第372話 コルペディオンの戦い(Ⅶ)

 ザラルセン隊の中央突破を援護するために敵左翼を引き付け後退しつつ、西へと部隊を移動させていたヒュベル、プロイティデス、エテオクロス隊は終にその足を止める。敵に捕捉され戦闘状態に入ったため、これ以上の西行を断念せざるを得なかったのだ。

「だが十分役割は果たした。これで敵戦列は薄くなりザラルセン隊突破の下敷きは十分に作ったはずだ」

 両翼の役目は敵と戦い時間を稼ぐことである。その間にザラルセン隊が突破に成功し、教団の背後に回り込むことで痛撃を与えて全面潰走させるか、一部でも潰走させ、その動揺を全軍に波及させることで数的不利を挽回させることだけが勝利するたった一つの糸口だった。

 しかも王師に余剰戦力はない。ザラルセン隊が敢闘して、なんらかの結果をもたらすまで右翼は独力で戦わなくてはならない。

 こちらも左翼と同様に、教団が攻め王師が守るという構図だけは変わらない。左翼では最左翼のガニメデ隊が最も敵の攻撃を集中して受けることになったように、右翼では最右翼に位置するエテオクロス隊が敵に回りこまれることで複数の部隊から半包囲攻撃を受け、防戦に追われていた。

「将軍! 敵はますます数を増して層を厚くしております! 一部は後方へと回り込みを計っています! 我々はいったいどうすれば・・・!?」

「落ち着け! うろたえるな! 各隊持ち場を遵守し、堅持せよ! 後方に回り込まれても、大丈夫なだけの堅陣を布陣してある! 守っていればそのうち、味方が必ず駆けつけてくれる!」

 敵の攻撃の精度や兵士一人一人の技量は低く、王師の兵にとってはそれほどの脅威にはならなかったが、ただ敵は数が多い。そんな攻撃でも積もりに積もれば馬鹿に出来ない圧力となる。王師はその攻勢を押し留めるために気力を振り絞らなければならず、心身ともに大いに疲弊する。エテオクロスはその度に様々な言葉で味方を鼓舞せねばならなかった。

 もっとも当初の布陣位置より移動したということは王師は野戦築城していない土地で防衛戦を行わなければならないということだ。

 もちろん窪地、小山、立ち木、ほんの僅かな優位性しか生み出さないものさえ利用して布陣したが、そんなものは気休めに過ぎない。

 それにザラルセン隊がいつ助けにやってくるかは言ったエテオクロス本人でさえ分からなかった。

 いや、そもそも果たして本当にザラルセン隊が中央突破に成功し、その衝撃を動揺として波及させ、この教団の巨大な軍隊を打ち崩せるかどうかすらエテオクロスは懐疑的だった。

 だが時に将軍は必ずしも信じているわけでもないことでも、兵士を勇気付けるために言わねばならないのだ。

 幸いなことにエテオクロスの将軍としての才に深く傾倒している兵士たちは、その励ましにひとたび気力を取り戻したようだった。


 その頃、常に進行方向を味方の教徒に塞がれる形になったことで得意の騎馬を使って高速進撃することも、機動攻撃することもできずに不満を募らせる一方だったデウカリオもようやく友軍の端に辿り着き、敵の姿が見える位置まで回り込むことが出来た。そこは王師右翼の後背に位置していた。

「よし、これで片翼の回り込みに成功したぞ。これで勝利は我らのものだ。数も圧倒的に多い我らが負ける要因は皆無と言えよう。後方から突撃し、王師を一気に蹴散らしてくれるわ」

 だがデウカリオの期待もむなしく、王師の最右翼部隊であるエテオクロス隊は背後に回りこまれることを計算に入れて布陣していた為、カトレウス隊の攻撃は思ったほどの打撃を与えられない。隊列を少しばかり歪ませるのがせいぜいだった。

 王師は度重なるカヒ、オーギューガとの死闘で騎馬兵との効果的な戦い方をその身をもって学んできた。今や韮山の時と違い、騎馬攻撃の一撃であっさりと崩れ去るようなことはないのである。

「ふん。準備万端整えていたというわけか。まぁいい。こちらも開戦からしばらく槍を振るう機会がなく、腕を持て余していたところだ。一度や二度の攻撃で逃げ出されては却って興醒めというものよ。ボイアース、卿が行って少し遊んでやるがよい」

