7.万華鏡の星の巡りに-1
『あなたが知りたいのは、『藤咲メイシアの正体』ですか――?』
「え……?」
〈
奴の低い声は、確かに聞こえたはずだった。その証拠に、ルイフォンの背筋は凍えている。
なのに、反芻しようとしても激しい耳鳴りに打ち消され、言語化できない。
ルイフォンは身動きがとれないまま、恐怖に見舞われた猫のように逆毛を立てていた。本能が危機を感じ取り、けれど、魂を抜き取られたかのように〈
「おや、違うのですか? 私はてっきり、あなたは『藤咲メイシアの正体』を知りたくて、危険を犯してまで、この館に――私のもとに来たものと思っていたのですが」
「メイシアの……正体……」
「ええ。あの娘は、仕立て屋に化けた〈
「あ、ああ」
口の感覚も麻痺してしまったかのようで、ルイフォンは、ただ機械的に相槌を打つ。
「お気づきですか? あの娘は、あなたと出逢う直前に、〈天使〉と会っているのです」
にやりと。
〈
「あの娘に、ホンシュアが何をしたのか。――知りたいのでしょう?」
「……!」
〈
血の気が引いていく。
頭の中で、〈
嘲笑が、あちらこちらに広がっていき、体中を埋め尽くす……。
「馬鹿野郎! 耳を貸すな!」
突如、リュイセンに肩を掴まれた。抜き身のままだったはずの双刀は、いつの間にか鞘に収めており、彼はルイフォンをぐいと引き寄せる。
足に力の入っていなかったルイフォンは、ふらりと倒れそうになった。しかし、それを見越していたリュイセンの手が、さっとすくい上げ、崩れ落ちかけた弟分を力強く支える。
「あいにくだがな。俺たちは、お前の御託を聞きに来たわけじゃない」
リュイセンが、ぎろりと〈
親子と
リュイセンは牙をむき、きっぱりと言い放つ。
「俺たちは、お前を捕まえに来た。それは、お前が鷹刀にとって害悪だからだ。いずれ、情報は吐いてもらうが、それは今じゃない。今、俺たちが欲しいのは、お前の身柄だけだ!」
「ほう。私が鷹刀の害悪ですか」
〈
「鷹刀の害悪は、私ではなくて、『鷹刀セレイエ』ですよ」
「……っ!」
唐突に出された『セレイエ』の名に、ルイフォンの心臓が跳ねた。普段は細く、すがめるような猫の目が、かっと見開かれる。
「斑目や、
〈
ルイフォンの異父姉、セレイエ。
生まれながらの〈天使〉。
〈天使〉である自分について知りたいと、自ら〈七つの大罪〉に飛び込んでいったまま、消息不明の彼女。
「……一連の事件を計画したのは……『デヴァイン・シンフォニア
薄々、感づいていたことを――心の底では確信していたことを、ルイフォンは呟く。
〈
「おそらくそうでしょうね。私は、鷹刀セレイエ本人には会ったことはないので、確認したわけではありませんが」
「!?」
「私は、『鷹刀セレイエの〈影〉』である、『〈天使〉のホンシュア』しか知りません。――私は、ホンシュアによって作られた。……いえ、『目覚めさせられた』のですから」
「どういう……こと、だ……」
問い返してはいけない。これは悪魔の囁き。ルイフォンを翻弄するための、明らかな誘いだ。――冷静に、そう考える自分を感じながらも、ルイフォンは深みにはまっていく心を止められなかった。
「どうして驚いているのですか? 鷹刀イーレオやエルファンから、聞いているのではないですか? 『鷹刀ヘイシャオ』は、もう十数年も前に死んでいる、と」
「あ、ああ」
「なのに、まるで『鷹刀ヘイシャオ』が生き返ったかのような人物――つまり『私』が現れたなら、『私』は何者かによって作られた存在である。これは自明の理です」
「ああ、そうだな……」
とっくに聞いていた、知っていた話だ。だが、まさか〈
「私は、鷹刀セレイエの『デヴァイン・シンフォニア
「嘘?」
「ええ。『オリジナルの鷹刀ヘイシャオは、鷹刀イーレオによって殺された』という嘘です。私は自分自身の復讐のために、鷹刀イーレオを狙ったのです」
〈
「別に信じなくても構いませんよ。どうせ、あなた方にしてみれば詭弁にしか聞こえないでしょうから。ただ私は、私が『鷹刀セレイエこそが、鷹刀の害悪』と言った理由を説明したまでです」
信じるか、信じないか。
おそらく〈
そして厄介なことに、ルイフォンには、虚言だと跳ねのけることができなかった。彼の直感が〈
〈
そのとき、リュイセンがルイフォンの肩を押しのけた。
「いい加減、黙れ」
前に出た兄貴分は、すらりと双刀を抜き払う。
「話は、鷹刀の屋敷に行ってからだと言ったはずだ」
「それは、あなたの勝手な言い分です」
