第145話 河東動乱(Ⅱ)

 様々な情報を集め、現状を分析した結果、東岸諸侯はどうやら本気でカトレウスと敵対してでも朝廷の傘下に入りたいと願っている、嘘ではないということで意見の一致をみた。

 何しろあらかじめ人質を出すとまで言って来ているらしい。

 王師の将軍たちも大層な乗り気である。

 武功のためだけでない。どうせいずれはカヒとも雌雄を決しなければいけない以上、河東に橋頭保を作っておくのは戦略的にいっても大きな意義があるからだ。 

 だがこれは初めて本当の意味で有斗が決断を下した出兵ということになる。失敗は許されない。

 それにカヒに王師の動きが知れ渡れば、兵を催して妨害をするやもしれない。

 そうなれば厄介なことになる。朝廷は関東に倍する関西の地を手中にしたばかりだ。混乱もあるし、関西諸侯は有斗に心服しているわけでは無いだろう。ここはその関西の地を基盤として盤石なものにすることを優先するのが、アリアボネが有斗に示した最後の戦略方針だった。泥沼の消耗戦にこのまま突入することだけは避けたいところである。

 慎重かつ迅速にことを運ぶという前提条件は付けたが、有斗は王師の派兵を決断した。


 兵は拙速を貴ぶとばかりに有斗は王師右軍をヘシオネに率いさせ、河北遠征や関西遠征で使った河北との渡しにある船に乗せて大河を下り、一気に大河東岸に上陸させる。

 幸いなことに抵抗は全くなかった。

 ヘシオネが王の名において檄文を飛ばすと、河東西岸の諸侯は次々と朝廷へと旗幟を鮮明にし、自ら兵を率いて参陣するか、あるいは使者を続々と遣わした。

 兵力的には当てにならなくとも、地元諸侯の協力と理解を得れた形になるのは大きい。入ってくる情報が桁違いに増えるからだ。

 河東先遣隊は水の便のいい低丘陵に強固な陣営地を築き、後続を待つ。

 そこに、続いて陸路を進んでいた元関西王師左軍と王師中軍が遅ればせながら大河を渡って合流した。

「やあヘシオネ、ご苦労だったね」

 朝廷には難問が山積しているにもかかわらず、有斗自らが兵を率いてやってきたのだ。

「陛下の御親征とは恐れ多い。このヘシオネに万事お任せあればよろしいものの」

「ヘシオネを信頼してないわけじゃないよ。ただ、河東の地を一度、この目で見ておくには良い機会だと思ったんだ」

 長征の間、鹿沢城を守り切ったヘシオネの武略を素人に毛が生えた存在である有斗が心配するのは僭越というものである。だがヘシオネがこの遠征軍の主将という大役を務められるかというところに心配がないわけではなかった。

 なにせヘシオネはアエティウスと違って、正式な諸侯でもなければ、そもそもが女である。その風下に立つのを良しとしない王師の将軍がいてもおかしくはない。なにしろジェンダーフリーの概念やら男女雇用機会均等法やらが無い世界なのである。この世界ではアエネアスを例にとるまでもなく女が戦場に出ることもないわけでは無いのだが、やはり何といっても戦場は血なまぐさく、残酷で、残虐な、男の世界なのである。女というだけで蔑視される。

 しかも派兵した一師は元関西の王師である。関東の風下に立ちたくないという思いもあるだろう。有斗がいないとなにかと揉めて纏まらないこともあろうと思って、念のために出陣したというのが本音である。

 カヒとの全面対決が見込まれるなら、三師程度の軍と共に王が敵地近くにいるのは危険極まりないが、いったん兵を退いたカヒが河東に戻ってくるのには少なくとも二月はかかるから、王が出陣しても危険はないであろうと反対する声は皆無だった。

 ただ長期戦となれば未だ朝廷側に利あらずであり、長引きそうと思ったらすぐさま兵を退くようにとラヴィーニアには忠告された。


「陛下、陛下、今夜の宿営地をまずはここに建設しましょう!」

 ヘシオネが陣取った小丘陵だが、三軍布陣するのに十分な広さがあった。アエネアスが陣営地を敷くにふさわしい、空いた場所を指さし示す。

「ここを根拠地に河東を攻略しようってわけじゃないし、宿営地まで作る必要はないんじゃないかな。それよりも僕は周囲の状況を知りたい。軍をもう少し東へ移動させよう」

 ここでは大河に近すぎる。東へ進んで諸侯を取り込み、河東西部の地固めを為し、早々に撤収させたい。有斗にとってこれは征東の第一歩で、所詮は些事である。一刻も早くケリをつけ、次のステージに進みたいと焦っていたのだ。

