幕間

白詰草の花冠

 爽やかな陽気に包まれた世界を春風が渡る。

 一面に広がる白詰草しろつめくさが波打つようになびき、草原は緑と白の海原になる。

 私は、少し湿った草の中にしゃがみ込み、白詰草しろつめくさの花を一心に摘んでいた。できるだけ綺麗な、花がしっかりしているものを選び、長めに茎を手折って籠に入れていく。

 このくらいあれば、足りるだろうか。

 籠の半分ほどを埋め尽くす花を見て、私は満足する。

 心持ちスキップのような足取りで、敷物のところに戻った。重石代わりの水筒と、お菓子の入った鞄をどかし、私が座る。

 そして、籠の白詰草しろつめくさを取り出しては、結わいつけることを繰り返す。草の香りに指先を染めながら、白い花を少しずつ編んでいく。

 ほんの少し、お日様が傾いてきたころだろうか。

 ――できた!

 初めて、最後に留めるところで失敗しなかった。ぐるりと輪っかになった白詰草しろつめくさを、私はそっと自分の頭に載せる。

 白詰草しろつめくさ花冠かかんだ。

 少し小さいかも、と思ったけれど、子供の私にぴったりだった。

 ちょうどそのとき、ぱたぱたという足音が近づいてきた。

「ミンウェイ! ミンウェイ! 見て見て! 見つけたよ!」

 走りながら叫ぶ声が、どんどん近づいてくる。あっという間に私の前に現れた彼は、走ってきたからか、あるいは興奮のためか、真っ赤な顔をしていた。

「見つけた! 四つ葉! 四つ葉のクローバー!」

 途中で落としたりしないよう、彼はそれを大切に両手で包んで持ってきた。そして、宝物を見せるかのように、そっと私の前で開く。

「……わぁ……」

 凄い、素敵。

 そう思うのだけれど、私はお父様以外の人と喋るのが苦手で、上手く言えない。でも、彼はちっとも気にせずに「凄いだろ!」と自慢げに胸を張った。

「あ! ミンウェイ! 花かんむりできたんだ! 凄いね!」

 私が何も言わなくても、彼は気づいてくれる。同じ五歳なのに、彼と私は、全然違う。

「ミンウェイ、綺麗だよ! 白い花と、ミンウェイのまっすぐな黒髪がよく似合っている!」

「え……」

「俺、初めてミンウェイを見つけたとき、花の妖精かと思った。でも今は、もっと綺麗だ。花の女王様だ!」

 あまりの褒め言葉に、私は真っ赤になってうつむく。

 一週間前に出会ったときから、彼はこうだった。人懐っこくて、すぐに友達になろうと言ってきた。そして、私のことを何故か凄く褒めてくれた。

「ミンウェイ」

 彼は私の手を取り、私の掌に四つ葉を載せた。

「え?」

「プレゼント。四つ葉の花言葉は『幸運』なんだろ?」

「う、うん……」

 花言葉は私が教えた。私が何も言わなくても彼はひとりで楽しそうに喋っていたけれど、それも何か申し訳なくて、頑張って自分から話した内容がそれだった。

「ミンウェイに四つ葉をあげたくて、一生懸命探したんだ。だから、受け取って!」

 彼は私に四つ葉を押し付け、ぱっと離れた。それから急にかしこまり、絵本の中の王子様のように片膝を付く。

「俺、四つ葉を見つけたら、絶対、言うって決めていた」

「?」

 低い位置から、まっすぐな視線が飛んでくる。怖いくらいに真剣な顔で、彼は私を見つめる。

「ミンウェイ、俺と結婚して」

「えっ!?」

「一目惚れだよ。出会った瞬間、運命だと思った」

「……っ」

「ミンウェイに花言葉を教えてもらって、面白いと思って、自分でもいろいろ調べた。そしたら、四つ葉の花言葉って、ひとつだけじゃなくて他にもあったんだ。ミンウェイにも教えてあげる」

