貴族シャトーアの暗殺事件に関心があると思われることは、都合が悪いらしい」

 摂政の関与によって、シュアンの身柄が、近衛隊の監視下に置かれることを危惧していたのだが、変わらずに警察隊の管轄であるようで助かった。

 規律の厳しい近衛隊を切り崩すことは難しいが、腐敗した警察隊が相手ならば、抜け道は幾らでもある。だから、単に脱獄させるだけならば可能だろう。しかし、その後のシュアンの生活を思うと、追手が掛かるような手段は採れない。堂々と出獄させる必要がある。

 初めから分かっていたことだが、そこが難点ネックだった。

 シュアンの逮捕を知ってからずっと頭を悩ませ、クーティエからも『名案を思いついてほしい』と懇願されたルイフォンだったが、夜通し思案を続けても妙策は浮かばなかった。

 重い溜め息を落とす彼に、ハオリュウが「ルイフォン」と声を掛ける。

「シュアンの容態は? 朝の時点では、全治数ヶ月という話でしたが、新しい情報はありませんか?」

 まるで詰問するかのような口調だった。

 実は、今朝早く、ハオリュウはこの部屋を訪れていた。メイシアが家事の手伝いに行き、ルイフォンがひとりになる瞬間を狙ってのことだった。

『あなたが見たという、シュアンが暴行を受けている映像を、僕にも見せてください。――あなたのことですから、きちんと保存してあるのでしょう? たとえ、それがどんな映像ものであったとしても、シュアンが送ってくれた、貴重な『情報』であることに変わりはないのですから』

 丁寧な物言いでありながらも、威圧に満ちた眼差しだった。

 ルイフォンは短く『分かった』と答えた。それ以外の返答など、できるはずもなかった。

 モニタに映し出された光景を、ハオリュウは黙って瞳に焼きつけていた。膝に置かれた手は、血管が浮き出るほどに硬く握りしめられていた。

 そして、映像が終わると、ただひとこと『ありがとうございました』と深々と頭を下げ、部屋を出ていった――。

 そんなことを思い出しながら、ルイフォンは静かに告げる。

「さっき診察に来た医者が言うには、囚人でなければ当然、入院が必要で、絶対安静だそうだ。痛み止めも処方されていたから、扱いは悪くないと思う。前の監獄だったら、薬なんか出してもらえなかっただろうからな」

「そうですか……」

 ハオリュウは唇を噛んだ。昨日とは比ぶべくもない待遇だが、それでも、やはり表情を緩めるような心境ではなかったのだろう。ひと呼吸を置いたのち、彼は険しい視線で一同を見渡した。

「――では。早速ですが、シュアンを救出するための具体的な策を練りましょう。カイウォル摂政殿下は、僕が『ライシェン』の情報を持ってくるのを待ってらっしゃる状態です。明確な期限を示されたわけではありませんが、できるだけ迅速な行動が必要です」

 ルイフォンは、ごくりと唾を呑んだ。彼が名案を思いつけなかった以上、ハオリュウの独壇場となるのは火を見るよりも明らかだった。

 それは、ハオリュウも察していたのだろう。ルイフォンに軽く目線で会釈すると、すっと口角を上げ、朗々たる声を響かせる。

「僕は、昨日申し上げた通り、僕が〈天使〉となってカイウォル摂政殿下に交渉する案を推します。交渉が決裂した場合には、殿下の記憶からシュアンに関する情報を消し去ることも辞しません。僕が〈天使〉の力を自在に扱えるかは未知数ですが、不可能ということはないでしょう。なお、僕の〈天使〉化は可能であると、クーティエから聞いております」

 立て板に水を流したような弁舌だった。その隣では、首をすくめた上目遣いのクーティエが、なんとも決まりが悪そうに、ルイフォンとメイシアを見つめている。

「僕の依頼で、シュアンが厳月の先代当主を殺したことは事実です。シュアンの自白では、もと上官に騙され、斑目一族の指示で殺害したということになっているようですが、『厳月家の先代当主の暗殺』という罪状そのものは是認しています」

