8.姫君からの使者-2

『斑目タオロンの見張りとして、奴の買い物に付き合うように』と命じられたとき、〈ムスカ〉の私兵のひとりであるその男は、自分の運の良さを喜んだ。

 報酬に釣られて『国宝級の科学者』に雇われたら、怪しげな薬物を投与されて『逆らえば、死に至る』と脅された。生きた心地のしない生活の中で、たとえ一時いっときでも、買い物などという至極、平穏な目的で、この閉ざされた庭園の外に出られるのは、実に僥倖といえた。

 男は今まで、タオロンとは、ほとんど接触がなかった。馴れ合いを危惧した〈ムスカ〉が、わざわざそういう人選をしたのだ。だから、ほぼ初対面の相手とふたりきりで半日を過ごすわけだが、緊張するかといえば、そうでもなかった。

 同僚から聞いた噂では、タオロンは、ひとことで言って要領の悪い馬鹿だ。見上げるような立派な体躯も、恐るるに足らず。故に、男は安心して、思い切り羽を伸ばそうと胸を弾ませていた。

「午後から繁華街だから、たまには外で飯を食って、それから買い物でいいか? 勿論、俺の奢りだ」

 そう言うタオロンに、二つ返事で了承した。

 庭園での食事は専属の料理人によるもので、〈ムスカ〉が美食家であるためなのか、私兵に提供するものとは思えないほどに豪勢である。しかし、味は良くとも、味気ないのだ。



「……おい、タオロン。外の飯屋といったら、普通、可愛い姉ちゃんが給仕するもんだろうが!」

 ウェイトレスの尻のひとつも撫でてやろうと、楽しみにしていた男は、肩透かしを食らい、思わず悪態をついた。

「すまねぇ」

 タオロンは申し訳なさそうに、バンダナで押さえた頭を掻く。

 知り合いに紹介された店だと、散々迷った挙げ句に連れて行かれたその食堂では、賭けカードに興じていた小僧が、母親らしき女将に尻を叩かれて注文を取りに来たのだった。

 その女将が、美人ならばまだ許せた。しかし、この女を娶ったのはどんな男だろう、顔を拝んでやりたい、と思わずにはいられないような貫禄の持ち主だった。

 ――と思ったら、小僧と瓜二つの、痩せぎすの男が厨房で鍋を振るっていた。なるほど、尻に敷かれているのかと、合点がいった。

 ただし味は極上で、庭園での食事とはまた違う、下町の素朴な旨さに舌鼓を打った。それだけは満足だった。



 大男と、やたらとあちこちに視線を走らせる、ギョロ目の小男のふたり組の客が店を出ていったあと、厨房にいた食堂の主人ことトンツァイは、そっと鍋を置き、カウンターの女房に「ちょっと、いいか」と声を掛けた。

 あの大男は、斑目タオロンだ。

 昼は食堂、夜は酒場となるこの店の主人――というのは、トンツァイの表の顔に過ぎない。彼の本業は、情報屋である。鷹刀一族や、情報屋〈フェレース〉とも懇意にしている彼は、当然の如くタオロンの顔を知っていた。

 トンツァイは、タオロンがどのような状況にあるのかも、おおよそ把握していた。だから、ふたり組の客が入ってきたときから、それとなく観察していたのだ。

 とんだ大物の登場だ。今すぐ部下を手配して、タオロンのあとを追わせよう。――トンツァイはそう考え、店を任せるために女房を呼んだのだ。

 ただならぬ事件の予感に、情報屋の血がたぎる。しかし彼の興奮は、厨房に入ってきた女房の台詞によって、仰天に取って代わられた。

「あんた、大変だよ! さっきの客、勘定のときに、こっそり、あたしにこれを渡したんだよ」

「何!?」 

 奪い取るようにして受け取ったのは、小さく折りたたまれた紙。――手紙だった。

 赤茶けた便箋に書かれた、流麗な文字を目で追い、トンツァイはごくりと唾を呑んだ。



 昼食を済ませると、いよいよタオロンの買い物だった。

 その品目が、娘にプレゼントするためのアクセサリーだと聞いて、見張りの男は目が点になった。しかも、玩具ではなくて、本物が欲しいというのだ。

 妻を亡くし、父娘ふたりきりのタオロンが、幼い娘を溺愛しているのは知っていた。彼女が〈ムスカ〉の人質になっているのは、他人ごとなりに可哀想だなぁ、くらいには思っている。しかし何故、餓鬼へのご褒美が、光り物なのだ? 

