7.万華鏡の星の巡りに-3
――――!?
菱形の刃の先が〈
「嘘だろ……」
ルイフォンの唇が、かすれた声を漏らす。
〈
けれど奴は、刃の生み出す、かすかな風圧を感じ取った。
白衣の背中は、前へと向かう。
無我夢中で、倒れ込む。
「『ミンウェイ』!」
〈
その光景を、ルイフォンは呆然と見つめる。
白髪混じりの髪をかすめ、緩やかな曲線の軌道を描きながら、菱形の刃は静かに落下していった……。
失敗した。
まさかの出来ごとだった。
〈
ただ、目の前に『彼女』がいたから。
だから、危険の気配を感じた瞬間に、身を挺して『彼女』を庇おうとした。
その行動が、毒刃からの回避に繋がった。
結果として、『彼女』が〈
それは、切なすぎる〈
「……」
ルイフォンは無意識に奥歯を噛みしめた。
――けれど、負けるわけにはいかない。
彼は、予備の刃を袖口に仕込む。そのとき、〈
「鷹刀の子猫……」
長い白衣の裾を翻し、振り返る。
その顔は、まさに『悪魔』。禍々しく、妖しく。あらゆる憎悪を煮詰め、濃厚で純粋な『負』を極めたかのような、玲瓏な魔の美しさを宿している。
「『ミンウェイ』を争いに巻き込む貴様は、万死に値する!」
低い声を轟かせ、〈
背には怨恨の
このまま続けて二投目の刃を打ち込んだところで、〈
――多少の怪我は、覚悟の上……。
ルイフォンは腰を落とし、力を溜める。それに合わせるかのように、〈
水を打ったような静寂が広がる。
〈
だが体躯は、鷹刀の血族だけあって立派だ。気配に敏感で、身が軽く、体術にも優れている。病弱であった妻のために、体を鍛えることよりも、研究に勤しむことを優先しただけなのだ。
睨み合っているだけで、迫力に押される。〈
攻めあぐね、額に冷や汗を浮かべたとき、壁の姿見が、きらりと銀光を反射させた。ルイフォンの背後で、何かが光ったのだ。
「!?」
ルイフォンが反応するよりも早く、〈
ひと呼吸遅れて振り返ったルイフォンが見たものは、刀を振り上げ、一直線に〈
「タオロン!」
〈
ことの成り行きに圧倒され、傍観者となっていたタオロンが、びくりと体を震わせた。
「娘が大切なら、
その
「
「――!」
次の瞬間。
絶望をまとったタオロンが、リュイセンを追った。
しかし、それでタオロンの刀が、リュイセンの神速に届くはずもない。だから〈
殺意に満ちた〈
「!」
リュイセンの目の前を、粉々になった鏡の破片が流星となって飛んでいく。
襲いかかってくる鋭利な星屑を、一刀しか持たぬ『神速の双刀使い』は払いのける。
そして――。
「すまん!」
タオロンの悲痛の咆哮。
光の乱舞に足止めされた
万華鏡の中を赤が散り、乱反射によって無限に広がっていく。
リュイセンの体が、崩れ落ちた。
タオロンの瞳から、透明な涙がこぼれ落ちた。
そのとき――……。
部屋中のすべての輝きを一点に集めたかのように……、金の鈴が煌めきを放つ。
烈風と化したルイフォンが、駆け抜けた。
菱形の刃を固く握りしめ、その手に全体重を載せ、全身全霊でもって〈
「……っ!」
〈
肉を裂く、確かな感触。反撃を警戒し、転がるようにして場を離れたルイフォンは、しかし、わずかに顔をしかめた。
本当は、脇腹を狙っていた。だが、すんでのところで体をひねられ、防がれた。
それでも〈
そう。
リュイセンは陽動を買って出てくれたのだ。
正面から対峙するのでは、ルイフォンでは〈
「こんなもので……」
〈
すぐさま白衣を脱ぎ、傷口を強く吸って、血を吐き出す。
「毒が塗ってありましたね?」
「答えてやる義理はない!」
叫びながら、ルイフォンは〈
倒す必要はないのだ。毒が回るまで、毒抜きをする暇を与えなければよい。
ルイフォンは軽やかに〈
リュイセン……!
