5.幽明の狭間に落つる慟哭-2
〈
「それで、いったいどこから、とうの昔に死んだミンウェイの記憶を掻き集めるというのですか?」
嘲るような口調だった。
けれど、いつものような高飛車な威圧感はない。
メイシアを論破して、あり得ない夢物語を騙った彼女に鉄槌を下してやろうと意気込んでいるような、そうでなければならないのだと強迫観念に駆り立てられているような、そんな心の揺らぎが垣間見えた。
『『亡くなった、あなたの奥様』を生き返らせることができます』
それは、どんなに胡散臭くとも、〈
彼の反応は、まさにメイシアの思惑通り。
しかし、だからこそ罪悪感が彼女を襲う。
この場を乗り切るためだけに、〈
「小娘。私は訊いているのですよ? それとも、やはり嘘だったということですか?」
〈
彼女は意を決し、掌を握りしめながら恐る恐る口を開いた。
「〈
「――!」
刹那、〈
彼女は早鐘を打つ心臓を押さえ、すかさず言を継いだ。
「〈
「創世神話の……真実」
繰り返された〈
恐ろしいほどに張り詰めた空気を肌で感じながら、メイシアは努めて平然を保ち、畳み掛ける。
「すべての人の記憶は〈
〈
「……あなたの中には、本当に『鷹刀セレイエ』がいるのですね」
その呟きは、メイシアとの受け答えからは少しずれていた。だから、おそらくは独白だったのだろう。
もしかしたら彼は、メイシアがセレイエの記憶を得たことすら半信半疑だったのかもしれない。そこに、一部の
〈
肘に回された長い指先が、苛々と小刻みに白衣を叩く。眉間には深い皺が刻まれ、美麗な顔は不機嫌にしかめられていた。
ふたりの間に、重い沈黙が訪れる。
メイシアは、固唾を呑んで〈
彼女が話した情報は、すべて真実だ。だが、彼がそれを信じ、乗ってくるか否か――。
別に取り引きが成立しなくてもいいのだ。ただ、ひとこと『少し、検討させてください』と言わせることができればいい。
そうなれば、メイシアは自白剤を投与されることなく展望室に戻される。昼食のあとのひとりきりの時間に、ルイフォンと連絡を取れる。タオロンに〈
メイシアの心臓が、激しく脈打った。
額にはうっすらと汗が浮かび、
今ここで、〈
……けれど、それがうまくいったところで、リュイセンを解放し、彼を味方に迎えて〈
口の中に、苦い味が広がる……。
「――なるほど」
不意に、〈
彼が口角を上げ、次の瞬間、弾かれたような哄笑が沸き起こった。
「〈
メイシアは狼狽する。
「私としたことが、あなたに惑わされるところでした」
ひとしきり嗤ったあと、彼は落ち着き払った低音で告げた。
「……ど、どういうことですか……!」
メイシアの問いかけに、しかし〈
「そうですね。確かに〈
〈
「しかし、膨大な記憶を保持する〈
「ですが! 事実として、セレイエさんは〈
「ほぅ?」
揶揄するように〈
「本当です! 並の〈天使〉では到底、不可能ですが、
そう言いかけたところで、〈
「ええ、そうですね。つまり、『鷹刀セレイエ』と『〈天使〉になった、あなた』――どちらでも、ミンウェイの記憶を手に入れることができる、というわけですね」
「え?」
「ならば私は、あなたからは鷹刀セレイエの居場所を聞き出すにとどめ、ミンウェイの記憶に関しては鷹刀セレイエと取り引きしますよ。彼女には、ライシェンの記憶を手に入れた実績があるそうですしね」
「――っ、そんな……」
メイシアの顔が凍りつく。
〈
「お忘れですか? そもそも私は、自分の身の安全を確保するために、鷹刀セレイエを探しているのです。もしもミンウェイが生き返るのだとしても、私の命が狙われているような状況では、傍にいる彼女も危険に晒されます。それは望ましくありません」
彼は、できの悪い弟子を諭すかのように雄弁に語る。
「まずは鷹刀セレイエを見つけ出し、私の安全を保証させる。それから、ミンウェイを蘇らせる。この順番を間違えてはいけませんよ」
「……!」
〈
〈悪魔〉としての知識のある彼は、〈
むしろ、信じている。
その証拠に、幽鬼のようだった頬には赤みが差し、冷酷な瞳の奥は、ぎらつく生気で満たされている。
だが、話は信じても、話に乗ってこなかった……。
メイシアの背中を冷たい汗が滑り落ちる。
「勿論、あなたにも役に立ってもらいますよ。あなたは鷹刀セレイエに対する大事な切り札なのですから」
ねとつくような目線で、〈
「それよりも素朴な疑問なのですが、あなたは本当に〈天使〉になる覚悟ができていたのですか?」
「……え?」
「どうせ口先だけなのでしょう?」
見透かされていた。
メイシアは無意識に自分の体を掻き
「別に答えなくて構いませんよ。口でなら、どうとでも言えますからね。――それに、前にも言ったと思いますが、私はあなたを〈天使〉にする気はありません。そんな危険なこと、できるわけがないでしょう?」
「危険……?」
メイシアが目を瞬かせると、〈
「〈天使〉とは、人を操る化け物です。しかも、濃い
そこで〈
「現に、私の同僚だった〈
言葉の途中で、〈
「あなたの要求は、あの子猫のもとに帰りたい――ですね?」
