5.魂の片割れの棲まう部屋-1

 偽造カードキーを滑らせ、ルイフォンとリュイセンは、難なく目的の倉庫に入り込んだ。

 扉を閉め、中から鍵をかけ直すと、ふたりは安堵の息をつく。やはり、姿を隠せる場所のほうが落ち着いた。

 しかし、すぐにリュイセンが顔色を変えた。

「おい、ルイフォン。ここは本当に『倉庫』なのか?」

 半分、呆然と。残りの半分は、ぎょっとしたような様相である。

 当然だろう。

 部屋の右の壁が一面、造り付けの洋服掛けになっており、何着もの豪華なドレスが掛けられていたのだから。更には、左側の壁は帽子や靴、鞄といった小物が並んだ棚になっており、中央にはアクセサリーを収めた低めのショーケースが置かれている。極めつけに、天上からは絢爛としたシャンデリアが垂れ下がっていた。 

 埃よけのためか、硝子の扉が付けられており、ものによっては覆いも掛けられていたが、一見したところ、まるで高級ブティックだ。それも男にはかなり敷居の高い、きらびやかな類の……。

「ここは、王妃の衣装部屋だったらしい」

「はぁ……」

 ルイフォンの答えに、リュイセンはなんともいえぬ微妙な声を返した。

「置いてあるものが、ちょっと……なんだが、要するに、使われていないものが置かれている場所だろ? つまり、倉庫だ」

「いや、まぁ、そうだけどな」

 度肝を抜かれたリュイセンとしては、その程度の説明では納得できなかったらしい。釈然としない顔をしている。

 実のところ、ルイフォンだって、監視カメラの解像度の低い映像からは、こんな派手な部屋は想像していなかった。遮光カーテンのために全体的に薄暗いのも、目測を誤った原因だろう。――言い訳がましいのは格好悪いので、そこは口をつぐむが。

「だって、すぐそこが王の部屋なんだぜ? お前が想像しているような、掃除用具とか替えのシーツとかが置いてあるような倉庫が、近くにあるわけないだろ」

「そりゃ、まぁ……」

「で、その代わり、王の居室の近くには、王妃が身支度を整える部屋がある。――必然だ」

 ルイフォンは、さも自分が正しいと言わんばかりの口調で主張した。

「……まぁ、確かに」

 憮然とした面持ちながらも、リュイセンは現状を受け入れてくれたようだ。……言いくるめたともいう。

 ともかく夜までの半日あまりは、彼らには非常に不似合いな、すなわち限りなく居心地の悪い部屋での待機となった。

「仕方ないから、このまま作戦続行でいいけどさ。お前は、この部屋に、その……やましさみたいなものを感じないのか?」

 素朴な疑問、といったていでリュイセンが尋ねる。

「いや、別に」

 変にお硬い兄貴分からすれば、女性の部屋に忍び込んでいるような、背徳的な気分なのだろう。だが、この部屋のあるじは、とっくに老衰で亡くなっている。ルイフォンにとっては、古ぼけた服と小物が置いてあるだけの『倉庫』だ。

 ただ――。

「強いていえば、メイシアがこういう世界の人間だったのかと思うと、複雑かな……」

 ルイフォンは改めて、上流階級の貴婦人の部屋を見渡した。

 王族フェイラの血を引くメイシアは、この部屋のあるじの血縁に当たるのだろう。彼女の実家にも、きっとこんな衣装部屋があったに違いない。ルイフォンと出逢う前は、彼女もまた華やかに着飾り、社交の場に出ていたはずなのだから。

 ここにあるものは、今のメイシアには縁がなくなってしまったもの。けれど、かつての彼女にとっては、とても身近だったものだ。

 あでやかに身を飾った彼女は、さぞかし美しかったことだろう……。

 癖のある前髪が目元に掛かり、無意識にうつむき加減になっていたことに、ルイフォンは気づいた。自分らしくないなと、乾いた嗤いが漏れる。

 鬱陶しげに髪を掻き上げると、眉を曇らせたリュイセンの顔が視界の端に引っかかった。

「ルイフォン……」

「ん? なんだ?」

 ただの感傷に、くよくよしても仕方ない。ルイフォンは努めていつもの声で返事をする。

「……今夜は長い夜になる。今のうちに、仮眠とまではいかないまでも、体を休めておくぞ」

 リュイセンは一瞬、声を詰まらせていた。本当は別のことを言おうとしていたのだろう。

 けれども、彼は腰の双刀を外して座り込んだ。アクセサリーのショーケースに背を預け、お前も休めとばかりに、顎をしゃくってルイフォンを促す。

 ルイフォンは、「そうだな」と従った。

 肩が触れるか触れないかのところで、無言で隣り合う。その距離感が妙にありがたかった。



 寝ているわけではないだろうが、リュイセンは軽く目をつぶっていた。ルイフォンも倣おうとして、そういえばと思い出す。腰を落ち着けたからには、館の現状を確認しておくべきだろう。