 空調の送風音だけが流れる室内に、ハオリュウは高らかに声を重ねた。人の良さそうな、優しげな面差しは鳴りを潜め、そこにいるのは、目的のためには手段を問わない、闇を従えた絹の貴公子。酷薄な笑みを浮かべ、彼は断言する。

「暗殺は事実であり、シュアン本人も罪を認めている以上、摂政殿下の関与の有無に関わらず、正当まともな手段では彼を救うことはできないんですよ」

 ――だから、『〈天使〉』という禁じ手を使うのだ。

 ハオリュウの双眸が、ぎらりと冷徹な光を放った。

 ルイフォンは、それを正面から受け止める。

 ……実は、反論はできる。

 ルイフォンは、ハオリュウが〈天使〉になるのを諦めざるを得なくなる、少々、卑怯な『とある事実』に気づいていた。

 だが、そんな事実カードを切ったところで、シュアンの救出という目的を達成できるわけではない。単に、ハオリュウの決意をくじくだけだ。

 それでは、なんの解決にもならない。きちんとした代案を出せなければ意味がないのだ……。

 ルイフォンがためらっている間にも、ハオリュウは「それから、もう一点」と、更に畳み掛けた。その声色は、普段よりも一段低く、不穏な響きをしていた。

「僕が〈天使〉になる利点メリットは、他にもあります」

「!?」

 挑戦的にも聞こえる語調に、ルイフォンの背に緊張が走る。

「今回のことは、カイウォル摂政殿下が、『ライシェン』を手に入れ、同時に、鷹刀一族に匿われていると信じているセレイエさんをあぶり出す目的で、僕を陥れた――ということで間違いはないでしょう。ですが――」

 ハオリュウは、そこで言葉を切り、わずかに身を乗り出した。

「結局のところ、この先のすべては、『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』に繋がっていきます。――『ライシェン』の未来が、どこに定まるのか。すなわち、この国の王冠を誰が戴くのか……」

 ゆっくりと巡らされたハオリュウの視線に、皆が知れず頷く。

「そう考えたとき、『ライシェン』の父親であるヤンイェン殿下の存在は無視できません。そして、僕が〈天使〉になっておくことは、彼と友好な関係でいるために、非常に重要な要素ファクターとなります。シュアンの件も解決できて、一石二鳥なんですよ」

「へ……!? ヤンイェンだって……?」

 ルイフォンの口から、思わず尻上がりの声が漏れた。

 唐突に出されたヤンイェンの名に戸惑い、また、ハオリュウが〈天使〉になることとの関連性を見いだせず……、ルイフォンは、いつもはすがめられている猫の目を大きく見開く。

 ヤンイェンが重要人物であることは、その通りだ。ルイフォンだって、どうにかしてヤンイェンと接触できないものかと模索している。しかし、どうして、そこに〈天使〉が関わるのか? 

 ハオリュウの意図が読めず、ルイフォンは眉を寄せる。話が飛躍している気がした。

 そのとき、クーティエの「あぁっ!」という高い声が耳を貫いた。

「ハオリュウが〈天使〉になって摂政殿下を牽制できれば、ヤンイェン殿下と『ライシェン』を会わせてあげられる、ってことでしょ!?」

 それはとても良いことだと、クーティエが嬉しそうに言う。ところが、ハオリュウの顔は、またたく間に渋面となった。

「ごめん、クーティエ。昨日も言った通り、僕は『ライシェン』に対して良い感情を持っていない。悪いけれど、彼を思いやる気持ちはないよ。……だから、そうじゃなくて、今のままだったら、『ヤンイェン殿下は、姉様やルイフォンの『敵』になってしまう』ということを、僕は危惧しているんだ」

