2.心魂を捧ぐ盟約-2

 すべてを話し終えたときには、もともと濁声だみごえだったシュアンの声が、明らかに普段と違うと分かるほどに、かすれていた。聞き手だったハオリュウも、目に見えてぐったりとしている。

「ハオリュウ」

 ひび割れた声で、シュアンは呼びかけた。

「俺は、先輩が死んだのに〈ムスカ〉の野郎が、のうのうと生きていることが許せなかった」

「僕も、同じでしたよ」

 ぽつりと呟くように、ハオリュウが同意した。

「俺は初め、奴のはらわたが飛び散るのを見なければ、気がすまないと思っていた」

「僕は、ひと思いにとどめを刺すよりも、……いえ、そういうことは、口にすべきではありませんね」

 ハオリュウは薄い笑みを残して、上品に口をつぐむ。その作り笑顔からは、彼のはらの内は窺い知れないが、会話は過去形で成立していた。

 シュアンは三白眼を和らげ、静かに告げる。

「俺には、〈ムスカ〉の野郎を許すことはできない。この恨みは、先輩を撃った弾丸の重さと共に、俺は一生、抱えていく」

 グリップだこで変形した手を、シュアンは固く握りしめる。

 先輩を思うと、胸が苦しい。口の中に広がる苦さを、唇を噛むことで、どうにかこらえる。

「ハオリュウ……、俺は……、〈ムスカ〉への発砲の許可を受けていた。……けど、俺は結局、奴を撃たなかった」

 それまでと打って変わり、シュアンは途切れがちに言葉を紡ぐ。その落差に、ハオリュウは戸惑うように瞳を揺らしたが、やがて黙って頷いた。

 シュアンに発砲許可を、と言い出したイーレオは、あのとき既に、〈ムスカ〉が王族フェイラの『秘密』を口にして死ぬつもりであることを察していたのだ。だから、許可を求めながらも、保険だと言った。

 あのやりとりは、〈ムスカ〉が自ら死に向かうことをシュアンにほのめかし、シュアンの憎悪は承知しているが〈ムスカ〉の思うようにやらせてほしいと――義父としてのイーレオからの懇願だったのだ。

「奴を撃たないことも、俺の不可逆の選択だった。――そして俺は、この結末に納得している。奴の言う通り、『最高の終幕フィナーレ』だったと……俺は思う。あんな奴を認めるのは癪だけどな」

 自分の心の内を明らかにし、シュアンはハオリュウへと視線を送る。執務机の上で組まれた少年の指には、当主の指輪が落ち着いた金の光を放っていた。

 数ヶ月前。

 ハオリュウが父を失い、自身も足に一生、残る傷を負った日。涙ひとつ見せずに復讐を語った糞餓鬼の彼と、シュアンは黙約を結んだ。

「ハオリュウ。俺の手は、俺の手であるけれども、あんたの手でもある。――あんたは、この手が選んだ結末を……、その……」

「認めますよ」

 言いよどんだシュアンに手を差し伸べるように、ハオリュウは澄んだ声を響かせた。

「僕がその場にいたとしても、引き金に指を掛けることはなかったでしょう。〈ムスカ〉の『最高の終幕フィナーレ』には、隙がありませんでしたから。……たいした策士です」

 皮肉交じりでありながら、ハオリュウは清々しい顔で言う。

「〈ムスカ〉の死にざまに、異論はありませんよ。何より、姉様を〈悪魔〉の『契約』とやらから解放するために死んだというのなら、不本意ながらも彼を評価しないわけにはいきません」


 だから、これが、ふたりの交わした黙約の結末。


 終わったのだ。

 貴族シャトーアの少年当主と、権力者嫌いのチンピラ警察隊員。立場も年齢も違う、ふたり。

 本来なら、関わり合うことなどあり得なかった間柄が、同じ相手に復讐を誓ったがために手を取り合った、数奇な巡り合わせ……。

 シュアンは腹に力を込め、心に決めてきた話を切り出そうとした。

 だが、気合いを入れている間に、「シュアン」と、彼を呼ぶハオリュウの声に出鼻をくじかれた。

「今まで、ありがとうございました」

 晴れやかに笑うハオリュウの顔に、シュアンは眉をひそめる。先を越されれば、ハオリュウが口にする内容など分かりきっていたからだ。

「あなたには、本当にお世話になりました。〈ムスカ〉を討つための同志という関係だけのはずが、当主として立ったばかりの未熟な私に、何かと力を貸してくださいました。あなたがいてくださって、私は心強かった」

