三眠蚕の貴公子-1

三眠蚕さんみんさん

 通常の蚕は、四回の脱皮のあとに繭を作る。しかし、三眠蚕さんみんさんと呼ばれる蚕は、三回の脱皮のみで繭を作り始める。

 三眠蚕さんみんさんから取れる糸の太さは、一般的な絹糸の半分ほどである。繊細で扱いが難しく、高い製織技術が必要とされるが、三眠蚕さんみんさんから作られる絹布は、それを押して余りある比類なき美しさを誇る。

 滑らかで透き通るような光沢は、見る者の心を奪い、軽くてしなやかな風合いは、まとう者を夢見心地へといざなうのだ――。



 特別なお客さんが来るのだと、一週間も前からうちは大騒ぎだった。

 相手は貴族シャトーアだという。

 貴族シャトーアのお客さんなら、祖母上が仕立ての仕事を数多く請け負っている。けれど、たいていは先方へと出向くし、そうでなければ街の店舗で採寸をする。

 うちに来るのは個人のお客さんではなく、専ら父上に商談を持ってくる他所の会社のお偉いさんだ。そして彼らは貴族シャトーアではなく、平民バイスア貴族シャトーアの経営者もたまにはいるけれど、うちには来ない。自分の家に父上を呼びつけるか、何処かの高級料理店あたりに場を設ける。

 だから、我が家に貴族シャトーアが来るのは、初めてのことだった。

 別に私は、貴族シャトーアだからといって、偉いだなんて思わない。

 私は時々、舞い手の母上の付き添いで王宮に行くから、貴族シャトーアなんて見慣れている。直接、王族フェイラを見ることだってある。――彼らが平民バイスアをどんな目で見ているかも知っている。

 そんなわけで、当日の今日になるまで、私はそのお客さんにまったく興味がなかった。父上のお客さんが来るときは、いつもそうしているように、相手が帰るまで自分の部屋でおとなしくしているつもりだった。

 それが、ついさっき、事態が変わった。

「なんで、その貴族シャトーア、曽祖父上の紹介状なんか持ってくるわけ!?」

 私の曽祖父は、泣く子も黙る大華王国一の凶賊ダリジィン、鷹刀一族総帥の鷹刀イーレオ。

 ひとことで言えば『大物』だ。

 叫ぶ私に、母上は更に驚愕の上乗せをした。

「イーレオ様だけじゃないぞ、エルファン様のお口添えもある」

「――っ!? いったい、そいつ何者よ!」

 唖然とする私に、母上がにやりとした。

「おっ、クーティエ。見事な間抜け面だな」

「なっ!」

 私は真っ赤になって頬を膨らませた。母上は私の驚く顔が見たくて、こんな重要なことを黙っていたのだ。

 ――曽祖父上ならノリで紹介状を書いてくれるかもしれない。けど、祖父上は簡単には動かない人だ。ちょっと信じられない。

 いや、そもそも、父上に仕事を持ちかけるなら、今までにうちと取り引きのあった相手に紹介してもらうのが普通だろう。それが、よりによって、『鷹刀』から!?

 父上は表向き、勘当されたことになっている。母上が剣舞を続けていく上で、凶賊ダリジィンであるのはまずい、ってことで一族を抜けたのだから、そのくらい当然だ。だから、我が家に『鷹刀』を持ち込むのは、ご法度であるはずだ。

 でも本当は父上も母上も、鷹刀の家を大事にしている。だから、曽祖父上や祖父上の紹介つてというのは、何よりも効果がある。そして、その貴族シャトーアは、それを理解しているということになる。

 いったい、どんな人物なのだろう?

 もっと詳しい話を聞こうとしたら、母上に邪魔だと言われた。もうすぐ到着の時間らしい。

 ここで食い下がっても意味はない。私は自力で、その貴族シャトーアを確認することにした。



 貴族シャトーアの顔を拝んでやるべく、私は外壁の上に登って待っていた。塀よりも高く伸びた木の陰に、そっと身を潜める。

 ほどなくして遠くからエンジンの音が聞こえてきて、門の前に黒塗りの車が止まった。

 スモークガラスで中は見えないけど、問題の貴族シャトーアに違いない。

 胸が高鳴る。

 曽祖父上が気に入った相手で、祖父上が利益があると認めた相手だ。――ひと癖ある、喰えない切れ者ってところだろうか?

