2.目覚めのない朝の操り人形-3

 盲目であるべき王の瞳に、光を与える――この難題は、〈ムスカ〉にとって非常に興味深いものであった。

 神話に記された力を持たない、まがい物の王。

 王という存在を揺るがす、禁忌の研究。

 そういった、背徳的なものに心が踊ったわけではない。純粋な、知的好奇心である。

ムスカ〉は別に、神や王を崇拝しているわけではない。

 だから、〈サーペンス〉から預かった『新たなる王』の基盤となる遺伝子も、彼にしてみれば、ただの素材にすぎなかった。

 その『素材』の秘密に……やがて彼は、気づいた。



 故に、〈ムスカ〉は悟る。

『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』は、女王の依頼などではない。

サーペンス〉自身が、新たなる『特別な王』を望んでいるのだ――と。



『私が……あなたに教えた『最期』は、……嘘よ』

『私の復讐が、お門違い!?』

 ――――――。

『――つまり、あなたは私を騙していた、と。あなたは自分の利益のためだけに、私を蘇らせた。私の技術を利用したいがために……!』

『そうね。……そうなるわね』

『ならば贖罪の意味で、私に詳しく話すべきだと思いませんか? 『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』のことを。――私が作らされている『もの』のことを……!』



 薄暗い地下の部屋を、弱々しい光がほのかに照らしていた。

 明かりの源は、かつては数多あまたの白金の糸を紡ぎ合わせ、まばゆい翼を形作っていた〈サーペンス〉の羽である。死を目前にした〈天使〉の羽は輝きを失い、代わりに高熱を発していた。

 ベッドに横たわった〈サーペンス〉が、熱い息を吐く。

 しかし構わずに、〈ムスカ〉は彼女に詰め寄った。

「私が作っている『もの』は、あなたにとって、特別な意味を持っているはずです」

ムスカ〉は、できるだけの情報を欲していた。

 この女――〈影〉である『ホンシュア』の命が尽きる前に、『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』の真の目的を掴み、また本体の〈サーペンス〉の居場所を聞き出さねばならなかった。

