3.表裏一体の末裔たち-3

『ライシェンのことを、ご存知だったのですね』


 天空の間に、気品あふれる雅やかなカイウォルの声が響いた。

 純白の世界に生じた、奈落ブラックホールのような黒い瞳が威圧を放ち、強引なまでの重力でもって、この場のすべてを呑み込もうとする。

 エルファンは、目をそらすことができなかった。

 それは、先に視線を外したほうが負けであるという、野生の獣めいた感情からくるものなのか。それとも、人を惹きつけ、世界を回すとうたわれた、カイウォルの力に捕らわれたためなのか……。

 ――カイウォルは、カマを掛けているだけだ。

 奸計の貴人の顔を双眸に映したまま、エルファンは脳裏に、ある情報を浮かべる。

『摂政カイウォルは、鷹刀一族について、まったく把握できていません。どんな情報を持っているのかも、私と接触があったことすらも知りません』

 そう伝えてきたのは、〈ムスカ〉だ。カイウォルに関する情報は、これから重要になるであろうからと、ルイフォンに託した記憶媒体に、こと細かに遺してくれたのだ。

 思考を研ぎ澄ませれば、徐々にカイウォルの意図が読めてくる。

 ――エルファンの動揺を誘い、失言を狙っているのだ。

 確かに、カイウォルは、ライシェンという国家の機密事項を提示してきた。

 しかし、オリジナルのライシェンを指すとも、クローンの『ライシェン』を指すともいえぬ、曖昧な言い方をした。エルファンを言葉巧みに操り、クローンの『ライシェン』を知っているという言質を取ろうとしているのだろう。鷹刀一族は、この件に深く関わっているのだと。

 では、どう切り返すべきか――?


『鷹刀セレイエは、〈神の御子〉の男子を産みました』

『子供を奪われると思ったのでしょうね』


 耳の中に余韻の残る、カイウォルの蠱惑の旋律。

『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』の根幹は、子供ライシェンから始まる。


『あなたの娘のことなので、お話しいたしました』


 ――……ああ、そうか。

 エルファンは、ふっと蠱惑の呪縛が解けたのを感じた。

 口の端を上げ、冷ややかに嗤う。

「私が驚いているように見えない? それは、お前がれ者だからだ。私は、自分の立場をよくわきまえているがゆえ、常から感情を表に出さぬ」

 魅惑の低音が怒気をはらみ、天空の間に轟いた。

 しかし、カイウォルが動じることはなかった。それどころか、美麗な顔を不快げに歪めた。

 もとより、エルファンのぞんざいな口調には眉をひそめていたのだが、低俗な凶賊ダリジィンだからと大目に見ていたらしい。それが、いきなり高圧的に暴言を吐いた上に、『お前』呼ばわりされたことで堪忍袋の緒が切れたようだ。

「おのれ……」

 カイウォルは、わなわなと唇を震わせた。けれど、エルファンは、どすの利いた声で畳み掛ける。

「感情を出してよいというのなら、遠慮をする必要はないな」

 そう告げるや否や、エルファンは、すっとソファーから立ち上がった。

 刹那、漆黒の風がはしり、向かいに座るカイウォルの襟首を神速で掴み上げる。

「私の娘に手を出しやがって、このけだものめが!」

「!?」

 カイウォルの両足が、完全に宙に浮いた。上着の裾の金刺繍が、戸惑うように揺らめく。

 首元の一点に、カイウォルの全体重が掛かった。澄ました美貌が驚愕に染まる。それでも悲鳴を上げなかったのは、さすが見栄プライドの塊といったところか。

 エルファンは、悪鬼の形相でカイウォルを睨みつけた。自分の目線よりも高く吊し上げた相手の顔を見上げると、憎悪が膨れ上がったかのように、黒髪がぞわりと舞い広がる。

 ――が、これは演技だ。

 激昂しているように見せかけているが、エルファンは極めて冷静である。本気で掛かるつもりならば、相手の服の襟ではなく、直接、首を締め上げている。

 カイウォルは、経験したことのない屈辱に動転しているであろう。しかし、実のところ、たいして苦しくはないはずだ。本来なら、このまま顔面か腹に一撃、食らわせたいところであるが、あとあと面倒臭いので、傷が残るようなことはしない。

