2.目覚めのない朝の操り人形-2

 彼が目覚めた日。

 彼は、死んだ天才医師〈ムスカ〉を蘇らせた『もの』なのだと、〈サーペンス〉に告げられた。

 だから彼は、ふたつの質問をした。

 ひとつ目は、オリジナルの彼――〈ムスカ〉の死について。

 その答えを、〈サーペンス〉は偽った。

 イーレオに殺されたと虚言を吐き、彼に復讐心を植え付けた。彼に協力すると申し出て、見返りに力を貸してほしいと要求してきた。

 そして、それこそが、ふたつ目の質問――すなわち、〈サーペンス〉が〈ムスカ〉を蘇らせた理由――の答えになると言った。

『あなたの怒りは、もっともだわ。だから、私はあなたの復讐に協力しましょう。――その代わり、私に天才医師〈ムスカ〉の力を貸してほしいの』



サーペンス〉はそう言って、彼に話を持ちかけた……。



「ほう? 取り引きですか」

「ええ」

 きっちりと結い上げられた髪を揺らし、〈サーペンス〉は目を細めて頷いた。

 そして、込み入った話になるからと、研究室内に放置されたままであった椅子を、彼に勧める。

 彼としても、今まで培養液を漂っていたのであろう肉体に、無理はさせたくなかったので素直に従った。あとで、この肉体の健康診断をせねばなるまい、などと思いながら。

 埃だらけの座面を払い、白い布を巻き付けたままの姿で座る。

 服も調達する必要があるだろう。鬱陶しく伸びた髪を切り、髭を剃り、身支度を整えたい。そんな現実的なことが次々と浮かんでくる。

 自分は〈影〉であり、オリジナルは殺されたという衝撃や、別人のように変わってしまった娘への驚愕は、決して小さくはなかった。だが、腰を下ろし、視野が変わると、まるでそれに触発されたかのように思考の視界も変わっていった。

 ゆっくりとではあるが、彼本来の冷静さが戻ってくる――。

 そんな彼の様子に〈サーペンス〉は満足したのだろう。彼の向かいに座ると、早速とばかりに口火を切った。

「まず、私がどのようにして、あなたの復讐に協力するつもりなのか、説明するわ。――実は、鷹刀イーレオを捕らえる作戦の準備が、既に整っているの」

サーペンス〉は意気揚々と告げた。その口ぶりからは、彼の目覚めをどれほど待ちわびていたのかが伝わってきた。あまりの気勢に、かえって彼は鼻白む。

 しかも――。

「捕らえる?」

「そうよ。あなたならきっと、ただ命を奪うだけでは物足りないでしょう? だから、イーレオの身柄を確保して、あなたに引き渡してあげるわ」

「引き渡す、ということは……、では私は何をすれば?」

「あなたは待っているだけでいいの。実行するのは警察隊と斑目一族。それから貴族シャトーアにも踊ってもらう――そういう作戦よ」

サーペンス〉は胸を張り、にやりと自慢げに嗤う。

 その後、更に詳しく聞けば聞くほど、〈サーペンス〉の作戦は巧妙かつ複雑な罠だと分かった。よくぞ、そんな方法を思いついたものだと、半ば呆れながらも感心せざるを得ない。

「それから、あなたの娘のことだけど――。あなたが現在の彼女に会いたいと思うか否か、疑問だったから、まだ何もしていないわ。けど、お望みなら、彼女を連れてくる算段も立てましょう」

