心臓までダイヤモンド

山田恭

一、成功時に名誉有り Honor and Recognition in Case of Success

第1話 ディー

『親愛なるリリヤへ。

 今日は部隊の仲間たちに、きみのことを初めて話した。こんなことを書くと予想できるだろうけど、実を言うと、いままできみのことを話していなかったんだ。なんというか、言う機会がなくって。それで、たまたまその機会があったから言ってみたら、なぜか胴上げまでされてしまった。

 前にも書いたと思うけれど、部隊の仲間はみんな気の良い人たちばかりだ。ワースリー伍長も、マッキルロイ一等兵も……いつもは口がへの字のままの神経質なハドソン少尉も、珍しく笑顔で、ちょっと怖かった。彼の影での渾名は仏陀ブツダなんだけれど、一生に三度しか見せない仏の顔が出てきたとみんな言っていた。

 彼らは、とても素晴らしい人たちだ。ぼくは、彼らと共にこの任務に携われることをとても嬉しく思っている。半年間続いた旅も、もうすぐ折り返し地点だ。これからが作戦の本番になる。いま、オングルの大地がどういう状態なのかは、まだ判っていない。簡単な任務にはならないと思う。それでもぼくは、みんな揃って帰還したいと思う。オングルの人々を全員助け、そして外来種を退けてきた正体不明の兵器を手にして。

 この任務を終えれば、きっと勲章も貰えると思う。そうすれば、きっときみのお父さんも認めてくれるはずだ。そうしたら、結婚しよう。待っていてくれ、リリヤ。

 きみのディーより』


   ***

   ***


 恋人の二の腕のむっちりとした感触や細い腰の柔らかさ、胸元の温かさから一変して、金属の硬さと雪の冷たさ、痛いほどの炎の熱さを感じた。

 空は黒かった。しかし不気味なほどに月と星が輝いていて、おかげで暗くはなかった。空に輝く星のひとつひとつが、測量のための三角標や道標たる灯台ではないということは、少ないながら星々の海を渡り歩くことで、体験として知っていた。目に映る星々のほとんどは、燃え盛る恒星だ。

 星があんなに明るく見えるのは、遮る物が無いからだ。空気や、水や、細かい粒子や、そうした細々とした、瑣末で矮小な、それでも一生懸命に光を遮ろうと努力する物が少ないからだ。何より、星明りを遮らぬ程度に辺りが暗いからだ。周囲には銀色の雪原がただただ広がっていて、空にはふたつの月が輝いていて、ここが本土ではないことは明らかであった。

 地面は白かった。星明りに照らされた雪が仄かに光っている。さらさらとした粉雪のすぐ下の、殆ど固まった氷のような積雪の感触は、この雪原がほとんど人や獣が立ち入らない場所であるということを示していた。


「オングル」


 ディーン・ブラックボロ一等兵は、視線を巡らせた。地に広がるのは何処までも続いているきらきらした雪原だったが、すぐ傍では落着の衝撃で砕けた降下艇が炎を吐いている。さらにその奥に、折れた槍が見える。『耐え忍ぶ槍』号。オングルの人々を助けるために建造された大型戦艦がいまや真っ二つに折れ、雪原に突き刺さって燃えていた。

 折れた槍の燃える炎の中には、葉がすべて落ちた枯れ木のようなものが見えた。それが火で捻じ曲がった人の姿であると理解できたのは、どんなに変形しても同じ種の生物を見分ける本能のようなもののおかげなのかもしれない。炎に身を焦がされて悲鳴ひとつあげないのは、既に事切れているからだ。つい先ほどまで会話を交わしていた人間が原型を留めぬほどに破壊されているという事実に、人間の身体が焼かれているというそのさまに、人間の肉が漂わせるその臭いに、吐き気を感じる。

 嘔吐物は既に胃からせり上がり、口内へと達していた。吐こうと思い、仰向けに空を見上げるような体勢から、顔を下へと向けようとしたが、その瞬間に自分の身体が酷く不自由になっていることに気付いた。

 なんとか首を動かすことで、嘔吐物をそのまま喉に詰まらて窒息するということは免れたものの、顔に少し吐瀉物が付着した。赤いものの混じった吐瀉物は、落下すると、さらさらした雪の上を流れ、その表面を溶かして凍る。自分の口から出た物でも、溶けかけの固形物とどろどろとした液体が混じった吐瀉物を見るのは気分が悪い。

 だがそれよりも、いまは気に掛けるべきものがある。視線を自身の身体へと移す。腹、右足、左足、左腕。いずれも落着の衝撃で裂傷や擦過傷を負っていたり、近くの炎から飛んでくる煤に塗れたりして汚れてはいたものの、動くという意味では無事だ。


 しかし右腕は、降下艇の破片によって押し潰されていた。


 押し潰されているというのは正確ではないかもしれない。なにしろ、感覚はしっかりあり、痛みはない。破片が上手い具合に積み重なって、腕を拘束しているだけなのだ。潰される心配はない。だが、抜けない。大気圏突入に耐えうるだけの素材で作られた降下艇の破片は重く、人間ひとりの力ではどうにも動かせない。

 誰か協力してくれる人間がいれば、たとえ二人掛かりでも力任せには破片を除けることができずとも、引っ張り出してくれるかもしれない。何か道具を探してきて対処できるかもしれない。

 しかし。

(生き残ったのは、ぼくだけだ………)

 ディーには直感的にそれが解った。酷い事故だった。いや、事故なのかさえ明らかではない。ディーが乗っていた戦艦は、大気圏外で真っ二つになった。彼が生きていることさえ奇跡的なことなのだ。他の人間が生き残っているとは思えない。皆、死んだ。潰され、焼かれたのだ。死んだのだ。


「リリヤ………」

 彼は故郷の恋人に思いを馳せた。

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