4.和やかなる星影の下に-1

 朝陽の気配を感じ、ルイフォンは、すっと目を覚ました。

 まぶたを開けた瞬間、視界に入ってきたものは、見慣れた白いレースのカーテンの裾ではなく、優しいオフホワイトの天井。その景色によって、彼は自分のいる場所が、自室の窓際のベッドではなく、数日前から世話になっている、レイウェンの家の客間であることを思い出す。

 隣で寝ていたはずのメイシアは、朝食の準備を手伝いに行ったようだ。

 レイウェンも、妻のシャンリーも『お客さんでいいんだよ』と言ってくれているのだが、メイシアとしては居候の義務感ではなく、純粋にこの家の一員としての生活を楽しみたいらしい。

 その甲斐あってか、今では、機械類と睨み合ってばかりいるルイフォンより、彼女のほうが、よほど草薙家に溶け込んでいた。毎日、生き生きとしている。

 ルイフォンは体を起こし、両腕を高く上げて、猫背を伸ばした。

 ふと、庭から、レイウェンとタオロンの手合わせの音が聞こえてきた。ベッドを降り、ルイフォンは硝子窓を大きく開く。夜着のままであるが、構いはしない。

「おはよう! 早いな」

 声を張り上げると、ふたりは一時休止の合図を目で送り合い、同時にルイフォンを振り返った。

「君も、意外に早いね」

 鷹刀一族の直系らしい、つややかな黒髪をなびかせ、レイウェンが甘やかに微笑む。

「お前、二日酔いは大丈夫なのか?」

 やや驚いたように、タオロンが尋ねた。巨体に反しての小さな目が、太い眉の下でいっぱいに見開かれている。

「二日酔い? 経験したことねぇよ! それどころか、今日は、格別に爽やかな目覚めだ!」

 抜けるような青空の笑顔で、ルイフォンは親指を立てた。

 ――昨日。

 近衛隊による、鷹刀一族の屋敷の家宅捜索が行われた。

 名目上は『国宝級の科学者』の拉致容疑のためだが、実際には『ライシェン』を探す摂政が、鷹刀一族に圧力を掛けてきたのだ。

 また並行して、事情聴取の要請があった。

 任意であるため、『応じない』という選択もできた。しかし、天下の鷹刀が引き籠もっているなど、矜持が許さぬ。逆に、エルファンが一族を代表し、『鷹刀に手を出すな』と牽制するために王宮に赴いた。

 こちらの切り札は、『鷹刀一族は、〈七つの大罪〉の技術を継承している』という、大嘘ハッタリ

 摂政に一笑に付され、エルファンが拘束、尋問――否、拷問を受けるという危険のある、賭けのような策だった。そのため、初めの作戦会議では詳細が伏せられたくらいだったのだが、あとからルイフォンが協力を申し出たことにより、大成功を収めた。

 そんなわけで、昨晩、鷹刀一族の屋敷ではエルファンを取り囲んで盛大な宴会が開かれたのだが、草薙家にいるルイフォンは屋敷には戻らず、こちらでレイウェンたちと祝杯をあげた。

 ……本当は、エルファンと酒を酌み交わしたかったな。

 ルイフォンは内心で、残念に思う。

 摂政への牽制はうまくいったが、『不干渉』の約束は、危うい均衡でできている。鷹刀一族の動きは、常に監視されていることだろう。

 だから、『鷹刀』ではないルイフォンとメイシアは、このまま、もうしばらく草薙家にいることになったのだ。そのほうが行動の自由が効きやすいし、万が一、何かあったときには、密かに動くことができるから――と。

「ルイフォン。たまには君も、鍛錬に参加しないかい?」

 いつの間にか、窓際まで来ていたレイウェンが、にこやかに誘ってきた。

「そうだな。俺も、鍛えないとな」

 非戦闘員だからといって、いざというときに、メイシアを守れないようでは情けない。心を入れ替え、鷹刀一族の屋敷では、リュイセンに稽古をつけてもらっていたルイフォンである。

