義武士
風嵐むげん
第一話
一六〇〇年 七月。
「お前、死ぬ気か?」
蝉の声が、陽向の匂いと共に佐和山の城に惜しげも無く吹き込む。不要なものは全て片付けられ、閑散としながらも何処か趣のあるこの座敷に、二人の男が対峙していた。
一人――顔面を白い頭巾で覆っていて、中の表情を伺うことは出来ない――が、目の前で憮然と胡座をかく男に問い掛ける。もう何度口にしたか分からない、同じ問い。頭の隅では、このやりとり自体が無駄だとは分かっている。しかし、考え直してくれるのではないかという泡沫の期待を、彼は抱かずにはいられないのだ。
「三成よ……死ぬ気なのか?」
三成と呼ばれた仏頂面の男が、重々しく嘆息する。これもまた、何度目になるか分からない。細身でもう若くは無いが、鬼気とした光をつり上がり気味な目に宿す。
男は治部少、
「死ぬ気など無いと、何度言えば分かるのだ吉継。顔面だけでなく、とうとう脳みそまで膿んだのか?」
三成の毒を孕んだ言葉に、吉継と呼ばれた男は布の下で苦く笑った。
男は名を、
「相変わらずじゃのう、お前は。……だが此度はよく考えよ。今、家康殿に逆らうなどぬかすとはお前、どうかしておるぞ」
「どうかしてるのは、お前だ」
「わし?」
「そうだ。お前も分かっているのだろう。秀吉様が亡くなったと見たら、あの古狸はすぐさま手の平を返したのだぞ」
三成はふんと鼻を鳴らすと、気怠いとでも言うかのように脇息にもたれ、扇子を扇ぐ。吉継はたとえ友の前でもきちんと居住まいを正している己が、何だか急に馬鹿馬鹿しく思えた。
「内府を討つのは今しかない。……おれの言いたいことが、お前にはもう分かるだろう、吉継」
三成が姿勢をそのままに、吉継に問い掛ける。吉継はそのまま、ただ沈黙する。
「吉継、聞いてるのか? この暑さでとうとう逝ったか」
「残念だがまだお前の目の前におるぞ。……だがの、三成よ」
吉継は己の顔面を隠す布を摘み、肌との間を空ける。暑い、とは此処暫く感じていないのだが、肌にへばり付く布が不快なのだ。そんな吉継の姿を、三成は面白くないと言った風に眺めている。
「わしの姿を見ろ。業病に侵され、皮膚は腐り、目もろくに見えなくなった。こんなわしに……もう、何かを成す力など残っとらん」
吉継は布の中で、自虐の笑みを浮かべる。それが、三成の目に触れることは無かったが。
吉継には、長い間患っている病がある。皮膚は膿み肉は崩れ、視力さえも奪う奇病。この彼の病は、今まで治癒するどころか、回復の兆しを見せることすらしなかった。
「もしわしが一人だったら、こんな姿など耐えられずに、とっくにこの腹を切っていただろうよ。だが三成、お前が居たから、わしは今も此処にいる。……だから――」
「それが、何だ? お前の弱音など興味がない。おれが聞きたいのは、俺に力を貸す気があるのかどうかだけだ」
今度は吉継が、溜め息をつく番であった。三成の傲慢な物言いは、今に始まったことではない。だが問題は、彼の考えだ。
今家康に刃向かい挙兵なんてしてみれば、文字通り犬死ににしかならない。それを、三成は分かっていない。
己が正義だと、そして正義は負けないと真っ直ぐに信じて疑わないのだ――
「……わしは」
力は貸せん。吉継がそう言うと、暫くの間沈黙が場を満たした。
否、完全な沈黙ではなかった。傍らの大きく開けた景色からは、相変わらず夏の風と蝉の声が吹き込んでいる。そして、吉継の耳には確かに届いていた。見えるのは、ただ闇だけ。しかし、聞こえていた。
三成が上げた、小さな驚きの声を。吉継が己を拒むなど、考えてもいなかったのだろう。
「吉継……お前なら、分かってくれるだろう? “大一大万大吉”、お前には届いていると思って――」
「“左吉”」
明らかな焦りを見せる三成に、吉継はまるで当て付けるように冷たく言った。左吉とは、三成が小姓の時の名である。
突然昔の名を呼ばれ、三成は身体を強ばらせた。吉継と三成、二人は互いに紀之助と左吉と呼ばれる頃からの付き合いである。二人は互いのことを己のように知る、友であり兄弟のようであった。
「……明日、もう一度聞く」
吉継は静かに立ち上がり、三成に背を向けた。三成は、何も言わない。ただ拳を堅く握りしめて、畳の目を睨む。
「一晩待とう。今一度夜風に頭を冷やし、その馬鹿げた考えを改めろ」
「紀之助、俺は――」
はっ、と三成がその先を言い淀む。咄嗟に口を突いて出たのは、吉継の幼名。三成が吉継を頼りにしていたのは、もはや隠しようがない。
「明日、また来る」
吉継は、三成を一人残しその場から席を外した。否、逃げ出したと言うのが、正しいかもしれない。
きっと、明日になっても三成の考えは変わらない。己が背を向けたくらいでは、三成の刀のような気高い信念を変えることは出来ない。
風で頭を冷やしたかったのは、誰でもない、吉継自身であったのだ。
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