4.鳥籠の在り処-1
「ルイフォン、どうして……?」
メイシアは状況が分からず、ただ唖然とルイフォンを見つめていた。そんな彼女に、ルイフォンが、表情を緩め、ばつが悪そうな笑みを見せる。
「心配かけて悪かった。実は、あの茶杯には、睡眠薬なんか入っていなかったんだよ」
「え?」
「この部屋に入る前、スーリンがメモをくれた。『シャオリエ姐さんから、ルイフォンに睡眠薬を盛るように言われたけど、入れないから。あとはルイフォンに任せる』ってな」
きょとんとするメイシアの脳裏に、スーリンのくるくるのポニーテールが蘇る。ルイフォンに冷たい態度を取られた彼女は、別れ際に『シフト表』と言って、ルイフォンに紙片を渡していた。あれはスーリンからのメッセージだったのだ。
「それより、メイシア! なんで、毒なんか飲むんだよ!」
ルイフォンが鋭い視線をこちらに向け、怒気を孕んだ言葉でメイシアを貫いた。癖のある前髪が、彼の深い憤りを具現化したかのように乱れていた。
「すみません……。そうすれば、シャオリエさんに、鷹刀にいることを認めてもらえると思ったので……」
「だからって……!」
ルイフォンのまっすぐな瞳に、メイシアは次の言葉を言うのをためらった。……しかし、言わないわけにもいかない。
「ルイフォン……、ごめんなさい。これは……、賭けだったんです」
「賭け……?」
「……絶対に自信があったわけではありませんが……たぶん、あれは毒杯ではなかったと思うんです。いえ、あの、初めは毒だと信じていたんですけど……」
「な……!?」
ルイフォンが口をぱくぱくとさせるが、言葉にはならない。そこに、シャオリエが追い打ちをかけた。
「あらぁ、やっぱり、ばれていたのね。そうよ、あれは、ただのお茶よ」
「な……んだ、と……!」
この感情の矛先はどこに向ければいいのだろう、とばかりに、ルイフォンが、わなわなと体を震わせる。そんな彼にナイフを当てられたままのシャオリエが、口角を上げた。
「私はひとことも、毒だなんて言っていないわよ。ただ目線を動かしただけ。メイシアは変に鋭いから、それで毒と思い込ませるのは簡単だったわ」
そう得意げに言ったが、すぐに不服そうな顔になって、メイシアを見やった。
「でも、ばれたのよね。どうして分かったのかしら?」
「出された茶杯を飲むタイミングは、私に委ねられていたから、です。出されてすぐに口を付けたかもしれませんし、話の途中でいただいたかもしれない。もし、シャオリエさんが本当に私を毒殺したいのなら、どのタイミングで飲んでも構わないわけですが、その場合はこれが毒杯であることを匂わさず、私が飲むまで黙っているはずなのです。――だから、シャオリエさんには私を本気で殺す意思はないし、この茶杯には毒は入っていない、そう思ったのです」
ほぅ、とシャオリエから感嘆のため息が漏れた。
「なるほどね。お前の思考パターンは面白いわ。非常に論理的。たいていの人間は、まず相手を疑うことから嘘を見抜くけど、お前は状況の矛盾から嘘を見抜くのね」
「……毒杯と言う話は、私が初めに口を付けなかったから、途中で思いついた嘘なのではないですか?」
メイシアの言葉に、シャオリエは口を半開きにしたまま動きを止めた。
「あらぁ……。お前、本当に……怖いくらいに敏いわね。……そうよ、その通りよ。私が『お前を排除する』と言ったら、お前は『殺される』という顔をしたから、つい、調子に乗っちゃって、ね?」
「じゃあ、なんだよ? 俺は何も入っていない茶杯に振り回された道化かよ……!」
ルイフォンは悪態をつくと、凶器を懐にしまい、金色の鈴を煌めかせながら、ひらりとメイシアの隣の席に舞い戻った。
