第十二回にごたん投稿作(お題:エコスフィア/10円ハゲ/いずれ死にゆく定めの命/パニックホラー)
オンリーユー・フォトジェニック
--ところで君は気づいているだろうか。俺がたった一度だけついた嘘のこと。
「なんで真夏なのにニット帽被ってるのよ、暑苦しいなぁ」
「10円ハゲが出来ちゃってさ。かっこ悪いだろ」
「うん、ダッサ。あんたと歩く私の身にもなってよね」
池袋駅東口、待ち合わせは13時。彼女の到着時刻は13時20分。うん、想定通りだ。
「それにしても一体どういう了見なの? 自分が振った元カノをデートに誘うなんて。しかも当日の朝に。私さぁ、こう見えてあんたにひどい振られ方したこと、結構根に持っているんだけど」
彼女は不機嫌さを包み隠さず口を尖らせた。苛立ちに歪んでいても、目鼻立ちくっきりした華やかな顔はやっぱり綺麗だ。俺は首にかけていた一眼レフを構えてシャッターを押した。
--パシャッ。
「あ! 何写真撮ってんの!」
「今日ユイをデートに誘ったのは他でもない、文化祭で出す写真部の展示のモデルになってもらいたかったのさ」
「はぁ!? マジで!? なら早く言ってよ、そしたらちゃんと化粧とか髪セットしてきたのに! あんたが相手だからって気抜いてきちゃったじゃん!」
慌てて髪を手ぐしで整え、カバンからリップグロスを取り出そうとするユイ。その様子もパシャリ。すると彼女は顔を真っ赤にして睨んできた。俺の一眼レフを奪おうとしたが、残念、背の高さだけは自信があるのだ。彼女の手は宙をさまよい、恥ずかしそうにさらに顔を赤らめる。その様子を頭上からもう一度パシャリ。彼女は観念したかのようにスタスタと歩き始めた。
俺とユイは幼稚園の頃からの幼馴染。周りにあまり同級生がいない地域だったので必然的に一緒にいる時間が長くなり、今では何でも言い合える間柄だ。
そして、彼女は元恋人でもある。付き合い始めたのは半年前の冬。高校が別々になるので卒業前に思い切って告白した。華やかな見た目と明るい性格でスクールカーストの頂点に立つ彼女が、当時帰宅部で友達の少ない俺の告白をOKするとはとても思っていなかったのだが、意外にも彼女は首を縦に振った。メルヘンなことに、幼稚園の頃俺が「しょうらいはユイちゃんとケッコンする!」と宣言したのをずっと覚えていたんだそうだ。当の俺はそんなことすっかり忘れていたけれど、あれほど過去の自分に感謝したことはなかった。
だがつい先月、俺から振る形で破局を迎えた。理由は単純、「付き合ってみたらなんか違うと思ったから」……ということにしている。
「で、今日どこ行くんだっけ?」
「えーと、まずはサンシャインの水族館」
すると、不機嫌な彼女の目の中に少しだけ光が灯る。
「水族館? なにそれ、付き合ってる時はそんな
「家が近いと、つい家デートになっちゃうからな」
「私ペンギンとか好きなんだよねぇ。楽しみだなぁ」
「あくまで撮影のためだぞ」
「はいはい、分かってるって」
そう言いつつもどこか楽しげなユイ。俺はこっそりとまたシャッターを切る。まぁその後すぐに彼女の笑顔は崩れることになるのだが。
「ぎゃああああああ! なにこれ! やだよ、こんなの触りたくないって!」
水族館のとある展示コーナーで、彼女は周りに集まる子どもたちの目は気にせずに悲鳴を上げる。俺たちがやってきたのは、期間限定の『変な生き物展』。小さな水槽の中に入っている奇妙な海洋生物に触れ合えるという素敵な企画だ。
「ほら、他の人たちも待ってるんだから早く! 美少女がナマコつかみ取り、この構図を撮りたかったんだよ!」
「発想がキモい!!」
水槽の前でおどおどとするユイ。しかし後ろに並ぶ幼い女の子に「お姉ちゃん、早くー」と急かされ意を決したようだ。顔にまで鳥肌を浮かべながら、彼女は勢いよく水槽に手を突っ込んだ。その決定的瞬間を逃さずカメラに収める。その顔はとても美少女とは思えないくらい引きつっている。おそらく写真に撮られていることすら頭から飛んでしまったのだろう。カメラのプレビュー画面を見て思わず吹き出すと、彼女はまた顔を真っ赤にしてこちらを睨んできた。
「さて、次の目的地は……」
「えっ! まだペンギンとか見てないじゃん」
「俺には時間がないんだよ。ユイが遅刻してきたせいでな」
「うっ……分かった、どこに行くの?」
「映画館。どうしても見たい映画があってさ、今日で公開終了なんだよ。もしかしたらユイの好みには合わないかもしれないけど……」
ちらりと彼女の表情を伺うと、彼女はふんとそっぽを向きながら答えた。
「いいよ、あんたがそんなに見たいんなら」
そして数時間後、彼女はそう答えたことを後悔することになる。
「もう、本っ当に信じらんない……私ホラーはダメだって散々言ってるよね? なのにあんなゾンビ映画見せるなんて頭おかしいんじゃないの……」
真っ青な顔で涙を浮かべる彼女の顔をまた写真に撮る。苦手なパニックホラーのせいで最早反論する気力もないようだ。
「いやー良かったよ。途中からユイが目つぶってたり悲鳴あげそうになってる顔が面白すぎて、映画よりもそっちが気になったけど。上映中に写真が撮れなかったのが残念」
