世のため人のためネクロマンサー

コーキー

第1話「ネクロマンサーの弟子」

 今日が私の命日になるかもしれない。

 私は一歩一歩丁寧に土を踏みしめ、目的地へと重苦しい足を運ぶ。

 徐々に暗くなるように感じる空、紫色に変色していく草、そしてどんどん近づく不気味な建物。

 死者を操り魂を弄ぶという、邪悪な魔術師――ネクロマンサーの家の前に私はいる。

 屋根の上に乗っている無数のカラスが、カァカァと私をあざ笑うかのように鳴き、次々と飛び去った。

 周囲に立っている枯れ木は、笑っている顔みたいな模様を浮かび上がらせ獲物の到来を喜んでいるように見える。

 私は心臓をバクバクさせながら、ドアノブに手をかけた。

 ――この家の主に、弟子入りするために。


世のため人のためネクロマンサー

第1話「ネクロマンサーの弟子」


「魔王……!

 貴様だけは絶対に倒す!!」

「我を倒すなどと、愚かなり異界の勇者リュウよ!!

 我が闇の炎で燃え尽きるがいい!!」

 魔王が手のひらから漆黒の炎が放たれ勇者を襲う。リュウはとっさにオリハルコン製の盾で防御するが、魔王の炎の規格外の熱量に耐えきれずに盾が少しずつ融解していく。

「ぐおおぉぉ……!!」

「リュウ……私のために……!?」

 リュウの後ろでは先の魔王の攻撃で傷を負った賢者ヘレンが倒れている。リュウがここで身を引けば、ヘレンは一瞬にして魔王の炎に焼き尽くされてしまうだろう。

「リュウ、私の命よりも……魔王にトドメを!!」

「できないっ! 約束したんだ……みんなで生きて帰るって!!」

 限界に達しようとしている盾をなおも構え続けるリュウを、魔王は嘲笑する。

「グハハハハ! 愚かなり異界の勇者!

 その死に損ないの小娘一人のために世界の命運を棄てるか!」

 魔王は嘲り笑いながら、もう片方の手のひらをリュウに向ける。まだ魔王は、片手分の力しか使ってなかったのだ。

 リュウの脳裏に、今まで旅の中で出会い、別れた仲間たちの顔が浮かぶ。必ず世界を救うと、約束したのに……!

「ここまで……なのか……!?」

「フン……どこまでも甘いやつだな、リュウ!!」

 ザシュ、という切断音とともに、魔王の片腕が胴を離れ床に落ちる。

「ぐぁぁぁ!?」

 腕を切り落とされ苦悶の表情を浮かべる魔王の前に長髪の男が降り立った。

「ヴァルク、どうしてここに!?」

「貴様との決着はまだついていない……。

 俺が倒す前に死なれては困るからな」

 現れたのは、かつて相まみえた剣聖ヴァルクだった。

「勇者様ー!!」

「勇者殿!!」

「リュウさん!!」

「旦那様!!」

 ヴァルクの登場を皮切りにしたかのように、ここに来るまでの過程で魔王直属の部下、三魔将を抑えるために残っていた仲間たちが次々と魔王の間に入ってきた。

「みんな! 無事だったのね!」

 ヘレンの周りに、皆が集まる。

「ヘレンお姉さま、回復を!」

 シスターのベラが回復魔法を唱えると、ヘレンの傷がみるみる塞がり、立ちあがれるまでに回復した。

「ぐぬぬ……! 我が三魔将が敗れたというのか!?」

 リュウの仲間たちがここに揃ったということは、それすなわち三魔将が全て敗れたということである。

「魔物の中でも随一の強さをもつ三魔将が人間ごときに敗れるとは……!」

「あなたはここで終わりですよ、魔王」

 魔王の間に最後に入ってきた人物。

それは今まで何度もリュウ達の危機を救ってきた聖女セイナールだった。

「セイナール……貴様が三魔将を倒したというのか!」

「いいえ、わたくしは力を貸しただけです。

 ここまで彼らがたどり着いたのは、彼らの持つ意志の力のおかげなのです」


「フハハ……ハハハハ!」

 魔王は予想外のリュウ達の奮闘ぶりに驚くわけでも怒るわけでもなく、笑っていた。

「何を笑っている!?」

「いや、な。

 人間という存在がこれほどまで面白い生物とは……!