 ヘシオネもその有斗の心は理解できる。理解できるが、有斗より人生経験の豊富な彼女は時には迂路をとったほうが結果的には近道になることもあると知っている。

「陛下。陛下の御参陣を知らば、諸侯が挨拶に参りましょう。朝廷の威を知らしめるためにも、ここに壮大な軍営地を築くのは悪くない手段と思われます。兵にとっても見知らぬ地、長の移動で心身ともに疲れておりましょう。英気を養う必要があります。それに軽々に軍を動かしては、王も王師も軽く見られてしまいます。どっしりと腰を落ち着け、諸侯に余裕のある所を見せねば、朝廷に力がないと疑われ離反を招きます。それにいつまでも陛下をこのように野塵に晒しておくわけにも参りますまい。まずは我が陣営にて、ごゆるりとご休憩ください」

 それは気ばかり焦っていて視界が狭くなっていた有斗に新たな視点を授ける言葉だった。

「そうか、そうだね。王が諸侯を謁見するのにその辺の野原というのも問題あるかもしれない。それなりの場所が必要だね」

 身分や権威など言うものは、確かに現代社会には不要なものだが、法や強力な国家機関のない中世には必要なものだったと、有斗もだんだん本質を理解し始めていた。

「ちぇっ。陛下ってばヘシオネの言うことばかり聞く!」

 そんな有斗にアエネアスは不満そうに口を尖らせた。


 もはや王様業もそこそこ慣れてきた有斗は、河東諸侯たちとの初会見も無難にこなした。

 彼らが口々に訴えることは千差万別だが、共通点がないわけでもない。

 それはカヒのあくなき領土拡大の野望と、その脅威に直面している彼ら諸侯に対する朝廷の保護の必要性である。

 それらを具体的にまとめ上げると、彼らを監視するためにカトレウスがこの大河沿岸部に配したデユンダリオとカヒの兵を堅田城から排除して欲しいということになる。

 堅田城は大河のへりにへばりつくように建てられた水城である。

 元は砦程度の大きさの、小さな地元諸侯の根城だったが、それをカヒが取り上げて、南部遠征するときの前線基地に、また近隣諸侯への睨みを利かす為にと、二重の堀と複数の廓を持つ形に大規模に改修した城郭である。

 カトレウスはそこに一族のデュンダリオに一千の兵を預けて守らせていた。


 朝廷に動きありとデュンダリオが知ったのは、なんとヘシオネが河東に上陸し無事に陣営を築いたその翌日だった。

 油断があったといえばそれまでだが、地元の諸侯がすでに王に内応しており、デュンダリオには一切の情報が入ってこなかったのだ。

 次いで地元諸侯が一斉に王旗に靡いたという嬉しくない知らせもデュンダリオにもたらされる。

「おのれ! 不義のやつばらよ!」

 それを聞いたデュンダリオはまずはひとしきり激高したが、すぐに平静を取り戻した。己が置かれた現状の厳しさに気付いたからである。

 堅田城はカヒの南部攻略のための前線基地とはいえ、もちろん河東諸侯の叛乱や、朝廷や南部諸侯の逆侵攻に耐えうるだけの堅固な城塞である。

 だが問題がないわけではない。それらは全て近隣の大河沿岸の諸侯の多くが共に戦ってくれることを前提に考えられている。

 この時点ではデュンダリオには王師の規模の情報も入っていなかったし、王がどの程度本気で河東侵攻を行おうと思っているのかも検討がつかなかったが、敵地に兵を入れた以上は二軍以下ということはないだろうと想像がついたし、何より周辺諸侯が全て敵になるならば、それだけでも堅田城にを攻めるには十分な数足りえた。

 つまりこのままでは彼に勝ち目がない。

「至急、七郷のカトレウス様や芳野のデウカリオ殿に援軍を!」

「既に早馬を走らせた。だがあてには出来ぬだろうな」

 王師は堅田城よりだいぶ北寄りに上陸した。芳野への道は既に塞がれたと思わなければならない。それに例え使者が警戒網を突破しても、芳野で地元諸侯やオーギューガと小競り合いをしている最中のデウカリオの軍を簡単に動かせるとは思えなかった。

 次に七郷だが、こちらは幾筋もの道があり、使者が到着することは疑いないところだったが、なんといっても遠い。兵を催して河東に来るまで、とても城が持ちこたえるとは思えなかった。