 彼の心が、ざわりと揺れた。埃の床に落ちた、現在の娘の写真を思い出し、鼻に皺を寄せる。

「どうかしら?」

サーペンス〉は首を傾け、彼の顔を覗き込む。

 そして、彼の返事を待たずに、「次に……」と、続けて『見返り』の件を彼女が切り出そうとしたときだった。

「私に応じる義務はありませんね」

 冷酷にすら聞こえる低い声で、彼はぴしゃりと跳ねのけた。自信満々だった〈サーペンス〉の顔が、見る間に変わっていく。

「……何故かしら?」

 抑揚のない声で〈サーペンス〉は尋ねた。彼に詰め寄り、重ねて問う。

「あなたは、鷹刀イーレオに復讐したいでしょう?」

「勿論、復讐はしますよ。しかし、あなたと手を組むばかりが、その方策ではありません」

ムスカ〉にしてみれば、〈サーペンス〉の態度は不愉快でしかなかった。

 どう考えても、彼を手駒にしようと画策しているだけにしか思えない。そもそも彼は、初対面の相手をすぐに信用するような人間ではないのだ。

サーペンス〉は顔をしかめ、眉間に皺を寄せた。

「イーレオを捕まえる準備は、既にもう整っているのよ? ……それに、私が頼みたいことは、あなたでなければ、とても不可能な案件なの。引き受けてもらわなければ困るわ」

「私でなければ不可能とは、随分と買われたものですね」

 すっと口角を上げ、彼は畳み掛ける。

「〈七つの大罪〉には、私以外にも優秀な〈悪魔〉がいるでしょう? 何も、死んだ私を蘇らせなくてもよかったのではないですか?」

 探るように、視線を向ける。対する〈サーペンス〉も、彼の思考を読んでいたかのように、滑らかに答えた。

「この案件は、どう考えても〈ムスカ〉の専門分野なの。だから私は初め、〈冥王プルート〉に保存されていた〈ムスカ〉の記憶を、適当な人間の肉体に入れて、『普通の〈影〉』を作ったのよ」

 そう言って、〈サーペンス〉は軽く目をつぶり、深く息を吸い込んだ。

 訝しむ彼の前で一度、息を止める。そして、今度は一気に吐き出すと、一瞬、遅れて彼女の背から光が噴き上げた。

「なっ……!?」

 白金の糸が、あとからあとから、あふれ出した。研究室は、あっという間に目もくらむような、まばゆい光に包まれる。

 光の糸は大きく横に広がり、互いに絡み合い、紡ぎ合わされていく。そして、またたく間に、生き物のようにうごめく光の翼を作り上げた。

「〈天使〉……」

 彼は唾を呑んだ。

「ご覧の通り、この肉体は〈天使〉化させてあるわ。これを見ても、私が『普通の〈影〉』で試したということを信じられないかしら?」

「……っ」

 額に、冷や汗が浮かんだ。長い髪が張り付き、彼は鬱陶しげに払う。

サーペンス〉が羽を見せたのは、彼を納得させると同時に、牽制の意味を含んでいるのだろう。下手に彼女の機嫌を損ねれば、〈天使〉の力で支配されかねない……。

 彼の面持ちが緊張を帯びたのを確認すると、〈サーペンス〉は続けた。

「だけど、『普通の〈影〉』では生前の天才医師〈ムスカ〉の足元にも及ばなかった。それで、私は『死者を蘇らせる』ことを考えたの」

 随分と勝手なことを、さも当然とばかりに〈サーペンス〉は告げる。それから彼女は、ほんの少しだけ、きまり悪そうに顔を歪めた。

「あなたはさっき、その『肉体』が『記憶』の年齢と合っていないことの説明を求めたわね。――答えは簡単。私には、『記憶』に見合った『肉体』を用意することが難しかったからよ」

 どういうことだ? と、彼は一瞬、怪訝に思い、すぐに気づいた。

「私が組み上げた『肉体の急速成長』技術は、そう簡単には再現できるものではありませんからね」

 とても複雑な技術なのだ。彼の研究報告書を片手に真似たところで、やすやすとは成功すまい。――と、彼は思ったのだが、〈サーペンス〉の答えは、それ以前の問題だった。

「そうね。私には再現できなかったかもしれない。けど、そもそも私には、クローン体のもととなる細胞を手に入れることが難しかったのよ。何しろ、〈ムスカ〉はとっくの昔に死んでいるのだから」

「……」

「髪の毛か何かが残っていないかと〈ムスカ〉の研究室を探していたとき、偶然、その肉体を見つけたの。本当に運が良かったわ、オリジナルが『自分』を作っておいてくれるなんて。時間もなかったことだし、年齢の合ったものを新しく作るなんて考えずに、その肉体を使うことにしたわ」

「……なるほど」

 得心しつつも、〈ムスカ〉の心に深い憎悪が宿った。

「おそらく、その肉体は『スペア』ね。外見から推測して、オリジナルが生きていれば『あなた』と同じくらいの歳になるもの」

サーペンス〉の言葉に、彼は眉を寄せた。彼が作られた存在であることを繰り返し言われるのは不快だった。

 そして同時に、彼は気づいた。

 人ひとりを収めるにしては、充分すぎるほど大型の硝子ケースの中にいる『ミンウェイ』。――存在しないはずの年月としつきを重ねた彼女。

 彼女の隣で――同じ硝子ケースの中で、この肉体は共に歳をとっていたのだ。

サーペンス〉の言うような、オリジナルの『スペア』としてではなく、『ミンウェイ』の『ペア』として……。

 彼には『ペア』の肉体ふたりを作った記憶はない。だから、彼の持つ『記憶』が保存されたあとで、オリジナルのヘイシャオが作ったということになる。いったい、どんな意図があったというのか?

