1.猫の世界と妙なる小鳥-3

「本物は、写真より別嬪だな」

 トンツァイが椅子に腰掛けるなり、そう漏らした。ルイフォンは向かいに座りながら軽く相槌を打つ。そこでトンツァイの顔が険しいことに気づいた。

「何があった?」

「ああ、ホンシュアという仕立て屋の件で、な」

 歯切れの悪いトンツァイに、ルイフォンは眉をしかめた。目線で先を促す。

 トンツァイは「順を追って話すぜ」とルイフォンに向き直った。

「まず依頼の件、ホンシュアと斑目の関係についてだ」

 言いながら、彼は一枚の写真を出した。ルイフォンにも見覚えのある斑目の屋敷。そこから出てくる、派手な女とサングラスの男のふたり連れが、明らかに隠し撮りと分かるアングルで写っていた。

「この女が、斑目の屋敷で『ホンシュア』と呼ばれている女だ。あとで藤咲メイシアに同一人物かどうか確認してもらってくれ」

「じゃあ、ホンシュアが斑目の手下だと裏付けが取れた、ということか」

「いや。それが、どうも外部の人間らしい。斑目が誘拐事件を起こす少し前あたりから、ホンシュア以外にも見慣れない連中が屋敷を出入りしている」

「別の組織が絡んでいるのか?」

「おそらく」

 トンツァイの言葉に、ルイフォンは不快げなうめき声を漏らした。今回の件は思ったよりも、根が深そうだ。しかし、更に「それだけじゃない」とトンツァイの報告が続く。

「――ホンシュアは昨日の午前中、堂々と正門から藤咲の屋敷に入っている。『奥方の署名入り許可証』を持ってな。いつもとは違う店の者らしい。派手な女だったと、警備員がよく覚えていた」

「……!」

 ルイフォンの顔色が変わる。

「そして、昨日の晩、斑目の三下が藤咲の屋敷に行ったのを俺の部下が確認している。一方的な使者という感じじゃなくて、あらかじめ来訪を知っていて――待っていたようだった、と」

「そう、か……」

 実在しない仕立て屋が、貴族シャトーアの屋敷の中に現れたのだ。手引きした者がいてもおかしくない。そして、それを一番容易にできるのは――メイシアの継母だ。

 つまり。

 メイシアは、身内に売られたのだ。

 ルイフォンは前髪をくしゃりと掻き上げた。

 メイシアの口ぶりからすると、彼女と継母の関係は悪くなかったはずだ。けれど、これは一体どういうことなのだろう。

 ルイフォンはテーブルに肘をつき、頭を抱える。天板の木目が渦を巻いているのが、目に映った。それはぐるぐると波紋を広げており、メイシアを取り巻く状況と酷似していた。

「――斑目の目的は、なんなんだ……?」

 ルイフォンの呟きに、トンツァイが申し訳なさそうに首を振る。

「悪いな。それは分からねぇ」

「いや。今のは愚痴だ。すまない」

 継母のことはメイシアに黙っておこう――そう、ルイフォンは心に決めた。

 彼女の願いは、家族が無事、家に戻ることだ。それは鷹刀一族が必ず叶える。

 その後の彼女の身分は娼婦であり、もはや実家に帰ることはない。だったら、余計なことを知って、無駄に傷つく必要はないだろう。

 トンツァイが懐から数枚の紙を出した。

「藤咲メイシアの父親と異母弟は、それぞれ別の別荘に監禁されている。これが地図とそれぞれの建物の見取り図。印の付いているところが囚われている部屋だ。今のところ、待遇はさほど悪くない」

「ありがとう。助かる。支払いは――」

 言いながら、ルイフォンは尻ポケットの携帯端末を取り出し、素早く操作してトンツァイに画面を見せた。トンツァイが頷くのを確認してから、彼は送金ボタンをタップした。

 部屋を出ようとするルイフォンに、トンツァイが複雑な顔をした。

「お前、うちのキンタンと同じ歳なのに、一人前に仕事しやがるよな。ガキは、ガキらしくしろよ」

 背中をどん、と叩かれ、ルイフォンは思わず前のめりになった。トンツァイは痩せぎすのくせに腕力がある。それは、四六時中、店で酒瓶を運んでいるためか、隠密行動のための基礎体力作りを欠かさないためか。