 さもなくば、何も知らない彼は、ただの『駒』として扱われ、いずれ殺されるだけだ。

「あなたが……作っている『もの』は、初めに説明した通りの『もの』よ……。嘘は……言っていないわ」

 高熱に喘ぎながら、〈サーペンス〉は答える。

「あの赤子が……女王陛下の、御子として……王になる……」

「いつまで、しらばっくれるおつもりですか!」

「なんの……こと……?」

 儚げに首をかしげる〈サーペンス〉は、まるで無垢な幼子のようで、虫も殺さぬ顔の厚かましさに〈ムスカ〉はまなじりを吊り上げる。

「『新たなる王』の基盤として、あなたから渡された遺伝子――。あれは、『過去の王』のものではありませんね?」

 鋭く切り込まれた言葉に、〈サーペンス〉は息を呑んだ。だが、すぐに、ふふっと嗤う。

「……天才医師、だもの、ね……。いずれ、あなたには感づかれると……分かっていたわ」

「この私の目を誤魔化せるわけがないでしょう」

ムスカ〉は吐き捨て、大きく溜め息をついた。

「確証を得るために、神殿でいろいろ調べてきましたよ」

「っ……、神殿……そう、ね」

 動かすのも億劫であろう〈サーペンス〉の体が、わずかに揺れた。

「まず、あなたの素性を示す記録は、残っていませんでした」

「……消しておいた、もの……」

 自慢げに、すっと上がった唇は、しかし熱のためにか乾ききり、ひび割れていて、彼女の笑いは引きつったものになった。

「それから、大切に保管されていたはずの過去の王たちの遺伝子が、すべて廃棄されていましたよ」

サーペンス〉は、表情を変えることもなく、ただ黙って聞いている。

「あなたが――『〈サーペンス〉』が、廃棄したんですね」

ムスカ〉は一度、口を閉じ、相手を見つめた。そしてまた、ゆっくりと続ける。

「それは……私の手元にある遺伝子を、〈神の御子〉を作り出せる、唯一の手段にするためだった。――違いますか?」

 言い渡された言葉を、〈サーペンス〉は軽く瞳を閉じることで肯定した。

ムスカ〉は、自分の全身から、大量の汗が吹き出したのを感じた。

 それは決して、この部屋の熱気のせいではない。真実へと近づいた緊張と興奮とが、ないまぜになった結果だった。

「あなたから渡された遺伝子は、王の特性を示しながらも、幾つもの異端な因子を含んでいましたよ。――あなたはそれを、どう説明します?」

 問いかけは質問ではなく、弾劾だった。それに対し、〈サーペンス〉は薄笑いを浮かべながら答える。

「そこまで……分かって、いる、なら、……あの遺伝子が――『彼』が何者、か……、気づいたって、こと……でしょう?」

ムスカ〉の心臓が高鳴った。けれど、彼は平静を装い、低い声で告げる。

「ええ。そのことから導き出される、あなた――『〈サーペンス〉』の正体も、ね……」

「……」

サーペンス〉は、とても穏やかな顔をしていた。まるで、罪が暴かれるのをじっと待っているかのように――。

ムスカ〉の声が、朗々と響き渡る。

「鷹刀エルファンと、〈フェレース〉の間に生まれた娘――鷹刀セレイエ。……それが、あなたの名前ですね」

 真っ赤に充血した〈サーペンス〉の目が、すっと弓形をかたどった。すべてを受け入れたような、諦観の微笑みだった。

「さすが……ね。……鷹刀、ヘイシャオ……。叔父さん、とお呼びしたほうが……いいのかしら?」

「あなたはエルファンの娘ですが、ユイラン姉さんの子ではありませんから、叔父ではありませんね。……それに、私は一族を捨てた人間です。今更、血族を主張する気はありませんよ」

「……それも、そうね。……私も、同じ……。一族じゃない、わ」

サーペンス〉は淋しげに声を落とす。

「エルファンの娘が、何故〈七つの大罪〉に?」

 純粋な疑問だった。イーレオ率いる現在の鷹刀一族は、〈七つの大罪〉を否定していたはずだからだ。

「……ああ、……知らない、のね。……私は、生まれついての、〈天使〉……。自分を知るため……〈七つの大罪〉に入った……。〈影〉にした、この『ホンシュア』の体……〈天使〉化した、のも……私にとって、それが自然、だから……よ」

「生粋の〈天使〉!?」

 驚きと共に、研究者としての心が騒ぐ。それを察したかのように、〈サーペンス〉の目つきが険しくなった。

「世界で唯一、……私だけ、よ。異父弟、ルイフォンは……普通の子……」

「異父弟に手を出すな、ということですか?」

「そう……。ルイフォン……だけ、じゃない。鷹刀に、手を出さない……で!」

サーペンス〉が、きっと睨みつけた。

 彼女の感情に呼応したかのように、ゆらりと陽炎が揺らめき、高温の風が吹きつける。

 背中の羽は、もはや羽とは呼べない、途切れ途切れの光の糸にすぎなかったが、一族を守ろうとする見えない意志の翼が大きく広がっていた。

 そのさまを見て、不意に〈ムスカ〉は気づいた。

「なるほど、そういうことでしたか。……納得しましたよ」

 ふむふむと頷く〈ムスカ〉に、〈サーペンス〉が顔を歪める。

「何に……納得……したの?」

「死の間際になって、いきなり『鷹刀イーレオへの復讐は、お門違い』なんて、あなたが言い出した理由ですよ。秘密主義の死にぞこないなら、黙って死を待てばよいものを――。不思議だったんですよ」

