第41話 ディー
頬が冷たい。気を失っていたことに気付く。生きているのだから、意識がなかったのは一瞬だろう。身体も頭も、冷たいことこの上ない。
外来種の攻撃を受けて、騎手席から放り出されたのだ。すぐ近くに、ディーと同じく倒れ伏す無敵号の姿があった。爆発が起き、無抵抗のまま、その巨体が吹き飛ぶ。無敵号はまた転がされただけだったが、ディーの身体は雪の上に打ち付けられた。ただひとつ残った手で受身を取ったが、肺が押し潰されて呼吸ができなくなる。
冷え切った身体の中で、叩きつけられた胸だけが熱い。雪と血だらけの顔を擦り、覚束ない視界を取り戻す。地吹雪吹き荒れる中、空に悠然と佇むのは縦長の巨大な空中戦艦、光る黄金の目、夜の神たる
(こんなものと………)
一体どうやって戦えというのだ。本土の軍人としての外来種に関する知識を利用し、これまで数数多の外来種と戦い、退けてきたディーでさえ、全く戦い方の検討が付かなかった。
村に迫ろうとする外来種を退けているうちはまだ良かった。オングルでは強敵とされている狼型、新たにやって来た熊型でさえ、ディーの駆る無敵号にとっては敵ではなかった。だが新たな外来種もやってきていた。それがオングルの歴史上、ただ一度しか来たことがないという死の象徴の梟型である。人類側の航宙戦艦を船首を下にして縦にしたような、不安定な形の外来種は、一度地表に突き刺さったのち、重力など無いかのようにふわりと浮かび上がると、高度数キロの高さに静かに佇んだまま、無敵号に爆撃を仕掛けてきた。爆弾、炸裂弾、誘導飛翔弾の嵐の中、ディーにはただひたすらに逃げることしかできなかった。南へ。
幸いなことは、梟型が無敵号を追ってきたことであった。オングルの周辺一帯を爆撃したりする気はなく、ただ執拗に無敵号に弾丸を浴びせかけてきたことを考えれば、今の外来種の狙いは無敵号なのかもしれない。
(良かった)
梟型が攻撃行動に移る前に、襲来してきた他の外来種は全て倒している。生き残りがいたとしても、梟型の敵味方区別なしの絨毯爆撃の前に殲滅されてしまったに違いない。集落は無事だ。石竹や、撫子や、オングルの女たち、子どもたちは一先ず無事だ。
自分がここで死んだらどうなるだろうと考え、案外、どうということもないかもしれないなと思う。ここまで執拗に無敵号だけを狙ってくるならば、無敵号さえ葬れば、後は気が済んだとばかりに、外来種はオングルの地を去っていくかもしれない。そうなったら、笑い話だ。ま、蓋を開けてみれば、必死で頑張っていたことが無駄な努力に過ぎなかったというのは珍しくもないことだ。そうなったら、笑うだけのことだ。死んだら、笑えないか。
これまでの騎手の寿命を考えれば、よく持ったほうだろう。犬の世話をしていた少女、一華のように、最初の戦闘が最期になったということも、珍しくはないのだという。それを考えれば、持ち回りの当番制ではなく、毎日騎手を務めていたディーが二年近く持ったのだから、十分だ。
顔に何か触れた。雪にしては明確な形を持つその物体を、ディーは持ち上げた。
それは聖書だった。
首と目を動かして辺りを見回してみれば、爆撃に吹き飛ばされたところは、砲身のようなコンテナが突き刺さる場所だった。
「『耐え忍ぶ槍』号の近くなんだ………」
ここは『耐え忍ぶ槍』号が何者かの攻撃を受けて落着し、ディーが命辛々逃げ込んだ物資集積デポのすぐ近くだ。
ならばこの聖書は。湿気を受けてぐしゃぐしゃになるどころか、むしろ急激な寒さによって凍り付いているこの聖書は。頁は開けないが、ディーが一部の頁だけを破りとって捨てた聖書に間違いない。
やることはやった。出来得る限りのことはやった。
ならばそれで全てが終わりなのか。
為すべきことは果たしたのか。して遣りたいことは遣れたのか。これで良いのだと満足しているのか。己が何を為すべきなのか、何故生きるのか解ったというのか。
本土で親に捨てられて生きて、軍隊に入って、再会した幼馴染に恋をして、彼女との結婚を認めてもらうためにオングルに来て、落ちて、ひとりの女と愛し合って、失って、多くの女と愛し合って、子を産ませて。それでも何もわからなかった。聖書を紐解いてみても、人が何をすべきかは書かれていても、ディーが何をすべきなのか、そして何をしたいのかはわからないだろう。