 部隊を入れ替え、攻撃に本腰を入れようとしたその時、デウカリオの視界の端を移動する部隊の姿がかすめた。

「ん? バルカ隊か。ようやく戦場にご到着というわけか」

 バアルは戦うべき敵にありつくことなく、遂にこんなところにまで来なければならなかったのだろう。一番外の配置でデウカリオ隊の後方を進まなくてはならなかったから当然のことではある。

 性格の違いからバアルとなにかとうまくいくことの少ないデウカリオは、憎まれ口を叩く。

「そこで我が隊が敵を壊滅するところを指をくわえて見ているがいいさ」

 バアルより良い位置に先に布陣したことで心理的余裕、優越感が出たのであろう。

 だがデウカリオの余裕もそこまでだった。一旦、戦況を確認するため視線を外したデウカリオが再び見たバルカ隊は、デウカリオの想像していた位置には一兵もおらず、なんと戦場の奥へと遠ざかっていたのだ。

 バアル隊は敵を右手の至近に臨んでも部隊を回頭も展開もさせず、移動陣形のまま部隊を東へと、さらに奥へと移動を続行させた。バアルは敵の端を回り込むが、ディスケスのように眼前の敵を相手にするのではなく、後背からこのまま一気に敵の本陣、すなわち王そのものを突こうとしたのである。

 戦士としてのさが、兵は目の前に敵が布陣していたら戦わねばならぬという気持ちになりがちであるが、将軍までもがそうであってはいけないのだ。戦術的要因にこだわって戦略的視点を失ってはいけないのである。戦いとは勝利するために行う行動のことである。ならば勝利するために必要な行動こそを取るべきだ。今回の勝利条件は教団の兵が王師の兵に勝つことではないのであるから。

 これを功名心ゆえの汚い抜け駆けであると考えるのは少しばかり穿うがち過ぎと言うものである。

「他の将軍は怒るだろうな。抜け駆けもいいところだと言うだろう」

「ですが日暮れまでまもなくです。もう時間がありません。優勢に押しているといっても王師の戦列は堅く、すぐには綻びが生じそうにありません。夜陰に入れば、敵味方混戦となり、戦場は混沌とします。そうなれば戦況はどう転ぶか分からないし、例え勝利しても王を取り逃がす確率が高くなる。ならば一気に本陣に迫り、退路を断つ。そうすれば王は逃げ場を失います。それは教団の戦略に沿った動きです。どこからも文句の出ることはありえないでしょう。その上であわよくば我々の手で王の首を上げてしまおうというバルカ様のお考えは正しいと私も思います」

 バアルとは気心の知れているパッカスはそう言ってくれるが、バアルが問題としているのは同僚の将軍や教団幹部と言った連中相手のことである。

「皆が皆、そう考えてくれると私としても大いに助かるのだがな」

 きっとそうはならないであろうことは覚悟していた。だが多少の悪名をかぶることがなんだというのだ。それで王の首が取れるのならば十分ではないかと思い直した。

 バルカ隊は無人の野を王旗に向けて駆け抜ける。

 通常ならば敵翼の外を通って本陣を突こうとしても、各部隊が背後から慌てて追撃の部隊を発して、その妨害で成功はしなかっただろう。

 だが今は敵に対して味方の数が圧倒して多い。敵に余剰戦力はない。敵戦列の裏側にまで回り込んだ味方が、特にデウカリオ隊が敵の追撃を塞ぐ位置に蓋をしてくれているという幸運もあった。

