3.表裏一体の末裔たち-1
夏の陽射しを照り返し、白亜の王宮が燦然と輝く。
この国に君臨せし王の権威を、世に知らしめんとする威容。荘厳かつ優美な造形は、まさに天空神フェイレンの代理人の
政治の中心でもある国の心臓部たるその場所に、一台の車が到着した。王宮を出入りするに遜色のない立派な黒塗りの車であるが、正門ではなく、通用門の前に、目立たぬように密やかに停車する。
降りてきたのは、近衛隊の制服に身を包んだ者たち。
――否。
最後の男だけは異なった。
襟の高い正装を一分の隙なく着こなした、鍛え上げられた体躯の美丈夫。
泰然と地に足を下ろす、その所作だけで、彼が只者ではないことを雄弁に物語っていた。王宮という強大な権力の象徴を前にしながら、彼からは微塵にも萎縮が感じられないのである。
若くはないものの、均整の取れた長身を黒一色の絹で飾った
男は、四人の近衛隊員たちに囲まれるようにして通用門へと進む。その際、目前に迫る高楼を一瞥し、声を立てずに嗤った。
実に不遜な輩である。だが、近衛隊員たちは、男の威圧にすっかり呑まれていた。
彼こそが、鷹刀エルファン。
大華王国一の
高齢であるというイーレオではなく、若く未熟なリュイセンでもなく。智にも武にも、最も優れた彼が、一族を代表して事情聴取に応じた。
鷹刀一族も厄介な人材を寄越してきたものだと、近衛隊員たちは内心で深い溜め息をついたのだった。
エルファンが連れて行かれたのは、王宮の地下であった。
地階に降り立った途端、それまでの華美な様相は一変した。壁といい床といい、天井までもが
あたりは、ひっそりと静まり返っており、人の気配はない。少し先に目を向ければ、通路の壁の片側に鉄格子が見えた。
なるほどな、とエルファンは思う。
ここは、古き時代に使われていた地下牢獄なのだ。
現代の監獄は、
つまり、この場への案内は、摂政の
では、受けて立とうではないか。
氷の眼差しが、冷涼な地下の温度を更に下げた。近衛隊員たちは、夏であることを忘れたかのように、背筋をぶるりと震わせる。
「こちらです」
近衛隊員のひとりが告げた。扱いに反して言葉遣いが丁寧なのは、エルファンの無言の迫力に恐れをなしているためだろう。
すぐそばの木製の扉が開かれ、中へと促された。どうやら、いきなり牢に放り込まれるわけではないらしい。
足を踏み入れてみれば、そこは古びた椅子とテーブルの置かれた、簡素な小部屋だった。牢の手前に位置することから、もとは看守たちの詰め所だったと思われる。
まずは、ここで情報を吐かせよう、というわけか。
奥の椅子を勧められたエルファンは、長い裾を颯爽と翻し、物怖じとは無縁の靴音を響かせる。そして、足を組むほどには崩していないものの、くつろいだ姿勢で深く腰掛けた。
近衛隊員たちは、ひとまずエルファンが従順であることに安堵した様子だった。……相手にするほどの価値もないから逆らっていないだけ、という事実には気づいていないらしい。
それよりも、とエルファンは素早く天井の隅に目を走らせた。監視カメラが仕掛けられていることを視認し、口元に笑みを浮かべる。
摂政は間違いなく、こちらを見ている。
最も高位の階級章を付けた近衛隊員が、目立たぬようにワイヤレスイヤホンを装着していることは、既に確認済みだ。言わずもがな、摂政の指示を受けるためだろう。
「やれやれ」
エルファンは、部屋を値踏みするように視線を巡らせながら、わざとらしいほどに肩をすくめた。硬い木の椅子の背もたれから身を起こし、ゆっくりとテーブルに肘を付く。
「私は善良なる市民の義務として、善意で、事情聴取に応じたというのに、お前たちは、我が鷹刀が『国宝級の科学者』を拉致したことに『決めた』のだな」
魅惑の低音を響かせ、聴取される立場であるはずのエルファンのほうから、静かに切り出した。彼の言葉は、まるで魔性を帯びた
エルファンは口の端に、薄い嗤いを載せた。
下っ端に用はないのだ。
さて、
「お前たちが、我が鷹刀に嫌疑の目を向けたのは、『国宝級の科学者』が拉致される際に、鷹刀の者の顔を見たからだと聞いた。相違ないな?」
