1.咲き誇りし華の根源-1
夜闇に黒く沈んだ窓硝子が、執務室の風景を映し出す――。
メイシアとの電話のあとすぐ、ルイフォンは緊急の会議を開くために皆を集めた。
鷹刀一族総帥イーレオと、護衛のチャオラウ。次期総帥エルファンに、総帥の補佐たるミンウェイ。
そして、鷹刀一族の『対等な協力者』〈
すっかり寂しくなってしまった光景に、ルイフォンの胸が痛む。
しかし、それは今だけだ。すぐにメイシアとリュイセンを取り戻してみせる。
ルイフォンは心の中で誓い、猫の目を鋭く光らせる。拳をぐっと握りしめ、決意も新たに口火を切った。
「こんな夜遅い時間にすまない。先ほど予定通り、無事にメイシアと連絡を取ることができた。それで俺から――〈
端的なテノールが響き渡る。
場の空気が研ぎ澄まされ、一気に緊張を帯びていくのが分かる。おそらく誰もが、この言葉を待っていたのだ。
「ルイフォン。お前のことだ、その策に自信があるんだろう?」
美麗な口元をほころばせながら、イーレオが問う。眼鏡の奥の目は、いたずらを思いついた子供のように楽しげに細められていた。
「ああ、勿論だ」
「そうだろうと思って、ハオリュウとシュアンにも連絡を入れておいた。急なことだから、さすがにハオリュウは無理だったが、シュアンはあとから来るそうだ。待たせるのは悪いから、先に話を始めていてほしいと言われている」
「!」
ルイフォンは目を見開いた。
内容も聞かずに彼らに声を掛けるということは、全面的にルイフォンを信頼し、その案を採用するつもりでいるということだ。
握りしめた掌が、うっすらと汗を帯びる。
「ハオリュウには、メイシアが電話すると言っていたから、彼にも話がいくはずだ」
平静を保ち、ルイフォンは言う。
「ああ、そうか。そうだな。それがいい」
魅惑の低音が、安堵に溶けた。
愛する異母姉をリュイセンにさらわれたハオリュウは、一時は鷹刀一族に絶縁状を叩きつけんばかりに怒り狂った。その非難の言葉の数々を、
イーレオは、その一幕を思い出していたに違いない。それで、ハオリュウは今ごろ、メイシアの声を聞いて一安心だと、胸を撫で下ろしたのだろう。
ルイフォンは、ぐるりと皆の顔に瞳を巡らせ、最後にミンウェイの美貌の上で目を止めた。
生粋の鷹刀一族の顔立ちであるが、その
〈
ルイフォンは、ごくりと唾を呑み込んだ。
「まず、メイシアとの電話の内容を報告する」
そう言って、彼は話を始めた。
「……――つまり現状でも、タオロンに依頼をすれば、鷹刀が一族の意志と決めた『死』を〈
ルイフォンは、そこで言葉を切った。
ここからが本題だ。
「〈
ルイフォンは語気を強めて言い放ち、大きく息を吸う。自然と胸を張る姿勢になり、反らされた背中の上で金の鈴が煌めいた。
そして彼は、その名を挙げる。
「すなわち、リュイセン!」
告げた瞬間、皆が色めきだった。
誰もが、何かを内に抱えた顔になる。しかし構わずに、ルイフォンは続けた。
「現状において〈
挑発的ともいえる眼差しで、ルイフォンはイーレオを見やる。
「よって〈
力強いテノールが、執務室の窓硝子を震わせた。
湧き上がる高揚に、知れず全身が上気する。
リュイセンの追放処分を承知していて、あえて『鷹刀の後継者』と口にした。それに対し、イーレオがどんな反応を示すか――。
「〈
感情という揺らぎを消し去った、凪いだ海のような声が響いた。ルイフォンの思惑を探るべく、無風を保つ――イーレオの低音は、そんな色合いをしていた。
「リュイセンは、一族から除籍されている。故に、鷹刀とは無関係だ」
「分かっている。だから、リュイセンがことを
当然、来るであろうと思っていた言葉を、用意しておいた台詞で返す。
間髪を
崩した姿勢のままのイーレオは、視線を上げることでルイフォンの顔をじっと見つめ、そして問う。
「つまりお前は、リュイセンが〈
「そういうことだ」
「ほう? リュイセンは、お前のメイシアをさらった張本人だぞ。どうして、肩入れをする?」
ルイフォンの思惑を知ったからだろう。イーレオは態度を一変させ、興味津々といった表情を隠しもせずに揶揄混じりの口角を上げた。
「俺だって、初めはリュイセンを絶対に許せねぇと思ったさ。……でも、違うだろ? あいつが好きで俺を裏切るわけがない。そんなことは分かりきっている。何か事情があるんだ。――だったら、俺のほうから手を差し伸べてやるべきだろ?」
猫の目を光らせ、きっぱりと言い切る。そう思えるようになるまでには、それなりの葛藤があったが、もう過去の話だ。