「では城を捨てますか」

「かといって何もせず、もろ手を挙げて降伏するなど武人としての恥辱よ」

「一千の兵は城を守るには少なすぎ、野戦で戦うのにも十分ではありませぬが、来たるべき王との決戦の時にはお館様にとって貴重な兵力となりえませぬか」

「大河流域を失えば芳野攻略を行っているデウカリオらにも悪い影響があるであろうし、河東南部も揺らぐかもしれない。お館様の戦略が大きく後退してしまう。それではお館様に合わす顔がない」

 デユンダリオは一族衆の中で特に自分が選ばれて河東の飛び地を与えられた意味と重責、そして期待を痛いほど感じていた。

「・・・・・・」

「援軍が間に合わぬと決まったわけでもないし、朝廷に何か異変が起こりうるかもしれぬ。籠城して時を稼ぐのは無駄ではない」

「・・・ではありますが」

 さらに何か言いたそうな部将の口をデュンダリオは言葉をかぶせることで塞いだ。

「議を言うな。カヒの誇りを畿内のやつばらに見せつけてやるのだ。河東の諸侯にもな。カヒと戦うということがどれだけ高いことにつくかを思い知らせてやる」

 思い知らせるのは結構だが、その結果として死んでは何もならぬのではないかと部将は思った。


 堅田城は背中を大河に向け立つ、三面に環濠を巡らした典型的な水城である。二重の堀と複数の廓からなる堅固な城塞と聞かされていたから、どんな巨大な城郭かと内心で身構えていたから、有斗は堅田城が思いのほか狭かったことに拍子抜けした。

 有斗が見たところ小中学校程度の広さで、城壁も高くないその城の攻略は容易であるように思われた。

 だが城郭を一望したヘシオネや王師の将軍たちは反対に渋い顔をした。

 攻め口がない。まず堀が広く、深い。渡るにも埋め立てるのも容易ではない。しかも度重なる大河の洪水で堆積した土でできた城周辺の土地は軟弱で、地下を掘り進めて攻める手法も使えそうにない。堅田とは地元住人が固い田が欲しいと願いを込めて付けられた地名なのである。

 次いで大河に面しているということは水が豊富であり、火攻めも有効でなく、長期の籠城にも耐えうる。さらには背後の大河を使えば兵糧の補給も可能だ。

 高い城壁を持たないのは、高い城壁など必要ないからなのである。

「まずは降伏の使者を送ってみよう。この大軍を見れば抗戦をあきらめるんじゃないかな」

 今回の遠征の目的は河東の大河沿岸部を支配下に組み入れること。そのためにカヒの勢力をその地より追い出すことである。有斗にしてみれば城を落とす必要どころか敵と戦う必要すらなかった。有斗は城から敵の将兵が退去することを許すことで決着がつくのではないかと楽観視していた。

 だがデユンダリオは王の使者を矢をもって追い払うことで返答とする。

「命が惜しくないらしいですね。さすがはカヒの名のある武将です」

 予想していたこととはいえ、ヘシオネは苦い顔をした。

「ということは攻城戦か」

 攻城戦という難しい戦に挑むということもあるが、カヒと戦うということが、これからもそういった気骨のある敵と戦わねばならないと同義語であると思うと有斗は気が重くなった。

「まずは防柵を築き、城を取り囲んで、敵の連絡を絶ちます」

「敵は連絡や補給に大河を使うんじゃない? 大河側も封鎖するの?」

「我が水軍はにわか仕立てで数も少なく土地勘もありません。大河の封鎖はできないでしょう」

「それでも効果ある?」

「敵には心理的圧力を加え、味方には敵の夜襲など不意の攻撃を防ぐことができます。攻撃の主導権を握ることができ、我が方の兵に余裕が生まれます」

「すぐには攻めないほうがいい?」

「この城は堅固です。城を見ていただくとお分かりになりましょうが、大軍に囲まれてもしんとして静まり返っています。兵に鋭気がある証拠です。たやすく手を出しては痛い目を見るでしょう。敵が疲れ油断したところを攻めましょう」

「・・・攻城戦は多大な犠牲が出る。アリアボネが関西攻めで使ったように城外に敵をおびき寄せて戦う方法はないかな?」

「陛下の御尋ねながら策などありませぬ。私めはアリアボネ殿ほど賢くはありませぬし・・・それに敵勢は無勢、どのような策を弄したとて城外に打って出てくるとは思われませぬ」

「そうか。よし、その策を取ろう」

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