 集え! 三魔将のエナルグよ!!」

魔王が残った手を振り上げ、気を集中させると黒い光のようなものが渦となって魔王に集まり始めた。それとともに魔王が巨大化していき、その姿は怪物へと変貌していった。

「気をつけてください。魔王は死霊術で死した三魔将の力を取り込んでいます……!」

「本気を出すってことか……!」

 リュウは、ボロボロになった盾を棄て、両手で剣を握る。その周囲の仲間たちも、各々の武器を構え戦闘の構えを取った。

「ここで全て……終わらせるっ!!」

 真の姿を現した魔王との決戦が今始まった!!



「……8巻に続く、かぁ」

 春特有の、暖かな陽射しの差し込む図書室の中。私は読み終わった歴史小説『勇者の伝説:7巻』をパタンと閉じ、元あった本棚にしまった。続きは気になるし、できれば今すぐにでも次の巻を手にとって読みたい気持ちも強い。しかし、無情にも次の授業の時間が間近に迫っている。次の時間に受けなければならない授業があるわけではない。下級生のクラスがこの図書室で授業を行うため、退出を余儀なくされるのだ。

 私は席の確保に使っていたカバンを持ち上げながら、先ほど読んだ『勇者の伝説』の内容を思い返す。

 今から400年前、魔王の手によって世界中に魔物が溢れ人類は存亡の危機に陥った。その危機を救うべく、異世界から勇者・リュウが召喚され、彼と仲間たちの手によって魔王は倒された。

 これは歴史の教科書にも載っている、実際に過去で起こった出来事だ。


「次の授業どこだっけ?」

「魔法運用論だから第三教室だよ。

 あの教授怖いから遅れたら何されるかわかんないぞ」

「ひえー、おっかねえ! 急ごう!」

 私の横を、数人の男子が走り去っていった。私の通うアークノー帝国魔術学校は、優秀な魔術師を何人も輩出した伝統ある魔術学校だ。私は夢である魔法技師を目指し、この学校へ通っている。

「おーい、ケイちゃーん!」

 私が廊下を歩いていると、背後から茶髪のツインテールを揺らしながら友達のリィズが声をかけてきた。

「リィズ、どうかしたの?」

「ううん。ケイちゃんが歩いているの見たから呼んだだけー」

 リィズは私の歩調に合わせるように歩く速度を落とし、横並びに私とリィズは一緒に歩き始める。

「今朝の新聞読んだー?」

「え? 読んでないけど……」

「国境付近で起こってた戦闘、やっと終わったんだって」

「戦闘……ってなんのこと?」

「もう、もっと今の情報に目を向けてよー。

 私達が住むアークノー帝国と、お隣のセイナール王国って、一応戦争中なんだからさー……」

 リィズに言われてハッと思い出す。そういえば長いこと戦争状態が続いてるんだっけか。

 たしか30年くらい前、先帝アークノー十二世が突然、隣国セイナール王国に宣戦を布告した。そのアークノー十二世は開戦から数年後に病で亡くなったが、戦争は終わらずに今も散発的に戦闘が起こっている。

 散発的というのも本当に散発的で、数ヶ月に一度ペースでどちらかが攻め込もうとして防がれる……というのを延々とやっているだけ。

 国境が広く隣接している両国は、どちらも警戒のために軍隊を国境沿いに広く配置しなければならない。

 そのため、お互い攻めあぐねているのが私の知っている状況だ。戦地から遠く離れた帝都にいる私達にとって、遥か東で起こるその戦争はまるで絵空事のように感じられる。

「まあ、暗い話をしてもしょうがないか……」

 リィズはそう言って戦争についての話を無理やり終わらせ、次の話題を切り出した。

「あ、そうだ。

 ケイは例の卒業修行の希望先、誰にした?」

「第一希望をガンダール先生か、マトリー先生にするかまだ迷ってるのよね……」

 私は希望先を書く紙を取り出し、空欄をペンでトントンと叩く。

 私たちは最終学年。来年の春には学校を卒業する。卒業に必要な授業の数はクリア済み。残るは卒業認定を兼ねた卒業修行に行くのみだ。

 卒業修行というのは、このアークノー帝国に住んでいる優秀な魔術師の所に住み込みで半年間修行をし、勉強と職業体験をいっぺんに行うという制度。帝国一の魔術学校であるこの学校は、それはもう新聞にのるような高名な魔術師ともコネクションがあり、希望次第で修行をさせてもらえる機会を頂ける。

