4.絹糸の織りゆく道-2
「なんでっ? どういうこと!? どうして、ハオリュウが〈天使〉になるのよ!?」
クーティエは、ハオリュウに掴みかからんばかりに詰め寄った。しかし、勢いよく迫るも、不吉な予感が胸を渦巻き、その声は悲鳴に近い。
「カイウォル殿下に『ライシェン』の情報を渡さずに、シュアンを助けるためだ」
「わけが分からないわよ!」
半狂乱の口調で、クーティエは言い放つ。平然とした顔のハオリュウが、腹立たしくすらあった。
憤慨する彼女に、ハオリュウは困ったように眉を寄せた。
「落ち着いて聞いてほしい。荒唐無稽に感じるのは分かるけど、僕は別に自棄になっているわけじゃないよ」
「でもっ!」
「
「何よ、それ!」
妙に冷静すぎるハオリュウに、クーティエは
いつも何を考えているのかよく分からない、感情に乏しいとしか思えない氷の祖父は、何食わぬ顔で、自国の摂政をペテンに掛けた。『鷹刀一族は〈七つの大罪〉の技術を自在に扱える』と信じ込ませ、『一族には手を出すな』と牽制、脅迫したのだ。
まったく、鋼鉄の心臓の持ち主だと、クーティエは思う。
……けれど、一族のために必死だったのだ、ということも知っている。守るという言葉は、強い思いの中からしか生まれないのだから――。
クーティエの興奮が冷めてきたのを見計らい、ハオリュウが静かに続けた。
「エルファンさんが、あの作戦が成功すると踏んだのは、〈
ハオリュウは闇色の瞳を煌めかせ、すっと口の端を上げる。
「つまり、『〈七つの大罪〉の技術』をちらつかせれば、カイウォル殿下に対抗できる」
「――っ!」
クーティエは息を呑んだ。
確かに、その通りだ。
しかし――。
「……ま、待ってよ、ハオリュウ!」
本能的な恐怖が胸に押し寄せ、彼女は叫ぶ。
「祖父上は
〈七つの大罪〉の技術が具体的にどんなものなのか。実のところ、クーティエは詳しくは知らない。けれど、禁忌のものと聞いている。おいそれと、手にしてはいけないものであるはずだ。
だから、技術を
険しい顔で迫るクーティエに、ハオリュウは、ふっと口元をほころばせた。
「クーティエ。あなたが、僕を心配してくれているのは分かる。それは嬉しいよ。――でも、ただじっとしているだけじゃ、何も解決しないんだ」
「……」
「あなたには、僕の考えをきちんと話しておきたい。――聞いてくれるかな?」
彼はそう言って、彼女をソファーへと促した。
ふかふかの座面は、さすが
ハオリュウは、クーティエを扉の内側に入れてくれたのだ。『僕の考えをきちんと話しておきたい』という言葉まで添えて。
ならば、クーティエも、頭ごなしに否定ばかりしていては駄目だ。それでは、ハオリュウの言う通り、何も解決しない。
彼女は深呼吸をして、向かいのハオリュウへと、ぐっと身を乗り出す。それに応えるように、彼はゆっくりと口を開いた。
「〈
「……っ」
「カイウォル殿下は〈天使〉の力を恐れている。――それが明確に分かっているのだから、その力を手に入れるべきだと、僕は考える」
断言したハオリュウに、クーティエは声を荒立てないように、感情を抑えながら尋ねた。
「祖父上がやったみたいに、摂政殿下を『騙す』のじゃ駄目なの?」
「二番煎じは通じないと考えるべきだよ。下手をすれば、エルファンさんの弁が嘘だったこともばれて、鷹刀一族が窮地に陥る可能性もある。だから、ここは僕が実際に〈天使〉の力を手に入れておくべきだ」
「危険だと思うの。だって、〈天使〉の力って、まるで悪い魔法使いの魔法みたいじゃない?」
口にしてから、随分、子供っぽい言い方をしてしまったと、クーティエは恥ずかしくなった。最近、ファンルゥに魔法使いの絵本を読んであげているので、思わず出てしまったのだ。
だが、彼女の羞恥は杞憂で、むしろハオリュウは言い得て妙だと頷く。
「クーティエの言いたいことは分かるよ。何しろ、〈七つの大罪〉の〈悪魔〉たちが作った技術だからね。それこそ、『悪い魔法』のようなものだろう。カイウォル殿下に限らず、まともな人間なら、誰だって恐ろしいと感じるはずだ。――それに……」
彼は、そこで一段、声を低くする。
「『悪い魔法』は、たいていの場合、諸刃の剣ということになっている。ご多分に漏れず、〈天使〉の力も、無理をすれば熱暴走を起こして死に至る――という代物だ」
「なら、なおのこと、別の手段を考えるべき……」
クーティエは言い掛けて、途中で声が止まってしまった。ハオリュウの闇が、ふっと濃くなった気がしたのだ。