「なっ――!?」

 ルイフォンは耳を疑った。

 乾いた声で「どういうことだ?」と呟くも、それはクーティエの甲高い叫びに掻き消される。

「『敵』って何よ!?」

 飛びかからんばかりの勢いで、高く結い上げられたクーティエの髪が跳ねた。

「だって、ルイフォンたちは、息子の『ライシェン』を保護してあげているわけでしょ!? 『味方』のはずよ! おかしいわ!」

「クーティエ、落ち着いて。ちゃんと説明するから」

 ハオリュウが優しげな――ただし、彼の場合は、裏で腹黒な策略を巡らせているときの顔で、彼女をなだめる。それから、ゆっくりと正面を向き、異母姉あねメイシアを視界に捕らえた。

「姉様も、ルイフォンも、『セレイエさんが、最期にヤンイェン殿下に逢いに行ったことの意味』を軽く考えすぎているよ」

「えっ?」

 黒曜石の瞳をまたたかせ、メイシアが澄んだ声を短く発した。狼狽する異母姉あねに、そして、その隣にいるルイフォンに、ハオリュウは諭すように言う。

「『愛する人に、ひと目逢いたい。命が果てるときは、愛する人の腕の中で』――セレイエさんが、そう願ったのは本当だろう」

 台詞の内容とは裏腹に、ハオリュウの言葉に冷ややかな圧が宿る。

「それはつまり、どういうことか? いざ、ヤンイェン殿下に逢えたなら、まず初めにセレイエさんがすることは何か?」

 柔らかな声質であるはずのハオリュウの声が、部屋の空気を鋭く切り裂く。

「彼女は、自分が瀕死である理由を説明するはずだ。すなわち、『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』のことを知らせる。――自分の命と引換えに、ライシェンの記憶を手に入れたことを告げるはずだ」

「――!」

 ルイフォンは息を呑んだ。

ムスカ〉に囚われていたメイシアを救出し、鷹刀一族の屋敷に戻ったあと、〈悪魔〉の契約から解放された彼女から『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』の詳細を聞いた。そのとき、彼女はこう言った。


『ヤンイェン殿下は、『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』のことをご存じないの。だから、ルイフォンや私が『ライシェン』と関わりがあるなんて、まったく知らないの』


 セレイエが『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』を作ったのは、ヤンイェンが先王を殺した罪で幽閉されたあとのことだ。

 ヤンイェンは、何も知らない。セレイエが、単独ひとりで組み上げた。

 この計画は、ひとりきりになってしまったセレイエが、掌からこぼれ落ちてしまった幸せを求めて紡ぎあげた、いわば妄執なのだ。

 しかし、腕の中で冷たくなっていくセレイエから、この計画を聞かされたとき、ヤンイェンは何を思うだろうか? 最愛のセレイエが、自分の命を対価にして、ライシェンの記憶を得たのだと知ったならば……。

 顔色を変えたルイフォンに、ハオリュウは静かに告げる。

「ヤンイェン殿下は、セレイエさんのむくろに誓ったことだろう。『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』は必ず遂行してみせる、と。――なのに、計画を託された姉様とルイフォンは、セレイエさんの命そのものであるライシェンの記憶を、なかったものにすると決めた」

「なかったもの、って……!」

「姉様が〈天使〉にならないなら、ライシェンの記憶は、ルイフォンの中で永遠に眠ったままだ。それは、闇に葬り去られたのと同じことだよ。……そんなこと、セレイエさんを看取ったであろうヤンイェン殿下が、容認できるわけがない」

 反論しかけたルイフォンに、ハオリュウは冷たく言葉をかぶせた。

「ヤンイェン殿下が姉様たちの決断を知ったとき、彼の目には、姉様たちが『ライシェン』復活を妨げる『障害』として映る。――つまり、『敵』だ」

 隣に座るメイシアが、びくりと身を震わせた。薄紅の唇が血の気を失い、紫色を帯びる。

 ルイフォンは黙って腕を回し、華奢な肩を抱き寄せつつ、黒絹の髪をくしゃりと撫でた。彼女が罪悪感を覚える必要はない――指先で、そう伝える。

『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』は、〈ムスカ〉が作った肉体に、〈天使〉になったメイシアが、ルイフォンの中に預けられた記憶を書き込むことで『ライシェン』を蘇らせ、彼に幸せな人生を贈ることで完成する。