さも当然、といった
「だが、今のリュイセンは『敵』だ。〈
「リュイセンは〈
鋭く斬り込むような返答。そして、それを皆のざわめきが包み込む。
イーレオにとっても、予想外の宣言だったらしい。総帥たる彼が、驚きに声を揺らす。
「お前は、リュイセンが〈
「理由を読み解いた――だ。だから、まだ憶測に過ぎないけどな……」
ルイフォンの口の中に、苦いものが混じる。それまで威勢のよかった口調が急速に力を失い、ぽつりとした呟きに変わる。
「……でも、あいつが俺にすら隠して、すべてを裏切るしかなかった理由なんて、他にあり得ない……」
「ルイフォン! それは、いったい何!?」
弱々しく消えていくテノールの語尾と、弾かれたような草の香りが空中でぶつかり合った。
見れば、ミンウェイがソファーから立ち上がり、波打つ髪をなびかせている。
「ミンウェイ……」
「教えて! リュイセンは、私のために裏切ったんでしょう?」
「あ、ああ……」
ルイフォンは迫力に
「俺は――〈
聡明なメイシアは、〈
彼女は、〈
『リュイセンと私は、〈ベラドンナ〉の『秘密』を共有する同志となったのですよ』
その『秘密』とは、ミンウェイ本人が知らない――ミンウェイが『知りたくもない』ようなものらしい。
つまり、ミンウェイが知れば深く傷つくであろう、重大で、そして非道な『秘密』ということだ。
「リュイセンは、ミンウェイの『秘密』を無理やり聞かされたんだ。そして、『秘密』を知ったことで、あいつは〈
ルイフォンは言葉を切り、〈
「『この『秘密』を『ミンウェイ本人』にバラされたくなければ、私に従え』」
――一瞬の沈黙。
それから、誰からともなく、ざわめきの吐息が漏れた。
「なるほど」
皆を代表するかのように、イーレオが相槌を打つ。
「ミンウェイを傷つけるような『秘密』から彼女を守るために、リュイセンは裏切った――ということか。あり得る……いや、それが真実なのだろう。ルイフォンの――〈
「――じゃ、じゃあ、リュイセンが〈
紅の取れかけた唇を震わせ、ミンウェイが割り込むようにして尋ねた。勢いに反して、その声はか細くかすれており、漠然とした不安に駆られたのか、彼女の顔はみるみるうちに蒼白になる。
それは、当然の質問――予期していた質問だった。
ルイフォンは唇を噛み、しかし「すまん」と、はっきりと告げた。
「その答えは少し待ってほしい。勿論、『秘密』に心当たりはある。けど、そこがさっき『憶測に過ぎない』と言っていた部分で、俺の頭の中では理屈は成立しているけど、証拠がない。まだ空論でしかないんだ。だから、証拠を掴むまで――」
「小難しいことを言ってないで、心当たりがあるなら、さっさと教えなさいよ!」
絹を裂くような声が、ルイフォンを遮った。青白い顔で精いっぱいの虚勢を張りながら、ミンウェイは唇を
けれど、ルイフォンも引くわけにはいかなかった。
これは、リュイセンがすべてと引き換えにしてでも、ミンウェイから隠そうとした『秘密』なのだ。憶測の段階で、おいそれと口にしてよいものではないはずだ。
「ミンウェイ、本当にすまない。でも、俺の憶測は、お前を傷つけるものなんだ。俺は自分の考えが正しいと思っているけど、万が一、見当違いだったら申し訳が立たない。――だから、まずは調べたい。そして、証拠を手に入れてから、きちんと説明したい」
「そこまで言っておいて、重要なところで黙るなんて、おかしいわ!」
ミンウェイはルイフォンを睨みつけるように柳眉を逆立て、更に言葉を重ねる。
「だって、ルイフォンは自分の理屈に自信があるんでしょ!? ならば言うべきだわ! 私も、あなたの頭の良さは認めているし、憶測が外れている可能性があることも承知したわ!」
「……っ」
言葉を詰まらせたルイフォンに、「〈
「お前はさっき、『リュイセンが〈
「あ、ああ」
「それはつまり、ミンウェイが『秘密』を知ることで、『秘密』を『秘密』でなくする。そして、リュイセンが〈
「……そうだ」
「だったら、ミンウェイに教えなければ意味がないだろう?」
押さえつけるようなイーレオの物言いに、ルイフォンは猫の目を
「だから! きちんと証拠を手に入れてから、だ! 〈
ルイフォンが正面から対峙すると、イーレオは表情の読めない美貌で畳み掛けた。
「では、その証拠はどこにあると踏んでいる?」
「生前のヘイシャオが〈七つの大罪〉に提出した研究報告書に載っていると思う。ヘイシャオの研究室を家探しするか、〈七つの大罪〉に
