幕間
運命の糸
「お父様と
私の言葉に、藤咲メイシアは全身を震わせた。美しくも可愛らしい顔は土気色。黒曜石の瞳には涙すら浮かべている。
当然だろう。
私は派手な色合いで描いた唇をくっと上げ、
彼女が鷹刀に向かうことが、私自身の願いだなんて、感づかれてはならない。どこかの回し者を疑われたら、彼女は警戒して、この家を出ないだろう。
だから、今の私は、あくまでも対岸の火事を楽しむような、無責任な輩――。
メイシアの目から、ひと筋の涙がこぼれた。声を上げず、瞬きすらもせずに、彼女はただ人形のような顔で泣いていた。
いくらなんでも無謀だっただろうか……。
平然とした顔を装いながら、私は内心で焦る。祈るような気持ちで、じっと彼女を見つめる。
メイシアが鷹刀に行きさえすれば、あとはうまくいくのだ。
『わけありの
このふたりさえ屋敷にいなければ、大丈夫。従姉のミンウェイは間違いなく同情してくれるだろうし、総帥である祖父イーレオは喜んで彼女を迎え入れる。
そして、異父弟のルイフォンは……。
「ホンシュア」
メイシアの声が、私の思考を遮った。涙声でありながらも、凛と響く声だった。
「そうすれば……父と異母弟は助かるんですね……」
潤んだ瞳だった。今にも、また新たな涙がこぼれ落ちそう。なのに、私のことを食い入るように見つめる、強い瞳だった。
「ええ、そうよ」
「――私、鷹刀一族のもとに参ります」
鈴の音の声が、空気を裂いた。涙を拭い、それまでの惑いを断ち切るかのように
メイシアは、桜だ。
ヤンイェンが言っていた通りの子だ。
メイシアになら、安心してライシェンを託すことができる――!
「ホンシュア?」
歓喜に包まれ、思わず泣き笑いの顔になった私に、メイシアは不審げに首をかしげた。
「メイシア、ありがとう。……ルイフォンを――ライシェンを……よろしくね」
私の背から、光が噴き出した。
無数の細い光の糸が、白金に輝きながら勢いよくあふれ出る。互いに絡み合い、網の目のように繋がり、広がっていく。そして時々、糸の内部をひときわ強い光が駆け抜け、煌めきが伝搬する。
〈天使〉の羽だ。
白金に照らされたメイシアの頬が、透き通るように青白く見える。それは、もともとの色ではなく、驚愕に染められた結果だ。
勿論、この記憶は消しておく。彼女が覚えているのは、仕立て屋に
私は、光の羽を緩やかに波打たせ、そろそろとメイシアへと伸ばしていく。非現実的な光景を前に、彼女は身じろぎもしない。それは、別におかしなことではない。彼女に限らず、〈天使〉の羽を見た、たいていの人間がそんな反応を示す。
人は、この光を無意識に神聖なものと感じるらしい。初めは誰もが驚くが、次第に魅了されていく。
――この光の糸が、死んだ王の脳の神経細胞からできたものだなんて、誰が信じるだろう。
網目状の構造は、
私の羽がメイシアを包み込む。幾重にも光の糸が巻かれ、彼女は光の繭に
メイシアに刻むのは、『
でも、彼女に書き込むのはそれだけだ。
目と目が合った瞬間に、ふたりは恋に落ちる――なんてことはないだろう。
ルイフォンが好きなのは、強い魂だ。
どう考えたって、ルイフォンが初めて見る彼女は、
メイシアにしてみても、我儘で強引なルイフォンに戸惑うばかりだろう。
だけど、必ず惹かれ合う。
必要なのは、ふたりが出逢うことだけ。
それで、すべてが始まる。
――……。
最後にひとつだけ、私はメイシアに嘘を刻み、『お守り』と思い込ませたペンダントを、彼女の首にそっと掛けた。
「……うっ」
背中が熱い。まるで炎に
私は急いで、冷却剤を口にする。
このホンシュアの体は、一般人だ。
ホンシュアの体は、セレイエのように
けれど、まさかこれほどまで脆いとは思わなかった。
私は、
「……」
メイシアなら、ライシェンを守り抜くことができる。
〈天使〉化しても、『
「……でも、これは『罪』」
私の乾いた唇が、ぼそりと漏らす。
『デヴァイン・シンフォニア』は、『di;vine+sin;fonia』――『神』として生まれたライシェンに捧げる
それでも、私は願わずにはいられなかった。
私のライシェンが世界を愛することを。
私のライシェンが世界に愛されることを――。
私が選んだ、ふたりに託す。
天と地が手を繋ぎ合うような奇跡の出逢いを私は紡ぐ。
この光の糸は、運命の糸。
人の運命は、天球儀を巡る輪環。
そして私は、本来なら交わることのなかった、ふたりの軌道を重ね合わせる。
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