第90話 長征(Ⅲ)

 ステロベは翌日も退却を続け、敵との距離が一舎以上離れたことを確認して、ようやく兵に休息を命じた。強行軍にくたびれ果てた兵は死んだようにその場で眠りこける。

 今襲い掛かられたら全滅は免れないな、とステロベは苦笑する。だが敵は不慣れな見知らぬ土地なのだ。我らを追ったとしても今日明日すぐに追いつくことはあるまい。

 退却中も通り道の各城砦、見張り櫓を放棄させ、ただ兵だけを合流し先を急ぐ、今や数は六千を越えた。明後日ごろには全ての兵が集まることになるだろう。が、北方の防衛線を一時的とはいえ空にすることになる。しかしそれも致しかたがないところだ。

 後は諸侯だな、とステロベは思った。諸侯がどのくらい駆けつけてくれるかで、この後の行動に変化が生じる。

 今のところ関西は押されっぱなしだ。二手に分かれた関東の兵の一方は後方を塞ぐような形で動いているという。西京との連絡を絶ち、わざと大勢力の存在を誇示して、諸侯たちをゆすぶっているのである。裏切る者が出るやも知れぬ。

 だがそんなステロベの懸念は無用だった。諸候たちはステロベが関東の大軍から無事に兵を退くことに成功し、諸侯の援軍を待って再戦を期していると知るや、手弁当で次々と参集した。

「ステロベ卿、ご無事で何よりでした」

「シヴェニク伯、よくぞ来てくださった! 感謝いたしますぞ!」

 ステロベは参集してくれた諸侯一人一人の手を取って感謝の意を表す。

「我らが来たからにはもう安心だ」

「すでに一族のものにも参集するように伝えてある。明後日には三千の兵が集まるだろう」

 どうやら数十年ぶりと言う関東から関西への侵入に、諸侯たちはにわかに愛国心だとか郷土愛とかだと言ったものに目覚めたらしい。

 兵は瞬く間に増え、二万を越える数となる。参戦を表明してまだ到着していない諸侯を合わせると三万を越える数となる。

 しかし返ってそれがステロベには重石となった。

 ステロベは当初こそ諸侯が集まればなんとかなると思っていたが、落ち着いて冷静に考えると、諸侯の混成軍では関東の軍と渡り合うことは難しいと結論付けた。

 ならば敵が進めば味方は退き、相手を関西奥深くまで誘い込む形での持久戦、もしくは西京から王師が来るまでどこか堅牢な諸侯の城にでもって篭城するのが冷静な判断というものだろう。

 だが再び考えた結果、この二つの考えも捨てねばならなかった。

 理由は二つ。

 一つは糧食の不足。諸侯は輜重と共に参集してきてくれた。だが慌てて駆けつけたのだ。持ってきた糧食には限りがある。

 また有事に備えて、各城砦に兵糧が積まれていたのだが、逃げることを優先したため、それは放棄せざるを得なかった。

 今は近隣の諸侯から兵糧の調達をしているものの、一万の北辺防衛軍、二万の諸候軍だ。兵糧は早晩尽き果てることになるだろう。

 ということは多量の兵糧が必要となる篭城などもっての他だった。また、動きの遅い輜重しちょうを連れている事は行動に制限を掛けることとなる。さらにはこの寄り合いの大所帯だ。敵の動きに合わせて機敏に退却することなどとても望めない。

 二つ目は諸侯の結束のためだ。

 確かに関東の兵馬に土足で踏みにじられた今は、怒りで諸侯の心は一つにまとまっている。

 だが、時が経てばどうであろう? 関東の軍が関西の地を踏み荒らしているにも関わらず、ステロベがただ手をこまねいて見ているだけならば、関西きっての勇将ステロベも所詮この程度かと侮り、朝廷に対する忠誠心を失って敵に寝返る者も出るに違いない。

 これは敵を引きつけ、誘い込んだ敵の補給線を絶つ作戦だと説明しても彼らは聴く耳を持つまい。

 すなわち兵糧の面からも、関西の結束を保つためにも、関西は攻撃を受ければ受けてたつことを諸侯の目に見せねばならないということだ。たとえそれでステロベや大勢の兵が死のうとも、国家の社稷しゃしょくを保つためには戦わなければならぬということだ。