「――けど、俺は……強くねぇぞ……」

 大柄のレイウェンと、その隣に並んだ巨漢のタオロンを見やり、ルイフォンは、ぼそりと予防線を張る。こんな規格外の猛者たちと一緒にされては、たまったものではないからだ。

 警戒心もあらわな猫の目に、レイウェンが苦笑した。その顔は優しく穏やかで、とても剛の者には見えない。

「君の体つきを見れば、だいたいのことは分かるよ。義父上ちちうえが、君にどんな指導をしていたのかもね」

「『ちちうえ』? ――ああ、父上エルファンじゃなくて、義父上チャオラウか」

 チャオラウの名前に、ルイフォンは思い出す。――彼は、今回の騒動における、唯一の負傷者だった。

 今回の家宅捜索では、対象が凶賊ダリジィンということで、警察隊からの応援の荒くれ隊員が混じっていたのだ。そして、その中のひとりが『科学者をどこに監禁していやがる!?』と、イーレオに殴りかかろうとしたらしい。そこをチャオラウが身をていして守った。

 チャオラウは、顔を腫れ上がらせながらも微塵にも怒りを見せず、堂々たる態度で、こう告げた。

『我らに恥じることは、何もありません。拳を受けることで認めていただけるのならば、この私がいくらでも受けましょう。ただし、高齢の主人には、ご勘弁を。悪くしたら、あなたが殺人を犯すことになりますので』

 如何いかにも豪傑といった風体のチャオラウが、丁寧に腰を折るのを目の当たりにして、さすがの荒くれ隊員も、毒気を抜かれて引き下がったという。

 ……ユイランへの誓いを守ったんだな。

 チャオラウは、ルイフォンたちが草薙家に移動する際、運転手として送ってきてくれた。その別れ際、ユイランに『鷹刀のことは、お任せください』と胸を叩いたのだ。

 そのやり取りがなかったとしても、彼の行動は変わらなかっただろう。だが、やはり、彼の心にあったのは、イーレオへの忠誠よりも愛しいひとへの想いだったのではないかと思う。……なんとなく。

「ルイフォン」

 ふわりと微笑むような、甘やかなレイウェンの低音がルイフォンを包んだ。

 鷹刀一族特有の美麗な容貌でありながら、同じ顔の誰よりも柔らかな面差し。――なのに、鋭い。どうにも、レイウェンには、何もかも見透かされているような気がしてならない。

「ああ、今すぐ、着替えて外に出る」

 気持ちを切り替え、ルイフォンは身を翻した。



「お前、あれだけ飲んで、本当に平気なんだなぁ」

 豪腕から繰り出した、必殺の一撃をルイフォンにかわされ、タオロンは感心したようにぼやいた。その様子からすると、彼にはまだ酒が残っているのだろう。事実、動きに少々、切れがない。

「社長も無敵ザルだし……」

 ぶつぶつと悔しがるタオロンに、レイウェンが目を細める。

「私も、ルイフォンも、鷹刀の人間だからね」

 どことなく嬉しそうな声の裏側からは、『ルイフォンは、俺の異母弟おとうとだからね』という言葉が聞こえてきた。相変わらずの『兄貴』に、ルイフォンは苦笑しつつも、悪い気はしない。

「社長には、弱点というものがねぇんですか?」

 住み込みで働くようになってから、一ヶ月。レイウェンには、まったく非の打ち所がないのだと、昨日の酒の席でも、タオロンはルイフォンに力説していた。

 ルイフォンだって、レイウェンとは最近の付き合いなのだが、弟のリュイセンが尊敬しつつも、時々、劣等感にさいなまれるくらいの完璧さを誇っているのは知っている。

「俺も、レイウェンの弱点を知りてぇな!」

 調子に乗って軽口を叩くと、レイウェンは素晴らしく甘やかな笑みで「秘密」と返してきた。……なんか、敵わない気がする。

「さて。そろそろ、切り上げようか。タオロンも、今日はファンルゥが起きる前に戻ったほうがいいだろう?」

「――っ!? すんません! ありがとうございます!」

 レイウェンの気遣いに、タオロンが焦ったように頭を下げる。

 ファンルゥは、目覚めたときに父親がいなくても、泣き出すような子ではない。ただ昨日の夜は特別で、ルイフォンたちと盛り上がっているタオロンに、『たまには男連中で、語り合うといい』と、シャンリーがファンルゥの寝かしつけを引き受けてくれたのだ。