「ああ……、そのこと、ね……」

「あなたが嘘をついたまま死ねば、私はいつまでも、鷹刀イーレオを仇と思って狙い続ける。それを止めるために、あなたは真実を告げた。――そういうことですね?」

「そう、よ……。あなたが、頭の良い人、で……よかった、わ……」

サーペンス〉は満足げに頷いた。

 対して、〈ムスカ〉は不快げに鼻を鳴らす。

「まんまと騙されましたよ。たいした策士です。ありもしない復讐をでっち上げ、それを取り引き材料に、私を踊らせるとは! さぞかし、愉快だったでしょう!」

ムスカ〉が吐き捨てた瞬間、苦しげにうめいていた〈サーペンス〉が、かっと目を見開いて叫んだ。

「そんなことないわ!」

 叫んでから、〈サーペンス〉は、ごほごほと咳き込む。

「〈天使〉を……あんなふうに使うとは、聞いてなかったわ! 鷹刀イーレオ……捕まえたあと、記憶に介入して、復讐に使うって……言っていた……のに!」

「途中で気が変わっただけです。〈天使〉は、『協力の証として』いただいたものです。用途についての約束はしませんでしたよ」

 声を荒らげ、怒り、苦しむ〈サーペンス〉の姿に、〈ムスカ〉は少しだけ溜飲を下げる。

 手を組むと決めたとはいえ、〈ムスカ〉は〈サーペンス〉を信用したわけではなかった。対抗手段を備えておくべきと考えた。

 そこで、適当な理由をつけて、自由に使える〈天使〉を要求したのである。『与えられた〈天使〉』の数の中に、〈サーペンス〉――正確には〈影〉である『ホンシュア』が含まれていたのは、熱暴走で死ぬことになる〈天使〉の数を減らしたかったためらしいのだが、なんとも滑稽な話であった。

 ――〈サーペンス〉の作戦では、〈ムスカ〉に役割はなかった。待っていれば、鷹刀イーレオの身柄を引き渡す、と言われていた。

 しかし、猜疑心の強い〈ムスカ〉が、他人に任せきりにするはずがなかった。斑目一族の食客となって内部に入り込み、適当な人間を〈影〉に――手駒にした。彼としては至極、当然のことをしたまでである。

「私の、作戦に……〈天使〉は必要なかった、わ……!」

「あなたの作戦、ね。――そうですね。あれは、『あなたのため』の作戦でした。『私に、鷹刀イーレオの身柄を引き渡すため』の作戦ではありませんでしたね」

「何を……言いたいの?」

「鷹刀イーレオの身柄を確保するだけなら、〈天使〉のあなたが、鷹刀の屋敷の人間をひとり操って、鷹刀イーレオを呼び出すだけで充分だったんですよ」

サーペンス〉は、はっと息を呑み、それから作ったような苦笑をする。

「それも、そう……ね。策を、練りすぎた……わ」

「違うでしょう? あなたは初めから、鷹刀イーレオを捕らえる気などなかったのです。何故なら、『お門違い』だと知っていたのですから」

「……」

 反論の言葉を思いつけなかったのか、〈サーペンス〉は何も返さなかった。〈ムスカ〉は、満足げに低い声で嗤う。

「あなたは、死出の旅に出る前にと、必死な顔で『鷹刀は無関係』と告げました。私が鷹刀に危害を加えるのを止めるためです。つまり、あなたは鷹刀を大切にしている。――でも……、矛盾していると思いませんか?」