 ステロベは決意した。例え死んだとしても関西の意地を見せてやる。

 敵は不慣れな土地だ。こちらは士気も高い。ステロベの手足たる王師右軍出身の三十人の百人隊長もいる。慎重に戦えば、負けるとばかり決まった戦ではないはずだ。


 エテオクロスらは翌朝明るくなると直に周囲を確認したが、どこにも敵影を見出すことが出来ずに嘆息する。ステロベを取り逃がしてしまったのだ。

 しかたがなくノトス城に引き返す。

 見知らぬ土地だ。迂闊うかつに軍隊を動かすわけにも行かない。代わりに偵騎を放って辺りを捜索させるが、こちらも芳しい報告がない。彼らは追跡を諦め、当初の予定通り大きく迂回行動を取ってきた有斗たちをノトス城で待つことにした。

 後方に回り込み、北辺と西京との間を塞ぐように勇躍していた有斗の別働隊であったが、その成果は芳しいものではなかった。関西の諸候から味方になりたいと通じてくる者が現れなかったのだ。

 立ち向かう諸侯がいればそれを撃退することで武威を示すことも出来たのであろうが、どの諸侯も固く篭城して出てくる様子は無い。

 どうやら諸侯らは最低限の兵を自城に残して、ほとんどの兵を率いて一斉に西へと行ったようだった。

 とはいえ実は収穫はあったのである。ステロベが西京に向けて放った使者を二人途中で始末することが出来た。これで西京に関東の軍が侵攻したことが関西の朝廷に知られることを、少しでも遅らせることが出来たのだ。


 有斗はノトス城に着くとさっそく、アリアボネと王師の将軍と諸候を集め、会議を開き方針を定めようとした。

「どうすればいいと思う?」

「当初の予定では立ち向かう諸侯を攻め潰し、諸侯を取り込むか内通させてすみやかに西京に向かう予定でした」

 アエティウスの言葉には作戦の本義である速戦を有斗に思い出させようとする意図が感じられた。

「しかしどの諸侯も篭城して抵抗するのではなくて、兵を退去させた。しかも王都の方へではなく、西へ向かったからには、兵を一箇所に集めているということでしょう。兵を集める理由はただ一つ。我々と戦う気だということです」

「諸侯の兵でも一塊になればそれなりの数になるよね。放っておいて西京に向かうと後ろから襲われる。やっかいなことになったなぁ」

 有斗はそう嘆くが、アリアボネはそれは違いますとニコリと微笑んで説明をする。

「いいえ。むしろこれは好機です。真っ直ぐ西京に向かうにしても、途中の諸侯の城のいくつかは、安全の為にも武力を誇示する為にも、落としていかねばなりませんでした。ところが彼らはわざわざ堅牢な城を出て、障害のない場所に出て、堂々の野戦でことを決しようとしてくれているのです。彼らに地の利ありといえども、個別で城にこもられることを考えれば、これは我らに利あり。彼らを大いに破れば、ひとつひとつ城を陥落させる手間も省けます。それに例え残存兵が城に逃げ帰ったとしても、とても我らに反抗する気力は残っておりますまい。さらには勝利を喧伝すれば、我らになびく諸侯とて必ず出るはずです。是非、兵を西に向け彼らと戦いましょう」

「私も賛成ですな」

 アリアボネに賛同の声をあげたのは、諸侯の席の端の方に座っていたマシニッサだった。

「関西の諸侯は関東の軍が北回りで侵攻してきたことに内心大いに動揺しているはずです。そこでさらに彼らを打ち破ったとしたら、彼らに追い討ちをかけるようなものです。抵抗する気力をも失うはず。そうなれば完全に流れはこちらのものです。内応させるなど私にかかれば朝飯前ですな。いや手間もかかる内応より、中立を働きかけるだけで充分かもしれない。彼らとて昨日まで主君と仰いでいた女王にいきなり敵対するのは、なかなか決心が付かないかもしれませんが、中立という立場なら彼らの良心とやらも痛みませんので受け入れる可能性が高い。短い時間でも説得工作は難しくないでしょう。それで関東の軍五万はさしたる抵抗も受けずに西京まで、川が海へと流れ行くように辿り着くことができるでしょう」