 純真な少年の顔に、為政者の風格を混ぜ、ハオリュウは告げる。

「若輩の身ではありますが、私は腐っても貴族シャトーアの当主です。困ったことがあれば、いつでも頼ってください」

「――ハオリュウ」

 シュアンは低く、どすの利いた声を上げた。

 別れを口にしているにも関わらず、寂しそうな顔ひとつ見せずに、綺麗な外面で微笑むハオリュウが腹立たしかった。

「俺は、これから職場に行って、辞表を出してくる」

「シュアン!?」

「だから、あんたは俺を雇うんだ」

 刹那――。

 ハオリュウの善人面ポーカーフェイスが崩れた。

 むき出しになった本心は、まごうことなく子供の泣き顔だった。

 次の瞬間には、いつもの顔に戻っていたが、ハオリュウが今までに一度も見せたことのなかった表情を引き出せたことに、シュアンは溜飲を下げる。

「護衛から運転手、足の悪い主人の介助まで、俺は、なんでもこなすことができる。この有能な人材を見逃す手はないだろう?」

 にやりと口角を上げ、自分を売り込むシュアンに、ハオリュウは生真面目な顔で首を振る。

「せっかくのお話ですが、丁重にお断り申し上げます」

 思った通りの返事だった。

 あまりにも想像と違わない反応に、シュアンの口からは失笑が漏れる。

 ハオリュウは、自分を取り巻く環境が平穏ではないことを理解している。だから、多少なりともシュアンに恩やら情やらを感じていれば、巻き込みたくないと考えるだろうと――分かっていた。

 古狸どもを煙に巻く、厚顔の持ち主のくせに、とんだ甘ちゃんなのだ。

 ……そうでなければ、赤く染まったシュアンの手を、自身の手とみなすことなど、できやしないのだ。

 ともあれ。

 今までは、シュアンも復讐の当事者だった。だから、対等といえた。

 だが、黙約が果たされた今、状況は変わった。

「あんた、俺がいると心強いんだろう?」

「それは、社交辞令です」

 ハオリュウは、すげなく言い放つ。

 彼は咳払いをひとつすると、腹黒さの漂う、彼本来のくらい瞳でシュアンを見つめた。

「あなたの申し出はありがたい。それは確かです。そして、『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』とやらは、まだ中途半端な状態――〈ムスカ〉が死んだからといって、まだ終わった気がしないという気持ちも分かります」

「……」

「ですが、この先は『ライシェン』を巡る、政治的な問題となります。あなたの大嫌いな権力者の駆け引きです」

 ハオリュウは淡々と告げ、そこで不意に瞳を伏せた。

「僕は、友人である、あなたに、僕の汚い部分を見せたくはありません」

 まだ線の細い少年の肩が儚げに落とされるのを、冷ややかな三白眼が捉えた。シュアンは座っていた椅子から、すっと立ち上がる。

 そして、つかつかと執務机を回り込み、きょとんとしているハオリュウの頭に、拳骨を落とした。

「阿呆か」

 シュアンは、侮蔑の眼差しで吐き捨てる。

「!?」

 ハオリュウが頭を押さえながら、批難を込めて――ただし、誤魔化しようもないほどの涙目で、シュアンを見上げた。痛みによる反射は、いくら強情な彼でもこらえきれなかったらしい。いい気味である。