心の中で、ルイフォンは兄貴分の名を呼ぶ。
神速を誇るリュイセンなら、すんでのところで致命傷は避けられたはずだ。
だが、タオロンの本気の一刀は凄まじかった。傷は、かなり深いだろう。一刻も早く手当をしてやらねば、手遅れになりかねない……。
一方〈
「タオロン、刀をよこしなさい!」
太い腕をだらりと垂らし、魂を抜かれたような状態のタオロンを怒鳴りつける。
ルイフォンは、はっと顔色を変えた。
貧民街で対峙したとき、〈
先にこちらの動きを止めてから、毒抜きに専念するつもりだろうか。
ルイフォンはそう考え、すぐに否定する。だったら、タオロンには『刀をよこせ』と言うのではなく、『ルイフォンを攻撃せよ』と命じればよいのだ。
困惑に、足が止まる。
その向こうでは、タオロンが、のろのろと刀を持つ手を上げていた。
〈
「タオロン!」
動きの鈍いタオロンを突き飛ばし、〈
まずい! と身構えたルイフォンの前で、〈
「!?」
驚愕に見開いたルイフォンの瞳に、鮮血が映り込む。
〈
「……」
ルイフォンは青ざめ、声を失う。
血みどろの腕を物ともせずに、〈
その間、ルイフォンは、凍りついたように身じろぎひとつできない……。
処置を終えた〈
「鷹刀の子猫。勝負です」
双刀の片割れを手に、〈
出血はまだ止まっておらず、巻きつけた布に赤い色がにじんでいく。なのに、奴の口調には、どこか余裕があった。
本能的な危険を感じ、ルイフォンは、わずかに後ずさる。
「ですが、その前に質問です」
「質問?」
ルイフォンは眉をひそめた。
「私は気づいたのですよ。……あなたは、『ミンウェイ』のケースの設定を変更しませんでした。それは、何故ですか?」
「……え?」
思わぬ問いに、ルイフォンは虚を
操作パネルは、光の加減で見えにくくなっていただけだ。目を凝らすか、手で影を作ってやるかで読めるようになる。おそらく〈
しかし何故、今更こんなことを尋ねるのか……?
「適正値のままでした。――どうしてですか?」
重ねて問う〈
「そんなの、当然だろ」
鬱陶しげに言ってから、これでは『悪魔』には分からないだろうと考え直し、ルイフォンは付け加える。
「俺は、お前とは違って、悪人ではないからだ」
「なるほど。
〈
失血のためか、額が、頬が、透き通るように青白い。けれど、鷹刀の血族であることを如実に示すその顔が、壮絶までの魔性の美しさを放った。
ルイフォンの直感が、警鐘を鳴らす。――その先を言わせてはならぬと。
だが、遅かった。
「それならば――」
魅惑の低音が響く。
「タオロンの娘は、あなた方にとっても、充分に人質として有効――ということですね」
「!」
ルイフォンは息を呑む。
「違う……! ――俺は……!」
そのとき、途切れ途切れの声が、必死に割り込んだ。
「ルイ……、フォン……!」
床に伏していたリュイセンが、よろめきながら体を起こす。
「リュイセン!?」
兄貴分は重傷のはずだ。額には冷や汗がびっしりと浮かんでいる。唇の色は青みがかっており、黄金比の美貌には陰りが見えた。
なのに彼は両の足で、しかと立った。
「馬鹿野郎……! こいつの言葉に……、耳を貸すな!」
恐ろしい気迫がほとばしり、白刃が煌めく。
まばゆい銀光が勢いよく円を描き、華麗に舞い、〈
「この死にぞこないが!」
〈
紫電が爆ぜた。
ひとつの刀を
だがそれは、共にひとつの鞘に収まるためではなく、互いを滅ぼすため――!
「くっ……」
重傷を負っていたリュイセンが押される。
「リュイセン!」
ルイフォンはナイフを携え、〈
――刹那。リュイセンの絶叫が響いた。
「違うだろうっ!」
「え……?」
「逃げるんだ!」
耳を疑った。
兄貴分が何を言っているのか、理解できない。
「なんで……? まだ……、だって……」
リュイセンは重傷を負ってしまったが、ルイフォンはほぼ無傷だ。
それに対して〈
「一度引いて、やり直せ!」
リュイセンが、撤退を判断した。
敗走を決意した。
「何故……?」
呟きながら、ルイフォンは気づく。
最悪の選択から、自分が目をそむけたことを――。
ファンルゥの命を盾に取られたら、ルイフォンとリュイセンも、タオロンのように〈
だから、逃げるしかない。
そして、重傷を負ったリュイセンは、逃げられる状態ではない。
つまり――。
「俺を置いて、逃げろ!」
リュイセンの腕は震えていた。
限界だった。
〈
そして。
リュイセンの肩から胸へと閃光が走り、一瞬遅れて、血の華が咲いた。
「ルイフォン、行け――!」
倒れながらも、リュイセンは〈
「お前が無事なら、まだチャンスはある! 任せたぞ!」
心は、ここに留まりたいと叫んだ。
まだ何か策はあるはずだと訴えた。
ルイフォンが、くるりと背を向けると、一本に編んだ髪が大きく思いを薙ぎ払った。金の鈴が胸元に飛び込み、持ち主の心臓を打つ。
――リュイセンの持つ、天性の野生の勘は、決して間違えない。
自分の感情よりも、兄貴分の理性を信じた。
いつもと逆だ。
ルイフォンは、壁の姿見をナイフで割りながら、部屋をあとにする。
鏡の破片によって、少しでも、あとを追いにくくなればいい。――それは、ただの言い訳だ。
無性に、何かを粉々に砕きたかっただけだ。
銀色の
時々刻々と形を変えていく光の紋様は、まるで万華鏡を覗いているかのよう。
ひとたび崩れた形は、二度と戻ることはない……。
この館は、摂政が
廊下に出てしまえば、奴は派手に騒ぎ立てて追ってくることはできない。
――だから、逃げろ。
リュイセンの思いを
最後に見た兄貴分の顔は――。
満足そうに、微笑んでいた…………。
~ 第五章 了 ~
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます