2.鉄錆色に潜む影-1

 強引に場を収めたとはいえ、指揮官の指示がなければ警察隊は動けない。隊員たちは、しばらくは無為に庭に立ち尽くすしかないだろう。

「警察隊の指揮官のいる場所に案内してください」

 ハオリュウは、ずっと付き添ってくれていたミンウェイを振り返った。

 ルイフォンに対しては無視である。それでいて、あからさまな敵意を放ってくるので、ルイフォンは不快げに「おい」と声を掛けた。

「ああ、あなたも一緒に来てください。異母姉の想い人ということになっていますから。そういう『演技』で」

「ハオリュウ!」

 メイシアが声を上げる。それは非難か叱責か狼狽か。彼女自身にも分からなかったに違いない。

 ハオリュウは異母姉にちらりと目をやると、ルイフォンに近寄り、周囲を気にしながらも、はっきりと言った。

「貴様……鷹刀ルイフォン、だったな。公衆の面前で僕の姉様に、はしたない真似をさせた罪、いずれ後悔させてやるからな!」

 まだ低くなりきれないハスキーボイスが、精一杯のどすを利かせる。

「ハオリュウ! あれは、私が勝手に……! ルイフォンには言ってなかったの!」

 メイシアが真っ赤になって叫び、目を吊り上げたハオリュウの服を引っ張る。

 小賢しい口を利くハオリュウ。しかしそれよりも、ルイフォンは、顔を赤らめ、異母弟に向かって真剣に怒り、焦る――自然な表情を見せるメイシアを可愛いと思ってしまった。

 ルイフォンの口元に笑みが浮かぶ。瞳に、猫のようないたずらな光が宿った。

「ハオリュウ、俺は後悔なんてしないぜ?」

「なっ!?」

 ルイフォンの予想外の反応に、ハオリュウは驚きの目を向けた。

「俺はメイシアのキスを後悔なんてしない。それでお前の報復が来るっていうなら、受けて立つ」

「ル、ルイフォン!?」

 メイシアが更に顔を赤くする。

 ルイフォンは、そんな彼女の頬に口づけ、慌てる彼女に余裕たっぷりに笑いかけた。穏やかで大らかで、抜けるような青空の清々しさ。自信に満ちた優しい風が彼女を包み込んだ。

「き、貴様……!」

 ハオリュウが唇をわななかせる。論争なら大人にも引けを取らないはずの彼が、怒りが先走りすぎて言葉も浮かばない。

「それより。今は行くべきところがあるだろ」

 掴みかからんばかりのハオリュウを、ルイフォンが冷静なテノールが押しとどめた。

「指揮官のところだな。案内するぜ」

 癖のある黒髪を翻し、ルイフォンが歩き始める。そのあとを、メイシアが「待ってください」と、軽やかに追いかけた。

 取り囲んでいた群衆の中から、凶賊ダリジィンたちの冷やかしが上がり、ルイフォンがメイシアを抱き上げてそれに応える。メイシアの可愛らしい悲鳴と共に、拍手喝采が沸き、ふたりを通す道が作られた。

 ハオリュウは唖然として、口を半開きにしたまま言葉を失っていた。

「ハオリュウさん」

 干した草の優しげな香りが、ふわりと漂う。波打つ長い髪がハオリュウの頬に触れ、彼はどきりとした。ミンウェイが足音もなく、すっと彼の横に現れた。

「ルイフォンが生意気を言って、すみません」

「彼は何者ですか?」

「総帥イーレオの末子で、昨日、メイシアさんが屋敷に来てから仲良くさせていただいている者です」

「仲良く……?」

「あ、いえ……」

 ハオリュウの顔が険を帯びるのを見て、ミンウェイは慌てたように口元を抑えた。彼女は、可愛い叔父様が『面白いことになっている』のを密かに応援しているのだが、異母弟のハオリュウにとっては、とんでもないことだろう。「ともかく参りましょう」と、取り繕うように促した。

「ミンウェイさん、あとで事情をお聞かせ願えますか?」

 隣を歩きながら、ハオリュウはミンウェイを見やった。彼としては悔しいことに、子供の彼よりも彼女のほうが背が高く、『見上げる』形になる。

 そして、意識してのことではないのに、光沢のある緋色の絹地に色濃く影を落とす双丘が目に入る。豊かに揺れるその中に、さきほど抱きとめられたことを思い出し、彼は顔を赤らめた。

「俺としても、いろいろと事情を説明してもらいたいね」

 リュイセンが、苛立ち混じりの低い声で、ミンウェイとハオリュウの間に割って入ってきた。

 彼は、あからさまに不快気な視線をハオリュウに向けると、「ふん」とばかりに顔を背けた。この貴族シャトーアの餓鬼とミンウェイが、どういう経緯で知り合ったのか分からぬが、当然のように行動を共にしているのが気に食わない、との思いである。