 非常に気になる疑問だ。

 しかし、今は目の前にいる〈サーペンス〉への対処をするべきときだった。彼は、軽く頭を振り「それで――」と、脈打つように明暗を繰り返す〈サーペンス〉の羽を一瞥する。

「私が取り引きに応じない場合には、あなたは〈天使〉の力を使うおつもりですか?」

 他人に支配されるなど、考えただけでもおぞましい。

 彼はおもむろに立ち上がった。訝しがる〈サーペンス〉を横目に、壁際の薬品棚へと向かう。

 埃をかぶっている様子から、〈サーペンス〉は書類の類は勝手にいじっても、薬には触れなかったらしい。ならば、この中には、彼の記憶通りに劇薬があるはずだった。

 硝子の戸は、かつてよりも古びていたが、思ったよりも滑らかに開いた。彼は薬瓶をひとつ取り出し、〈サーペンス〉に示す。

「オリジナルの私の体は毒に慣らしていましたが、この肉体は『新品』です。毒物への耐性がありません。あなたの大事な『肉体』を台無しにすることは容易なことです」

「……なっ!?」

 今まで高飛車だった〈サーペンス〉の顔が一瞬にして青ざめた。

「そ、そんなことをすれば、『あなた』も死ぬってことでしょう? 復讐はどうするの!?」

「あなたに支配されるくらいなら死んだほうがマシです。そもそも、私は死んでいるのですから」

 勿論、そんなことは思っていない。口先だけの話だ。

 それに、彼が手にしているのは無害な薬だった。初めは劇薬を取るつもりだったのだが、直前で考え直した。

 何も本当に、この肉体を危険に晒すことはないのだ。

 ラベルの付いていない薬瓶の中身は、〈サーペンス〉には分からない。彼が倒れれば、劇薬を飲んだと信じるだろう。

 今までの会話から、彼女は『記憶』を研究する〈悪魔〉のようで、医学の知識はないとみた。

 人を呼びに部屋を出ていけば、それが一番よくて、その隙に逃げる。そうでなくても動揺した女ひとりなら、たとえ〈天使〉であっても倒せるだろう。

「待って! 私は〈天使〉の能力で、あなたを強制するつもりはないわ」

「ほう? それはまた何故ですか」

「医者の手術に、常にリスクが伴うのと同じことよ。しかもこの場合、健康な体にわざわざメスを入れるのと、まったく同じ」

サーペンス〉は溜め息と共に、言葉を吐き出す。

「人間の脳は、ひとつの完成されたシステムよ。そして、その完璧なプログラムに、余計な嘘の記憶データ命令コードを手探りで書き込んでいく行為が、〈天使〉の介入。一歩、間違えれば、システム全体を――つまり脳を壊してしまう。要するに廃人ね。そんな危険なこと、大事な肉体にしたくないわ」

「ほほう。では、私と『〈サーペンス〉』は、あくまでも利害に基づいた、対等な関係ということですね?」

「ええ。この『私』――『ホンシュア』ではなく、『〈サーペンス〉』と対等ということでいいわ」

 言質を取るべく含みをもたせた彼の言葉を、〈サーペンス〉は正確に理解した。その上で、構わぬと答えた。

「……ふむ」

 頭の良い奴だと、彼は思った。

 そして彼は、打てば響く反応ができる人間を、決して嫌いではなかった。

 例えば、かつての共同研究者、〈スコリピウス〉。『死者の蘇生』の『記憶』に関する部分で協力してくれた〈悪魔〉であるが、彼との知的な会話は実に興奮した。実験体が逃げないようにと足首を切り落とすような悪趣味な嗜虐心には閉口したが、良い友人であったと思っている。