 しかし、それはセレイエの我儘だ。彼女の身勝手のために、メイシアが〈天使〉になる道理などない。既に用意されてしまった肉体は、いずれ――『ライシェン』が進むべき道が決まったときに、凍結保存を解いて、幸せへと導く。それでよいはずだ。

 ただ、ハオリュウの弁は、実に正鵠を射ていた。気づかせてくれたことには、感謝せねばなるまい。

 ルイフォンは、メイシアから伝えられた、セレイエの最期を反芻する。


『『ひと目でいいから、ヤンイェンに逢いたい』と言って、セレイエさんは、殿下が幽閉されている館に向かったの。彼女は最後の力を振り絞り、〈天使〉の羽を広げて、警備の者の目を――記憶をいくぐった……』


『今にも崩れ落ちそうなセレイエさんの背中を、ホンシュアは見送ったの。――ほら、私にセレイエさんの記憶を書き込んだのは、『セレイエさん本人』ではなくて『〈影〉のホンシュア』なわけでしょう? だから、私の知っている最期の光景は『ホンシュアの目線』になるの』


 この話を聞いたとき、ルイフォンは『セレイエが生きている可能性』を考えた。長く離れて暮らしていても、やはり異父姉あねの死を信じたくなかったのだ。

 その気持ちが、情報の読み解き方を誤らせた。

 これは、『ヤンイェンが『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』の存在ことを知った可能性』を表すもの――ハオリュウが指摘したように、ヤンイェンが『敵』になる可能性を示唆する情報ものだ。

 情報屋〈フェレース〉ともあろう者が、情けない。

 セレイエは、文字通り死にものぐるいで、ヤンイェンのもとにたどり着いたはずだ。血を分けた、あの異父姉あねのことだ。ルイフォンには確信できる。

「……そうだよな」

 ルイフォンは小さく呟き、それから、ぐっと口角を上げた。うつむき加減の猫背を正し、ハオリュウに向き直る。背中で編んだ髪が跳ね、毛先を飾る青い紐の中心で、金の鈴が煌めいた。

「ハオリュウ、ありがとな」

「!?」

 清々しいくらい笑顔で礼を述べられ、ハオリュウは面食らった。てっきり、ルイフォンからは険悪な言葉が返ってくるだろうと構えていたのだ。

「ヤンイェンが『敵』になる可能性なんて、俺は、これっぽっちも考えていなかった。――けど、まったくもって、お前の言う通りだ。教えてくれてありがとう」

 藤咲家は確か、ヤンイェンと親しかったはずだ。なのに情に流されず、冷静に状況を判断できるとは、やはり年若くともハオリュウは貴族シャトーアの当主なのだと、ルイフォンは思う。

 そして、同時に、ハオリュウの腹積もりも読めた。

「つまり、お前の言う利点メリットとは『メイシアの代わりに、異母弟おとうとのお前が〈天使〉になれば、ヤンイェンを敵に回さないですむ』――ということだな? だから、シュアンの件と併せて、一石二鳥だと」