 ひりひりと痛む背中をさすりながら、ルイフォンが振り返る。

「男は大人ぶっているときこそが子供なんだそうだ。本当に大人になってからのほうが、よほど子供っぽいんだと。親父が言っていた」

「イーレオさんらしいな」

 トンツァイが苦笑した。彼は鷹刀一族と深く繋がっている情報屋だが、手下というわけではない。だから口の利き方はぞんざいで、けれどそれは好意を持っていればこそのことだ。

 ふと、ルイフォンは思い出して言った。

「そうだ、トンツァイ。別払いするから訊いてもいいか?」

「ああん? 俺が『仕入れでトラブった』理由か?」

「ああ」

「たいしたことはないさ。金も要らねぇよ。お前も知っているだろ、最近、貧民街で若い女の死体が見つかる事件。またひとり出た。それだけだ」

 そう言って、話を切り上げようとしたトンツァイが「ああ!」と、一段大きな声を上げた。

「……言い忘れるところだった」

「なんだ?」

「どちらかと言えば、俺が遅くなったのはシャオリエさんに捕まっていたからだ」

「シャオリエ?」

 また厄介な名前が出た、とルイフォンは顔をしかめた。

 シャオリエは、繁華街と貧民街の境界地区の住人だ。詳しいことは知らされていないが、イーレオの昔馴染みで、ルイフォンの母とも親しかったらしい。そんな縁でルイフォンは一時、彼女の元に身を寄せていたことがある。

 トンツァイの顔が見る間に、にたりと歪んだ。尖った顎に手をやりながら愉快そうにルイフォンを見る。

「今日、俺のところにルイフォンが情報を貰いに来ると言ったらさ、シャオリエさん、鷹刀の屋敷で何があったのか詳しくを教えろと言うんだわ。まぁ、俺も商売だし? 昨日ルイフォンから聞いたこととか、俺の調査結果とか、まぁ、いろいろ教えたわけよ」

「……」

「そしたら、シャオリエさんは『ルイフォンは絶対にメイシアを連れてくる』って断言したんだ」

「……一体、何を教えたんだ?」

「で、俺は伝言を頼まれたんだよ。『あとで、メイシアを連れて、店に寄るように』だそうだ。言い忘れなくてよかった。いやぁ、さすがシャオリエさん、お見通しだったんだなぁ」

 がっはっは……と、豪快に笑うトンツァイに対し、ルイフォンは苦虫を噛み潰したような顔で盛大に溜め息をついた。



 奥の部屋から出てきたルイフォンを出迎えたのは、不安に彩られたメイシアの顔であった。一緒に部屋を出てきたトンツァイがルイフォンの肩を叩き、カウンターへと去っていく。

「なんて顔、しているんだよ?」

 やや猫背の、癖のある歩き方でルイフォンはメイシアの元へと行き、椅子に座っている彼女の頭をくしゃりと撫でる。

 突然の接触にメイシアは小さな悲鳴を上げそうになるが、かろうじて堪えた。ルイフォンの感覚的には『安心しろ』といった程度のものでしかないことを、この一日で学んだからだ。

「朗報だぞ。お前の家族の監禁場所が分かった」

「え……!? ありがとうございます!」

 メイシアの顔が、ぱっと輝く。

「これから屋敷に戻って親父に報告――というわけなんだが……」

 そこで、ルイフォンが少しだけ困った顔になった。

「……悪い。ちょっと野暮用に付き合ってくれ……。無視してもいいんだが、そうすると、あとあと面倒だから……」

 歯切れ悪く、そう言い、ルイフォンは前髪をくしゃりと掻き上げた。そんな彼に、メイシアの隣にいたキンタンが尋ねる。

「どうしたんだよ?」

「ああ……。シャオリエが、メイシアを連れて店に寄れ、だと」

「あーあ。シャオリエさんねぇ」

 キンタンが同情したように頷いた。

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