 ――互いに利用する前提で〈サーペンス〉と手を組むのも、悪い話ではないかもしれない……。

「あなたと良好な関係でいるために、羽は使わない。約束するわ」

サーペンス〉が畳み掛けた。

 裏を返せば、彼のほうに良好な関係を築く意思がない場合には、手段を選ばない、という意味にも取れる。しっかりと釘を刺す当たり、なかなか抜け目がない。

「……」

 彼は腕を組み、思案顔を作った。だが、それは表向きのことで、彼の心は半ば以上、決まっていた。

サーペンス〉が、くすりと笑う。

 それと共に、緩やかな光の波を放っていた羽が、すっと背中に吸い込まれていく。

「そんなに警戒しなくても、あなたはすぐに、この案件に夢中になると思うわ」

「どういうことですか?」

「肉体を扱う〈悪魔〉なら、これ以上はないくらいに、知的好奇心をくすぐる研究だもの」

サーペンス〉は、意味ありげに彼を見やる。絡みつくような視線に、彼はごくりと唾を呑んだ。

 薬品棚の前まで移動していた彼は、有無を言わせぬ彼女の雰囲気に押され、椅子に戻る。

 時間の流れから取り残されていた古びた研究室は、空間までも切り離されてしまったかのように、外部の気配が薄かった。

 静かな輝きをたたえた〈サーペンス〉の瞳――。

 惹き込まれるような闇の双眸と、彼は正面から向き合う。

「あなたに、……『王の肉体』を作ってほしいの」

 密談めいた、かすかな囁きだった。

 だが彼には、その声が研究室中に響き渡ったように感じられた。

「なっ……!?」

 彼は、絶句した。

 それは、〈サーペンス〉の要求が突拍子もなかったから……ではなかった。

 逆だった。

 ごくごく、当たり前の――。〈悪魔〉にとっては身近すぎて、もはや『研究』とすら呼べないような案件だったからだ。

「そっ……、そんなくだらないことのために、私を生き返らせたのですか!?」

 彼は叫んだ。何故なら――。

「王の肉体なら、クローン体の遺伝子が幾つも用意されているでしょう!?」

 苛立ちから、怒りのような感情すら湧いてきて、彼は拳を震わせる。 

 ――この国の王位継承権は、天空神フェイレンと同じ容姿を持つ、〈神の御子〉と呼ばれる者にしか与えられない。

 しかも、正式な王は男子のみ。女王はあくまでも『仮初めの王』でしかない。

 そして、〈神の御子〉が誕生する確率は、決して高くはない……。

 こんな制度では、王座はすぐにからとなる。

 自明の理だ。

 ――それを救うのが、〈七つの大罪〉の役目のひとつだった。

 王家が断絶の危機を迎えたとき、王の私設研究機関である〈七つの大罪〉が、過去の王のクローン体を作り出す。

 そうして、王の血は連綿と続いてきたのだ。

「私でなくても、できるはずです。あなたの言っていることは、おかしい」

 敵愾心すら込めて、彼は言い放った。

 それに対し、予想通りと言わんばかりの表情で、〈サーペンス〉は打ち消しの言葉を返す。

「『特別な王』を作ってほしいのよ」

「特別……?」

「ええ。――自らの瞳に、世界を映す――視力を持った王……」

 慈しみさえ感じられる声で、〈サーペンス〉が告げた。

 だが――。

「な――……!」

 彼は、言葉が出なかった。

サーペンス〉が言ったのは、すべてを覆すような、あり得ない暴言だった。


 王は、盲目であるべきなのだ。

 盲目こそが、王の力の源ともいえる、絶対の条件なのだから――。


「何を馬鹿な! 王は盲目だからこそ、王なのです! そんなことをすれば、王の力は……!」

「ええ、失われるかもしれないわね。だって、それこそが目的だもの」

「なんですと!?」

 声を荒立てる彼に、〈サーペンス〉はゆっくりとかぶりを振る。

「あなたが死んでいる間に、この国は変わったの。もはや、かつてのような〈七つの大罪〉は存在しないのよ」

「!? いったい、何があったのですか?」

「シルフェン国王陛下が崩御されたわ。現在はアイリー女王陛下の御世」

「王が、代替わりした……」

「そう。そして、シルフェン王は、暗殺による急死だったから、〈七つの大罪〉は次代の王に引き継がれなかったの。〈悪魔〉たちは、それまでに受け取った資金を手に、国中に散っていったわ」

「っ!? 暗殺……!? 引き継がれなかった、だと……!」

 あまりの衝撃に、声を失った。

「私は、〈七つの大罪〉の残党、とでもいえばいいかしら?」

 呆然とする彼の耳を、〈サーペンス〉の言葉が、ただ素通りする。

「現在、王宮では、もうじき十五歳になる女王陛下の婚約の準備を進めているところよ。当然、〈神の御子〉を産んでもらうためだけの結婚ね」

「……」

「陛下は、ご自分が道具のように扱われることを、とても嫌悪されているわ。だから、残党の私に、〈神の御子〉を作るように依頼したの」

「……」

「できれば、不気味な力など持たない、神の姿を移しただけの――輝く白金の髪と、澄んだ青灰色の瞳を有する、ただの赤子がほしい、と」



 それが――。

『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』。

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