だが聖書を手にして、ひとつ思い出したことがあった。
産めよ、殖やせよ、大地に満ちよ。
そんな言葉があったが、大事なのはその言葉そのものではない。苔桃だ。苔桃のことなのだ。まだ苔桃が生きていた頃のことである。彼女の腹が大きくなり、産まれてくる子にどんな名前をつけようかと楽しそうに語る彼女に、いつか本土へ帰ったらという話をしたことがある。助けが来るかどうかはわからないが、もし本土からの救助船が、穏やかな本土で子どもと共に暮らそうと、ディーはそんなことを言ったのだ。
「いや」
厭だと、彼女は応じた。そうだ、そのときだ。彼女が、死んだ伯父の遺した、オングルを繁栄させるという目的を吐露したのは。ただオングルを繁栄させるために利用していたと述べたのは。
そのとき、ディーは思ったものだ。彼女は、オングルの女たちは強いから、だからこの冷たいオングルの地でも生きていけるのだと。自分とは違って、この地を気に入っているのだと。
だが違うのだ。彼女はディーを通して、世慣れぬ場所で生きる不便さ、苦労、そして恐ろしさを知ったのだろう。彼女も怖かったのだ。強くなかった。何処へも行きたくなかっただけで、だからオングルを繁栄させようと思っていたなどと言ったのだ。
この星で産まれた。この星で育った。だからこの星で生きたいと思うのは当然だ。
そんな彼女を、ただ愛せば良かった。この星でしか生きられぬ彼女を、愛せば良かったのだ。
打ち付けた胸に溢れ返ったのは、後悔の念だった。何がしたかったのかも、如何すべきだったのかも、今となっては全てが解る。
これが、これが自分だ。ただただ、ああすれば良かった、こうすれば良かったと後悔するばかりで、オングルに生きる女たちのように、未来を見据えて生きることは出来ない。過去を想って嘆くことしかできない。
ならばそれで良いのだ。過去に縋って生きれば良い。後悔して生きれば良い。これから後悔せぬように生きることが、己の為すべきこと、為したいことそのものなのだ。ならばその後悔を胸に抱き、これから後悔せぬようにすることこそが、生き方に違い無いのだ。
ただ愛せば良かった。愛したかった。守りたかった。子どもを、妻を。そしてただ生きるがために戦えば良かった。愛する妻子を守るためと思えば、己を燃やして戦うことも厭ではなかったのだ。
そうだ、戦うのだ。如何に外来種が無敵号を狙っているからといって、無敵号が消えればオングルに平穏が訪れるなどというのは世迷い事だというほか無い。
ひとつきりの腕を雪に突き立て、雪も払わずに起き上がる。指は動かず、脚は重く、それでも無敵号に敵を示すだけならば、この胸の想いさえあればよい。敵の気配を感じつつも、敵の場所が判らぬがためか、己の身体を起こしたきり呆然と立ち尽くす無敵号の脚を伝い、左胸の騎手席へ乗り込む。正四面体を握ってやると、騎手席が燃え盛った。
解るか。
おまえと共に戦う者が此処に居ることが。おまえの胸が熱く燃えていることが。解るか。
飛来する弾丸を避け、さらに南へと向かう。オングルの吹雪が無敵号の姿を梟型から隠してくれたため、その弾丸は一発たりとも当たらない。
辿り付いたのは南緯六〇度領域、『耐え忍ぶ槍』号の落着地点である。仲間と共に乗り込み、極寒の地に突き刺さり、真っ二つに折れたはずの船は、自動修理機構によって幾らか形を取り戻していた。このまま修理が終わるのを待てば、いつの日かオングルを脱出できる日が来るかもしれない。
だがオングルの女は、それを望まなかった。根付いたこの地を離れることを嫌がった。この地でしか生きられなかった。
花でないディーにとって、この地は寒すぎる。
「それでもあの女たちと共に生きたい」
花にはなれない。あんなに強く、咲き続けることはできない。
ならば蜂でいい。
花につく虫でいい。一度刺せば、それだけで死んでしまうような虫でいい。内臓ごと抜けてしまうような、そんな針で構わない。
愛する人を守るため。そんな美しい理由があるわけではない。