 そして、親切にも、エルファンは、カイウォルの混乱を解消してやるのだ。

「セレイエが〈神の御子〉を産んだだと? だったら、その父親は、お前しかいないだろう!」

 これが、エルファンが暴挙に出た大義名分説明である。

 勿論、ライシェンの父親がカイウォルではないことをエルファンは知っている。

 だが、現在、王宮や神殿に出入りできる王族フェイラの男は、カイウォルのみだ。現女王が即位し、カイウォルが摂政となったときに、政治に口を出せるような王族フェイラをカイウォルが遠ざけたためだ。

 故に、『つい最近』、セレイエが〈神の御子〉を産み、姿を消したように語られたならば、この反応を返すのが正しいのである。カイウォルを責め立てる表情を変えぬまま、エルファンは内心でほくそ笑む。

 どうやらカイウォルも、この大義名分説明の正しさに気づいたようだ。高慢な王族フェイラが顔色を変えるさまは、見ていて胸がすく。

 …………この感情怒りは、演技でもないか。

 どす黒い快感をいだきながら、エルファンは思う。

 如何いかにも王族フェイラ然としたカイウォルは、いわば『王家』というものの象徴だ。長年、血族鷹刀を〈にえ〉として苦しめてきた仇の末裔である。

 そして、セレイエも、『王家』に関わったがために、命を落とした……。

 家を出て独立した娘など、どこで何をしようが勝手だ。誰の子供を産もうと、そんなことは本人の自由だろう。一生、実家に戻らず、顔を合わせることがなくとも構わない。

 ただ、幸せであれば。

 それで、よかった。

 カイウォルの襟を掴むエルファンの手に、無意識に力が籠もる。

「は……離しなさい……、この下郎……! 勘違い……です」

 拘束から逃れようと、カイウォルがエルファンの甲に爪を立て、両足をばたつかせて暴れた。

「勘違い?」

「ライシェンの父親……は、私では……ありません」

「では、誰だ?」

「あなた、に……、教える……義理はない、でしょう……?」

 文字通り、相手の掌中に生殺与奪の権が握られているような状況下においても、余計な情報を漏らすまいとするカイウォルの姿勢は、見上げた根性といえた。

 もっとも、ライシェンの父親がヤンイェンであることは、鷹刀一族にとって既知の事実であるし、カイウォルにしてみても、確信はないとはいえ、鷹刀一族は事情を知っているのではないかと疑っているため、このやり取りは、互いにとって茶番だったかもしれない。

 エルファンは冷笑した。

「なるほど。お前が父親でないというのなら、セレイエと子供を殺すことにためらいはない。女王の婚約が発表され、世継ぎが期待されている今、セレイエの子供は邪魔な存在だ。なんとしてでも探し出し、争乱の芽を摘み取っておきたいというわけだな」

 何も知らない、という立ち位置の人間として、『正しい台詞』をエルファンは言ってのける。カイウォルにしてみれば、そうできたら、どんなによかろうかという内容だ。

 しかし、現実には、摂政であるカイウォルは、『ライシェン』を王として迎え入れなければならない。『ライシェン』がこの世で唯一の〈神の御子〉の男子となるよう、セレイエが過去の王の遺伝子をすべて廃棄したからだ。

