2.風雲の襲撃者-1
「そこをどけ、鷹刀ルイフォン」
ルイフォンの目前に迫る刀身――だが、タオロンは大刀をルイフォンに向けたまま、視線をすっとずらす。鋭利な刀尖はルイフォンを越え、その後ろのメイシアを狙っていた。
「俺は、藤咲メイシアの死体が欲しいんだ」
ルイフォンの顔に衝撃が走り、メイシアの瞳が大きく見開かれる。血の気の失せた彼女の唇から「どうして……?」と、小さな呟きが漏れた。
「悪ぃな。詳しいことは言えねぇ。ひと思いにやってやるから、許せ」
太い声で、さらりとタオロンが言う。
ルイフォンは凄みのある眼光を放ちながら、外敵を前にした獣のような呻きを発した。だが、ルイフォンが次の行動を取るよりも先に、タオロンの背後にいる男のひとりが大きく声を荒らげた。
「正気ですか、タオロン様!? こんな上玉を何もせずに殺しちまう気ですか!」
ぎらつく目玉で、ひとりの男がタオロンに食ってかかった。殺気にも近い怒気が溢れ、目上であるタオロンに今にも抜刀しそうな勢いである。
隣にいた男が、先走った仲間の口を慌てて塞いだ。そして、もごもごと暴れる男を押さえつけながら、反対側の隣の男に目配せをする。合図された男は、揉み手をしながらタオロンの前に躍り出た。
「へへ、ご安心を。汚ぇことは全部あっしらにお任せください。タオロン様だって、しばらくご無沙汰ですよね?」
涎でも垂らしそうな下卑たにやけ顔でタオロンに擦り寄ると、残りの男たちも尻馬に乗るように続いた。
「ひとこと下さるだけで、いいんです。そしたら、俺らがあの女とっ捕まえて裸にひん剥いてやりますよ。あぁ、勿論、最初はタオロン様です。俺らはあとでいいんで」
「
男たちが、口々に欲情の言葉を口走る。その荒い吐息と雄の獣の舐めるような視線に、メイシアの全身の産毛が逆立った。
ルイフォンがメイシアを庇うように、前に一歩出る。
「うるせぇっ!」
大気を揺るがすようなタオロンの一喝が、男たちの鼓膜を打ち破った。
振動で大地までもが震えたかのように、男たちがよろけ、後ずさる。
「ごちゃごちゃ言うんじゃねぇ! テメェらのボスは誰だ! あぁ!? 汚ねぇ下衆な真似は、この俺が許さねぇ! 死にてぇ奴は言え! ブチ殺してやるからよ!」
唾を飛ばすタオロンを、ルイフォンはじっと見据える。
――斑目タオロン。悪逆無道な斑目一族の直系。血気盛んな若い衆をまとめる実力者。
だが、目の前の本人は、情報とはやや印象が異なった。
メイシアを守る立場のルイフォンとしてはありがたいことだが、冷静に判断して、いずれにせよ同じ殺害という結末に至るのなら、手下たちを満足させておくほうが賢い。それを敢えて、禁じるのは正義馬鹿だ。
興味深い奴だ、とルイフォンは思った。この男が斑目の名を持っていなければ、親しく付き合ってみたいところだ。
内輪もめをしている敵に、ルイフォンは平静を取り戻した。敵の技量は確かであろうが、彼らは歩調があっていない。付け入るならそこだ。
さて、どうしたものか――ルイフォンが猫のように、すっと目を細めたとき、一番後ろにいた男が動いた。
「〈
男たちがどよめく。
音もなく、ゆらりと前に進み出たその男は、白髪混じりの頭髪をしていた。周りの者たちより、ふた回りは上だろう。ただひとりサングラスを掛けており、すらりと背が高い。一見して、特殊な立場の者と分かるにも関わらず、今までまるで存在を感じさせなかった。
異質な雰囲気を放つこの男に、ルイフォンは胸騒ぎを覚える。
〈
「お優しいことですね」
嘲笑を含んだ低い声に、タオロンは不快感もあらわに太い眉を寄せる。
「私にはまるで理解できませんが、私はしがない食客の身ですから協力しますよ?」
「〈
タオロンが疑問の目を向ける。
「未練たらしい部下が見ていては、あなたもやりにくいでしょうから、私は部下たちを連れて、車のところで待っていますよ」
そう言って、〈
〈