 運転席から制服姿の運転手が降りてきた。ぐるりと後部ドアに回り、主人の貴族シャトーアために扉を開く。

 そして、まず一番に出てきたのは……。

 ――杖の先?

 老獪な狸爺タヌキじじぃタイプだったかと納得しかけたとき、私は車から降りてきた彼を見て、目を疑った。

「えっ!?」

 思わず、声が出た。

 その刹那、彼ではなく運転手から殺気がほとばしる――!

 運転手は振り向き、主人を背に守るようにして私がいる方向を睨みつけた。

 目付きの悪い凶相で、中肉中背の、どちらかといえば貧相な男。運転手の制服を着ていても、本業は違うことは明らかだ。

 目と目が合った。

 射殺いころそうとでもするかのような、鋭い三白眼。

 思わず体が引けてしまい、私はバランスを崩す――!

「……っ! え? ……きゃっ……!」

 そのまま道路に向かって、お尻からどしん……なんて、みっともないのは絶対に嫌!

 私は膝を曲げ、ふわりと綺麗に着地を決めた。

 かがんだ私の背の上を、ふたつの気配が抜けていく。むき出しの警戒心と、緩やかな微笑の息遣い――。

「彼女は違いますよ」

 耳に残る、柔らかなハスキーボイス。

 私に言っているのではない。彼が運転手を制したのだ。

 私は、ぱっと顔を上げた。彼は、どう見ても私より少し年上かな、ってくらいの……子供だった。

「あなたが『お客さん』……?」

 彼の全身を舐めるように見渡す。

 あとから考えれば、貴族シャトーアに対して無礼だと、難癖つけられても仕方ないような不躾な目つきになっていたと思う。でも、そのときの私にはそんなこと考える余裕はなかったし、彼も何も言わなかった。

 彼は、仕立ての良いスーツを完璧に着こなしていた。けれど、まっすぐには立てない。杖を持つ手に重心が寄っている。――足が悪いのだ。

「はじめまして」

 透き通るような極上の笑みが、彼からあふれ出た。なのに、その瞳は深い闇の色をしている。

 彼は、片足を庇うようにして私に近づいてきた。

「私は、藤咲家当主、藤咲ハオリュウと申します」

 杖を支えにしながらも、彼は優雅に頭を下げる。

 舞い手である私からすれば、杖に頼らなければならない彼の動きなど、気に留めるようなものではないはずだ。

 でも私の目は、彼の一挙手一投足を追っていた。

「失礼ですが、草薙レイウェン氏のご息女、クーティエ嬢でしょうか?」

「そ、そうよ」

 何故か、声が上ずった。

「ああ、やはりそうでしたか」

 ハオリュウが、にこやかに口元をほころばせると、華やぎが広がる。私とたいして変わらない子供のはずなのに、堂々たる風格を感じた。

 曽祖父上とは違う――でも、どこか通じる王者の威厳。

 私はとんでもない相手と対峙しているのだと、直感的に悟った。

「今日は、お忙しいあなたのお父様に、無理を言ってお時間をいただきました。お取り次ぎ願えませんか?」

「あぁ――!」

 彼の言葉の後ろのほうを、私はまともに聞いていなかった。重大なことにやっと気づいたのだ。

「藤咲って、鷹刀と協力した貴族シャトーアね!」

「ご存知でしたか」

「この前、ミンウェイねぇがうちに来て、いろいろ教えてくれたの。――あっ!」

 私は顔色を変えた。

 ハオリュウの足が不自由な理由も、彼がお父さんを亡くしていることも、私は全部、聞いていた。

 ミンウェイねぇが彼に何もしてあげられなかったと悔いていたことも、彼がすべてを背負うような形で事件を収めたことも、何もかも……。

 そして彼は、たった十二歳で孤独な当主となった。

 鷹刀の屋敷を去るときの彼は、出会ったときとは別人のようだったと、ミンウェイねぇは言っていた。

「あなたはミンウェイさんと仲が良いんですね」

 懐かしむかのように、彼が目を細めた。

 空気が、ふっと和らぐ。彼の瞳の闇が、少しだけ薄くなった。

「その顔のほうがいいわ!」

「え?」

「だって、さっきまでのあなた……」

 なんて言えばいいんだろう?