「……どうしたの、リィズ?」

 私が紙を取り出した辺りから、リィズの表情が固まっていた。

「ケイ……なんでまだそれ持ってるの?」

「なんで……って?」

 私はリィズが言っていることの意味がわからず、首を傾げながらリィズの顔を見つめる。

「いや……それの提出期限、覚えてる?」

「えっと……たしか今月の14日……」

 そう思った瞬間、冷や汗が私の頬を伝った。ここ数日、今が何日なのかを意識した記憶が無い。

「あれ、今日って……何日?」

 私は顔を青くしながらリィズに聞いた。

「15日だけど……ケイ、あんたまさか」

「忘れてたァァァァァ!!」


 私は急いで教員室に飛び込み、学年主任に頭を下げた。

「すみません、希望書の提出忘れてました!!」

「君ィ、困るんだよねえ……」

 主任は紙に何かをサラサラと書きながら私に言った。

「期限はきちんと守らないと、卒業した後困るよぉ?」

「はい……気をつけます……。

 それで、卒業修行の希望は……」

 私がここに来たのはそれを聞くためである。卒業修行は将来の方向性を決定するのに非常に重要なファクターであり、明確な将来のビジョンを持つ者にとって、ちゃんとした魔術師のもとでの修行は欠かすことが出来ないものである。

「そりゃあ、未提出なんだから希望無し扱いだねえ。

 もう、どの魔術師に誰を送るか決める会議も終わっちゃったからねえ」

「えっ……じゃあ私はどうなるんです?」

「希望無しだから、希望者の少ない空いている魔術師の所になるね」

 学年主任はペンを止め、ズズズと熱いお茶をすすった。


 私はトボトボと廊下を歩いていた。たった一度の凡ミスで将来の夢への道がかなり遠のいてしまうことになるとは…。

 いや、まだだ。もしかしたら、何かの間違いで魔道技師系の魔術師のもとに、偶然割り当てられているかもしれない。

 私がかすかな希望を抱きながら歩いていると、掲示板のあたりで見知った顔が大勢ガヤガヤと集まっているのに気づいた。その集団の中にはリィズもいる。


「ケイ、先生はどうだって?」

「空いてるところに割り当てられるってさ……」

 落ち込んでいる私を、リィズは背中を撫でることで慰めようとしているようだ。全然慰めになってないけれど。

「それよりリィズ、これは?」

「卒業修行の割当発表よ」

 もう貼りだされてるのか、とつぶやきながら私は集団の中をかき分け、貼りだされている掲示物が見える位置まで前に出た。

 いったい私は、誰のもとに修行に行かされるのか……。張り出されている紙の上を、左上の方から右へ下へと目を走らせ自分の名前を探す。意外と下の方にあったので見つけるまで手間取ってしまった。

 私は、自分の名前が書いてある場所を見つけ、そして絶望することになった。

「見つけた? どこに……」

 追いかけてきたリィズが目線から私の名前の部分を見つけ、読み上げた。

「『死霊術師……ネクラ・デット』!!」


 死霊術師、通称ネクロマンサー。それは死体や亡霊を使役する魔術師のこと。その評判は……すこぶる悪い。なにせ死体を拾い集め、使役するという趣味の悪さに加え、神聖魔法、黒魔法、死霊術と大別される魔法の中でダントツの闇の深さを誇る。400年前の魔王も、元々ネクロマンサーだったという噂が立つことからもその悪評がみてとれる。