手前にいた若い隊員の目を見て問えば、彼はまるで壊れた機械人形のように声をきしませながら、「そうです」と答えた。
「ほう。拉致の現場を目撃しておきながら阻止しないとは、近衛隊とは不思議な組織だな」
小馬鹿にした口調で、エルファンは低く喉を鳴らす。
若い隊員は目を吊り上げ、しかし、唇を噛んで押し黙った。他の隊員たちも同様である。
『拉致の際に顔を見た』というのは、鷹刀一族に難癖をつけるために、摂政がでっち上げた嘘である。故に、それをとやかく言われるのは、近衛隊としては
隊員たちの心の内では、エルファンに対する苛立ちが渦を巻いていることだろう。だが、挑発には乗るまいと無視を決め込む姿勢は、さすが近衛隊というべきか。
エルファンは、苦笑と冷笑のどちらで応えるべきかと悩み、結論として失笑を漏らした。
気骨を感じたのが半分。あとの半分は、愚鈍という評価からだ。
彼は、天井の隅をちらりと見やる。
監視カメラの向こうにいる摂政は、
近衛隊なら立場を誇示し、高圧的に出るべきなのだ。
こんな雑魚では、私の相手は務まらぬ。
エルファンの眼差しが、冷ややかに摂政に告げる。
「すまんな。私は、お前たちの失態に興味があったわけではないのだ。――ただ、鷹刀の者の顔を見たという話が気になってな」
口では謝りながらも、エルファンの態度は言葉を裏切っていた。事実上の囚われの身であるはずの
「知っての通り、我が血族は皆、ひと目で『鷹刀』と分かる容姿をしている。とある事情により、極端な近親婚を繰り返してきたためだ。お前たちが『鷹刀』を目撃したというのなら、それは見間違いなどではないだろう」
近衛隊員たちは、あからさまに狼狽した。まさか、目撃情報を肯定するとは思わなかったのだろう。
予想通りの反応を示した彼らに、エルファンは、鷹刀の血を凝縮したような魔性の美貌を閃かせる。
「――逆に言えばな。それはつまり、同じ顔立ちをした我が血族の、ひとりひとりを区別することは難しいということだ」
感情の読めない低音が、近衛隊員たちに、ぞくりと迫った。
「何が言いたいのですか?」
高位の隊員が口を開く。それは、彼自身の質問なのか、それとも摂政からの指示なのか。どちらにせよ、些末な問題だ。
「お前たちの探している『国宝級の科学者』とは、〈
不意を
近衛隊員たちの表情に、微妙な惑いが生まれた。どう答えるのが正解なのか、判断に迷ったのだ。
エルファンは、すかさず、「やはり」と呟く。
「
そこまで一気に言い切ると、エルファンは、これみよがしに大きな溜め息をついた。
「これで分かっただろう? お前たちが見たという鷹刀の人間は、拉致の犯人ではなく、『国宝級の科学者』本人だ。何か気に入らないことでもあって、その庭園から逃げ出しただけだろう」
「随分と、ご都合の良い解釈をなさいますね」
イヤホンからの指示があったのだろう。硬い面持ちとは裏腹に、高位の隊員が高飛車な物言いをした。
「ほう。都合が良い、とな?」
うまく話に乗ってきたなと、ほくそ笑み、エルファンは顎をしゃくって先を促す。
「百歩譲って、もし、〈
落ち着いた風格の台詞でありながら、どことなく棒読みなのは、イヤホンから流れてきた文言をそのまま唱えているためだろう。
エルファンは、懸命に嗤いを
虚構と分かりきっている拉致やら目撃やらについて論ずるのは、極めて馬鹿馬鹿しい。しかし、この茶番を乗り越えなければ、摂政との対面は叶わぬのだから仕方ない。
あと少しくらいは付き合ってやるかと、もっともらしい、しかめ面で言を継ぐ。
「ヘイシャオは、とうの昔に一族を抜けている。そんな者に、鷹刀は手を貸したりなどしない。何しろ、奴は『血族を苦しめ続けた組織』の一員として生きる道を選んだのだからな」
「…………、口先では、なんとでも言えましょう?」
返された声は先ほどの隊員のものだが、ひと呼吸ほど遅れているあたり、やはり摂政の代弁であろう。
期待通り、摂政は、〈
彼は、鷹刀一族が〈
事実、『ライシェン』は鷹刀一族の屋敷にいる。ならば、摂政の左右の
そろそろ攻勢に出ても良い頃合いかと、エルファンは氷の微笑を浮かべた。
「ふむ。『血族を苦しめ続けた組織』などという、遠回しな言い方では伝わらぬようだな。――ならば、『王の私設研究機関である〈七つの大罪〉』と、きちんと名称を挙げることにしよう」
