第320話 牧野が原に陽は落ちる(Ⅰ)

 ガニメデ隊と距離をとって宿営地を構えたデウカリオの下にその知らせがもたらされたのはその夜のうしの半刻(午前三時)であった。サビニアスの死に伴う混乱と、デウカリオらの宿営地を探して道に迷ったことで報告がここまで遅れたのである。

 深く眠り込んでいたところを叩き起こされたデウカリオはただでさえ不機嫌なところにその知らせを受け、唸るような大声をあげて側近たちを怯えさせた。

「許さぬ! あの売女めが!!」

 ツァヴタット伯の椅子ほしさに王に尻尾を振り、河東に兵を入れる口実を与え、河東西部の諸侯の離反を促し、カヒが滅びるきっかけを作っただけでも、カヒの者であるデウカリオには許されざる大悪人に見えていたのだが、更にサビニアスをその手で直接殺したとあれば、もはやウェスタはデウカリオにとって王よりも憎い存在であった。

 特に外様衆であるにもかかわらず、カヒが滅びた後もカヒ再興に力を尽くそうとしているサビニアスにデウカリオは多大な好意を持っていただけに怒りも倍増していた。

 もっともウェスタにはウェスタの言い分もあるのだが。

 デウカリオは怒りが収まりきらないらしく、地面を足で幾度も蹴りつける。側近たちは悍馬かんばのごとく暴れまわるデウカリオにかける言葉もなかった。

 本営で起きた時ならぬ騒ぎを聞きつけディスケスやバアルら将軍たちも次々と集まり始めていた。

「・・・まずは遺体を収容せねばなるまい。戦はその後だ」

 ようやく落ち着きを取り戻したデウカリオはそう言うと、兵を割いて部隊を編成し、サビニアスの遺体を回収に向かわせた。


 一方その頃、上州に兵を入れたテイレシアはさっそく着陣を知らせる使者を発した。

 敵味方双方にオーギューガの到着を告げることは不合理に思えるが、諸侯の城を攻略している王師の手を止めさせ、篭城している味方の士気を高めるのには必要なことだった。

「我らの要請に応えて出兵していただいたこと、感謝いたします。必ずや兵を発して加わりますれば、しばしのお待ちを」

 諸侯からの返事は明確にオーギューガの援軍を喜ぶ口ぶりだった。

 だが思ったほど諸侯の援軍が集まらない。

「奴らはこれが自分の戦いだと思ってないのです」

 オーギューガの諸将は憤慨しきりだった。

 幾度も危機を救い、領土を追われた彼らをかくまい、そして諸侯の座に復したのは誰のおかげか忘れているというわけだ。

 そもそも兵を起こすのだってただではないのである。義のためとはいえ、オーギューガにとって痛い出費な事には変わりがないのである。

 とはいえ上州勢がカヒを裏切りオーギューガに寝返ったのは、天下統一のために配下の諸侯をカヒの支配体制に組み入れようとしたカトレウスの諸侯の権力に対する介入を嫌ったせいだ。別にオーギューガに心から信服したわけではない。

「そんなものであろうな」

 だからテイレシアはその状態を冷静に受け入れていた。

 上州の諸侯は新恩給付の者が多い。オーギューガと心中する義理はないと思っているということであろう。

 だが、もしオーギューガが滅びれば、もう二度と彼らが頼るべき存在がなくなる。

 そして天下を統一した王の強大な権力の下に、諸侯の権力は押さえつけられるはずである。王の標榜ひょうぼうする戦国の世の終焉とはそれなくして実現することが出来ないからだ。