 そう言って、〈ムスカ〉は〈サーペンス〉の反応を探るように、彼女の顔を覗き込む。

「……何、かし……ら?」

「あなたの大切な鷹刀が、警察隊や斑目に襲われ、危険に晒されるような作戦を――どうして立てたのですか?」

「!」

「私を騙すためだけなら、『嘘の復讐相手』は、誰でもよかったはずです。けれど、あなたは鷹刀イーレオを選びました。――それは、何故か……?」

 熱で上気していた〈サーペンス〉の顔から、色が抜けていく。大きく見開いた瞳には、〈ムスカ〉だけを映す。


「『鷹刀を巻き込む必要があったから』――です」


 凍れる声が、高熱を裂いた。

 冷気と熱気が均衡し、何かが弾けたような声が響いた。

「……ふふ……、どうかしら……ね?」

サーペンス〉が笑っていた。

 そして、ひと筋の涙をこぼす。

「何を泣いているんですか?」

「……私の『罪』、に。でも……後悔は……しない、わ……」

サーペンス〉が、柔らかに微笑んだ。

 この場にそぐわないような、優しく清らかな顔。〈ムスカ〉は戸惑い、焦る。

 直感がした。

 もう、最期なのだ、と。

「聞きたいことがある!」

ムスカ〉は叫んだ。

「……」

「あの作戦の結末から考えると、お前の目的はひとつ――!」

「……」

「『藤咲メイシアを、鷹刀の屋敷に送り込むこと』だ!」

「……」

 反応のない〈サーペンス〉に、〈ムスカ〉のこめかみの血管が浮き立った。ぎりぎりと歯をきしませ、拳を握りしめる。

 そして、ずっといだいてきた疑問を叩きつけた。

「藤咲メイシアに、何がある? あの娘に、何が隠されている!? お前は、あの娘に直接、会った! あのとき、何をしたんだ!」

 仕立て屋に化けて、藤咲メイシアに接触を図った。あの日から、〈サーペンス〉の体調は急変した。高熱が続き、横になっていることが多くなった。

 ――〈サーペンス〉は、うつろな目のまま、じっと動かなかった。

ムスカ〉は舌打ちをした。

 もはや、これまでか。

 そう、諦めかけたときだった。〈サーペンス〉の口元が、わずかに震えた。

 慌てて耳を近づければ、熱い吐息と共に、細い声が入ってくる。

「……それを知って、どう、するの? 『あなた』は、……幸せに、なれる、の? ……ヘイシャオ……叔父さんの、……『〈影〉』」

「!? お前っ!」

 思わず拳を振り上げた彼に、〈サーペンス〉は淋しげに微笑んだ。

「……私を殴るの? 無駄なことを……。放っておいても……、私はじきに死ぬわ」

 その言葉の正しさを証明するかのように、〈サーペンス〉の体がびくりと痙攣し、苦しげな呼吸を繰り返す。

「オリジナルの、ヘイシャオ叔父さん……。幸せ、そうな……死に顔だった……って」

「そんなこと、どうでもいい!」

「……けど、『あなた』は、これから……どうする……?」

「……っ!」

「決して……、目覚めることのない朝を、求めて……。かわい、そう……」

サーペンス〉の双眸から、涙がこぼれ落ちた。

 だがそれも、あっという間に蒸発し、わずかなあとだけが肌に残る。

「〈サーペンス〉……」

 そのとき、〈サーペンス〉の背中から凄まじい熱量を持った光が溢れ、白い肌を裂いた。

「――――!」

 悲鳴にならない悲鳴が、ほとばしった。

〈天使〉の最期だ。

 与えられた〈天使〉をことごとく失ってきた彼は、今までにそれを何度も見てきた。

 せっかくの便利な道具が壊れると、悪態をつきながら見てきた。

 ――なのに今は……。

 …………。

 ……。

「……『あなた』……私のこと、嫌いだった……はず、……なのに、なんで……そんな、顔……?」

 彼女が顔を上げた。頬に張り付いていた黒髪が、はらりと落ちる。

「やっぱり、『あなた』……、お父さん、そっくり……。やりにくい……。憎めない、もの……」

 苦しげな息遣いの中で、彼女が笑った。

 背中は熱にかれ、激痛が走っているはずなのに……。

「……叔父さん……、メイシア……あの子は……」

「え?」

 何かを言おうとしている彼女の口元に、彼は耳を寄せた。耳朶がけるように熱い。

「…………………………」

「!」

 目を見開いた彼に、彼女は頷いた。そして、か細い声を漏らす。

「『〈ムスカ〉』に言うべき、情報……じゃ、ない。……けど、『あなた』が、これ、で……少し、でも……」

 熱風が部屋を駆け抜け、殺風景な部屋にぽつんと置かれていたテーブルを倒した。

 だが、その音は、彼の耳には聞こえない。

 彼に響くのは、ただ〈天使〉の祈りのみ――。

「私……あなた……大嫌い……だった。けど、同じ……なの。私も……、あなたも、『罪』だと……分かっていても……。だから……」


 di;vine+sin……。――『命の冒涜』……。


「『あなた』を……作り出して……ごめんなさい……」

 彼の耳元で、優しい声が響く。

「……『あなた』の、最期が、……安らかであることを……願う、わ」

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