第15話 或る人物の運命

 不安だ。不安ばかりがわたしの核心部からとめどなく溢れ出し、わたしという存在の輪郭を作りあげる石膏をぬちゃぬちゃに溶かしてしまう。足元は覚束ないし、前後不覚でにっちもさっちも埒が明かない。わたしは何かを傷つけたり、壊してはいないだろうか。1秒先の未来、とんでもなく多大な間違いを犯しやしないだろうか。


 くだらないと笑われることはわかっている。そんなの全部取り越し苦労だと、考えるだけ無駄だと。けれど大小さまざまな不安が浮かんでは消え、浮かんでは消え……


「だから、あなたにすべてを聞いてしまえばすっきりすると思ったんです。わたしの身に降りかかる、すべての災難を」


 市松町の駅前ロータリーにある、そこはかとなくダサい内装のカフェ。人気ミュージカル『ルメルシエ』のナンバーがオルゴールアレンジされた、観光地の土産屋とかでよく流れてるかんじの、そこはかとなくダサい音楽が流れている。


 薄紫ひまわりがブレンドされたハーブティーをスプーンでかき混ぜながらわたしの話を聞いていた星園キララは、ゴフッとかブフォッとか、下品な音を喉で鳴らした。


「やだ、お客さん超ポエマー! 私は預言者でも心理カウンセラーでもなくってよ、ただの占い師なんだから。そんな大きなお願いは叶えてあげられないわ」


 星園キララならわたしの話を真面目に聞いてくれると何の根拠もなく信じていたが、これもまた人生における間違いのひとつだったようだ。やはり何事も黙しているのがベストなのだ。なぐさめてもらいたいわけでも共感してほしいわけでもない、確約された未来を知りたいだけだ。


「まあまあ、そう悲観しないでちょうだい。星占いは希望を与えるためにあるの」


 十四星座占星術師星園キララは、ナントカ星(本人から星の名前を聞いたが、我々が用いる声帯と文字では表わすことができない音をしていた)からやってきた宇宙人である。「星々のきらめきが暗示する未来を読み取ることを生業としていたが、星の爆発に巻き込まれ、四肢を失い内臓が損傷し脳味噌が半分焦げてしまったことにより本来の星読みの能力を失い、故郷に勘当されてしまったのでこちらに移住してきた」という低予算のトンデモB級特撮映画の主人公みたいな略歴を公表して活動している。


 薄紫色のロングウェーブの髪をファンシーなヘアアクセサリーで飾っており、髪と同じ色合いの大きな瞳には瞳孔がない。脳味噌が半分焦げたというだけあり、顔の左半分は海賊御用達のアイパッチで覆われ、頭部の左半分もまたデコラティヴなヘッドドレスで隠されている。ラベンダー色のフリフリメルヘンなジャンパースカートに、ふんわりパフスリーブのブラウスをお召しだが、袖からのびる両腕は鈍い光を反射するアンティークゴールドの義手である。細部をまじまじと観察するのは憚られるが、人間の筋肉や骨組みを模したパーツが組み合わされているようだ。しょうじき、全体的にか細い印象を与えるフォルムで頼りない。手首の側面に突き刺さっているねじかぜんまいのようなものを引っこ抜いたら、たちまちバラバラになりそうだ。


 そんな宇宙人占星術師の星園キララは、わたしから生年月日、血液型、人の金で食べるなら寿司か焼き肉かをたずねてきた。何やら分厚い本を開き、あるページで錆びた金色の義指をとめ「ああー」「なるほどねえ」などとひとりで頷く。紙面を覗いてみたが、わたしには読めない言語が綴られており、不可思議な図形がみっちりと描きこまれていた。星園キララによる素晴らしいお導きのメッセージを待つ間、うっすらと薄紫ひまわりの油が浮くハーブティーをすすりながらチープなオルゴール版ルメルシエに耳を傾けていたら、無性にミュージカルが観たくなってきた。こうやって思考が飛躍してしまうのも悩みものだ。いつだってひとつだけ、目の前にあるものにだけ注意を向けることができたらどんなにいいものか。