ナイフから解放されたシャオリエは、ふぅ、と息をついた。もっとも、ちっとも脅えていたようには見えなかったので、それはただのポーズだろう。
「でも、私がメイシアを排除したい気持ちに変わりはないわよ」
「まだ言うのかよ」
「勘違いしないで。私はメイシアを『殺害』したいわけじゃないわ。『排除』よ。鷹刀から出ていって、厳月家の三男と大々的に婚約発表でもしてほしいわ」
「なんだよそれ!?」
ルイフォンが声色に剣呑な響きを載せる。
一方、メイシアは、しばし押し黙って、シャオリエの思考を読み解いた。
「……私が助けを求めた先は鷹刀一族ではなく、厳月家だった、ということにするわけですか?」
「さすが。察しがいいわね」
シャオリエが喜色をあげた。
「そう、お前は、鷹刀とは何の縁もなかったことにするの」
じっとこちらを見据えるシャオリエのアーモンド型の瞳に、メイシアは吸い込まれそうになる。
「一族のために毒杯を飲む勇気があるのなら、一族のために一族を離れる決意だってできるはずよ」
イーレオのために一族を離れたシャオリエの言葉には、抗いがたい力強さが宿り、メイシアの首を縦に振らせようとする。
「シャオリエ! 好き勝手言うな」
ルイフォンが怒声を飛ばした。
「あら、ルイフォンだって、今朝、『メイシアは外に出すべき』と、イーレオに進言したそうじゃない?」
「あれは、メイシアが鷹刀と斑目の抗争に巻き込まれただけの、被害者だと思ったからだ。……って、そんなことまで筒抜けなのか」
「私に隠しごとができると思って?」
「糞っ……! 本当に、やな奴だな」
メイシアは、そんなふたりのやり取りを、どこか遠くから眺めているような気がしていた。視界にうっすらと靄がかかっており、どこか現実味がない。
思えば、今まで生きてきて、自分で決めなければならないことなど、ひとつもなかった気がする。綺麗な箱庭の世界で、良くも悪くも迷うことなく、与えられたものだけで満足をしていた。否、与えられたもの以外の存在に、気づきすらしなかったのだ。
昨日、鷹刀の屋敷の高い外壁を見上げながら、これから自由のない鳥籠に入るのだと思っていた。けれど今、自分は本当に籠の中にいるのだろうか。今までの自分は、本当に籠の外にいたのだろうか。
鳥籠は――どこにあるのだろう。
「おい!」
不意に、ルイフォンの鋭い声がメイシアの思考を破った。
「出ていくことはないぞ。お前の居場所は、鷹刀だ」
「でも、イーレオ様が、私が招く厄介事を背負ってしまいます」
「親父じゃなくて、俺が背負えばいいだろ」
獲物を狙う猫の目が、まっすぐにメイシアを射る。
そして、不敵に笑う。
「――それとも、俺には無理だと言うのか?」
「ルイフォン……」
実家の藤咲家にメイシアの居場所はなかった。常に、どこか継母や異母弟への遠慮があり、自分は異端者にしか思えなかった。
胸が熱い。
「そんな言い方をされたら、私は鷹刀に残りたくなってしまいます」
はらり、と涙がこぼれた。
それを受け止めるかのように、ルイフォンがメイシアの肩を抱き寄せた。
「鷹刀にいればいいだろ。何かあっても、俺がなんとかするから」
彼は、彼女の長い黒髪をそっと撫でる。心配は要らない、安心していい、そんな声が聞こえた気がした。
「メイシア、返事しろ。鷹刀を出ていかないな?」
「……はい」
それを受けて、ルイフォンがシャオリエに向けて、にたり、と笑った。
「と、いうことだ。シャオリエ、残念だったな」
「あらぁ、仕方ないわね。……でも、面白いものを見せてもらったから、いいとしましょう」
シャオリエは満足そうに笑った。
「ひよっ子に何ができるか……。楽しみにしているわ」
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