第28話春めく
川面に何か浮んでいる。
さらさらと、それは流れてく。
なんだろうと体を乗り出したとたんに、私は川の中に落ちた。
さらさらと流れるそれは私で、川に落ちたのも私で、でも川は決定的に私ではない。つまり、川が私を盗んでいる。
腹が立つが、さらさらと流れる私は、もはや私の一部だったというだけで、私には戻らない。悔しくて、私は川沿いに咲き乱れる私の仲間を睨めつける。すると、私の仲間から、はらひらと仲間の一部が舞い落ち、川面に浮かび、さらさらと流れ出す。いい気味だ。
流れに乗っかって、私は私の一部と共に、さらさらと押し流される。随分長い間押し流されたものだから、私の一部はみんな朽ちてしまった。私もすでにボロボロで、腐れて、あと少しで朽ちてしまう。
川が悲鳴を上げて、何かを押し戻そうとしている。それと川との交わるところで、川は決死になっているが、それは知らん顔だ。そこに川があるのにも気がついていないのではないか。
決死の川に押し流されて、とうとう私はそれの中に放り出されてしまう。朽ちかけているとはいえ、どこともなにとも知れぬ中に放り出されて、私は憤り、大きなうねりのただ中で声を上げた。
木々のざわめきが私の声だったはずだ。
なのに今の私の声ときたら、高くなったと思えば急に低くなり、つんざくようにそれの中を派生して、とどまるところを知らない。
私は私に呼びかける。おかしなことだ。私がどこにいるのかわからないなんて。
妙な声を上げて、私は私に呼びかける。こんな声では、私は私に気が付かないかもしれない。それでも呼びかける。こんな声しかないのだから、仕方がない。
何度も何度も呼びかけるのに、私は私がどこにいるのか、全くわからない。それどころか、私は私の呼びかけに応じないのに、山にいた頃にも見かけたことのある二つ足が、なぜだか私の声に反応してやってくる。
私は別に二つ足なんてどうでもよかったけれど、せっかくなので遠慮なくいただいた。山にいた時はもっと遠慮していただいていた。でも海に来た私はもはや遠慮しない。
そう、私は山にいた。
私は山だった。私は土で土は私で、桜は私で私は桜で、私は、とにもかくにも、私は山にあるすべてのモノだった。
今は違う。
ここは海だ。
そして私は海ではない。海は私ではない。
私は私から、山から、ありとあらゆるものから、はじき出された。
海に属するモノはみな私をさける。私は海ではないから。
なのに、なぜか二つ足だけは私のエサになりにやってくる。私が山でも海でもないまがいものなのと同じく、二つ足はきっとそうゆうモノなのだろう。私は考えない。ただ、それがそうであるのだと、わかるだけだ。
さびしくて、悔しくて、不安で、こわくて、私は声を出す。すると二つ足がくる。私は二つ足をいただく。
ボロボロになり、腐れて、朽ちかけていた私は、二つ足をいただくことでぐんぐん力をつけてゆき、どんどん海からも山からも離れたモノになっていった。
さびしくて、悔しくて、不安で、こわくて、私は声を出す。山が恋しいのか、海が憎らしいのか、二つ足が疎ましいのか、変化していく私自身が不気味なのか、胸の内で渦めくものを持て余して、私はますます声を出す。
もうこれ以上は限界だった。
海から出たい。山に還りたい。
もちろん山には戻れない。かつては山だったけれど、私はもう山ではないのだから。
でももう、限界だった。
私は狂っている。
狂って狂って、収集がつかなくなっている。
からだ全部を使って、持てる力の全てを使って、私はぐるぐると回る。
山に還るのだと、もうそれ以外思うことができない。
ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる。
私は、かつて私だったモノは、海にも混じらず、山にも還らず、もはや私にも戻らず、海を引っ掻き回し、ついには弾き出される。
海からも山からも、私だったモノからも。
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