毒を含んだ低音が、部屋に溶けた瞬間。
近衛隊員たちの息遣いが乱れた。彼らの間に、緊張をはらんだ空気が流れる。
果たして彼らは、『闇の研究組織〈七つの大罪〉』が、『王の私設研究機関』であることを知っていたのか否か……。
エルファンにとっては、どちらでもよい――正しくは、どうでもよかった。何故なら、彼の眼中には、近衛隊の姿などないからだ。
凍れる瞳が監視カメラを捕らえ、摂政へと直接、語りかける。
「我が鷹刀は、〈七つの大罪〉への恨み――ひいては、神殿と
深い憎悪に、室温は氷点下となり、近衛隊員たちが困惑の表情を浮かべたまま凍りつく。
エルファンは、そんな彼らの様子など気にも留めず、ゆっくりと立ち上がった。
そして、酷薄な唇を開き、玲瓏たる声を響かせる。
「『盲目』で、『
一歩、足を踏み出す。
天井に向かい、彼は挑発的に口の端を上げる。
「『他者の脳から、情報を奪う』、彼らの能力を支えるため」
顎をしゃくる。
その動きに併せ、白髪混じりの黒髪が
「我が鷹刀は、『〈
悠久の怨嗟を帯びた、低い声が轟く。
口上の中に、さらりと紛れ込ませた言葉は――
ただならぬ妖気のようなものが漂い、近衛隊員たちの口から、引きつった悲鳴が漏れた。
エルファンから愚鈍との評価を受けた彼らだが、
青ざめた近衛隊員を前に、エルファンは告げる。
「〈
神話の時代から現代まで、血と怨念を煮詰め続けてきた鷹刀一族の末裔は、壮絶に美しい魅惑の微笑を浮かべ、悠然と部屋を見渡した。
可哀想なほどに脅えきった近衛隊員たちは、微動だにしない。
天井の隅に視線を移し、エルファンは口の端を上げる。無機質な監視カメラの向こうに、摂政の姿が見えた。
会議のときにメイシアが言った通り、ただ『気に入らない』という理由だけで、
しかも、エルファンは
事情聴取に応じれば、拷問にかけて、〈
だから、エルファンは、近衛隊員たちが行動に移る前に、素早く主導権を握った。そして、鷹刀一族は、この国の古き歴史を知る『もうひとつの王家』であるという『身分』を誇称した。
勿論、
故に、〈
これが、エルファンの用意した『手札』だった。
この策は、近衛隊の前で
よって、これは、エルファンだけが使える切り札である。
しかし、これではまだ足りぬ。
圧倒的な『強さ』を示す必要がある。摂政が、鷹刀一族を忌避したくなるようにするために。
すべては、これからの交渉次第――。
「そして、三十年前――」
エルファンは、闇の王家の者にふさわしい、ぞわりとした笑みを浮かべた。
「我が父イーレオは、先王シルフェンと
ゆったりとした靴音で歩きながら、エルファンは言葉を続ける。
「父は、最後の〈
エルファンは、高位の近衛隊員に近づいた。
反射的に後ずさった相手の腕を取り、軽くひねりながら引き寄せると、彼の耳からイヤホンを奪う。
自分の耳にイヤホンをねじ込みながら、エルファンは再び口を開いた。
「この件について、話をしたい。直接、ふたりきりで――な」
『なるほど。……だから、素直に事情聴取に応じたわけですね。
わずかな雑音と共に聞こえてきた声は、意外なほどに落ち着き払っており、それどころか、雅やかな笑みをまとっていた。
これが、摂政カイウォル――。
ひと筋縄ではいかなそうだなと、エルファンは口角を上げる。
「まぁ、そんなところだが、詳しくは直接だ」
『よいでしょう。そちらに案内の者を
随分と、あっさりした返事だった。
非常事態には、イヤホンの指示がなくとも、近衛隊はエルファンに襲いかかるよう命じられている――という可能性を考え、動きが取りやすいように椅子から立ち上がっていたのだが、拍子抜けだった。勿論、四人程度なら、丸腰でも一瞬で返り討ちにする自信はあった。
もっとも、この腑抜けでは役に立たぬか。
銅像のように立ち尽くしたまま、何もできずにいる近衛隊員たちを一瞥し、エルファンは嘆息する。
だから、ほんの少し、遊び心を出して摂政に尋ねてみた。
「ここにいる近衛隊員たちは、
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