第39話 ディー
名ばかりではなく、オングルの女は花そのものだ。
ディーには改めてそのことを思いながら、故郷のサバイバルジャケットに久しぶりに袖を通した。
なるほど彼女らは花そのものだ。自分では動けぬからと両の手を広げ、可憐なその身とは明らかに違う異形を甘い香で誘い込み、子を産むためにと花弁を広げる。
生きるためにと他の生物を殺すことはないものの、種の存亡をかけて周囲の者たちと張り合う。より高く、より美しく、より甘くなくては子種を残すことはできない。
そうして子が産まれてみると、これまで開けっ広げにしていた花弁を落とし、その身に抱え込むのは子だけとなる。今までの淫蕩ぶりが嘘のように貞淑になり、香りも身をも閉じていく。
否、それまで自分が生きるために使っていたエネルギーを、すべて子のために回すのだ。せっせと朝も早よから光を受けて、忙しなく働き、自分の身を引き裂いて産まれてくる子を、短い両の腕で抱きかかえるのだ。
考えてみれば、花とは阿漕なものだ。
無敵号の騎手席に乗り込み、ディーは嘆息した。
女はひとりでは子を残せない。生きることさえできない。花弁を蜜で濡らし男を待ち受けるだけなのにも関わらず、か弱いどころか強靭な印象さえ与えるのは、強い女が男を捕らえるのは確実なことだからだ。男の場合は、いくらその男が強かろうとも、獲物に巡り合えるとは限らず、また地の利が味方するとは限らない。強い者が勝つとは限らない。女は違う。女は勝つ。強ければ、勝つ。美しければ、必ず配偶者を捕らえ、子種をものにする。
自明の理である。男は女の誘いを断れない。噎せ返るほどの香りで誘われ、湯気昇るほどの熱気で迎えられれば、男は女の花弁に飛びつき、蜜を吸う。
が、すべての女が美しい花を咲かせられるわけではない。貴く、美しく、凛としている者だけが勝ち残れる。子を残せる。自然、争う相手は仲間になる。隣に立つ花よりも強い者が生き残れる。
してみると、ディーには花になれそうにもない。敵と対峙し、生きるために、生かすためにと両の手を振るうのは苦手だが、同じくらいに自らの場所を守るため、強く強くとあろうとし、子を守り続けることなどできるはずがない。
彼女らは強い。
それに比べれば男など、か弱いものだ。必死で守ろうとするのはちっぽけな自分のものだけである。
だから守りたい。強いから、守ってやりたい。強く見えるから、守ってやりたい。強くあり続けることがどんなに辛いかわかっているからこそ、守ってやりたい。
ディーの子を最初に身籠った女は死んだ。
だが彼女に、死はなかった。
生きて、子どもを産んで、そうすれば死なないのだと。子どもが生きている限りは、孫が生きている限りには、あるいはその孫のさらに子どもが生きている限り、自分は死なないのだと、彼女はそう言っていた。
だが自分はそうはいくまい。そう思いながら、ディーは騎手席の四面体に手をやる。
なぜならば、自分は男だからだ。ディーは男だからだ。男は死しては何も残せないからだ。
オングルの女たちは立派だ。そう思っていた。だが彼女らが強いのは、オングルに生きているからではなく、女だから強いのかもしれないと思うようになった。
女は強い。事実、男たちはすべて死に絶えたが、女たちは生き残っている。地に根ざしたその生命力だけでも凄まじいのに、恐ろしいのは死してなお、この場に存在していないのになお力を持ち続けている点だ。苔桃は死んだ。だが彼女の温かみはふたりの子、鈴奈と清白に残っている。
リリヤも、同じだ。リリヤはこの場にはいない、が、それでもずっとディーの心に留まり続けていた。彼女にとってディーはもはや死んだも同然だということは理解していて、同時にそうなればディーにとってもリリヤは死んだようなものだと思うようになっていた。それでも――それでもリリヤのことは心にあった。恋人を想うディーは、彼女のことを忘れるでもなく、悼むわけでもなく、祈ったの。ちょうど神か天使に祈るように。
ディーは女ではない。自分は女の腐ったようなのかもしれないが、けして彼女らのように力強く、影響強く立ち続けられるわけではない。
だがそれでも、
石竹が手当をしてくれた。
綿菅が食料の狩りを教えてくれた。
撫子が言葉を学ばせてくれた。
苔桃が、苔桃が――彼女はディーに生きる喜びを教えてくれた。この、この場所で。ディーがたったひとりではけして生きていけなかったであろうこの場所で。生きる道を示してくれた。
ディーが彼女らを守ってきたのではない。彼女たちが、ディーを守らさせてくれた。
だから、どうか。
どうか、どうか、とリリヤに祈る。
きみを愛したように子どもたちを愛させてください。
負けないだけの強い心を与えてください。
死ぬまで戦えるだけの硬い心を保たせてください。
守らせてくれるままに守らさせてください。
どうか、どうか。
無敵号のこの胸に火を灯し続けることが必要だというのなら、ありとあらゆるものを燃やし尽くそう。どんなに大切なものでも、どんなに貴重なものでも、それが燃えるのならば火をつけよう。
いまひとときだけで良い。内臓を抜き取られようが構わない。この針さえ貫き通せればそれで構わない。たとえ相手を殺せなくても良い。追い払えればそれで良い。
「これはおれのものだ」
この花は、この花畑は、すべてぼくのものだ。だから守る。
いまだけ無敵であれば良い。今この一瞬さえ、何物よりも硬くありさえすれば良い。ただこの針を貫き通すそのときまで折れなければ良い。その後に砕けても構わない。
無敵号の砕けた赤目に光が宿る。
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