メイシアは呆然としながらも、こくりと頷く。駆け引きなどとは関係なく、それは間違いなく真実だった。
「ならば、私に協力してください」
「……協力?」
「ええ。私の要求は、初めからずっと同じです。――私を鷹刀セレイエに会わせてください」
「……」
「鷹刀セレイエとの交渉の中で、私は勿論、あなたを切り札として使います。けれど心配しなくとも、最終的には、あなたの身柄は子猫のもとに引き渡されることになるはずですよ」
「……どうして、そう言い切れるのですか?」
か細い声で尋ねるメイシアを〈
「私は鷹刀セレイエ本人には会ったことはありませんが、〈影〉であったホンシュアのことならば知っています」
彼は、ほんの少し前に詰め寄り、言い含めるようにメイシアの顔を見やる。
「いろいろと謀略を巡らせながらも、結局のところ、ホンシュアは甘さが抜けきりませんでした。ならば、『同一人物』である鷹刀セレイエも、同じく甘い性格であるはず。異父弟と恋仲になったあなたを見捨てるわけがありません」
確かに、メイシアの中の『セレイエ』も、情の深い人間だ。
濃い
けれど……。
「……セレイエさんは……既に、亡くなっています……」
ぽつりと、メイシアは漏らした。
この情報を明かすのは、吉か、凶か――。
賭けになるが、〈
「な……!」
〈
「何をふざけたことを……!」
わなわなと唇を震わせる〈
「ライシェンの記憶を集めたことによって、セレイエさんは限界を超え、熱暴走を起こしました。――あなたがさっきおっしゃっていた通り、私なら熱暴走とは無縁だったでしょう。けれどセレイエさんの中の
「……!」
「セレイエさんは分かっていました。死者の記憶を集めるなんて無茶をすれば、命を落とす、って。――だからこそ、『デヴァイン・シンフォニア
「――っ!? 摂政に命を狙われているから、鷹刀セレイエは〈影〉にすべてを任せて、姿を消しているのでは……」
そう言ってから、「そんなことは、どうでもいい」と呟き、〈
しばらくの間、うなるような声を上げていた〈
「鷹刀セレイエが命を懸けて手に入れたという、ライシェンの記憶はどこにあるのですか?」
にたり、と。
笑んだ口元が、余裕を取り戻す。
「
ほら、ほころびを見つけたと、〈
彼は、意気揚々として続ける。
「せっかく、ライシェンの記憶を手に入れても、肉体ができる前に失われてしまったら意味がありません。だいたい死んでしまったら、鷹刀セレイエは蘇ったライシェンと再会できないのですよ? ……本当は、どこかで生きているのでしょう?」
セレイエが死んだことにしたほうが、〈
しかし、メイシアはゆっくりと
そして、自分の中にある、セレイエの切ない思いを噛み締め、吐き出すように告げる。
「セレイエさんは、亡くした息子に再び会いたいから生き返らせたいのではありません。理不尽に奪われた小さな命に、本来、与えられるはずだった幸せを届けたい。正しい未来を取り戻したい、そう願っているんです」
セレイエの望みは、妻との幸せな生活の続きを夢見た〈
どちらがどう、ということはない。
どちらも、亡くした幸せを求めているだけだ……。
メイシアは、こみ上げてくる思いを飲み込み、〈
情に流されてはいけない。
これは、〈
「あなたがおっしゃる通り、ホンシュアではライシェンの記憶を保持できません。だから、セレイエさんは亡くなる前に、別の人に預けたんです」
「ほう、別の人物に――ですか」
からかいを含んだ低音で語尾を跳ね上げ、〈
「確かに、〈七つの大罪〉の〈悪魔〉なら、大手を振るって王宮に出入りできます。
当然の質問に、メイシアの心臓が高鳴った。
胸の奥が熱くなる。
その名前は、とてもとても大切なもの――。
「ルイフォン」
「!」
〈
「セレイエさんは、ルイフォンに――彼女と同じく、わずかながらですが
これこそが、ルイフォンが『デヴァイン・シンフォニア
ルイフォンは気づいていないけれど、彼の中に『ライシェン』が眠っている。
少女娼婦スーリンが目撃した、あのとき。セレイエは、異父弟にライシェンの記憶を預けたのだ。
「セレイエさんは、もういないんです。……ルイフォンに会ったあと、彼女は亡くなりました」
〈
脅える自分を奮い立たせ、彼女は毅然と告げる。
「〈
彼は沈黙したまま、瞳だけをぎろりとメイシアに向けた。
メイシアは悲鳴をこらえ、懸命に訴える。
「おっしゃる通り、私は〈天使〉になるのは怖いですし、あなたも私が〈天使〉になることを望まない。ならば、どうしたら互いの利益になるのか、少し落ち着いて考えましょう」
答えは出なくていいのだ。
とにかく、この場を乗り切り、展望室に戻ることができれば……。
「小娘……」
地を轟かせるような〈
「つまり、あなたは、鷹刀セレイエの行方を必死に求める私を、ずっと影で
「――!?」
閃光の速さで、白衣の腕が、長い指先が伸ばされた。
身構える間もなく、メイシアは白い小首を〈
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