 もちろん卒業修行の志望調査において、その人気の無さはダントツというかワーストというか。生徒たちには『成績不良者の流刑地』とか『落ちこぼれの処刑場』とか言われているくらいだ。卒業してネクロマンサーになった者がいるという話は、今まで全く聞いたことがない。

「……まあ、頑張って。

 私は神聖魔法の魔術師のもとで修行するから

 もしもケイがゾンビになってたら……浄化くらいはしてあげるから」

 リィズがこの世の終わりかのような顔をしている私の横で慰めの言葉をかけてくれた。全然慰めになってないけれど。


 数日後、私は暗い表情で朝を迎えた。

鏡を見ながら、少し長めの赤い髪を束ね、お気に入りの髪型――小さめのポニーテール――に整え。いつも学校に着て行っている黒い制服とスカートを身につけ、最後に学生魔術師の証である緑色のマントを着け着替えを終える。最後に、机の上に置いてあった遺書をカバンに入れた。

 もう二度とこんな準備をすることもないだろうな。カバンふたつ分に詰まった荷物を抱え、重い足取りで寮を出た。今の気持ちは、例えるならば処刑台に案内される死刑囚だ。

 昇る朝日を見上げる。私は太陽の明るさを目に焼き付けながら「ああ、明日の朝日は拝めないかもなあ」とか「幽霊にされたら日を浴びると消えちゃうのかな」などと思いをはせる。嫌がる身体に鞭を打つように、私は帝都から少し離れた丘の上を目指して足を動かした。

 目的地であるネクロマンサーの家に近づくにつれ、気のせいか空が暗くなったように感じた。草むらを小動物が通る音に怯えながら、ついに私は死霊術師の家の前に来てしまった。


ゴクリ……。

 私は息を呑んだ。黒や紫色に染められた外壁やカラスだらけの屋根。変な色に染まっている周辺の地面の草。霊感がなくても感じられるうすら寒さ。絵本に描かれている悪い魔女の家だって、こんなえげつない外観はしていないだろう。

 恐る恐る扉に手をかけ、私は軽くノックをする。返事はないが、鍵もかかっていない。

「……こん、にちは」

 私はドアノブに手をかけ、ギギィーっと気味の悪い音を立てながらゆっくりと扉を開けた。中は薄暗く、コウモリのものだろうか、天井からは赤く光る眼が不気味にこちらを見ているようだ。

 一歩、また一歩と私は足を動かす。ミシリ、と床板がきしむ音が私の不安を何倍にもふくらませる。

「誰か……いませんか?」

 静かに声をかけてみるが、やはり返事はない。ちょうど出掛けていたところだったのだろうか?


 そう思った瞬間、入口の方から足音が聞こえてきた。

「すみません、勝手に入っ……て……!」

 そう言いながら振り向いた私の視界に、ガイコツの顔がドアップで映った。

「出たァァァァ!!!」

 私は思わず悲鳴を上げて後ろに下がろうとして、足を滑らせて転んでしまう。尻もちをついた状態で懸命に後ろに下がろうとする私に向かって、ガイコツが一歩、また一歩と近づいてくる。

 ドン、と私の背中が壁にぶつかる。これ以上逃げられない……!

 そして、目の前からは不気味なガイコツが迫っている!

「お父さん、お母さん……私はここまでみたいです……」

 私は観念し、頭を抱えてうずくまった。


 別の足音が聞こえるまで、数十秒だったかも知れないが、私にとっては何時間もの長さに感じられた。って、足音?

 恐る恐る顔を上げ足音の方を見ると、階段をゆっくりと、グレーの髪色をした姿勢の悪い男が降りてきていた。

「スケさん、何やってんの?」

 男は軽い口調でガイコツに話しかけた。それまで閉じたままだったガイコツの口が、骨が擦り合うような音を出しながらゆっくりと開き、声を出す。

「……白」

「えっ?」

 ガイコツが発した言葉の意味がわからず呆然とする私。そんな私を指差して男が言った。

「嬢ちゃん……スカートの中、見えてる」

「えっ……? きゃっ!」

 私はとっさにガイコツが何を見ていたのかを察し、膝と膝の間にスカートの布を手で下ろした。この変態ガイコツ……私のスカートの中の下着をじっと眺めてたのか!