「!」

 私は、それも知っていた。

 けれど、口にするのが恥ずかしくて言えなかったのだ。

「『私のものになって』だって。それを知ったとき、やっぱり運命だと思った! ねぇ、ミンウェイ、俺と結婚して。俺のものになって! 俺、絶対、ミンウェイを幸せにする!」

 彼は、まったく照れることなく、きらきらとした目で私を見る。嬉しくてたまらないといった表情で、期待に満ちた顔で、私を見つめる。

「…………」

 どうしたらいいのか、分からなかった。

 こんなことを言われるなんて、思ってもみなかった。

「駄目……?」

 返事をしない私に、いつも元気な彼の声が力なくかすれる。打ちひしがれ、しぼんでいく彼の顔に、私は心が苦しくなる。

「私とあなたは、違う……もの」

 やっとそれだけ言えた。

 すると、彼はぱっと立ち上がり、私にぐぐっと迫る。

「俺が貴族シャトーアだから!? 関係ないよ! だって俺、愛人の子だし。母さん、平民バイスアだし」

 でも、彼は貴族シャトーアの跡取りだ。

 彼は、とある貴族シャトーアの当主がメイドに産ませた子供で、正妻との間に男子がいなかったため、つい数ヶ月前、正式に貴族シャトーアの家に迎えられたのだ。

 このあたりは貴族シャトーアや裕福な商人たちの別荘地で、彼はそんな別荘のひとつで教育係たちと暮らしている。就学年齢になる前に、なんとか体裁を整えようと、付け焼き刃の礼儀作法を叩き込まれているらしい。

 そんな窮屈な生活の中、気分転換にと別荘を抜け出したとき、彼は私を見つけた。以来、勉学に励むことを条件に、彼は午後の自由時間を手に入れた。――彼を不憫に思った教育係たちが、こっそり彼を甘やかしてくれたのである。

「俺の婚約者だという女に会った。俺より五歳も年上の、高慢な女だった。俺のことを子供だと見下していた! 俺の運命は、あんな奴じゃない!」

「……」

「俺は、俺の父親みたいな最低な男にはならない。俺には、ミンウェイだけだ! 俺は大きくなったら貴族シャトーアの家を出る」

「……」

「そして、ミンウェイのお父さんみたいな大商人になって、必ずミンウェイを迎えに行く!」

 このとき、お父様は近くの別荘を借りていて、私は商人の娘ということになっていた。

「ねぇ、ミンウェイ……。俺のこと、嫌い?」

 すがるような目で、彼が私を見る。

「……嫌いじゃ、ない」

 それは本心だ。彼のことは嫌いではない。凄いと思う。――私とは、違う世界の人だと思う。

「じゃあ、貴族シャトーアが嫌い?」

 私は、こくりと頷いた。

「……貴族シャトーアは嫌い。……だいっきらい……」

 貴族シャトーアは、自分の利益のために、他人を犠牲にすることをいとわない。最低な生き物だ。

 ――でも、私はもっと、最低だ……。

 私は唇を噛み、うつむいた。

 なのに、彼は笑った。嬉しそうに笑った。

「それなら、俺が貴族シャトーアをやめて商人になれば、ミンウェイは俺と結婚できるね! 待っていて、必ず迎えに行く。誓うよ!」

 そして彼は、驚いている私が身動きを取れないうちに、私の唇に口づけた。

 あっという間の出来ごとだった。

「約束するよ!」

 そう言って、彼は私を抱きしめた。



 別れ際、初めて上手く作れた白詰草しろつめくさの花冠を、私はそっと彼の頭に載せた。

 彼に渡すのにふさわしいのか迷ったけれど、それしか渡せるものがなかったのだ。

 白詰草しろつめくさの花言葉は、四つ葉と同じく『幸運』。

 それから、『約束』『私を思って』。

 そして……。


 