 シュアンは高級そうな執務机に無遠慮に尻を乗せ、高い位置からハオリュウの鼻先へと、ぐっと人差し指を突きつけた。

「何が『僕の汚い部分を見せたくない』だ? 今更だろうが」

「シュアン……」

 ハオリュウは、しばらく呆然とシュアンを見つめていたが、やがてふっと口元をほころばせた。

貴族シャトーアの当主に手を上げるのは、立派な犯罪ですよ?」

「ふざけんな。俺は、あんたの『友人ダチ』なんだろう? だったら、おトモダチ同士の『拳での語らい』だろうが」

 ふん、と鼻を鳴らし、シュアンは言い切る。

 だいたい、シュアンはちゃんと手加減をしたのだ。どうやら坊ちゃん育ちには、思っていた以上に効いていたようであるが、それは、ひ弱なハオリュウに問題があるのであって、シュアンは悪くない。

「……『汚い部分を見せたくない』というのは、嘘偽りない本心なんですけどね」

 ハオリュウは苦笑いをし、それから、揺るぎなき眼差しをシュアンに向けた。

「僕は、あなたに軽蔑されたくない。けど、近くにいれば、あなたはこの先、必ず僕の醜い部分を見ることになるはずだ」

 矜持プライドに懸けて譲らないという、強い信念。

「構わねぇよ」

 シュアンは口の端を上げ、悪相を歪める。

「醜いものなんざ、俺は山ほど見てきている。だいたい俺自身が、狂犬と呼ばれた汚らしいクズだ」

「ですが……!」

「それに、あんたは勘違いしている」

 反論しようとするハオリュウを遮り、シュアンは続けた。

「あんたは『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』が中途半端なのがどうの、と言っていたが、俺にとっては、〈ムスカ〉が死ねば、あんな計画はどうでもいい。俺が、あんたにつきまとおうとするのは、もっと別の理由からだ」

「じゃあ、なんだと言うんです?」

 ハオリュウは苛立ちを隠しもしない。思慮深いはずの彼が、自分で推測もせずに尋ねるとは、余裕のなさの表れだ。シュアンとしては、愉快でたまらない。

「あんただよ」

「は?」

「俺は、あんたが欲しい」

 シュアンが撃ち込んだのは、真正面からの言葉の弾丸。

「は…………?」

 着弾の衝撃に、ハオリュウの眼差しが大きく揺れた。どう受け止めたらよいのか、分からないのだろう。

 シュアンとて、この大物を一発で仕留められるとは思っていない。

 にやりと、ほくそ笑みながら、彼は語りかける。

「ハオリュウ。俺が警察隊員になった理由は、話したことがあったよな?」

「え、ええ……。ただ街を歩いていただけなのに、突然、凶賊ダリジィンの抗争に巻き込まれ、ご家族をすべて失った。だから、凶賊ダリジィンを取り締まる警察隊員になった、と」