「あー……その、大丈夫か?」

 顔を赤らめる私に男が話しかける。私はひとつ深呼吸をして落ち着き、男に問いかけた。

「えっと、あなたが死霊術師のネクラ・デットさん……?」

「ああ……そうだが、もしかして君が?」

 男――ネクラが察したような顔をして私に手を伸ばした。私はその手を掴み、なんとか立ち上がる。

「えっと帝国魔術学校4年の……ケイです。

 卒業修行をしに……来ました」

 軽くお辞儀をしながら、私は自己紹介した。

「そんなに緊張しなくてもいいじゃないか」

 ネクラが気楽な口調で私に言ってくる。

この人は、評判ほど怖い人じゃないのかも……? いやいや、油断したところを襲い掛かってくるかも。

 私がそうやって殺気すら放つかのごとく警戒しているのを感じたのか、ネクラは少し呪文を唱え、部屋を明るくした。天井にいたコウモリがキーキー鳴きながら明かりから離れるように二階へと飛び去っていく。

 ネクラは私の横のテーブルに収められているイスを指差して座るように言った。

緊張で足がガックガクになっていた私は、言われるがままイスに座る。

「そう人をお化けか何かを見るような目で見ないでくれよ……」

 ネクラもイスに腰を下ろし、やれやれと言いたげな雰囲気で私に言った。お化けか何かというが、ガイコツはお化けの内だろう。

「だって死霊術は、人間をアンデットにするって……」

「君のような健康体の人間はゾンビにもならないし幽霊にもならんよ」

「じゃあ私を秘薬の材料とかに!?」

「戸籍のある生きた人間を材料にしたら俺が捕まる!」

それから二、三問ほど、私が危惧する死霊術の恐ろしさにネクラがツッコミを入れる問答をした後、私は机にもたれかかった。


「なぁーんだ……来た瞬間殺されるかと思って損しちゃった」

「ハァ……わかってくれたならいいよ」

 過去にも同じ問答を何度もしたのだろうか。ネクラは大きなため息を付いた。

「だって学校じゃ死霊術師のところは『成績不良者の流刑地』とか

 『落ちこぼれの処刑場』とか言われてたので……」

「ひっでえ悪評だなあ……。

 で、スケさんは何してんの?」

 よく見ると、スケさんと呼ばれたさっきのガイコツが、ネクラの椅子の下で這いつくばった格好をしていた。

「……白地に青いリボン、グッドだね」

「この変態ガイコツどうにかしてください!!」

 私がそう叫ぶとネクラは面倒くさそうな様子で椅子から立ち上がり、スケさんの頭蓋骨を手の甲でコンコンと軽く叩いた。

「お前、話をややこしくするなら引っ込んでろ」

 ネクラに怒られたスケさんは頭蓋骨のポジションを調整しながらトボトボといった様子で二階へ上がっていった。

「やー、悪いね。あいつ悪いやつじゃないんだけどね」

「あ、いえ……まあ……」

 必死に下着を覗き込もつとする奴が悪いやつじゃなかったら何なのか。しかもガイコツだし、何も着てなかったし。ただの変態じゃないか。


「なにやらスケさんが落ち込んだ様子で登ってきましたが、なにか起こったのでございますか?」

 スケさんと入れ替わるようにして、2階から青白い肌で角刈りの男が階段を降りてきた。執事服の細いシルエットに加え、光るかのような金色の鋭い瞳は、彼が普通の人間ではないような雰囲気を醸し出している。

「カクさん、この子が例のアレだよ」

「ほう、この女の子がですか……」

 カクさんと呼ばれた男が私の顔を覗きこむ。

「……手ぇ出すなよ」

「スケさんではあるまいし、旦那様の客人に手を出すとお思いですか?」

 そう言いながらカクさんは私から離れ、部屋のスミにある金属の箱を開けた。箱の中からは冷気のような白い煙のように出ているのが見える。

「あっ……冷蔵庫?」

「よく知ってるな」

 冷蔵庫とは、魔力を貯めこむ性質のあるミスリル銀で金属の箱の内側をコーティングし、そのミスリルに冷気魔法を蓄積させる仕組みの保存庫である。腐りやすい野菜や肉類も、この中に入れておけば長期保存が可能だが、ミスリルメッキのせいで値段が高く、貴族やお金持ちしか持てないのが常識だ。