 彼はおもむろに携帯端末を取り出すと、滑らかな手つきで操作を始めた。

 無事に部屋に戻ったファンルゥは、おとなしく絵を描いていた。なんだか、とてもご機嫌な様子で、ルイフォンの口元もほころぶ。

 会食会場のカメラへと映像を切り替えると、贅を凝らした皿の数々が映し出された。それなりに時間が経過しているはずなのだが、未使用のナイフとフォークの数から推測すると、まだまだ序の口であるらしい。さすがは王族フェイラのお招きというところか。

 ハオリュウは相変わらず、外面のよい笑顔を浮かべており、どうやらうまくやっているようだ。こちらも問題ないだろう。

 会食の模様を見ているうちに、ルイフォンも空腹を覚えてきた。ハオリュウのようなご馳走は望むべくもないが、持ってきた携帯食料で食事を摂るくらいはよいだろう。

「なぁ、リュイセン」

 端末から顔を上げ、隣を見やる。その瞬間、ルイフォンは息を呑んだ。

 リュイセンの美麗な横顔が、険しさに彩られていた。

 張り詰めた表情は呼吸すらも忘れてしまったかのようで、身じろぎひとつない。けれど、床に向けられた視線は、鋭く空間を薙ぎ払っている。

「リュイセン?」

「ルイフォン、この部屋の奥は、どうなっている? カーテンで仕切られているようだが」

「奥? 確か、王妃が化粧や着付けをするための場所になっているはずだ」

 それが、どうしたというのだろう。ルイフォンが首を傾げると、リュイセンが厳しい声を出した。

「つい最近、誰かがこの部屋に入った。ここを抜けて奥に行ったんだ。――床に痕跡がある」

「え?」

 リュイセンの言葉に、ルイフォンは絨毯の敷かれた床を凝視する。

「俺には分かんねぇぞ」

「なら、そこの硝子の扉を見てみろ」

 洋服掛けを示され、ルイフォンは目を凝らす。

 館の中心部であるこのあたりは、〈ムスカ〉が住むようになる前は王族フェイラの雇った掃除婦によって、こまめに磨かれていた。だから比較的、綺麗なのであるが、それでも数ヶ月も放置されれば埃が積もってくる。硝子の扉の表面も、うっすらと白くなって……。

「!」

 薄汚れた硝子の一部に、そこだけ拭き取られたような筋が走っていた。扉の前を通った際に、服の端でこすってしまった、そんな跡だ。

「誰かが――いや、こんなところに来るのは〈ムスカ〉しかいない。……奴が、ここに来たというのか?」

「おそらくな」

 リュイセンの肯定に、ルイフォンは焦りを覚える。

 夜までの待機場所を決めるにあたり、ルイフォンは〈ムスカ〉が立ち入らない部屋であることを絶対の条件としていた。そして、この衣装部屋に目星をつけたあとは、安全の確認のために、ずっとカメラで監視していた。――そのはずだった。

「……見落としたのか? そんな馬鹿な……。俺は確かに……」

 ルイフォンは途中で唇を噛んだ。形跡が残っている以上、何者かの出入りは現実である。異を唱えるのは見苦しいだけだ。

「ルイフォン。お前は、この部屋は使われていない部屋だと言っていた。だが俺はこの床に、人の足跡と、台車か何か……車輪のついたものが通過した跡を見つけた。たぶん、重たいものを奥の空間に運び入れたんだろう」