「おおむね良好よ。うん、だいたい大丈夫」


 星園キララはそれだけ言うと、本を閉じてテーブルの隅に置いた。


「他に言えることはないわ」


「いや、もっといろいろあるでしょう」


「ないわ、だってあなたのお悩みはあまりにも抽象的でスペクタクルだから、それに見合ったアドバイスだって大雑把で然るべきよ。あなたの人生を脅かすほどの天変地異は……そうね、あなたが想像できないことは起こらないわ。安心して。まだ不満なら、私のお話を聞かせてあげる」


 そう言って、硬い手でティーカップをつつみこみ、星園キララは数奇な運命をたどる宇宙人の物語を語りはじめた。




 ……私が生まれた星ではね、連なりをもつ星座や、個々の星の煌めき、大きさ、宇宙での位置、形状、地質を観測して、この先に起こるであろうことを割り出したり、あらゆる“予定”を取り決めていたの。私も観測者のひとりでね、毎日休みなく星たちのはじける音に耳を傾けていたわ。そうね、占いっていうより、天気予報みたいなものなの。だけど勉強すれば就けるものではなくて、先天的に星の言葉がわかる人とわからない人に別れていて、前者しか観測者になることができないわ。私はたまたま星読みができる体質だったのよね。


 けれどある日、それはそれは小さな星の欠片が、私たちの土地に突如として転がり込んできたの。隕石の衝突も流星群の出現も予定されていなくて、本当に突然の出来事だった。これは何らかの強い言葉を運んできたに違いないと思って、みんなが止めるのも聞かずに抱きかかえたその瞬間、すさまじい光を放ちながらこっぱみじんに爆発したの。


 四肢と頭の半分がちぎれちゃって、内臓もぼろぼろになってしまったのだけど、私たちって自分でもびっくりするぐらい生命力がしぶといのよ。宇宙人の血の色って知ってる? まあ母星によって異なるもので、私のところはラメラメの……話がずれたわ。


 で、それに伴って、私の星読みの能力もごっそり削り落ちてしまったの。なんていうか、身体の中にあった、星の言葉を受信するための機械がイカれちゃって、砂嵐の中からぼそぼそした囁きが聞こえるだけになったわ。


 慎重に採取すれば計測できたかもしれない星の欠片を壊した私を、みんなは激しく糾弾した。文字通り取り返しのつかない失敗だったの。よくよく思い返しても、どうして自分があんな行動に出てしまったのかわからない。危険だということは十分理解していたはずなのに、わたしの両手はそれを受け入れたの。


 事故を起こしたうえに星読みが使い物にならなくなった私は解雇されたし、仮の手足や詰め物をした脳味噌は精度が低くてひどく軋んだ。それはもう後悔したし、私の運命を誰も予知してくれなかったことにどうしようもなく腹が立って……でも結局は自業自得。爆発する星のひたすらに白い、白でしかない光がまぶたの裏によみがえる度、苦痛に襲われたわ。


 外に出れば後ろ指をさされるし、身体はがたがたで思うように動けず、耳ざわりの悪い星のさざめきが遠巻きに聞こえてくる。もういっそ逃げ出したい、宇宙の闇を走り抜け、やがて燃え尽きる星屑みたいに……で、思い至ったの。本当に逃げてしまえばいいんだって。


 今はもう倒産した旅客会社が運営してた、クレヨンみたいな形のロケットの定期便に乗って、逃亡してきたのがこの星よ。ここを選んだ理由? 大それたものじゃないわ、手持ちのお金と片道の運賃がぴったり一緒だったの。もう戻ることができないようになれば、何処だってよかった。


 ロケット・ステーションに着陸する間際、窓から見えたどこまでも広がる水の面積に目を見張ったものだわ。両の義足をこの地につけて、深く息を吸い込んだとき、私の身にふれるものの何もかもが静かに凪いでいるのを感じたの。世界のすべてが、私のために存在してくれているような気さえした。