 こういったミスリルと魔法を使った魔道具を作るのが私の夢である魔道技師の仕事だ。

 カクさんは冷蔵庫から取り出した液体の入ったビンをテーブルに置いた。

「どうぞ、お飲みください。冷たいジュースですよ」

「は、はあ……」

 この人達は悪い人じゃない、と自分に言い聞かせながら恐る恐る液体を口に運んだ。

 言われたとおり、ビンの中身は普通のリンゴジュースだった。

 緊張やらで喉が乾いてた私は、ビンの中身を一気に飲み干す。

「ぷはぁー!」

「良い飲みっぷりですね」

 私が空になったビンをテーブルに置くと、カクさんはそれを持って台所のような場所に運んでいった。

「ぷはぁって……ジジくせえ女だなあ」

 ネクラのつぶやきを私は聞き逃さなかった。

「落ち着いたか?」

 ネクラが私に問いかけたので、私は黙ったまま首を縦に振った。

 悪い人じゃなさそう、と思っても不気味な内装のこの家と、彼のネクロマンサーという肩書の不穏さが私の不安を拭い切れないままだった。


「あの……」

「うひゃあっ!?」

 突然後ろから声がして私は椅子の上で驚き飛び跳ねてしまった。

 声のした方を振り向くと、入り口に男の子をつれた女性が立っていた。

 女性の表情は暗く、落ち込んでるようにも見える。

「えっと……」

「お客さんだ、お前は下がってろ」

 ネクラにそう言われ、私は部屋の隅に移動した。

「いらっしゃい、今日は何用で?」

 ネクラが営業モードのような口調で女性に問いかけると、女性は俯き小さな声で話し始めた。

「主人が……主人が東の戦線で戦死したという報せがありました……」

 ポトリ、と涙が床に落ちた音が聞こえたような気がした。

「お願いです、主人の最期の言葉を……聞かせて下さい……」

 女性が目を手で覆いながらネクラにそう言った。

「お悔やみ申し上げます。

 では、ご主人の遺品をひとつお借りします」

「はい……」

ネクラが女性から手袋のような布切れを受け取ると、少し長めの呪文を唱え、そして黙った。

部屋中が沈黙に包まれる。

私が何か言おうとすると、いつの間にか隣に立っていたカクさんが手で黙るように指示した。


「――マリー、コリン、そこにいるのか」

 それから少し経って、目を閉じたままネクラが喋り始めた。

 いや、ネクラが喋っていると言うよりは何者かがネクラの口を通して語りかけていうような感覚だった。

「あなた、あなたなのね……!」

「父さん……!」

 マリーと呼ばれた女性と、コリンと呼ばれた男の子がネクラに向けて言った。

「すまない……コリンの誕生日までに帰るという約束は

 守れなかった……」

そこまで聞いて私は、ネクラがあの女性――マリーの夫の霊を自らに憑依させるかなにかで彼の最期の言葉を伝えているのだと気づいた。

「俺が戦死したことを……役人に伝えれば……弔慰金が受け取れるはずだ……。

 それで二人は生活を……」

「私はあなたが……あなたさえ無事に帰ってくればそれでよかったのに……!」

 旦那さんの霊と、マリーが会話をする。

「マリー……すまない……。

 コリン……お前は強く生きるんだぞ……父さんがいなくとも……」

「父さん……母さんは僕が守るよ!

 だから……父さん……」

「つよい子に育ったようだな……父さんは誇らしいぞ……。

 マリー、俺はお前と夫婦になれて……最期まで幸せだったぞ……」

 そう言ったネクラは目を開き、マリーから受け取った手袋を彼女に返却した。

「あなた、あなた!」

 マリーが涙を流しながらネクラの身体を揺さぶる。

「……旦那さんの魂は、天へと昇りました。

 どうか、お強く生きてください」

「ああぁぁぁ!!」

マリーは膝をつき、そのまま泣き崩れてしまった。

しばらくすると、コリンがマリーの横に立ち、言った。

「母さん、泣いてたら……いつまでたっても父さんが安心できないよ

 僕は父さんの息子だ!