 朝廷が諸侯から権を取り上げようとすることはカトレウスがしようとしたことの比ではないはずだ。

 その時になって、王のすることに異議を唱えるために反旗を翻しても遅いということになるのだが、彼らはそのことにまったく気付いていないのであろうか。

 テイレシアはそのことを考えた時だけ、上州諸侯の気が知れず首をかしげた。

 だがそれでも上州諸侯の中でもオーギューガに味方するものが皆無というわけでもない。ぼちぼちと兵は集まってくる。

 王師が動き出したことを確認して、テイレシアはヴェロヴォハへと近づいていった。

「ここだ」

 テイレシアが軍の足を止めた場所は牧野が原と言う場所だ。東西二里、南北三里の上州の中では極めて珍しい広大な平原である。大軍の展開にはもってこいだ。

「王師は険所に篭られて戦うのを嫌うはずだ。何よりも早く解決したいだろうからな」

 王は大軍を率いて河東へとやってきた。一日過ごすたびに莫大な金額が国庫から消えていくことを考えれば早くこの反乱騒ぎを収めたいはずだ。それに長期化すれば不測の事態が起こるかもしれない。

 そういう意味では王師が布陣するのに牧野が原以上の適地はここ上州には無いと言って良い。ここに布陣をすれば、王師はよだれを垂らした犬のように尻尾を振って近づいて来るに違いない。

「こちらはわざと牧野が原北端に陣を敷き、諸侯の兵を待つ構えを見せる。すると王師は大軍であるという事も手伝って極めて無防備に牧野が原に入ってくるはずだ」

 テイレシアは諸将を集めると作戦の概要について説明を始めた。

「そこで三千ばかりの兵を急ぎ入り口まで派遣し、小競り合いを挑ませる。その部隊は退きつつも敵と戦い王師の部隊を牧野が原へと誘い込む。むろんこれは擬態である。王師に陣営を築く暇を与えずに牧野が原に引き入れることが目的だ」

 テイレシアの手袋をはめた指が地図上を上越街道をなぞるように滑って止まる。そこは上越街道と九十九谷川がもっとも近づく場所だった。

「その長く伸びた兵列に、突如立った上州諸侯の兵三千が襲い掛かる。敵は慌てふためくに違いない。王は先段の兵を救おうと後詰を繰り出すはず。そこに伏せていた我がオーギューガの精鋭五千が左右から襲い掛かる。崩れ去り逃げ延びようとする王師を私自ら率いる本陣備え四千が九十九谷川に叩き落す。これで戦の趨勢は決まる」

「完璧な策です。敵も小手先の対応に追われるはず、我々の意図を見抜く余裕はありますまい」

 カストールもそのテイレシアの策に同意を示した。

 もっとも他に良策が思いつかなかったという理由もある。兵数の少なさからオーギューガに取れる選択肢は少ない。しかも兵数で劣るオーギューガが勝つには先手を取ってそのまま押し切るしかないのだ。

「ではこれからそれぞれの持ち場を決める」

 テイレシアはそう言うと、軍配で地図の上を指し示しながら担当を決めていく。

 そのテイレシアの指示にそって兵は素早く各所に伏せられた。王師はオーギューガが上州に来たことを知り、各城の攻略を中止して北上を開始する。 決戦の刻はすぐそこまで近づいてきていた。


 上越街道を王師の兵は北上した。牧野が原到着は三月二十三日である。

 オーギューガの布陣する牧野が原に入るや否や、王師の先頭集団は待ち構えていたと思われるオーギューガの先兵に早くも奇襲を受けた。

 先頭集団の指揮官であるベルビオは突然の出来事に戸惑うが、敵の攻撃は散発的であまり組織立った動きを見せず、苦も無く跳ね返すことに成功する。

「これが音に聞くオーギューガの兵か?」

 オーギューガの精鋭はカヒの兵にも負けず劣らず強兵だと聞こえてくる。だがあれ程苦労したカヒの兵との違い、あまりの手ごたえの無さにベルビオも首を捻る。

「上州の兵じゃないですかね」

 あまりのあっけなさにベルビオの側からは暢気のんきな声も上がる。

「まぁいい。それに敵をこっぴどく叩いておくことは、これからのことを考えると悪い話ではない。」

 敵兵に恐怖を植え付けることに成功すれば、しばらくの間、その兵卒は使い物にならなくなるのだ。

 それに今の位置のままではベルビオ隊に蓋をされた形になる王師は、これ以上牧野が原に兵を入れられない。どうせ奥に進まなければならないのだ。ならば崩れたつ敵を攻撃しながら前進するのが合理的と言うものであろう。