 畳み掛けるリュイセンに、ルイフォンは力なく頷く。

「お前が言うんだ。その通りなんだろう」

「すまんな。だが、俺たちは侵入者だ。用心すべきと思ってな」

「あ、いや……。俺こそ……、悪い」

 腑に落ちなくとも、これはルイフォンのミスだ。彼は素直に頭を下げた。

「まぁ、単に〈ムスカ〉が生活していく上で、自分の部屋が手狭になったから、余計な荷物を近くの部屋に移しただけ、ってことかもしれないけどさ」

 面目なく肩を落とす弟分に、リュイセンが軽口を叩く。だが、ルイフォンは首を振り、携帯端末を操作し始めた。

「この部屋は危険かもしれない。移動しよう」

 別の待機場所を見つけるために、ルイフォンは指を滑らせる。

 ――それにしても奇妙な状況だった。

 この部屋はずっと、映像を解析していた。動くものがあれば気づいたはずだ。なのに〈ムスカ〉は、ルイフォンに知られずにこの部屋に入った。

 不快感が背中を駆け上り、ルイフォンは体を揺り動かす。

 部屋の奥の空間だって、確認済みだった。そこには、大きな鏡の付いた化粧台がでんと構えており、それとは別に全身を映し出せるような姿見が壁に据え付けられているのだ。

 王妃のための、かなりゆったりとしたスペースになっており、明らかに貴人のためのものと分かる大振りなテーブルとソファーも置かれていた。それでも充分に場所は余っていたので、〈ムスカ〉が物置きに使うことは可能だろう。

 ――だが……。

 何故、よりによって、と思わずにはいられない。

 ルイフォンが決めた待機場所に、〈ムスカ〉が出入りしていた。

 ただの偶然……? ――本当に、そうだろうか。

 ……〈ムスカ〉は、奥に何かを運び入れたらしい。――いったい、何を……?

「――って、気になるなら、確認すればいいだけだよな」

 無精者のルイフォンは奥を覗きに行くでなく、どっかりと座り込んだまま携帯端末の上で指を走らせた。モニタの映像が、奥の空間に取り付けられたカメラに切り替わる。

「…………っ!?」

 映し出された光景を見て、ルイフォンは声を失った。

「ルイフォン? どうした?」

 隣から、リュイセンが覗き込む。

「なんだ、これは……」

 兄貴分もまた、呟きを漏らしたまま絶句した。

 画面の中央に、『培養液で満たされた硝子ケース』が鎮座していた。

 それは、つい先ほど、ハオリュウに取り付けたカメラを通して見たものと酷似していた。

『ライシェン』と呼ばれた、次代の王の揺り籠に……。

 移動に使われたと思しきストレッチャーの上に載せられたままのそれは、『ライシェン』のケースよりも遥かに大きく、しかし、同様のものであることは想像に難くない。

 その中の人物の詳細は長い黒髪に邪魔され、判然としなかった。

 見に行くべきか――?

 ルイフォンが、そう思ったときだった。

 培養液にたゆたうの人の体が、寝返りをうつように転がった。ゆらりと髪がなびき、その刹那、白い容貌がちらりと見える――。


「ミンウェイ……!」


 リュイセンの唇から、名前がこぼれた。魅惑の低音はかすれ、ひび割れていた。

 黄金比の美貌が、鋭く研ぎ澄まされていく――。

 彼は愛刀を握り、立ち上がった。

「待てよ、リュイセン! 落ち着け!」

 ルイフォンの制止も聞かず、リュイセンは身を翻す。肩でそろえられた黒髪が、くうを斬り裂いた。

 勢いよく、仕切りのカーテンが取り払われる。

 中のものが日に焼けないよう、遮光カーテンの薄闇に包まれた空間――けれど、カーテンのわずかな隙間から、すらりと陽が射していた。

 直線に入り込んだ光は、壁の姿見に弾かれ、化粧台の三面鏡で乱反射する。ほのかな明るさが広がり、暗いはずの空間を幻想的に灯していた。

 その中心で、淡く浮き立つように照らし出された――硝子ケース。

 リュイセンは立ち尽くし、眠る麗人の姿を凝視する。

 美しい黒髪が、再び顔を覆い隠していた。

 長い、長い髪である。培養液の中を漂っているために定かなことは分からぬが、くるぶしまで届くのではなかろうかと思われる。つややかな髪は大きく広がり、顔を、肩を、胸を……一糸まとわぬ白い裸体を隠す。