 うんと強くなって、僕が母さんを守るよ!」

 コリンにそう言われ、マリーは彼を抱きしめて泣くのをこらえた。


 マリーはネクラにお金を払い、コリンと二人で家を去っていった。

「……これがネクロマンサーの仕事の一つだ。

 死者の声を、遺族に伝える。霊と意思を通わせられるのは、ネクロマンサーだけだからな」

 二人を見送ったネクラが私に言った。

 私は誤解していたのかもしれない。

 死霊術師、ネクロマンサーとは死者や亡霊を弄ぶ悪の魔術師などではなく、死者と心を通わせ、彼らの最期の願いを叶える役目を持った魔術師なのだと。

「ごめんなさい! 私は、勘違いしてました!」

私が謝ると、ネクラはポリポリと頭を掻きながら口を開いた。

「やー……何を勘違いしてたか知らないけど、俺は君が思うほど立派な人間じゃないぜ?」

「でも、さっきの仕事を見て、死霊術師って死者を弄ぶような魔術師じゃなく、もっと立派な魔術師なんだって……!」

 そう言いかけたところで、スケさんが2階からカラコロと足音を立てながら降りてきた。

 私はさっき下着を見られた恨みからスケさんを睨みつけたが、スケさんは私の視線など気にしないような態度でネクラに話しかけた。

「ネクラぁ、さっきの霊はどこで死んだって?」

 さっきの霊、というのはマリーの旦那さんのことだろうか。

「東のガランドゥ平原だってさ。

 あそこは3日前に帝国軍が勝利して戦線からは外れてる」

「つまり……!」

 ネクラはニヤァっと悪そうな笑みを浮かべながらスケさんに言った。

「戦死体がゴロゴロあるってことだ! 明日になったら拾いに行くぞ!」

 そこまで会話を聞いて、私は慌ててネクラに問いかけた。

「拾いに行くって、そんな亡くなった人を物みたいに!?」

「物だよ、ネクロマンサーにとってはな。

 死霊術に使うエナルグを集めるのに人間の死体はタップリ必要なんだ。

 どうせ死体は放っておいたら野盗に漁られるんだし、

 俺らが回収して有効活用した方がいいだろ?」

 私は呆れた。死霊術師ってやっぱりロクなやつじゃない。

 命の危機はなさそうだけど、ここで半年間暮らしていかなきゃいけないことに私は先を憂いた。

「修行が終わることは私も悪の魔術師になってるんだー……」

「何バカなことを言ってるんだ……。

 カクさん、ケイを部屋に案内してやれ」

 ネクラに言われ、カクさんが私の荷物を持って階段を上がった。

 カクさんの「ついてきてください」というような手の動きを見て後を追いかける。


 途中で通り過ぎた2階を見ると、ごちゃごちゃとベッドや実験器具などが乱雑に置かれていた。

 おそらくここがスケさんとカクさんの生活スペースなのだろう。

 カクさんはハシゴを登り、2階の天井の一部を外して天井裏に私の荷物を乗せた。

「ここが、あなたの部屋でございます」

 カクさんが使っていたハシゴを登って屋根裏に入る。

 屋根裏部屋は埃っぽい小さなスペースに簡素な棚とベッドが置いてある部屋になっていた。

 不意に埃を吸い込んでしまい、私は少し咳込んだ。

「ここは……?」

 私は階下のカクさんに訊いた。

「以前は術に使うイケニエを寝かせていた部屋です。

 今は誰も使っていないので自由にお使いくださいませ」

「イケニエ!?」

「大丈夫、旦那様はあなたに手は出しませんよ」

 そう言ってカクさんは1階へと降りていった。

 埃だらけの屋根裏で、私は再び感じた身の危険に絶望しながら嘆いた。

「お父さん、お母さん……私は、無事に生きて帰れないかもしれません……」

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