答えながら、説得力に欠けるな、とルイフォンは奥歯を噛んだ。案の定、イーレオが鼻で笑った。
「だったら、なおのこと、ミンウェイに憶測とやらを話して協力を願うべきだろう。ヘイシャオの研究室は、ミンウェイが昔、住んでいた家にあるんだからな」
「…………」
ルイフォンの溜め息が、虚空に溶けた。
ミンウェイに『秘密』を隠したまま、この作戦を認めてもらうのは無理だろうと、初めから分かっていた。だが、言いたくなかったのだ。……せめて、証拠を掴むまでは。
それは、ケジメのようなもので、リュイセンへの義理立てのような感情だ。
何故なら、ミンウェイに『秘密』を教えることは、リュイセンがすべてを裏切り、失うことを対価に守ろうとした、ミンウェイの心の安寧を奪い去ることになるからだ。すなわち、リュイセンの愛を踏みにじる行為なのだから……。
うなだれたルイフォンに、イーレオの低音が落とされる。
「鷹刀の総帥として、『対等な協力者』である〈
「……『要請』じゃなくて『命令』――だろ」
王者の傲然たる美貌を見上げ、ルイフォンは、うそぶく。だが彼自身、自分のほうが道理が通っていないのは分かりきっていた。
彼は観念したように力なく姿勢を正し、ゆっくりと口を開く。
「ミンウェイの『秘密』――それは、ミンウェイが『健康であること』だ」
「……なっ!? 私の健康が、どうして『秘密』なのよ!?」
詰め寄るミンウェイに、しかしルイフォンは、彼女から逃げるように顔をそむけた。そして、『彼女以外の三人』に向かって問いかける。
「親父、エルファン、チャオラウ……。古い時代の鷹刀を知っている者なら、不思議に思っていたんじゃないのか……? 病弱な母親から生まれたミンウェイが、何故、健康なのだろう――って」
彼らは皆、一様にびくりと体を震わせた。
予想通りの反応など、まるで嬉しくなかった。ルイフォンは小さく息を吐き、無表情の〈
「親父……、生前のヘイシャオとの最後の電話――あれは、ミンウェイが生まれるよりも前だよな? 内容……ちゃんと覚えているか?」
刹那――。
イーレオは頬杖の手から顔を浮かせ、
「そういう……ことか…………!」
「……ああ。ずっと言っている通り、憶測に過ぎないけどな。……でも、それしか考えられないだろ?」
ミンウェイが『健康であること』に秘密があるのではないかと疑ったのは、ルイフォンがシュアンと話したときのことだった。
シュアンは、〈
だが、リュイセンに嘘は通用しないのだ。
大局的に本質を見抜く、天性の勘を持った兄貴分は、それが嘘なら絶対に騙されない。彼が信じたのなら、それは真実なのだ。『抗いようもない
では、『抗いようもない
そう考えたとき、リュイセンの兄、レイウェンの憂い顔が蘇った。古い時代の鷹刀を知る、最後の直系である彼は、育たなかった兄弟たちのことを今でも悼み続けていた。
鷹刀一族にとって『健康であること』は尊く、そして『稀有』。
「この『秘密』は、ミンウェイ本人は知らないだろう。そして、ヘイシャオの記憶を持つ〈
「……なるほどな」
深い溜め息と共に、イーレオがソファーに身を投げ出した。頭を抱えるように髪を掻き上げると、はらはらと落ちる黒髪が美貌に影を落とす。
「ルイフォン? ど……、どういうことよ!? ――お祖父様……! どういう意味でしょうか!」
ミンウェイが声を張り上げた。
だが、打ちひしがれたようなイーレオの姿は変わらず、ならばと、彼女はエルファンとチャオラウに救いを求めて視線を送るが、彼らもイーレオと同様の顔で押し黙ったままだった。
「ちょっ、ちょっと……ルイフォン! 私だけが置いてきぼりだわ!」
彼女は声を
「き、きちんと説明しなさい!」
「あ、ああ……。すまん……、……っ」
ルイフォンは、ミンウェイの一族そのものの美貌と向き合い、しかし、言いよどむ。
「ルイフォン!」
ミンウェイは高い鼻梁をつんと上に向け、歯切れの悪い彼に畳み掛けるように続けようとして……そこで一度、息を止める。陶器のような白い喉が、こくりと動いた。
それから、意を決したように――問う。
「つまり……、私の健康は作られたものだった、ってこと……? リュイセンは、それを秘密にしておくために〈
鮮やかな緋色の衣服が、炎のように見えた。
烈火をまとうミンウェイは、絶対に引かぬと
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