押し黙ったクーティエに代わり、好戦的な眼差しのハオリュウが問う。
「セレイエさんが、姉様を『最強の〈天使〉の器』として選んだ理由――クーティエは覚えている?」
「え? うん。
「そう。でも、ただ
最愛の
「つまり、
「――!」
ハオリュウの意図するところを理解し、クーティエは顔色を変えた。
その次の瞬間には、ハオリュウの口から想像通りの言葉が発せられる。
「つまり、僕だ」
父に
「生粋の
「……っ」
反論したいのに、何を言ったらよいのか分からなかった。
「僕は、シュアンを助けたい」
凛と響くハオリュウの声が、クーティエの耳朶を打つ。
「彼は、僕と摂政殿下との駆け引きに巻き込まれただけだ。そして、彼の罪状は、彼が僕の手となって、厳月の先代当主を撃ってくれたことに依るものだ。――僕のために、彼の命が脅かされているのなら、それは、僕自身が脅かされているのと同じことだ」
「…………」
「誰だって、自分の身が危険に晒されれば、死にものぐるいで
ハオリュウの闇が、ぞわりと
「緋扇シュアンが、どんな目に遭っているか――って、どういうこと……!?」
「
「なっ……!」
「僕はシュアンから、警察隊内部の現状を聞いている。だから、間違いないよ」
淡々と告げる声は少しの揺らぎもなく、ぴんと張られた
「ちょ、ちょっと待ってよ! 緋扇シュアンは、摂政殿下のもとで、厳重に監視されているわけじゃないの?」
「違う」
クーティエの問いに、ハオリュウは、きっぱりと首を振る。
「罪状が『厳月家の先代当主の暗殺』である以上、
「え?」
「
「そうなんだ……」
「だからね、クーティエ」
ハオリュウは、ぎりりと奥歯を噛み、まっすぐな視線を彼女に向けた。
「僕は、この身に代えてでも、シュアンを取り戻す!」
腹の底から発せられた叫びは、熱く激しく。
育ちの良さからくる上品な振舞いと、優しげな容貌からは想像しにくいが、絹の貴公子の気性は、かなり荒々しい。
クーティエは、ハオリュウの顔を見つめたまま、瞬きひとつできなかった。
彼の気持ちが痛いほど伝わってきて、胸が苦しかった。
『守りたい』という強い思いに、彼はその身を
クーティエは、『ひとり』で抱え込むハオリュウに対し、『ルイフォンたちと協力して、皆でシュアンを助けよう』と、持ちかけるつもりだった。
ルイフォンは既に動いている。いざというときには、シュアンを脱獄させようと考えていて、そのための監獄の地図まで、もう手に入れていた。
だから、『一緒に、
なのに、クーティエの口を
「……なんで、ハオリュウばっかり、辛い目に遭わなきゃいけないの?」
しゃがれた声と共に、涙がこぼれた。
「『ライシェン』のせいで、緋扇シュアンが殺されるとか、ハオリュウが自分を犠牲にするとか……、おかしいと思うの!」
叫びと共に、心に秘めていた
「ハオリュウ……、『ライシェン』は、私の
唐突なクーティエの言葉に、ハオリュウは困惑を見せた。しかし、彼女の
「父上と母上は、『養父母が必要なら『ライシェン』は
クーティエの声が歪んだ。
「王様になるはずの子を
血族に異様なまでのこだわりを持つ、
法に逆らい、玉座に座るはずの彼を保護すれば、どんな災いを招くやも知れぬのに。
〈神の御子〉という目立つ容姿の彼を守り育てるには、どれだけの困難が待ち受けているのかも分からぬのに。――彼らは、ためらわずに腹を決めた。
けれど、クーティエには、そこまでの覚悟はない。
「摂政殿下の望み通りに、『ライシェン』を引き渡してもいいと思うの……」
ぽつり、と。
クーティエは呟いた。
ハオリュウを苦しめている相手に従うのは不本意だけれど、誰かが傷つくよりは、よほどよい選択のはずだ、と。
「だって、摂政殿下は、『ライシェン』を王様として、王宮に迎えたいって言っているんでしょ? 愛情はないかもしれないけど、大切にされることは間違いないわ。それに、王宮には、お父さんのヤンイェン殿下がいらっしゃる。息子を保護しようと、必ず動くはずよ」
――それなら、『ライシェン』を引き渡してもいいはずだ。
先ほどの呟きを繰り返そうとして、声が喉に張りつく。
クーティエにとっても、何度も言えるほど、軽い言葉ではなかったのだ。会ったこともない
「クーティエ。あなたに、そこまで言わせてしまって申し訳ないけれど、『ライシェン』の情報をカイウォル殿下に売るという選択肢は、僕にはないよ」
ハオリュウの声が、低く響いた。
思わぬ返答にクーティエは目を
「ただ、その理由は、あなたが考えているようなものじゃない」
