第66話 包囲網を破れ!(Ⅷ)

 関西が動き出したなら、王師右軍も動き出さねばならない。

 グルッサも壷関こかんの動きを監視するため斥候を派遣する。

 手前で鹿沢城を見張っている関東の偵騎に見つからぬように、わざわざ大きく迂回させる念の入れようだ。それから囮の三旅を進発させる。

 思ったとおりだった。敵の偵騎はそれを見るや壷関へと急ぎ帰還した気配があった。

 全てが計算どおりだ。これで後は敵が壷関を出たという報告を待つだけだ。


 だが、直ぐには壷関から兵が出ることはなかった。

 行きではなく、帰りに襲うつもりか。グルッサの心はヒヤリとしたものに襲われる。

 囮の三旅は南京に行かず、途中で反転して戻ってくる。南京に行って帰ってくるのに比べて早い帰還となる。時間が合わないのだ。それを感づかれたら、この作戦は成立しない。

 だがグルッサの懸念をよそに、囮が反転するという報告が来たのと同時期に、壷関から守備隊一万が出陣したとの斥候の報告が入る。

 バルカとやらがようやく重い腰を上げたらしい。

 ということは、とグルッサは南部の地図をざっと頭に浮かべる。敵と囮とが接敵するのは、おそらくはアカイア台地だろう。だとすると、少し囮の行程を遅らせ、その南の出口に当たる急坂の上部に三旅がいる時に挟撃するのが理想的だ。

 囮の三旅が撃破されると、この挟撃作は失敗し、代わりに敵の各個撃破が成功することになる。すなわち少しでも三旅が有利な態勢で戦闘に入ることが、この作戦の成否を左右するといっても過言ではない。狭い道、しかも坂の上という有利な地形を生かし、グルッサ率いる本隊が駆けつけてくるまで耐える。けして難しいことではない。

 敵に気付かれぬように後を追いかけねばならない。やつらは鹿沢城を迂回して南部へと進むのだ。そうさな・・・十二時間はたっぷりとってから追いかけるのがよかろう。

 グルッサは旅長を集めるように、と書記に命じた。

 いよいよ右軍にも実戦の場が与えられる。

 勝たなければならぬ。右軍がたんなる飾りではないことを知らしめるためにも。そうグルッサは思った。


 夕刻、グルッサ率いる王師右軍七千と守備兵のうち三旅三千は、全ての軍備を整え鹿沢城を後にする。

 今、囮の三旅は六舎の距離にいる。アカイア台地の南南東奥の坂までは三舎半だ。おそらく四日目の朝から昼にかけて囮は会敵することになるだろう。敵兵が強行軍をしなければ、だが。

 念のために偵騎を出しておくか、とグルッサは思いあたる。

 それにしても、複数の偵騎を鹿沢城に貼り付けていたのに、全て囮を見るためのものとは・・・

 ここ数日鹿沢城に現れていた偵騎は、囮の三旅が城から出た後、目的を果たしたとばかりに現れない。つまり、敵の目は前方の囮三旅だけを見ている。後ろに我々がいることに気付くことなく。

 ひとつくらい鹿沢城を見張らせるということを考えなかったとは・・・

 それが若いということなのだろうな、とグルッサに不意に懐かしい友人に再会したかのような感情が込み上げてくる。

 だがグルッサは知らなかった。南海道をすれ違う商人の中に隠れてバアルの斥候がいたことを。


 順調に行軍を進めるバアルに、第一旅長が馬を寄せる。斥候からの報告が来たのであろう。

「敵の動きは?」

 ちらと旅長を見ると、そう問う。

「鹿沢城から王師約一万が我々を追いかけて出兵したとのこと。また南部で反転した囮の三旅は少し行軍速度を落としたものの、こちらへと近づきつつあります」

「どこで戦うと思う?」

「おそらくはアカイア台地かと」

「地形は?」

 過去に関西から関東に攻め込んだ歴史はあれど、ほとんどが東京龍緑府に向けての進軍だ。

 南部の正確な地図は壷関には一つとしてなかった。商人が持ってるような曖昧な地図と斥候の情報だけが頼りだ。

「街道は西北西から南南東へ抜け、南から東にかけては丘陵地帯が広がっています。西には深い森と湖があり、そこから流れ出る川によって東から北東にかけて田畑が広がっています。東西五里、南北三里ほどの台地です」

「南方の丘陵地帯と台地との高低差はあるのか?」

「あります。南に行くにつれ、厳しい傾斜面になっているとか」

「ということはそこに布陣して北面して敵を迎え撃ちたいところだな」

「はい。峠の最高地点を確保し、坂道を利用し迎え撃てば、我々は両面に敵を抱えていても勝機はあるかと。ただ、そこまでの距離は遠く、我々が最高地点を確保するには強行軍でも難しいと思いますが・・・」