 だから、今日のファンルゥの朝一番は、『大好きなパパ』の『おはよう』で。――そういう配慮だ。つくづく、レイウェンは、できた御仁である。

あねさんにも、頭が上がらねぇや」

 刈り上げた短髪を掻きながら、タオロンは幸せそうに笑う。本当に、今の生活は夢のようだと。

 ルイフォンも、昨晩のシャンリーは正直、意外だった。 

 こういっては失礼だろうが、男装の麗人とうたわれるシャンリーのこと、育児は苦手で、同居の義母ユイランに任せっきりの印象があったのだ。しかし、シャンリーが絵本を持ってくると、ファンルゥは大喜びでベッドに向かっていった。

 ルイフォンが首をかしげていると、タオロンが『あねさんは、すげぇんだ』と教えてくれた。

 なんでも、身振り手振りの入った臨場感たっぷりのシャンリーの『お話』は、まるで小さな演劇会で、ファンルゥは夢中なのだという。そういえば、シャンリーは剣舞の名手であり、表現の専門家プロであった。

 徐々に熱を蓄え始めた朝陽を背に受けながら、三人は家に戻る。

 その途中で、メイシアが庭に出てきた。淡い空色のエプロンを着けたままなので、そろそろ朝食だと声を掛けに来てくれたのだろう。鷹刀一族の屋敷での、ふわりとしたメイド服姿も、よく似合っていたが、シンプルなエプロン姿も新鮮である。

 ルイフォンは思わず走り出した。

「メイシア、おはよう!」

「ルイフォン!?」

 彼が朝稽古に参加していたことに、メイシアは目をまたたかせる。

 けれど、彼女を守りたいという彼の気持ちに気づいているのか、彼女は、ほのかに頬を染め、花がほころぶような満面の笑顔となった。

「おはよう、ルイフォン! ――それから、お疲れ様」

「ああ、ありがとう」

 ルイフォンは、華奢な肩を抱き寄せ、薄紅の唇に口づける。

 途端、メイシアがうろたえた。レイウェンとタオロンの目を気にしているのだ。

 彼女の細い指先が、しがみつくように彼のシャツを握る。恥ずかしさで隠れてしまいたいのだと訴えるように、彼の胸に顔をうずめてくる。――そんな仕草が可愛らしい。

 おそらく背後では、レイウェンがいつもの甘やかな眼差しでふたりを見守っていて、タオロンはどこかに視線を泳がせていることだろう。

 何も問題はない。

「俺、幸せだな」

 ルイフォンは、思ったことをそのまま口にする。

「……うん。私も」

 彼の腕の中で、メイシアも、こくりと頷いた。



 それから数日後の夜――。

 皆での夕食を終えたあと、片付けを手伝うメイシアと別れ、ひと足先にルイフォンは客間に戻った。

 それが、ここ最近の彼の日課だった。そして、張りぼてのほうの〈ケルベロス〉を遠隔から操作し、摂政を中心とした国内の情勢を調査したり、〈スー〉のプログラムの解析を進めたりといった作業をこなすのだ。

「ルイフォン」

 ふと、鈴を転がすような声が聞こえてきた。

 メイシアだ。さっき、扉の開く音がしたから、部屋に戻ってきたのだろう。

 気づいてはいたのだが、頭が異次元に飛んでいる状態のルイフォンは、適当に「うん」と答えただけでモニタから目を離さなかった。

 いつものこと、といえばそうである。だが、特に今は、鷹刀一族の屋敷から運搬可能だった機械類だけで作業をしているので、効率が悪い。普段よりも小さな画面を見ていたため、集中力を保つためにも、視線を移すわけにはいかなかったのだ。