 しかし、一方のハオリュウは「あ、あなたは……」と顔色を変えた。

 彼は、リュイセンの中性的な黄金比の美貌を見つめ、次に筋肉質の雄々しい体躯に羨むような目を走らせると、深々と頭を下げた。

「異母姉が危険なところを助けていただき、ありがとうございました」

「は?」

 毛嫌いしている貴族シャトーアのまさかの言動に、リュイセンは鳩が豆鉄砲を食らったような表情になった。

「あなたが凶賊ダリジィンでなければ、護衛として是非、我が家に迎えたいところです」

 本当に残念です、と真顔で言われ、リュイセンは救いを求めるようにミンウェイに視線を向ける。しかし、彼の従姉は、すべてを見透かしたような笑みを浮かべながら、「リュイセン、光栄ね」と綺麗に紅の引かれた唇を動かしただけであった。



 一方、そのころ執務室では、指揮官が顔を紫に染め上げていた。

「指揮官殿、同情いたしますよ」

 低く魅惑的な、笑いとつやを含んだ声が掛かった。桜の舞台がお開きになったため、ベッドに戻ったイーレオである。

貴族シャトーア令嬢が親御さんに反発して家出……それだけで動員される警察隊の方々は、いい迷惑ですねぇ。ただ、まぁ、これも娘可愛さゆえ。お仕事だと思うしかありませんな」

 イーレオがのんびりとした調子で、部屋の中まで迷い込んできた桜の花びらを手に取る。

「……貴様、貴様ぁっ!」

 何がどうなっている!?

 指揮官は混乱していた。

 貴族シャトーアの娘の言ったことは嘘だ。彼女と凶賊ダリジィンの男は初対面だ。恋仲などではない。

 なのに、いつの間にか身分違いの恋物語になっている。鷹刀一族も藤咲家の者も、示し合わせたように、ひとつの芝居を作り上げている。

 いったい、これはどういう状況だ? ――指揮官は、決して豊かではない毛髪を、惜しげもなく掻きむしる。

 彼が金袋とともに請け負った仕事は、鷹刀イーレオを誘拐犯として捕らえる、というものだった。その後、それは誘拐殺人犯に変更された。死体はジャガイモの布袋に入れて届けると、出動直前になって通告された。

 たった、それだけの、簡単な仕事のはずだった。

 勿論、鷹刀一族は大華王国一の凶賊ダリジィンであり、そこらのチンピラとは格が違う。

 だから、逮捕の際に凶賊ダリジィンたちが大暴れすることを危惧して、斑目一族の猛者も貸し与えられた。すなわち、彼の背後、出口を塞ぐように壁際にずらりと立ち並んだ大男たちである。

「お、お前ら……」

 指揮官が震える声を絞り出し、男たちを振り返った。

「鷹刀イーレオを討ち取れ!」

 手ぶらで帰ったら殺されるに違いない。

 だが、鷹刀イーレオの首級を上げたなら?

 斑目一族にとって、鷹刀一族は邪魔な存在だ。

 逮捕して投獄、などという生ぬるいことより、殺害してしまったほうがよいではないか!

 指揮官は叫ぶ――その顔にはもはや、警察隊員としての誇りなど微塵もない。

「この部屋には、鷹刀イーレオと護衛がひとり。そして、私とお前たち、それだけしかいない。いわば、密室だ。この中で何が起きても、誰も分からない――私がどうとでも誤魔化してやる!」

 彼は額の汗を拭った。

 うやむやのうちに、この誘拐劇を終わらせるのだ。警察隊を押さえつける貴族シャトーアの指輪を持った子供が、ここにたどり着くよりも前に……!