「我々がではなく、敵の三旅が坂を利用して我々を迎え撃ちたい、と考えているのではないか、ということさ」

「・・・はぁ」

 バアルが言った言葉の意味を量りかねてか、副官は分かったのか分からなかったのか判別不明な返事をする。

 まぁいいか、とバアルは苦笑する。有能な副官は欲しいが、贅沢を言ってもきりがない。

 戦闘中に私の指図に忠実に動くだけで今は我慢するべきだ。


 三日後、囮として行動していた右軍の三旅は、アカイア台地へと続く下り坂に差し掛かった。

 坂の左右は木々が茂り、道は曲がりくねって視界は塞がれがちだ。だがこの木々の向こうのアカイア台地に既にバルカ隊が入ってきていることは確認済みである。

「よし、ここで敵を迎え討つ」

 山腹の踊り場という、防衛に適した布陣場所を見つけた。周囲の木々を伐採し、見通しを多少良くする。それから囮に見せかけるためにわざわざいて来た貨車を、横倒しにて即席の防御壁を作る。そして三旅の兵を位置につかせ敵を待ち受ける。

 敵はこの三間(約5.4メートル)ほどの街道を登ってくる。それを味方が駆けつけるまでの時間守りきればいい。

 味方は一日と置かず駆けつけるはず、敵は一軍である。負ける気遣いはない。気をつけなければいけないのは火計くらいのものだな・・・と彼は思った。


 坂道の入り口に差し掛かったバルカ隊はそこで敵の存在に気付いたのか、一瞬たたらを踏むかのように立ち止まった。

 だがしばらくすると意を決したのか隊列を組みなおして進軍を再開し、攻撃に移る。

 矢戦は高所に布陣し、防御壁のある右軍別働隊のほうが圧倒的に優位だった。

 バルカ隊は街道だけでなく、森の中に潜んで獣道を這い進む。当然、それは坂上の右軍別働隊に察知され、坂上に辿り着く前に森のそこかしこで戦闘が始まる。森の中は弓矢が使えぬため、高所の優位性は薄れるが、かわりに道が狭い。全てあわせても三旅でしかない右軍別働隊にとっては、防衛に使う兵が少なくてすむため、押され気味ではあったものの、時間を稼ぐという当初の目的は達成しつつあった。

 攻め手を失ったのはバルカ隊だった。

 坂を通らず獣道を使おうとも、坂上にある敵を討つには、山を登るのに等しい。山の上り下りは兵から確実に体力を奪っていった。

 時間が経つにつれ、バルカ隊の攻撃はややもすれば散発的になった。そして夜が台地を包み込んだ。


 翌朝、日が昇ってもバルカ隊は容易に動こうとはしなかった。昨日一日の攻撃で敵を討ち破れなかったことに、警戒しているのだろうか。

 朝駆けか火計でも仕掛けてくるかと思いきや、そんなことはついぞ思いつかないらしい。

 その無為に過ごしている一秒一秒、墓場に足を踏み入れていることに気付かぬとは迂闊うかつな奴等よ、とほくそ笑む。

「なんとしてもあと半日持ちこたえるぞ!」

 さすがに今日中にはグルッサ卿率いる本隊がやってくるはずだ。敵の鈍さを考えると、どうやら勝ちは疑いないところだ。


 待望の援軍が現れたのは昼前であった。アカイア台地の北端に王師右軍の旗が上がり、到着を告げるかのように突撃の鼓が打ち鳴らされ、角笛が乱れるように吹き鳴らされる。

 この時点でバルカ隊の形状は完全に前がかりになっていた。大半の部隊は森に入り、坂を登って前方の右軍別働隊と戦っているのか、坂の下にはわずか千ほどの兵しか残っていなかった。

 バルカ隊は混乱を来たし、兵が右往左往して慌てふためく様子が坂の上からでも見られた。

 本来ならば、坂や森に入り込んだ味方が退却するまでの時間、坂下の後衛が後方から迫る王師の本隊を食い止める、そうすべきところだった。だが、前後から挟撃されるという事態に慌てふためいたのか、干戈を交えることすらなく、行き場をなくして、壷関のある西へと逃げ出した。