「ああ、そうだ。世を正すために、俺は警察隊に入った。だが、そこには、俺が信じていた正義はなく、腐った社会というものを見せつけられただけだった」

 警察隊には失望した。

 それは真実。

 けれども、ローヤン先輩との出会いもあった。

 彼と肩を組みながら、『いつか、世を正す』と絵空事を本気でうたった日があった。

 ただ、それは永遠ではなかった。シュアンの心が、ぽっきりと折れてしまった。

 先輩だって、散々、辛酸をめていたのに、シュアンには耐えられなかった。殴り合ってたもとを分かち、それきりになってしまった……。

「俺は荒れた。ならば権力を持った奴らに媚びて、そいつらを利用して力をつけ、いずれ足元をすくってやろうと考えた」

「あなたと初めて会ったときの、あの上官もそのひとり、というわけですね」

「ああ。でも、思えば、俺は迷走していただけだった。糞上官に、おべっかを使ったところで、底が浅い奴のおこぼれの権力なんて、たかが知れている。……だからよ」

 三白眼が、意味ありげにハオリュウを見やる。

「だから、僕に乗り換えると?」

「そういうことだ」

 シュアンの答えに、ハオリュウは首を振った。

「残念ですが、僕は、あなたの期待に応えられそうもありません。僕はまだ、当主の座を守るだけで精いっぱいなんですよ?」

 気弱な言葉は、謙遜ではなくて事実だろう。

 殊勝な態度に、可愛いところもあるものだと、シュアンは口元を緩める。

「あんたが餓鬼だってことは、俺もちゃんと把握しているさ。これでも俺は、れっきとした大人なんだからよ」

 シュアンは腰掛けている執務机に手をつき、上体を傾けた。ハオリュウに目線を合わせ、胡散臭げな笑みを浮かべる。

「『世を正す』なんて、俺なんかには、できるはずもない夢物語だと思っていた。だが、案外、簡単なことだと気づいたのさ」

「え?」

 ハオリュウは、困惑気味に首をかしげた。

「あんたを、俺好みの権力者に育てればいい。俺の正義のためには、それが一番の近道だ」

 軽口を装いながらも、むき出しの思いをさらけ出す。

 これが、シュアンのたどり着いた、彼がすべきことをすための道筋だ。

「俺は、あんたに賭けてみたい」

 シュアンは、ぎろりと三白眼を巡らせ、ハオリュウに狙いをつける。


「俺は、あんたが欲しい。――国の中枢に喰い込める貴族シャトーアの当主」


 無音の銃声が、鳴り響いた。

 ハオリュウが息を呑んだまま、動きを止める。


 一発目の弾丸は、相手ターゲットを驚かせただけだった。

 しかし、二発目の弾丸は…………相手ターゲットの心臓を撃ち抜いた。


 どのくらい、時が凍りついていただろうか。

 やがて、ハオリュウは弱々しく視線を動かし、シュアンを見上げた。知れず、呼吸が乱れ、絞り出すように声を紡ぐ。

「僕と一緒にいるということは……、平穏な人生を歩めなくなる――ということですよ?」

「ああ――……」

 シュアンは、無意識に瞳を閉じた。

 脳裏にちらりと、『穏やかな日常』を求めてやまない、お人好しの顔がかすめる。……しかし、すぐに打ち消した。

「……――望むところだ」

「シュアン……! ……ありがとう、ございます……」

 ハオリュウがこうべを垂れる。伏せられた顔の口元を、そして目元を――当主の指輪の光る手が覆い隠した。

 小刻みに震える、少年の華奢な肩に、シュアンは声を落とす。

「俺に『穏やかな日常』は、似合わねぇからよ」

 その言葉は、内容とは裏腹に、優しい響きをしていた。



 そして――。

「すみませんが、警察隊は辞めずに、今までのようにはいきませんか?」

 遠慮がちにハオリュウが尋ねた。

 あんな腐った組織には、早々におさらばする気で満々だったシュアンは、不快げに「何故だ?」と眉を上げる。

「あなたには、僕の対等な友人であってほしいからです。雇ったら、僕の使用人になってしまうでしょう?」

「それはそうだが……」

 実のところ、シュアンの勤務態度には、たびたび注意が入っている。右から左へと聞き流してはいるが、それなりに面倒臭いのだ。だから、きっぱり縁を切ろうと思っていた。

 だが、ハオリュウの気持ちも分かる。貴族シャトーアの当主にここまで言わせたのならば、可愛い我儘くらい聞いてやってもよいだろうと、シュアンは結論づけた。

「どうせ、俺はそのうち免職クビになるぞ?」

 おどけて言えば、ハオリュウが上品に、くすりと笑う。

「それまでの間で構いません」

 ハオリュウが右手を差し出し、シュアンもそれに倣う。

 繋ぎ合わされた手の重さを、シュアンはがっしりと受け止める。

 ふと、壁に飾られた謎の抽象画――もとい、小さなファンルゥの落書きが目に入った。

 シュアンには理解できないが、のびのびとした筆致のそれは、彼女の夢や思いが、いっぱいに詰まっているのだろう。

 だから、きっと。

 この絵と名画をげ替える、奇天烈キテレツな少年当主なら、シュアンの描く絵も趣深いと言ってくれるに違いない。



 ――先輩。

 俺は、誰もが笑い飛ばすような絵空事を、本気で描いてみようと思いますよ。

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