「……どういう意味?」
「まず、初めに言っておく。……クーティエ、ごめん。僕は『ライシェン』に対して、よい感情を持っていない。父様を死に追いやった『デヴァイン・シンフォニア
「――っ」
それは、仕方のないことだ。
『デヴァイン・シンフォニア
「僕が『ライシェン』の情報を売る気がないのは、『ライシェン』のためじゃない。鷹刀一族のためだ。クーティエは、現状を少し勘違いをしている」
「勘違い……?」
首を傾げるクーティエに、ハオリュウは「そうだ」と頷く。
「カイウォル殿下は、『シュアンの命』と『『ライシェン』の身柄』を天秤に掛けて、僕に選択を迫っているわけじゃない。殿下が『ライシェン』を要求しているのは間違いないけれど、セレイエさんを匿っていると考えている『鷹刀一族』を追い詰めることにも重きを置いているはずだ」
「え? どういうこと!?」
「僕が、鷹刀一族のもとに『ライシェン』がいると証言すれば、カイウォル殿下は、鷹刀一族を『国宝級の科学者の研究』を奪った犯罪者集団として罰することができる。イーレオさんは責任者として逮捕、処刑され、組織は解体を迫られることだろう」
「そんなっ!」
「エルファンさんと交わした『互いに不干渉』の約束も無意味だ。先に、鷹刀一族のほうが反故にした、と言われるだけだ」
冷ややかな眼差しで言い放ち、ハオリュウは掌を握りしめた。
「だから、何があっても、僕は『ライシェン』の居場所をカイウォル殿下に明かすわけにはいかない。そして――」
彼は闇をまとい、凛と告げる。
「
ハオリュウは、自分の拳に目を落とした。
彼の手はシュアンの手で、シュアンの手は彼の手だ。
「ハオリュウ……」
クーティエにも、はっきりと分かった。
ハオリュウは、シュアンのために腹を
ならば、彼女だって腹を
「分かったわ。――私、ハオリュウが〈天使〉になるという意見を支持する」
「クーティエ!?」
驚愕に、ハオリュウの目が見開かれた。
「勿論、諸手を上げて賛成、ってわけじゃないわ。それどころか、ちっとも名案だなんて思ってない。――でも、ハオリュウが、緋扇シュアンのことも、鷹刀のことも大切にしていて、それで、どっちも守るために、ぎりぎりの方法を選んだんだって、……分かったもの」
強気のクーティエの語尾が、少しだけ揺れる。
「ハオリュウが苦しんで、考え抜いた末の作戦なんだから、認めなくちゃ……。否定するんだったら、私がもっといい、別の
彼女は、きっぱりと言い切り、それから鋭く「けど!」と叫んだ。
「まずは、今の話をメイシアにもしてあげて! メイシアは、ハオリュウが『ひとり』で抱え込んでいる、って凄く心配しているの」
「……」
沈黙したハオリュウに、クーティエは畳みかける。
「だって、〈天使〉になるためには、セレイエさんの記憶を持っているメイシアに、その方法を聞かなきゃいけないわけでしょ? どう考えてもメイシアは猛反対だと思うけど、とにかく彼女に話をしなければ始まらないわ。私も説得に協力するから、これから一緒に
やっと、本来の目的を言えたと、クーティエは口元をほころばせた。それから、こう付け加えることも忘れない。
「でも、ルイフォンも、いろいろ画策しているから、彼のほうがいい作戦を思いついていたら、そっちに乗り換えること!」
ルイフォンは、凄い案を思いついてみせると、豪語していた。それがもし本当なら、ハオリュウは〈天使〉にならなくてよいのだ。――クーティエとしては、やはり、そのほうがいい……。
ともかく、善は急げと、クーティエはソファーから立ち上がった。そのとき、ハオリュウの口から、思いもよらぬ言葉が飛び出た。
「姉様には頼らない」
「えっ……!?」
扉に向かって歩き出そうとしていたクーティエは、愕然と振り返る。
「姉様は、口が裂けても、〈天使〉になる方法なんか教えてくれないだろう。おとなしそうに見えて、頑固なんだ。――だから、別の人を頼る」
「誰よ、それ!?」
「ヤンイェン殿下」
発せられた名前と共に、ひやりとした風が流れた。
「ヤンイェン殿下は、〈天使〉の専門家であるセレイエさんの事実上の夫であり、四年前まで〈七つの大罪〉の実質の責任者だった方だ。殿下なら、〈天使〉化の方法を知っているはずだ。僕は、彼に会いにいく」
「――!」
「それに、ヤンイェン殿下は『ライシェン』の父親だ。『デヴァイン・シンフォニア
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