「サイテー!! さっきからまともな写真ひとつも撮ってないし、一体何がしたい……」
彼女は急に言い澱んで、周りをキョロキョロと見渡す。不思議に思っていると、ユイはその柔らかく健康的なハリのある腕を俺の腕に絡ませてきた。
「何?」
「ごめん、ちょっとだけこうさせて」
彼女の視線は横断歩道の向こう側に向けられる。すると、向こう側にいた同じ年頃の女子二人組のうち一人がこちらを見て手を振ってきた。
「ユイ! まさか休日にも会うなんて」
信号が青になり、すれ違いざま無邪気な表情でユイに話しかけてくる。絡ませられた腕の力が少しだけ強くなった。
「偶然ー! サイカと黒木さんってやっぱり仲良いんだ。幼馴染だもんねぇ。羨ましいー!」
「リナがどうしても『変な生き物展』行きたいって言うからね……もしかしてその人彼氏?」
「そうそう、こないだ話してた人! 今からカフェでパンケーキ食べるんだぁ」
さっきまでホラー映画でげっそりとしていた彼女は、甘い声を上げながら上目遣いで俺のことを見上げてきた。何だその顔。俺は見たことないぞ。しかもパンケーキって。ユイ、甘いもの嫌いなくせに。思わず突っ込みたくなったが、猫を被ったその表情の中に有無を言わさない威圧感を覚えた俺は黙って頷くだけにしておいた。
「いいなぁ彼氏。お邪魔しちゃってごめんね! 楽しんで!」
「うん、またねーっ」
二人の女子に見えないところまで離れると、彼女の腕はするりと解け、疲れたサラリーマンのような深いため息を吐いた。
「あの子たち、同じ高校の子?」
「そ。まさかこんなところで出くわすなんて最悪……。部屋着で歩いてるようなものだからね、あんたといる時って」
「あっはっは、池袋で部屋着はないだろ」
ユイはふと立ち止まる。そしてもう一度俺の腕に手を伸ばした。確かめるように、しっかりと触れて。彼女は俺の腕を掴んだまま顔を上げた。瞳の中には不安げな色が浮かんでいる。
「タツミさ……こんなに腕細かったっけ?」
腕から伝わって来る体温が心地良い。全身悪い腫瘍に侵された俺の身体に、まるで染み渡ってくるかのように。
「あと一ヶ月だって」
「え……?」
「余命宣告、受けたんだ」
文字どおりユイはその場に崩れ落ちた。たくさんの人々がお互いに無関心にすれ違うせわしない大都会の中で、この場所だけが色を失い、まるで時間が止まったかのようだった。零れ落ちる涙で、彼女の長い
「どうして……どうしてタツミが……っ」
「俺だって知りたいよ。俺をこんな風にしたやつがいるんなら、それが神様だろうが呪い殺してやりたいくらいさ。でもたった16年の人生だろ、正直残り一ヶ月でこの世に爪痕残せるような能力があるわけでもないし、友達だって少ない。馬鹿な頭使って考えてみたんだ。何ができるかって。……そしたら、一つだけあった」
俺は一眼レフのプレビュー画面をユイに見せる。そこには今日撮ったばかりの彼女の写真が並ぶ。少しでも写真の心得がある人間に見せたならきっと怒られるだろう。だってユイという素材の良いところにまるでピントが合っていない。彼女が人に見せたくないような表情ばかり撮ったのだ。
「なにこの写真……超ブッサイクに写ってるじゃん……」
「そうだね。だけど……俺はこういう顔してる時のユイの方が好きだよ」
トン、と彼女の頭が俺の胸の中に落ちてくる。彼女はシワになるくらい強く俺のシャツを握った。
「馬鹿……! タツミの嘘つき……! こんなの、全然嬉しくないよ……」
「ユイ。俺の他にも君が素のままで居られる人を見つけるんだ。もう俺は隣にはいてやれないから」
「う……ああ……うぐっ…………うああああああああ……」
この喧騒の中、大声で泣き叫ぶユイのことを気に留める者は誰もいない。化粧をしていなくて結果オーライじゃないか。もう鼻水も涙もなんだかよく分からないぐしゃぐしゃの顔で、声が掠れるのも気にせずに子どものように泣く。
君が素顔で居られる人が現れることを望みつつも、こんなに無様に泣き叫ぶのは一度きりであってほしい。そう思うのは余計なお世話なんだろうか。
--数ヶ月後。
海道達巳写真展。名もなき少年の残した写真の展示会が、東京の片隅でひっそりと開かれている。客もまばらで、立ち入ってちらりと写真を見るなりすぐに出てしまったり、写真よりも受付をやっている少女の方を気にする者の方が多かったりした。
そんな中、一人の男が一つ一つの写真の前で立ち止まっては感嘆の声を漏らしていた。その男は受付の少女に恐る恐る問う。
「あの……この写真の女の子ってどんな子なんすか? いや、俺これでもプロのカメラマンをやってるんすけど、この写真どれもすっごく魅力的だなぁと思って……」
「あ、それ私です」
「ええっ!? これ君なんすか? 全然印象違うね」
男が驚くと、少女は大人びた表情でくすりと微笑んだ。
「そりゃそうですよ。だって、大好きな人と一緒にいる時の顔は特別ですから」
***end***
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