 ともかく、今日の仕事は、タオロンの見張りであるので、男はあとについていくしかない。

 タオロンは、このあたりの店には詳しくないようだった。困ったように、うろうろしたのちに、やっと天然石を加工してアクセサリーに仕立てている店を見つけた。

 無愛想な大男が、明らかに女性用の商品を扱う店に入れば、当然のように店員がすり寄ってくる。顔を赤らめ狼狽するタオロンに、心の中で手を叩いて笑っていたら、男にも店員が声を掛けてきた。よく考えれば、傍目には、男も客に見えるのだった。

 こりゃ敵わんと「俺は、店の外で待っているぜ」と言い残して退散した。

 しばらくして店から出てきたタオロンは、贈り物用に包装された包みを『ふたつ』、手にしていた。

「ひとつに決められなくて、両方、買わされたのかよ?」

 店員もやり手だな。いや、口下手なタオロンなら、案外、簡単に押し切れるかもしれねぇか。――などと思いながら、男は軽口を叩く。

 しかし、そのあとのタオロンの返答に、男は腰を抜かしかけた。

「違う。ひとつはファンルゥに渡すものだが、もうひとつは馴染みの女に贈るためのものだ。――これから彼女に逢いに行く。長いこと通ってやれなかったから、機嫌を損ねているはずだ」

「はぁ!?」

 驚愕のあまり、男の思考が停止した。

 呆然と立ち尽くす男を置いたまま、タオロンは大股に歩を進める。今まで道に迷っていたのが嘘のように、一直線だ。

「ちょ、ちょっと待てよ、お前! じゃあ、何か? 娘へのプレゼントを買うというのは建て前で、女のところへ行くための口実だったのかよ!?」

「そうだ」

 タオロンは足を止めることなく、端的に言ってのけた。気がはやっているのか、脇目も振らず。顔をにやけさせるどころか、一心不乱の猪突猛進である。

「お、おい……! それは、まずいだろ」

「お前が〈ムスカ〉に報告しなければいいだけだ」

「ふざけんな! なんで俺が、お前の逢い引きの片棒を担いでやらなきゃならねぇんだよ! 今すぐ、〈ムスカ〉の旦那にばらしてやる!」

 タオロンがあの庭園に閉じ込められていたのと同じように、男だって、ご無沙汰なのだ。しかも外に出たところで、決まった女などいない。

 そのとき、タオロンが急に立ち止まり、くるりと振り返った。

「な、なんだよ! 文句あんのか!」

 タオロンの巨体で迫られれば、誰だって腰が引ける。思わずたじろいだものの、そんな羨ましい身勝手、許すまじ、と男は噛み付いた。

 だがタオロンは、唐突に「頼む!」と頭を下げてきた。

「お前にも、いい思いをさせてやる。今の時間はまだ店は開いていないはずだが、俺の連れなら入れてくれるはずだ」

「え……、『いい思い』ってことは……」

 ピンときた。タオロンの情婦イロは、娼婦なのだ。子持ちやもめのタオロンは、遊びに行った先の店の女と懇意になったのだ。

「支払いは当然、俺持ちだ。――悪い話じゃねぇだろう?」

 普通なら、にやりと共犯者の笑みを浮かべるところを、タオロンは大真面目に持ちかける。間抜けな馬鹿っぽさが、如何いかにもタオロンだった。よほど、その女に逢いたいのだろう。