「チャオラウ」

 イーレオが護衛の名を呼んだ。呼ばれたほうは「はい」と言いながら、ベッドの主人を庇うように寄り添う。

 だが、そんな緊迫感を粉々にするように、イーレオは眼鏡の奥の目を細めた。目元に笑い皺が寄る。

「彼らは、凶賊ダリジィンとして俺に向かってくるのかな? それとも警察隊としてかな?」

 一族の総帥である彼が、自分の身の危険を目前にして楽しげだった。その瞳は、晩ごはんのメニューに期待を寄せる子供である。

「イーレオ様?」

凶賊ダリジィンとしてなら、相応に相手をしてやらんと……。面子があるからな」

 イーレオが、にやりと嗤う。

 チャオラウは、顎の下に伸びた無精髭が吹き飛びそうなほど、深い、深い溜め息をついた。いくつになっても、この人は変わらない、と言わんばかりに。

「……残念ながら、警察隊として、でしょうな。それに、凶賊ダリジィンとしてだったとしても、あなたの出番はありませんよ?」

「ほぅ? 何故?」

「私がおりますからね」

「優秀な部下を持つというのは、つまらんな……」

 まるきり駄々っ子の言い分である。

「ともかく。彼らは『警察隊』です。凶賊ダリジィンの義を通してやる価値はありません」

 その場の雰囲気をぶち壊しにする主従のやり取りに、指揮官は苛立ちを募らせていた。顔を真っ赤にして、背後の男たちに「れ!」と、怒鳴り散らす。

 男たちは、どいつもこいつも、ひと癖ありそうな面構えをしていた。指揮官よりも遥かに上背が高く、丸太のような腕をしている。

 横幅だけは立派な指揮官が、当然のように偉ぶって大男たちに命令する。滑稽な情景であったが、本人だけはそれに気付いていなかった。

「鷹刀の総帥の首を上げれば、お前たちの総帥もさぞ喜ぶだ……」

 指揮官の言葉が途中で止まった。

 彼は、突然、自分の脇腹に走った鋭い熱に、疑問を持った。地獄の業火にかれるような熱さ。

 ――それが熱さではなく痛みだと気付いたとき、彼は信じられない思いで、自分の脇腹に手を当てた。そこからは赤黒い液体があとから、あとから流れ出ていた。

 驚愕と憤怒がないまぜになった顔で、その痛みをもたらしたナイフと、その所有者を見る。

「な、ぜ……?」

「私たちは、『あなたの』監視役だったんですよ」

 その声は耳元で聞こえた。離れた壁際に立っていたはずの大男のひとりが、すぐ隣りにいた。

「私たちの目的は『鷹刀イーレオの身柄の確保』です。誘拐犯が駄目なら、指揮官傷害の現行犯逮捕でよいでしょう」

 ナイフに付着した血糊を、指揮官の制服の肩で拭い取り、男は涼しい顔で言った。頬から首筋にかけて、生々しい傷跡のある巨漢である。

「どうい、う……意味……だ?」

「頭が悪いですね」

 巨漢はわざとらしく溜め息をつく。

「あなたの存在は、『貴族シャトーア令嬢誘拐事件』が成立しなかったときの保険だったんですよ」

「……! 『八百屋』が……、失敗した……ときの、手、というのは……?」

 貴族シャトーアの娘を替え玉と言い張って殺害しようとした、あの男のことではなかったのか? ――指揮官の頭が混乱する。

「『八百屋』の失敗も含め、何らかの事情で『誘拐』が否定されたときの、別の罪状を用意しておいたんですよ。『日頃から警察隊といがみ合っている鷹刀イーレオが、些細なことで指揮官と口論になって襲いかかってきた』――『指揮官傷害事件』をね」

「あの娘、が……、替え玉、というのは……?」

 指揮官は、濁った目で巨漢を見上げた。

「あの娘は『誘拐』が嘘であることを知っています。それでも『誘拐』されたとして助け出される気があるのなら、それでよし。けれど、邪魔をするようであれば、替え玉として始末するように指示を出しておいたんです。貴族シャトーアの権力は厄介ですからね。迂闊に斑目の名でも出されたら面倒です」

 結果として、彼女の言動は、まったく予想外の方向に行き、斑目一族の名前は出なかったのであるが――。

「……っ!」

 指揮官は目眩を感じた。体を支えるものを求めて、右手が空を切る。出血がおびただしい。

「急所は外してあります。少々痛いかもしれませんが、命に別状はありませんよ」

 粗野な外見に反しての、巨漢の慇懃無礼な口調。

「あなたが死んだら、鷹刀イーレオの罪を告発する者がいなくなってしまいますからね」

「き、貴様……」

 指揮官は男に掴みかかろうとするが、憤りよりも痛みが上回った。脂汗を流しながら、その場に膝を付く。意識を保っているのもままならない。

 そんな指揮官を鼻で笑い、傷跡の巨漢の目線が、チャオラウを通り越してイーレオに向かう。

「鷹刀イーレオ、指揮官傷害の現行犯で逮捕します」

 巨漢がナイフを懐にしまい、代わりに手錠を出してくる。

 それに対し、イーレオは慌てる様子もなく苦笑した。

「おいおい、指揮官殿は今、俺の目の前で、お前のナイフに刺されたぞ?」

「いいえ。指揮官がそのように主張すれば、これはあなたの罪になります」

 そう言って巨漢は、まだ新しい頬の刀傷が、ぱっくりと開きそうなほど、醜く顔を歪ませる。

「随分と勝手な言い草だな」

「それが世の中というものですよ」

 彼が、さっと手を上げると、壁に並んだ大男たちが、一斉にイーレオに銃口を向けた。

 イーレオの目元から、すっと笑みが引いた。細身の眼鏡の奥の目が、冷たい海の色になる。彼は節くれだった長い指先で、さらさらとした自らの黒髪を掻き上げると、「チャオラウ」と、護衛の名を呼んだ。

「その男を捕まえろ」

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