 もしバアル隊を攻撃しようと王師右翼が後ろから兵を発しても、バルカ隊に辿り着くにはデウカリオ部隊の前を通らねばならぬのだ。

 何よりも王師は眼前の戦闘に集中していた。集中しなければ次の瞬間に陣が崩壊する激戦だったのだ。

 それにデウカリオ隊がちょうどバルカ隊を隠す屏風の役割を果たしてくれていた。だからこの時、この戦場でバアルの意図を即座に見破ったものは一人しかいなかった。

「おのれ、あの小僧! 抜け駆けするか!!」

 このままではバアルに巨大な勲功を奪われかねないということもしゃくだったし、何よりも自身を敵の目を惹き付ける為の囮に使われたようでデウカリオは不快だった。

 デウカリオは目の前の戦闘を放棄し、バアルの後を追いかけることを決意する。

「我らも後を追う!! きゃつだけにいいところを持っていかれてなるものか!!」

「しかし、それでは敵に後ろを見せることになりますぞ。それにバルカ隊と違い我が隊は既に戦闘状態です。敵もうかうかと我らの足を離してくれるとは思われませんが・・・」

 レイトスがそう具申して、デウカリオの頭を冷やそうとしたが、すっかり血が上ったデウカリオの頭にはあまり効き目は見られなかった。

「我がほうは圧倒的に優位な体勢で戦っているのだ。敵に反撃する力など残っておるまい。もし敵がワシの動きに気付いて背後から兵を発して攻撃しようとしても、残った戦列を支えきれずに自壊するだけよ。それならそれで結構なことだ。一向に構わないではないか。それに足を掴まれているのなら振り払えばよい! なんなら引き摺ってでも行けばよいのだ!」

 デウカリオは怒ればカトレウスすら扱いかねる悍馬かんばの如き男なのである。

 こうなると誰にも手が付けられない。ボイアースもレイトスも首をすくめるだけだった。


 前へと急ぐバルカ隊の後方で土煙が立ちあがった。どうやらバルカ隊を追跡する部隊が出たようだ。

 敵だと少し厄介なことになる。馬上から伸び上がってしばらく後方を見ていたパッカスは、やがてその正体に気付くと笑みを浮かべた。

「どうやらデウカリオ様のようですね。将軍の意図に気付いて同調する気になられたようですよ」

 だといいがな、とバアルは悲観的に考えた。どうせ抜け駆けされることを恐れて後を追ったというのが本当なのであろう。

「だがともかくも、これで一人で抜け駆けして功名を立てたなどと陰口を叩かれずに済む。それに王の本営を攻めるのだ。味方は少しでも多いほうが良い」

 この時点で王師の本営にどれほどの数の兵がいるかバアルは把握していなかった。だが少なくとも王の本営なのである。一万を下ることはないだろうと思っていた。僅か二千の羽林の兵だけだと知ったら驚いたことであろう。

 再び視線を前方へと戻したバアルは途中で違和感を感じ、もう一度斜め右前方を二度見する。そして首を捻って小さく呟いた。

「妙だな・・・」

「どうなされました、バルカ様?」

「中央部に位置していたはずの王師と教団の軍、双方の姿が見えない。軍のいない全くの空白地になっている。王旗の向こう、右翼では戦闘が行われているのか土煙が舞い上がっているが・・・」

 普通に考えれば、どちらかが勝利して余剰戦力を他の戦線に回したと考えるのが一番筋の通った考え方だ。

 もしくは教団左翼と王師右翼のように両軍が戦いつつ移動し、戦場が少し離れたということも考えられる。

 もっとも王旗の近辺に教団の兵が殺到していないところを見ると、教団が王師に押し勝ったという可能性はまずないであろう。

「ま、いないのだから仕方がない。それにいないものは考慮する必要があるまい」

 もし中央に教団が蹴散らされ王師だけ残っている形であったら、バルカ隊だけでは手に余る相手だ。王の首を取るどころか、こちらの首が取られかねない。

 当面、それが無くなったという事だけでも、バアルにとって大いなる好機と言うことである。

 しかもさらにバアルの眼前には目を疑うような光景が広がっていた。あまりの非現実ぶりに何者かが魔術で作り出した虚像のようにすら感じられた。

 そこには戦場に王の本営がぽつんと取り残されるように只一つ存在していた。もちろん王の馬廻りである羽林の兵はいるようだが、その数は多くても三千・・・いや、二千と言ったところだった。

「これは好機だ。どういう事情か知らぬが、王は僅かな手勢しか持たぬ状況で戦場で孤立しているようだ」

「他に敵影はみられませんね」

 パッカスもその思いもよらぬ風景に何かの罠かと思い、敵兵を求めて思わず周囲を幾度も見回したほどだった。

「かかれ! 王の首級は目前ぞ!!」

 バアルは槍を小脇に抱えると、自らを先頭に部隊を密集陣形に再編して王旗に近づいていった。

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