「よし追撃をかける。遅れるなよ!」

 ベルビオはそう命じると大将自ら一騎で駆け出し、敵中に錐のごとく揉み込んでいった。

 ベルビオの超人的な活躍の前に、前を塞ぎうる敵将はおらず、敵は遂に崩れ去った。ベルビオ隊は勇躍、逃げる敵を追いかけて牧野が原深部へと進んでいく。

 敵は幾度か頽勢たいせいを立て直そうと試み、振り返ってはベルビオ隊と交戦するが、その度に手痛い反撃を受け、再び敗走を続けるだけだった。

 一旦は街道に詰まった王師の諸隊も、ベルビオ隊が動き出したことを受けて次々と牧野が原に進入していった。

 だが入り口は狭く、ただの一つしかない。しかも敵を追いかけるベルビオ隊を追いかける形で順次、前が開き次第、進発する形となった王師の諸隊は上越街道沿いを細く長く伸びた陣形になった。後軍の中ほどに配置された有斗の場所からは、先頭で起きていた変事を見ることが出来なかった。

 ただ、いきなり行軍の足がしばらくの間、止まったことから、なんらかの障害が発生したことだけは有斗でも察することが出来た。

 有斗がこの変事についての報告を待っていると、やっと前方から一番先頭に位置するベルビオ隊の旗をなびかせた使い番がこちらにやってくるのが見えた。

 彼がこんなに遅くなったのには理由がある。今や狭い街道は王師の兵でごった返している。逆走して進むことはなかなかに難しい芸当だったのだ。

「敵の攻撃を受けて応戦中!?」

 敵は牧野が原奥地に布陣していると報告があったはずだ。いつのまにか陣を前方へと移動させ、険所を抜けてくる王師を個別に撃破していく公算というわけか?

 一瞬、冷やりとする有斗。だが使い番はその有斗の懸念を無用のものである旨を告げた。

「はい。しかしベルビオ卿はその敵の奇襲を退け、逃げる敵を追い散らして味方の為に場所を確保しております。心配することはございません」

「ご苦労だったと伝えておいてくれないかな。戦いぶりに実に満足しているともね」

 そう笑いかけると、手を振って使い番に退出を促す。敵を目の前にして総司令官である有斗にはやるべきことが山ほどあるのだ。

「はっ!」

 そう返事をして下がろうとする使い番を有斗はもう一度引き止めた。

「・・・それから、あまり深追いはしないようにと伝えておいて」

 これが敵の罠である可能性を不意に思い立ったからである。


 有斗の懸念は当たっていた。

 その時、既に、長く伸びた王師の隊列の右側、九十九谷川沿いの葦原の中より不意に兵が立って王師の側面を強襲したのだ。

 特に前方だけに注意が行っていたベルビオ隊は攻撃が集中したこともあって、隊を割られるほどだった。

 だが第二陣のエレクトライ、第三陣のリュケネともに王師の隊列があまりにも縦に長くなることに懸念を抱いており、左右に気を配ることを怠らなかった。

 素早く戦列を回頭させ、上州諸侯の兵に襲い掛かったため、それほど被害をこうむらなかったどころか、逆に数の少ない上州諸侯の隊を押し返した。

 しかも同時にベルビオ隊を支えるために兵を出すことを忘れなかったことから、戦列の乱れたベルビオ隊も持ち直すのは時間の問題と思われた。

 だがそう甘くは行かない。敵はオーギューガなのである。こんどは王師の隊列の左側から喚声と共に兵が沸き出でて、王師に襲い掛かった。同時にこれまでベルビオに追われて逃げていた部隊までもが反転して襲い掛かる。

 三方から攻撃を受けたベルビオ隊だけでなく、苦労して戦列を回頭させた結果、一番無防備な背面を強襲されることになったエレクトライ、リュケネ両部隊も極度の苦戦に陥った。

 そうなると押される一方だった上州諸侯の兵も盛り返して、王師に攻撃を加えだした。

 こうして三方から押される形となった王師の先頭集団はずるずると押し込まれていく。

 その先には激しい流れと切り立った崖を持つ、九十九谷川が牙をいて待ち構えていた。

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