 あてもなく歩き出してほどなくすると、おもしろい人たちに出会ったの。飴細工みたいにきれいな金髪の女の子と、背広を着た大きなつぎはぎのうさぎの人形よ。そうね、人間の男性よりちょっと背が高くて、焦げ茶色のトランクを持たされていたわ。ふたりは旅行者で、ロケットの着陸を見物していたの。


「こんにちは。ねえ、あなた、あのロケットから降りてきたのでしょう?」


 女の子は私を見るなり、そう声をかけてきたの。ふしぎなことにね、この星の言葉なんて全然勉強していないのに、彼女が喋っていることがすんなりと頭に入ってきたわ。まるで昔聴こえていた、星の言葉のように、やさしく私を撫でてくれるように。


「こんにちは」発音できないはずの挨拶が、この星の人と同じ微笑みがくちびるに乗せられた。「そうよ、とても遠いところからやって来たの」


 それから私は彼女に連れられて、海辺のレストラン(とんでもない高級店だったわ)でお互いが長い旅に出ることになったわけを語り合ったの。その提案をしてきたのは彼女のほうで、私はさいしょ躊躇ったわ。だって嫌でしょう、逃亡先で自分の大失敗をあけすけに語ってしまうなんて。


 けれど、先に語りはじめた彼女の物語も、明るいものじゃなかったわ。彼女はシャンパングラスをゆらしながら「ひどい話でしょう」と言ってからから笑ったの。同情を求めるでもなく、自慢するでもなく、決してお酒のせいでもなく、楽しそうに。


 私は彼女に倣って……と言えるほど、なんてことのない思い出話に昇華させることができなかった。けれど淡々と、起こったことだけを伝えるのは、何故か私にとっては心地のいいことだったの。今まで、曖昧で不確定な未来のことを、すべてを知りえたような顔をして“予定”していたからでしょうね。本当のことは、星々にだって見当はつかないのよ。


 それに比べて、過去は嘘を吐かず、素敵なことは音楽のように何度だって思い起こせるし、悲しいことは過ぎ去って亡骸が横たわるだけ。そんなことだって、私はここに来るまで気付かなかったの。振り返る時間があることの、なんて揺ぎ無く穏やかなことか。目からラメラメの鱗がたくさん落ちたわ。


「時間はすべて、いつかは過去になるでしょう。今この瞬間にだって、誰のためにも留まりはせずに流れていくだけなの。少なくとも、この星ではあなたが未来を預言できないからって責められることはないわ。何しろ『世界が終わる』っていう預言が外れたことを祝う休日があるぐらいだから。大丈夫、もう過去にも未来にも縛られないわ。時間はあなたに寄り添うだけなの。軌道を決めるのは星のお告げではないわ、自分よ」


 どこの宇宙の塵とも知れない異星人に、この星の当たり前を説いてくれる旅人は頼もしかったわ。呆気に取られながら「あなた、強いのね」とつぶやくと、彼女は「なんか恥ずかしくなってきちゃった」とはにかんで、隣に座るうさぎの人形を見上げたの。


「そうだね、かっこつけてたね」と無機質な声音で返す人形は、彼と呼ぶべきか彼女と呼ぶべきか或るはどちらでもないのか、私には判別がつかなかったわ。分かったのは、薄汚れた布でできた肌と、くすんだ硝子の瞳を持つその人形には、想像もつかないほど膨大な過去が詰め込まれていることと、その記憶の一片すら捨てずに運び続けながら、旅人の時間までもその身に請け負っていることだった。




「で、その時に彼女が『お近づきのしるしに』と私に贈ってくれたのがこの時計なの」


 そう言って星園キララはおもむろにアイパッチの内側に手をつっこみ「ちょっと待ってね、奥のほうに……」とか言いながら眼窩をほじくりまわした。チェーンが手繰り寄せられる音をかすかに響かせて、アイパッチの隙間からずるりと時計が引きずり出される。懐中時計ならぬ眼中時計か。


 差し出されるままに受け取ると、若干生暖かくて苦笑した。持ち歩くにしてはかなり大きい、どら焼きぐらいのサイズだ。真鍮製でなめらかな丸みを帯び、手のひらによくなじむ。いやしかし、星園キララはこんなものが収まるほどの穴を顔の半分に持っているのか。