「そういうことです」

 ルイフォンの反応に戸惑いながらも、ハオリュウは頷く。――その直後だった。

「だったら、却下だ」

 鋭いテノールが、一刀両断に放たれた。

 ルイフォンは、それまでの笑顔をかなぐり捨て、好戦的な猫の目でハオリュウをめつける。

「俺は、義弟おとうとを犠牲にする気はねぇんだよ!」

「ルイフォン!?」

 豹変したルイフォンに、ハオリュウの声が跳ねた。

「メイシアやハオリュウが〈天使〉にならなければ、ヤンイェンが『敵』になる? ――だったら、俺は別に構わねぇ、敵対すればいい。受けて立つさ」

 叩きつけられた語気に、ハオリュウの体が反射的に引けた。けれど、ハオリュウもまた、すぐに言葉を返す。

「無駄な争いが避けられるならば、衝突は回避しておくほうが懸命です」

「道理の通らねぇ奴と、仲良くするいわれはない」

「ヤンイェン殿下は、実の父である先王陛下を殺害しています。姉様に刻まれたセレイエさんの記憶によれば、それは息子ライシェンへの愛ゆえの行動であり、自分を止めることができなかったからだと。彼の感情には、多少の同情の余地はありましょう。しかし……です!」

 ルイフォンが無下に言い切れば、ハオリュウからはよどみのない反論がなされ、更に声高らかに長広舌ちょうこうぜつが振るわれる。

「一国の王が死すれば、その余波は甚大です。ヤンイェン殿下は、どんな私怨があろうとも、先王陛下をしいするべきではなかった。断じて、王族フェイラすべきことではありません。……セレイエさんとライシェンを失った、今のヤンイェン殿下は、そんな道理も分からぬ、まともな判断ができない人間なんですよ」

「だから俺も、ヤンイェンには道理が通らねぇ、って言っているだろ?」

「ええ、そうです。道理が通りません」

 ルイフォンの弁を受け、ハオリュウが、ふっと口元をほころばせる。

「そんな彼が、最愛のセレイエさんが遺した、最愛の息子の記憶がないがしろにされていると知ったとき、理性的でいられるわけがありません。彼は、もと〈七つの大罪〉の事実上の責任者です。下手をすれば、その技術で何をしでかすか分かりません」

「……」

「ヤンイェン殿下は、むしろカイウォル摂政殿下よりも、よほど厄介な相手なんですよ。だったら、敵対するよりも、取り込んでしまったほうがよいでしょう」

 ルイフォンは眉をひそめた。ハオリュウの論理に歪みを感じたのだ。しかし、彼の表情の変化にハオリュウは気づかず、より一層、声を張り上げて弁舌を続ける。

「『ライシェン』の記憶を移すために、ヤンイェン殿下ご自身が〈天使〉になる、という選択はされないでしょう。王族フェイラである彼が〈天使〉になれば、力が強すぎて制御しきれず、熱暴走を起こす確率が非常に高い。そのとき、『ライシェン』の無事は保証されません。だから、僕のように安定した〈天使〉の力を使える人間を、彼は欲するはずです」

「――おい、ハオリュウ」

 可能な限り低く、ドスの利いた声で、ルイフォンは自己犠牲が大好きな義弟おとうとの名を呼んだ。対してハオリュウは、「ルイフォン?」と、柔和な顔で微笑みを返す。

「お前の言うことは正論だ。それは俺も認める。――けど、シュアン救出について議論しているこの場で、お前が長々とヤンイェンの話を持ち出したのは、自分が〈天使〉になることを正当化して、俺やメイシアの承諾を得るためだろ? しかも、俺たちにも利点メリットがあると匂わせてな! ……俺は騙されねぇぞ」

「……否定はしません」

 ハオリュウは、むっと鼻に皺を寄せた。

「――ですが、ヤンイェン殿下の件が、いずれ問題になることは事実ですし、僕が〈天使〉になれば、シュアンは助かる。……いったい、なんの問題があるというのですか?」

 開き直るように、目をとがらせたハオリュウに、ルイフォンは溜め息を落とす。

 彼の頭の中には、ハオリュウが〈天使〉になるのを諦めざるを得なくなる、少々、卑怯な事実カードがある。シュアンを助ける妙案もなしに、これを切るのは姑息だと思っていたが、それでも今は出すべきときだろう。

「なんの問題もないだと?」

 尻上がりのテノールで、ルイフォンは挑発的に嗤った。

「大いにあるだろ? お前があえて口にしていない、重大な事実がな」

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