 彼は貴族シャトーアの当主だ。藤咲家は王家に連なる名家で、彼は女王陛下の再従姉弟はとこにあたる。たとえ子供でも、普通の人と同じじゃいけない人だ。

 彼の振る舞いは、彼の立場にふさわしかった。私は目を奪われ、心惹かれ……たぶん、萎縮した。

 ――それはきっと、寂しいことだ。

 ミンウェイねぇの話に影響されているんだ、って分かっている。けど、なんか悲しいな、って思う。

 言葉を詰まらせた私の顔を、ハオリュウがじっと見つめていた。再び闇が濃さを取り戻そうとしている。拒絶の黒だ。

「……『偉そう』だった」

 彼の心を引き留めようと、私の口をついて出た言葉は、そんなどうしようもなく失礼なものだった。

「……えっ?」

「だから、さっきまでのあなた、偉そうだったのよ!」

 彼は、驚いたように目を見張っていた。でも、言っちゃったからには、あとには引けない。

「父上に会うんでしょう? 父上は、偉ぶった子供なんか好きじゃないわ!」

 彼の表情が揺れた。彼の闇がふわっと緩み、溶けて淡く霞んでいく。

 私は、ここぞとばかりに畳み掛けた。

「だって、よく考えてよ。あなたのお異母姉ねえさんは、鷹刀の、ええと……」

 リュイセンにぃが『弟分だ』って言っている、あの人はなんていうんだっけ? 会ったこともない親戚だから、とっさに名前が出てこない。

「ルイフォンですか?」

 ハオリュウの声が、すっと声を挟み込まれた。

 その顔に、どきりとした。――優しげなのに、挑戦的。でも、何処か嬉しそう。

 だから、分かった。彼はルイフォンが好きなのだ。

 大事なお異母姉ねえさんを奪った男だから、勿論、単純に好きってわけじゃないと思う。

 だけど、きっと気持ちよく負けを認めた相手。悔しさはあるけど、心からお異母姉ねえさんを託したんだって分かる。

「――つまり! あなたは草薙うちとは親戚なの。そんなこましゃっくれた態度、よくないわ!」

 彼は孤独だけど、誰よりも人が好き。

 彼は孤独だから、誰よりも人が好き。

 お節介かもしれない。私なんかより、ずっと『凄い』人だって分かる。でも私は、彼を放っておけないと思った。

 私はまっすぐに彼の目を捉え、にっこりと、できるだけ可愛く見えるように笑った。

 彼は、初めは私の剣幕に押されていた。けど軽く目を伏せて、小さく何か呟いた。ちゃんと聞き取れたか自信がないけど、たぶん、こう言ったんだと思う。

「気負い過ぎていたな」

 そして彼は、ほんの一瞬だけ口の端を上げた。

 それは華やかな笑みではなくて、きつくて強くて鋭くて。人当たりの良さをかなぐり捨てた、彼の素顔。

 ――本当はそんなに、愛想のいい人じゃないんだ。

 でも、ずっと自然で……格好いい。

「ようこそ、我が家へ」

 家に向け、私は舞うときのように、ぴんと手を伸ばす。重い直刀を持っているわけでもないのに、私の腕は小刻みに震えていた。

「ありがとうございます」

 今までとは少しだけ違う、優しい彼の微笑み。

 彼が、杖をつく。

 柄を握る手が、きらりとした。なんだろう、と思って目を凝らすと、貴族シャトーアの当主の証である指輪が、陽の光を弾いて輝いていた。

 ――き、気にしない。気にしないことにする!

「案内するわ!」

 吹っ切るように、私は元気よく叫んだ。


 ……そういえば、彼がなんの用で来たのか、私はまったく知らなかった。

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