 留め金を外すと、網の上で焼かれる帆立貝のように勢いよくぱかっと開いた。黒地の文字盤の上を、金色の細く鋭い秒針がたしかに時を刻み続けている。そして蓋の内側は、小さな十四星座早見表になっていた。かなり精密にひとつひとつの星座が描きこまれていて、虫眼鏡でもあればずっと観察していられそうだった。見入っていてはキリがないので、蓋を閉じて星園キララの硬質な手のひらに返却する。そのときにちらりと、時計の裏側にイニシャルのようなものが刻印されているのが見えた。


「いい時計ですね」


「でしょう」言いながら星園キララは眼窩に時計を押し込む。


「裏側に紋章があるでしょう? もらった時からずっと気になってて、つい最近、ようやくその筋の人に調べてもらったんだけど、とんでもない資産家の家紋だったの。彼女の出自は本人から聞いていたけれど、まさかそれほどの家だったなんて……今更ながらこんな宇宙人の顔面に仕舞っておくべきではないからお返ししなきゃと思ったし、彼女に再会できたらと思って居場所を突き止めたんだけど……もう……」


 早口でそれだけ言うと、いかにも残念だというふうにため息をついてハーブティーを啜った。わたしもつられてティーカップに口をつけたが、ハーブティーはすっかり冷めていた。なんとなく舌がねばつく。


「まあ、とにかく」幾許かの沈黙のあと、星園キララが唐突に切り出す。


「死なない限り何が起こっても生きていけるわ。だって実際私がそうだし。無茶苦茶かしら?」


「なんとなく、なんとなくですけど、仰りたいことはわかりました。でもそそんなことを言っては、商売あがったりではないですか」


「そうねえ、こんな話をした後じゃあ、あなたにとって私の占いはデタラメを並べ立てたインチキにしか聞こえなくなるでしょうし、人生はお前次第だ! って自己啓発セミナーでも開いたほうがよさそうな気がするわね」


 星園キララは両手の義指を組み、がりがりみしみしと関節(?)から不穏な音を響かせて腕をのばしストレッチをする。その腕は思っていたよりも長く、私の目と鼻の先に手のひらが突き出された。鉄くさい。


「でも、私の星占いはラジオのあとのちょっしたお楽しみにすぎないし、ちゃあんと当たるのよ。砂嵐の奥から微妙に聞こえてくる程度の啓示が、夕映市民にはちょうどいいみたい。誰かの運命を大きく左右するほどの狂いなんて、星も占い師も時間も起こせないわ。ただちょっとだけ、ハッピーな気分にしてあげるだけよ。流れ星が見えたら嬉しいでしょう? あなたみたいに欲張りさんには物足りないかもしれないけどね」


 曇天の思考がすっきり晴れ渡ったかというとかなり怪しいが、星園キララに不満を申し立てる気分にはなれなかった。冗長な語りをぼんやり聞き流しているうちに、星園キララはいつのまにか荷物をまとめ、これまたドレッシーなつばの広い帽子を被って席を立つ。


「ごめんなさいね、このあと四肢のメンテナンスなの。市松町いちの腕利きのお医者様なんだけど、予約時間に厳しいのよ。あなたの星座だと、そうねこのあとは、気分転換に劇場にでも足を運んだらいいわ。立見席ならまだ夜の部が取れるはずだし『ルメルシエ』は何回観たって名作よ。ああそう忘れてた、今日のお代はこのお茶だけで結構よ。ろくに占ってないしね」


 何を悩んでいたのか有耶無耶になってきた。星園キララの言葉のひとつひとつが、金平糖の形になり、ばちばちとわたしの頭の中に星屑を降らせる。溶けだした砂糖が薄紫ひまわりの油と融解してわたしの胸の下をするするとくだっていった。その様子を見透かしていたかのように星園キララは微笑みを浮かべ、キメ台詞を残すとわたしの横をすりぬけていった。


「あなたに星のご加護がありますように」


 こうして再び、わたしはこの街に放り出されたのだった。

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