〈
「あなたは、私のことを『鷹刀の害悪』だと言いました。『だから』捕まえるのだと。けれども私は、嘘に踊らされた憐れな
自らを駒扱いしながらも〈
「何も知らないあなた方に、特別に教えて差し上げましょう」
〈
「鷹刀セレイエの〈影〉――〈天使〉のホンシュアは、『デヴァイン・シンフォニア
そこで〈
「避けられぬ死を目前にしたホンシュアは、私にある重大な事実を打ち明け、あとを託したのですよ。『藤咲メイシア』に関する――ね」
「!」
絡みつくような響きに、ルイフォンの全身を怖気が貫く。
「藤咲メイシアが鷹刀を訪れたところから、『デヴァイン・シンフォニア
〈
「彼女が屋敷にいることで、鷹刀イーレオは誘拐の罪に問われます。けれどホンシュアは、イーレオなら警察隊くらい軽くあしらうと信じていました」
淡々と、緩やかに。
低い声が、じわじわとルイフォンを追い立てていく。
「何故なら鷹刀セレイエの目的は『鷹刀イーレオの捕獲』ではありませんでしたから。彼女の真の狙いは、『藤咲メイシアを、鷹刀の屋敷に送り込むこと』だったのですから」
「……っ、……そんなことは、気づいていたさ」
うそぶくように、ルイフォンは答える。
――そうだ。気づいていた。
メイシアの実家、藤咲家を襲った不幸は、
あの事件さえなければ、ふたりは互いを知ることすらない運命だった。
「おや、ご存知でしたか」
意外だとでもいうように、〈
「では、〈天使〉のホンシュアと接触のあったあの娘は、あなたと出逢うよりも前に『鷹刀セレイエの駒』にされていたことは理解できているわけですね?」
「……」
「ならば疑問に思わなかったのですか? あの娘は、本当に自分の意思であなたに恋心を
「――!」
ルイフォンの心に、氷の
「あんな上流階級の娘が、
畳み掛けるような言葉が、ルイフォンを襲う。
そして、悪魔は囁く。
「『デヴァイン・シンフォニア
メイシアは『目印』だというペンダントを持たされていた。
しかも、彼女自身は『お守り』だと思い込まされていた。
彼女は〈天使〉による脳内介入を受けている。
それは、紛れもない事実――。
「実に見事な策でした」
凍りついた心臓が千々に砕け、崩れ散る……!
「嘘だ――!!」
激しい
その刹那――。
ふわりと。
白衣の長い裾が、宙に浮かび上がった。
それは〈
そして、ほんのわずか。鏡に映った白衣が舞い上がるのと同じ程度に遅れて、床を蹴る靴音が鳴り響く。
――と、思った次の瞬間、ルイフォンの目の前に〈
「!? ――っ!」
完全に無防備な状態での、
呼吸が止まる。目がくらみ、視界を失う。ルイフォンは声にならない叫びを上げて、
「ルイフォン!?」
すぐ隣にいたリュイセンが叫ぶ。
リュイセンにとって、至近距離での、まさかの出来ごとだった。いくら不意打ちだったとはいえ、神速を誇るはずの彼が庇うこともできずに、弟分が一瞬にして倒された。
その衝撃に、〈
リュイセンが、はっと気づいたときには、〈
「っ!?」
攻撃自体は、たいした殺傷力を持たない。
だが、わずかに腕がしびれた。
それが、命運を分けた。
「!」
間髪を
「タオロン!」
床に落ちた刀を〈
「タオロン、その刀でエルファンの
〈
リュイセンが武装している以上、ルイフォンだって武器を隠し持っているはず。〈
「〈
倒れているルイフォンを守るように位置を取りながら、リュイセンが叫ぶ。
「何を言っているのですか? あなた方と私の間には、初めから『殺し合い』しかありません」
「……っ!」
リュイセンが息を呑んだ。床で上体を起こしたルイフォンもまた、びくりと肩を震わせる。
「理由はどうであれ、私は鷹刀に刃を向けました。鷹刀イーレオは
〈
「彼は優しい方です。仮にも義理の息子と呼んだ私――いいえ、『ヘイシャオ』の記憶を持つ私を、殺めたくなどないでしょう」
おそらく、その通りだろう。だから、ルイフォンやリュイセンにしてみれば、生ぬるいとしかいいようのない態度を、イーレオは取り続けたのだ。
「けれど、……お義父さん……は、心でどう感じていたとしても、情には流されません。私を捕らえ、情報を得たあと、殺すでしょう。それが、
「〈
ルイフォンは痛む
〈
「『話し合い』などありません。『殺し合い』しかないのです。――故に私は、全力であなた方を殺します」
甘やかに、
魅惑の低音が、静かに響いた。
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