 それが、彼と会った最後だった。

 次の日、私はお父様に連れられて、別の街に引っ越した。



 その後、彼が私を迎えに来ることはなかった。

 彼は、死んだからだ。

 医師の診断では、心臓に先天的な疾患があったとのことだった。すべもなく、あれから間もなく亡くなったという。

 苦しんで、死んだはずだ。

 苦しんで、苦しんで、死んだはずだ……。

 だって私が、お菓子に混ぜて、心臓の壁を溶かす毒を飲ませたのだから。



「ミンウェイ、何を泣いているんだい?」

 お父様が私の頭を撫で、抱きしめてくださった。

「あの貴族シャトーアの男の子のことかい? お前は本当によくやってくれた。私は薬を作れても、彼に飲ませることはできなかったからね」

 薬ではなくて、毒だ。

 お父様は商人などではなく、本当は凄いお医者様で、研究者。

 そして――暗殺者だ。

 貴族シャトーアお抱えの医師に、誤った診断をさせるほどの……。

「君が悲しむことはないんだよ、ミンウェイ。仕方ないんだ、自然の摂理なんだから。強いものが生き残る。か弱い『非捕食者』は、『捕食者』に喰われる運命なんだ」

 分かっている。

 前にも、お父様は教えてくださったから。

「今回は、あの男の子が『非捕食者』。そして、彼の父親の正妻が『捕食者』だったというだけだよ」

 娘しか産めなかった正妻は、愛人の子供である彼に、すべてを奪われそうになった。だから、暗殺を依頼した。

 彼を邪魔に思った正妻が、彼の排除に出ることくらい予測できたであろうに、彼のがわは充分な警戒を怠った。だから、喰われた。

 それだけのことだ。

 頭では理解している。けれど、私の頬を涙が伝った。


 彼を殺したのは、私だ。


 私が白詰草しろつめくさ花冠かかんに願った、彼に毒が効かないという『幸運』は訪れず、彼の『約束』は守られなかった。

 でも、たぶん。彼はずっと『私を思って』くれていたと思う。――死の直前の瞬間まで。

 ――そんなこと、しなくていいのに!

 私は、しゃくりあげ、お父様の胸にすがる。

「ミンウェイ、泣かないでおくれ。君の可愛い顔が台無しだ。私まで悲しくなるよ」

 そう言われて、私はどきりとした。

 お父様を悲しませるのは嫌だ。

 私が生まれたとき、お父様はたくさんたくさん泣いたと思う。お母様のお墓参りのときに、私には分かってしまった。

 だから私は、お母様の代わりに、お父様を喜ばせるのだ。

 お父様が望むことを、なんでもしてあげるのだ……。



 私は、お父様から〈ベラドンナ〉という名前をいただいた。

 私の名前だ。私だけの名前だ。

 嬉しかった。凄く嬉しかった。

 ベラドンナは、可愛らしい紫色の花を咲かせ、毒性を持つ黒紫色の実をつける植物。

 イタリア語で、『美しい貴婦人』。

 でも、それより、『運命を断ち切る女神』という意味の学名を持つことが、私にぴったりだと思った。



 白詰草しろつめくさ花冠かかんは、私には似合わない。



 彼のくれた四つ葉は、押し花にして栞にした。そして、姫と王子が出てくる、大好きだった絵本に挟んで封印する。

『幸運』の四つ葉と白詰草しろつめくさの花。

 四つ葉は、『私のものになって』。

 白詰草しろつめくさ花冠かかんは、『私を思って』。

 交わした『約束』は、永遠の愛であったはず――。

 それが裏切られたとき、四つ葉と白詰草しろつめくさの花が共に持つ、最後の花言葉に変わる。


 ――『復讐』

 

 私はきっと、白詰草しろつめくさの呪いを受ける。

 そうでなければ、許されない。

『幸運』を殺した私は、決して幸せになってはいけないのだから……。

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