 それを見てグルッサは呆れんばかりだった。まだ挟まれただけである。陣を布陣しなおすほどの時間はないだろうが、坂下に取って返すぐらいの時間はある。

 そこで力戦すればまだ勝機はあると考えるのが普通の武将と言う者だ。

 バルカという男は所詮、机上の天才に過ぎなかったということか。あるいは統率するだけの器量がなく、兵が言うことを聞かないのか。そのどちらかであろう。

「ちと驚かせすぎたか」

 まぁ、いい。逃げる敵兵に追いすがり、追撃すればいいのだ。実に楽な戦だ。

 しばらくは壷関から出てくるのが嫌になる程度には痛めつけてやるとしよう。そうすればこれからの関西との戦も容易くなるだろう。

 それに彼らの向かう先には湖があり森があり、そして山がある。山道を逃げる敵はすぐに前が詰まり逃げることもままならなくなる。すぐに追いつくことは可能だ。

 それすら判断できないほど混乱したということか。坂下に留まり戦わなかった愚かさをその身に深く刻むことになるだろうな。愚かなことだ。

 グルッサに率いられてきた王師右軍は、逃げ惑うバルカ隊に猛追した。

 為に騎兵と歩兵とが別れ縦に細長い陣形に自然と変形することとなる。むろん、バルカ隊も同じではある。

 騎兵が敵の歩兵の後備を捕らえたのは森の湖畔の前であった。

 細い道は森を避け、湖を縫うように東へと続いている。瞬く間にバルカ隊の後備は死体となって道の両脇に倒れ伏した。

 一方的な殺戮さつりくに酔うように、王師右軍の騎兵はさらに道を進む。

 すると森の先に急に開けた広場に出る。切り株や下草の様子から、それが最近、それも今日昨日のうちに、木を切って作られた人工的な広場だと気付いたときにはもう遅かった。

 突如馬の足元が崩れ落ちると、巨大な穴が現れ、人馬を陥穽かんせいへ飲み込んだ。急追していただけに後続の兵馬も次々と飲まれ、瞬く間に穴は人と馬とで埋まっていった。

 バアルが采配を振り下ろす。

「かかれ! 一匹残らず狩りたてよ!」

 すると四方から先ほどまで後ろを見せて逃げていたバルカ隊の歩兵が戻って襲い掛かり、次々と穴に落ちた兵を殺戮さつりくする。

 前方で突如起こった喊声に、逃げる敵を追撃しているはずの王師右軍の兵は驚きを顔に表す。何が起こったというのであろう? しかし木々に邪魔されて前方は見えない。

「敵の反撃か!?」

 その時、グルッサは騎兵隊の後方、弧を描いて湖のふちを通る道の中ほどに位置していた。

「何が起こったのか、状況を知らせよ!」

 伝令を送るが道は狭く兵でごった返しており、容易には前へ進めない。

 すると突然、グルッサの側面にある森の中から伏せられていたバルカ隊が現れた。

「グルッサ卿をお守りせよ、敵はグルッサ卿が狙いだ!」

 なるほど、伏兵し将を討ち取ることで逆転を狙ったというわけか。こしゃくなまねをする、とグルッサは舌打ちをする。

 だがこれは窮余きゅうよの一策、一時凌ぎきれば敵の意図はくじける。

 そう思いなおし、顔を上げる。だが目の前の光景にグルッサは愕然がくぜんとした。

 眼前で繰り広げられている光景は、グルッサの想像を根底から否定するものだった。

 なんと湖沿いにいる全ての王師右軍の兵が、森から現れたバルカ隊に襲われているのである。

 バアルは昨晩のうちに五千の兵を森に移動させ、森と湖に挟まれた隘路あいろの脇に兵を伏せたのだった。

 そして全ての兵が隘路に入るのをひたすら待ち、満を持して王師右軍の無防備な横腹に一斉に襲い掛かったのだ。

 狩られるのはバルカ隊ではなく、今や自分たちであるということを悟ると王師右軍の混乱は頂点に達した。いくら数で勝っていようと、全戦線で突然横から槍を入れられては、もはやどうしようもない。勝負は決したのだ。

 側面奇襲に成功したバルカ隊は、長く伸びた王師右軍をあちらこちらで分断し、勢いに任せ、敵を湖に追い落とし、瞬く間にこれを壊滅した。

 敵に討たれたものはむしろ幸運だった。多くの兵は味方に押され湖に落ち、重い鎧のせいで溺死した。

 グルッサと右軍幹部は一兵でも多く逃げ延びさせようと最後まで奮戦したが、遂に囲まれ衆寡敵せず討ち取られた。

 辛うじて森の出入り口付近にいた一部の部隊だけが生き延び、慌てて逃走に入る。それをバルカ隊の騎兵が急襲し、襲い掛かった。見事なまでの殲滅戦だった。

 王師右軍で生き残れたものは四千に満たなかった。


 その日、アカイア台地は王師右軍の血で赤く染まった。

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