 ・・・人間の心理とか謀略という面ならば、マシニッサの言葉は他の誰が発言するよりも説得力があるなと有斗は感心した。

 そういわれるとそうである気がしてしまう。

 心から信じられないやつではあるが、千を越える兵を率いる南部四衆の一人であり、有能な武人であり、優れた謀略家である。部下として見るなら、なかなか使える奴ではないのだろうか。とはいえ信じられないことが最大の問題なのだが。

 だが心底はともかく外見上は味方してくれているのだから、迂闊うかつに始末するわけにも行かない。実に厄介な存在だ。


 結局、その意見に賛同する声が大きく、押されるような形で、まずは北辺にいる関西の軍と戦うことに決定した。

 その背景には諸侯の感情というものがあった。ノトス城陥落までに見せた王師の活躍に比べ、南部諸侯たちはこの遠征ではまだ何一つ戦功を上げてなかった。それが血の気の多い彼らには大いなる不満だったようだ。南部の武人は王師に劣らないというのが彼らの中での誇りであるのだから。

 だから、とにかくなんでもいい。王師に負けぬ活躍がしたい。その為には一秒でも早く戦えるのがいいということのようだ。

 彼らの口から直接その言葉を聞いたわけではないが、そんな雰囲気が作戦会議では蔓延まんえんしていた。

 その空気に押されるように決めてしまった。

 ・・・実に先行きが心配だ。

「これでよかったのかなぁ」

「よろしいと思いますよ。兵は拙速を尊ぶとは申しますけれども、速戦で西京に迫ったとしても、仮にも王都、高い城壁に手強い王師。とても一日二日で陥落させることは不可能でしょう。そうなれば北辺軍は我らの後方を塞ぐように行動することになるでしょう。つまり前後を敵に挟まれることになります。攻撃されるようなことになれば厄介ですし、我々が撤退するには背後の敵を打ち破らなくてはなりません。つまりどのみち戦う敵なのです。ならば今戦うのと後で戦うのとでどちらか有利かを考えてみてください」

「そっか・・・どうせ戦うのなら前後に敵を受けない今のうちに戦っておいたほうが被害は少ない・・・か」

「ご明察です」

 アリアボネは有斗が己のいいたいことを言い当てたことに微笑んで揖礼ゆうのれいをした。

 陛下は以前に比べてかなり将としての考えが出来るようになってきたとアリアボネは微笑ましく思う。むろんまだまだ足らないところは多いのではあるけれども、そこはアリアボネやアエティウスが補佐してみせるというものだ。

「それに不道殿のおっしゃった通り、関西の諸侯や朝臣に、関東の軍の実力を見せておくことは必要です。あざやかに勝てば勝つほど関西の諸侯に与える心理的影響力が大きくなることでしょう」

「そうだね」

「それにさらに言うならば、今現在我が軍の諸侯の士気は高い。だけれども士気の高さはちょっとしたことで下がります。特に戦いに来たのに戦わず、平穏な日々を過ごすと下がるものなのです。士気を高く保つためにもここらで一戦交えることは悪いことではありませんよ」

 その上、さらに戦う理由はある、とアリアボネは思う。

 北辺軍はあくまで辺境警備の兵、王師よりは格段に質が劣る。更に関西は南部や西部は地味が豊かで人口も多いが北部は土地は広いものの貧しく人口も少ない、つまり諸侯が寄り集まったところでその軍が、我々が手出しできないほど肥大することはありえないのである。

 負ける心配は皆無に近く、その割りに得るものは多い。

 例え今回の遠征が失敗に終ったとしても関西をこっぴどく叩きのめすことは長期的に見ても損な話ではないというのがアリアボネの意見だった。

 翌日、有斗はノトス城に最低限の兵を残すと荒野を西へと兵を向ける。

 その日は偶然、ステロベが集まった兵を率いて東進を始めた日と同日であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る