 刹那。

 背後で、殺気が膨れ上がった。

「――っ!?」

 ルイフォンは本能的な恐怖を感じ、飛び上がるようにして後ろを振り返る。

「えっ……、シャンリー?」

 そこにいたのは、メイシアひとりではなかった。

 彼女と一緒に皿洗いをしていた、シャンリーもいた。

 メイシアが部屋に入ってきたのは分かったが、シャンリーの気配はまるで感じ取れなかった。もし彼女が敵だったら、確実にやられていた。どうやら、ちょっとやそっとの鍛錬では、まだまだ付け焼き刃のようである。

「メイシア。こいつはいつも、こんな感じなのか?」

 腕組みに仁王立ちのシャンリーが、座位のルイフォンをしかめっ面で見下ろす。ベリーショートの髪と相まり、怒髪天をいているかのようで、かなりの迫力である。

「え? はい……?」

 シャンリーの憤慨の理由が分からず、メイシアは黒曜石の瞳をまたたかせ、きょとんと首をかしげた。

「これでいいのか!? 最愛のお前が声を掛けたならば、何を差し置いても、嬉しそうに返事をするのが男というものだろう!?」

「え、あの……。作業に集中しているルイフォンも、ルイフォンらしくて……、その、格好いいと思うので……」

「――くぅっ……、メイシア、騙されているよ……」

 シャンリーは、額を押さえるようにして頭を抱え、大げさなほどに嘆きを漏らす。

「さすが、俺のメイシアだ!」

 ルイフォンは勢いよく立ち上がり、がしっと彼女を抱きしめた。腕の中から、小さな悲鳴が聞こえたが、それは無視である。

 実のところ、作業中の態度に関しては、彼としても、ほんの少し後ろめたく思っていた。しかし、メイシアは許してくれるどころか、評価してくれていたとは――!

 ……あまりの寛容さに、かえって罪悪感で胸が痛い。思わず、彼女の耳元で「いつも、すまん」と囁いた。

 とはいえ、シャンリーの弁は無茶苦茶だ――と、思ったが、彼女の夫であり、超人であるレイウェンならば、常に当然のように、あの甘やかな笑みで応えてくれるのだろう。

 シャンリーは、しばらく呆気あっけに取られていた様子だったが、溜め息混じりに「まぁ、いい」と呟いた。そして、がらりと口調を変え、唐突に切り出す。

「すまんが、ちょっと、ふたりにお願いしたいことがあってね」

 女性にしては低い声質が、更に沈むような陰りをはらんだ。

 ルイフォンは、何ごとかと頬に緊張を走らせた。反射的にメイシアを見やると、彼女もまた、彼と同じような顔をしている。シャンリーと一緒に部屋まで来たので、話があることは知っていたようだが、内容までは聞かされていなかったらしい。

 ルイフォンとメイシアは互いに顔を見合わせ、知れず、身構える。

「おいおい、そんな顔をされると話しにくいぞ」

 部屋の空気を一変させた張本人であるシャンリーが、おどけたように肩をすくめた。

 その大仰な仕草は、『お話』好きのファンルゥには大受けなのだろうが、今はルイフォンの不安を煽った。シャンリーが、無理に軽薄に振る舞おうとしているように感じられたのだ。

 性別不詳ながらも整った顔を取り澄ませ、彼女は「こほん」とひとつ、わざとらしい咳払いをする。

「本当は、レイウェンとふたりで頼もうかとも考えたんだけどね。私たちが雁首がんくびそろえてやってきたら、大げさに捉えられそうだから、私がひとりで来たんだ」

「なんだよ、改まって」

 軽く受けようとしたルイフォンのテノールは、あっさりと上ずり、空回りした。

 けれど、それで正しかったのかもしれない。

 何故なら、シャンリーの次の台詞は、決して軽いものではなかったから――。


「『ライシェン』の未来の選択肢のひとつに、『草薙家うちの子になること』を入れてもらえないか?」

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