 無論、男に否やはなかった。むしろ、大歓迎である。

「そういえば、俺は〈ムスカ〉の旦那に、お前の『買い物』に付き合うように頼まれていたんだった。その買い物が『女』だというなら、俺は当然、付き合うべきだってことだな」

 鼻の下を伸ばしながら、男はうきうきと答える。

「恩に着る!」

 満面の笑顔を見せたタオロンに、俺はなんていい奴なんだと、男は自分を称賛した。



 そして、タオロンに案内され、蔦を這わせた瀟洒なアーチの前にたどり着いた。アンティーク調の館へといざなうように、煉瓦の敷石が足元から続いている。

 高級娼館だ……。

 男は、呆けたように口をぽかんと開けていた。

 途中で貧民街に入ったときには肝を冷やした。ガラの悪い連中の値踏みするような視線は、タオロンのひと睨みで霧散したのだが、これは早まったかと後悔すらした。どんな店に連れて行かれるのかと、戦々恐々だった。

 それが……である。

 そういえば、噂に聞いたことがあった。貴族シャトーアがお忍びで来るための遊興施設が、貧民街の近くに隠れるように立ち並んでいる、と。

「ここ……なのか?」

「ああ」

 タオロンが深々と頷く。

 よく考えれば、タオロンは斑目一族の総帥の血統だ。失脚して一族から追われているようだが、もとはそれなりの地位にあったのだろう。

 今日の仕事は、斑目タオロンの買い物の付き合いだ。

 男は、自分は最高に運が良いと思った。



 目的の娼館を目の前にして、タオロンは深く息を吐いた。

 すべて、藤咲メイシアの指示通りにやった。時々、ひやりとすることもあったが、大きな失敗はしていないはずだ……。

 ファンルゥから、メイシアの手紙を受け取ったとき、タオロンは驚愕と歓喜に打ち震えた。そして、必ずや成し遂げてみせると誓いを立てた。

 メイシアは、決して難しい演技を要求しなかった。それどころか、いつもの彼らしく朴訥ぼくとつであってほしいと綴っていた。

 まさか、外出許可が下りるとは思わなかった。しかし、彼女の言う通りに話を進めたら、〈ムスカ〉は驚くほどあっさりと許してくれた。

 指定された食堂に行くのには、だいぶ迷ってしまった。おかげで、昼食時の混雑は避けられたが、遅くなってしまった。

 買い物は、急いで済ませた。それでも、ファンルゥへのご褒美には時間を掛けた。反面、架空の『馴染みの女』への贈り物は、店員に言われるままに、やたらと高価なものを買ってしまった気がするが、それは仕方ないだろう。

 しかし、娼館への道は迷わなかった。何故なら、前に一度、来たからである。

 とはいっても、中に入ったことがあるわけではない。藤咲メイシアを捕らえるよう、〈ムスカ〉に命じられたとき、彼女がここを訪れたのをつけていたのだ。その帰りにルイフォンたちと接触し、タオロンが発信機を預かったことによって、〈ムスカ〉の居場所が鷹刀一族の側に伝わったのだ。

 娼館まで迷わずに来たことで、見張りの男は『馴染みの女』の存在をすっかり信じてくれたようだ。

 この男が、メイシアを一緒につけていた面子メンツでなくて本当に助かった。ここの娼館を知っていたら何か勘ぐられる心配があった。勿論、抜かりのないメイシアは、その場合の言い訳も用意してくれていたが、口達者でないタオロンには、うまく切り抜ける自信がなかった。

 さて――。

 もう、ひと息だ。

 食堂の女将に渡した手紙によって、この娼館と鷹刀一族の屋敷に連絡がいったはずだ。あとは見張りの男を娼婦に任せ、タオロンは別の個室で、鷹刀から娼館ここに届けるように頼んだメイシアの携帯端末を『馴染みの女』から受け取ればよい。

 ――初めて入る店に、さも常連といった態度を取れるだろうか。

 そんな不安を振り切り、タオロンは前を向く。

「行くぞ」

 見張りの男に声を掛け、タオロンは煉瓦の敷石に足を踏み出した。

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