 そんな裏の事情を承知しながら、エルファンは意地悪く迫った。せいぜい、返答に窮すればよいと、憎悪を浮かべる。

「――っ」

 襟を掴み上げるエルファンの手に、鈍い振動が伝わってきた。カイウォルが奥歯を噛み締めたのだ。

 黒髪黒目のカイウォルが、くらかげりをまとう。全身を純白で包んでも、彼の本質は禍々しい闇。決して王にはなれない王兄から、この国に対する理不尽がにじみ出る。

 歪んだ唇が嘲るように、それでも雅やかさを残しながら、言葉を吐き出す。

「……なんと答えようとも、あなたは……あなたの好きなように、解釈するだけ……でしょう? ならば、答える意味が……ありませんね……」

「――確かに。お前の言うことは、もっともだ」

 なかなか秀逸な答えだと、エルファンは口元を緩めた。カイウォルには不遜な態度にしか見えなかっただろうが、エルファンなりに評価したのだ。

 エルファンは、ひとまず、吊し上げているカイウォルを降ろした。このままでは『交渉』に入りにくいと思ったからだ。

 カイウォルが余計な話を持ち出してきたために、すっかり横道にそれてしまったが、エルファンの目的は、カイウォルに鷹刀一族から手を引かせることである。それも、二度と関わりを持ちたくないと思うほどに、圧倒的な『強さ』で叩き、沈黙させる――。

 解放されたカイウォルは、呼吸の自由が戻ったことを喜ぶよりも先に、エルファンを不審げにめつけた。ほんの一瞬前まで自分を暴力で支配していた相手が、いきなり漆黒の長い裾を翻し、もとのソファーに戻ったのだ。裏があると疑うのは当然だろう。

「何か言いたげな顔だな」

 どのようにして『交渉』に持ち込もうかと思案しつつ、エルファンは、とりあえず挑発的に顎をしゃくった。高慢な王族フェイラであるカイウォルなら、看過できないであろう、と。

「この私に暴行を加えて、ただで済むと思っているのですか?」

 果たして、思惑は当たった。喉に違和感が残っているらしく、カイウォルは首元をさすりながら憤慨をあらわにする。

 エルファンは涼しい顔で冷酷に嗤った。

「お前は、何を勘違いしている? 私は凶賊ダリジィンだ。我らの流儀では、力こそすべて。強さを示すことは、自己を語るも同然だ。――逆に、私のほうこそ、お前に問いたい。危険と分かりきっている凶賊ダリジィンの私と、密室でふたりきりになった自分を愚かだったとは思わないのか?」

「思いませんね。常識的に考えて、あなたが私を害することなど、あり得ないはずでしたから。――むしろ、鷹刀セレイエについて尋ねる、よい機会だと思いましたよ」

「ほう?」

 エルファンが、からかうように語尾を上げると、カイウォルはむっと鼻に皺を寄せた。

「あなたは鷹刀一族を代表して、この場に来ています。つまり、あなたが私に危害を加えれば、それは鷹刀一族が王家に反旗を翻したという意味になります」

 苛立ちもあらわに、カイウォルは諭すように告げる。

 自分よりも目線の高いエルファンを見上げながらも、尊大な仕草で溜め息をついた。整った眉を寄せ、「先ほどは迂闊でした」と続ける。

「まさか、あなたが一族を顧みずに私に襲いかかってくるなど、想定の粋を超えていました。あなたが短慮を働かないよう、先にこうして説明しておくべきでしたね」

 下種を見る目だ。

 対して、エルファンは感情の読めない顔で相槌を打つ。

「ふむ。一族が人質になっているのだから、もっと神妙にせよ。さもなくば、王家の威信に掛けて、鷹刀を滅ぼす――と、言いたいわけだな?」

「そういうことです。勿論、先ほど私に無礼を働いた罪は、きちんと償っていただきます」

 形の崩れた襟元を示し、カイウォルは憤然と言い渡す。

「なるほど――」

 エルファンの喉が震えた。

 決して大きな声ではないにも関わらず、魅惑の低音は、轟くように天空の間に響き渡った。

「!?」

 カイウォルの肩が、気圧けおされたように揺れた。

 武の心得など皆無のカイウォルだが、エルファンの放った殺気に、生き物の本能で恐怖したのだ。

 エルファンの双眸が、あざ笑うように細められる。口元がわずかに緩んだかと思われた瞬間、ぐいと顎が上がり、鋭く冷ややかな眼光がカイウォルを斬りつけるような軌跡を描いた。

「お前は、本当に、何も分かっていないのだな。――カイウォル」

 氷の美貌が魔性を帯びた。

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