 ……不意に髪が揺らめいた。

 その美貌があらわになる――。

「……!」

 ルイフォンとリュイセンは、同時に瞳を瞬かせた。

 ――ミンウェイではなかった。

 けれど、よく似ている。カメラ越しに見たリュイセンが、ミンウェイ本人と間違えるのも無理はないくらいに。

「……ルイフォン」

「ああ……」

「これ……いや、『彼女』は……。……ミンウェイの……母親、なのか……?」

 リュイセンの声は震えていた。ルイフォンだって、心臓が早鐘を鳴らしている。

『彼女』は、ミンウェイそっくりで、しかし遥かに年上で。ちょうど彼女の母親くらいの年齢に見えた。

「俺に訊かれても、分かんねぇよ……」

『彼女』は病に侵されたミンウェイの母親で、その命のを完全に失う前に〈ムスカ〉によって眠らされた姿なのではないか――。

 リュイセンが、そう言いたい気持ちは分かる。けれど、ルイフォンに何かを答えられるはずもなかった。

 ふたりは無言で『彼女』を見つめる。

 豪華な調度に囲まれた、合わせ鏡の空間に眠る美女。

 神秘的な光景だった。

「……あのさ、リュイセン」

 ルイフォンの呼びかけに、リュイセンが『彼女』から視線を移す。

「俺は、こんな硝子ケースは初めて見た」

「ん? 俺だって初めてだが……それがどうした?」

「そうじゃなくてさ。俺はお前とは違って、ずっとこの館中の監視カメラの映像を見てきた。なのに、こんなものは見たことなかった、って意味だ」

「じゃあ、館の外から持ち込まれた、ってことか?」

 ルイフォンの言葉の意図が掴めず、リュイセンは困惑顔で尋ねる。

「違う。地下だ。これは、今まで地下の研究室にあったんだ」

「地下?」

「ああ。地下には監視カメラがない。だから、俺も見たことがなかったんだ。――この硝子ケースは、大きさは違うが、どう見ても『ライシェン』のケースと同じものだ。つまり本来は、研究室にあるべきものだったんだ」

「なるほど。けど、何故、移動させたんだ?」

 リュイセンが首をかしげる。その質問を、ルイフォンは待っていた。

「今日、摂政が研究室に来ることが分かっていたからだ」

「え?」

「摂政が、ハオリュウを連れて『ライシェン』を見に来る。そのとき、もしも隣に『彼女』がいたら……? おそらく、好奇の目で見るだろうな」

「ああ……。そうだろうな」

 リュイセンが、再び『彼女』に目をやった。兄貴分には、ルイフォンの言いたいことが伝わったのだろう。

 摂政には、『彼女』は、ただの実験体に見えるはずだ。硝子ケースには操作パネルが付いており、酸素濃度やら液圧やらまで表示されている。どう見ても『研究対象』である。

 だが、〈ムスカ〉にとっては違う。

『彼女』が何者かは分からないが、〈ムスカ〉にとっては大切な『人』であることは間違いないのだ。摂政が『もの』を見る目を向けることを、決して許しはしないだろう。

 だから、『彼女』を移動させた――隠したのだ。

「〈ムスカ〉は今朝、摂政が来る直前に、『彼女』をここに運んだんだ。今日は作戦の決行日だから俺も慌ただしくしていて、部屋の様子を確認する余裕がなかった。――すまん!」

 ルイフォンは深々と頭を下げる。

 致命的なミスだった。今日こそ、最後の確認をしておくべきだったのだ。

「いや、いいって。――ともかく、状況は分かった。すぐにここを出るぞ」

 リュイセンが穏やかに笑う。そして、ふと呟くように尋ねた。

「けど、どうして、この部屋に隠したんだ? 地下からは結構、遠いよな」

「ああ。でも、なんか分かる気がするな」

 ルイフォンは華やかな衣装を見ながら、美しく着飾ったメイシアを思い浮かべた。おそらく、〈ムスカ〉も同じだったのだろう。

 しかも〈ムスカ〉は、王の居室を自室として構えた。

 ならば、彼の愛する相手にふさわしい場所はどこか?

 ――決まっている。王妃の部屋だ。

 ルイフォンは癖のある前髪を掻き上げた。

ムスカ〉はメイシアを苦しめた憎い敵だ。同情など、微塵にもない。

 だが、『彼女』のためにこの部屋を選んだ〈ムスカ〉の心は……。

 奇妙な切なさに支配されそうで、ルイフォンは乱暴に前髪を掻きむしる。

 ルイフォンは『彼女』をちらりと見やった。鏡に囲まれた美女は変わらずに眠っていたが、神々しいまでに清らかで……禁忌に触れそうな危うさを放っていた。

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