だが、守りたい。守らなくてはならない。ただ失いたくない。それだけの本能だ。
身体は根付くことができずとも、心は根付いた。頭も身体も冷たい中で、ただ打ち付けた胸だけが熱かった。硬い心臓が燃えている。
「ならばこんな物は要らない」
狩人の綿菅に聞いた話では、オングルの鳥は銃弾を綺麗だと思って奪いにやってくるらしい。だから銃弾をその身に受けるのだと。ならばくれてやる。このオングルの地で何よりも珍しい、本土産まれの舶来品。『耐え忍ぶ槍』号の切っ先を。
正四面体を押し込んでやると、無敵号がディーの意思を汲み取った。無敵号は、己の身体より遥かに巨大な槍を両の腕で掴み、振り返る。後はただ指し示してやるだけで良い。巨大な梟型に槍を投げつけてやるのは何ら難しいことではなく、無敵号がその小さな身体で放り投げた『槍』号は、梟型の瞳のような黄金色の球体に突き刺さる。
針のように突き刺さった槍は、それだけでは致命傷に至らない。ただ大質量の物体をぶつけただけで倒せるなら、人類は外来種の侵略に苦戦したりはしない。梟型は僅かに浮遊するための均衡を失っただけだ。
だがこのオングルの吹雪狂う大気の中で、均衡を取り戻すことがどんなに難しいことか。突き刺さった槍に引き摺られるようにして、高度を落とす。
その隙を、無敵号もディーも見逃さない。両の脚を踏ん張り、空を翔る。
どんなにか大地を踏みしめて跳躍したとしても、梟型の身体には届くまい。だが打ち込んだその針の、先端までなら届く。巨大な『耐え忍ぶ槍』号の船体を駆け、梟型に向けて疾走する。
得た物珍しい舶来品を眺め居る梟型の、その黄金色の瞳に、無敵号が拳を叩き込む。破片が騎手席へと降り注ぐが、腕で庇うことは許されない。このひとつきりの腕で守れるものは決まっているから。
梟型は呆気無く落ちた。地に落ちた梟の末路ほど、憐れなものはない。熊や狼さえも恐れる夜の女王は、翼有ってのものだった。地に落ちれば後は吹雪に巻かれ、すぐに冷たくなった。
無敵号も雪の上に降り立つ。ディーは血塗れの身体を騎手の座席に預けた。
槍は折れた。最初に落ちたときよりも、もっと酷く。これでは最早、自動修復も叶うまい。もし可能だったとしても、少なくとも自分の生きている間には、無理だ。だが、これで善かったのだ。どんな手を使っても、この地を守りたかったのだから。
そんなことよりも、己の身体の重さが辛かった。無茶苦茶な機動の中で、騎手が無事であるはずがなく、其の前に無敵号から放り出された怪我も含めて、ディーは血塗れになっていた。特に頭が熱い。
外来種は全て倒したということは、無敵号の挙動が落ち着いたことからも解った。このまま集落に帰れば良いのだが、自分は果たして生きて戻れるだろうか。意識が曖昧で、無敵号に方向を指示する正四面体を握る腕が震えた。しかしこの手を離してしまったら、無敵号独りで女たちの下へと帰ることはできやしない。この手を離すわけにはいかないのだ。
しかし『耐え忍ぶ槍』号が突き刺さっていたその場所で、ディーは気付いてしまった。無敵号が引き抜く前に『槍』号が鎮座していた場所に、何かが埋まっていることに気付いてしまったのだ。
それは一見して、鈍色の塊に見えた。『槍』号の破片か、鉱石か、でなければ隕石の欠片か。
が、それが己の力で起き上がるのを見れば、そのいずれでも無いことは明らかである。
その鈍色の塊は、人の形をした無敵号に似た大きさの物体であった。だがその形状は、無敵号や外来種の熊型のような太い胴や逞しい腕や脚に比べれば、幾分ほっそりとした姿形をしている。無敵号や熊型よりも、人らしい姿。
それが外来種では無いことは、あらゆる外来種を敵とみなすはずの無敵号が不安げな挙動をしていることからも理解できた。
両の肩に描かれたるは、この世に二つと並ぶ者が無いはずの、最強の称号を示す文字。
即ち無。そして敵。
そしてその見覚えのある漢字を見たとき、ディーは気付いた。
無敵を両肩に背負うこの兵器こそが、二年前にオングルにやって来た『耐え忍ぶ槍』号を叩き折った機体であるということを。
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