「まさか、あなたの腕で逃がしてしまうなんてことは……ありませんよね?」
タオロンと〈
それを見て、ルイフォンは両者の関係を垣間見た気がした。
〈
「ああ。すぐに終わらせる」
タオロンの太い声が、無駄に大きく響き渡った。
〈
「……藤咲メイシア。運がなかったと諦めてくれ。お前が鷹刀に囚えられたままだったら、良かったのに……」
「どういうことですか?」
声を上ずらせながらも、メイシアが言葉を返した。内気そうな
「すまねぇなぁ。そいつは言えねぇや」
タオロンは大刀を構えた。厳つい手が力強く、ぐっと柄を握りしめるのが、筋肉の動きで知れる。その刃の存在感ある煌めきに、メイシアの背筋が凍った。
ルイフォンが、応じるように懐からナイフを出し、無言のまま鋭く睨みつける。
それに対し、タオロンは正眼で見据え、ゆっくりと言い放った。
「……どいてろ。俺は無益な殺生をしたくねぇんだ」
両者の体格も違えば、武器のリーチも圧倒的に違う。端から勝負になるはずもない。
しかし、ルイフォンはきっぱりと言い切った。
「俺は、こいつを守る」
ルイフォンは体勢をやや低くし、構えた。
「……そうか」
視線と視線が絡み合う。
突如、タオロンは大刀を振りかざし、ルイフォンに向かって一直線に走りだした。
速い――メイシアは息を呑んだ。ルイフォンとタオロンの戦闘力差は明らかだ。
だが、決して邪魔をしてはいけない。悲鳴ひとつだって、足手まといになりかねない。
傍観者でいることの恐怖と闘いながら、彼女はふたりの動きを追う。
ルイフォンは、鋭い視線で正面を見据えていた。ナイフを構えたまま、ぴくりとも動かない。
大刀が、ルイフォンに迫る。
このままでは……、そうメイシアの心臓が震え上がったとき、ルイフォンの眼球が一瞬だけ、上を向いた。
刹那。
ルイフォンは右腕を引き、力一杯、ナイフを投げた。
――斜め上に……。
ルイフォンから放たれたナイフは、ぎらりと陽光を反射させながら、銀色の軌跡を描き、空へと向かっていた。
ぱりーん、という硬質な高い音が響く。
硝子の街灯が、ナイフによって撃ち砕かれていた。
はっ、と状況を理解したタオロンは、自身の持つ優れた身体能力のすべてを使ってブレーキをかける。
「逃げるぞ!」
叫ぶと同時に、ルイフォンは金色の鈴を翻し、メイシアをふわりと抱きかかえた。彼女の戸惑いも構わずに、路地裏へとさらっていく。
たたらを踏み、すんでのところで留まったタオロンの鼻先を、ぱらぱらと虹色の光の欠片がかすめていく。
見た目の美しさとは裏腹な、冷酷な刃の万華鏡。
地に落ち、繊細な響きを打ち鳴らして、粉々に散り乱れた。
「やってくれるじゃねぇか……」
足元に広がる鋭利な紋様を前に、青ざめながらも、タオロンは微笑んだ。
一方、路地に逃げ込んだルイフォンは、上目遣いに訴えかけられていた。
「あの……、降ろしてください……」
毅然と振る舞ってはいるが、メイシアの唇の色は薄く、小刻みに震えていた。汗でしっとり濡れた掌は、無意識のうちにルイフォンの腕にしがみついている。相当に怖い思いをしたのだろう。
ルイフォンはこのまま抱きかかえていたい衝動にかられたが、じっと見詰められていてはそうもいかない。名残惜しげにメイシアの髪に顔を埋めると、彼女は「きゃっ」と、小さな悲鳴を上げる。再び抗議される前に、すばやく彼女を解放した。
メイシアの頬は朱に染まり、いつもの自然な表情が戻っていた。ルイフォンは微笑を漏らした。
「行くぞ」
そう言って、彼は歩き出す。
ふたりの目的は、迎えの車が来るまで自分たちの身を守ること。無駄に戦う必要はない。タオロンには悪いが、付き合ってやる義理はないのだ。
できればこのまま、どこかに隠れて遣り過ごしたい――ルイフォンは周囲を見渡す。
少し先の建物の扉が、半開きのまま、ぎぃぎぃと風に揺れていた。
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