第十回にごたん投稿作(お題:パラダイムシフト/命運は君の手に/妄信的崇拝/夢見草)

然らば偶像



 某巨大掲示板を頼らなくとも、私は自分がどう見られているかよく知っている。


「チカリンって画面越しに見れば超美少女だけど、握手会は塩対応なんだよな」

「アイドルとしては可愛い。でも女優としては微妙じゃね? セリフ棒読みだし」

「まぁ今が花だよね。今年で18だっけ。もうそろそろ厳しいんじゃない」


 ……見えてない。何にも見えてないよあなたたち。妄信的な偶像崇拝者共め。





 『ブロッサム・カルテット』。たった四人の厳選メンバーで構成された、国民的清純派アイドルグループ。私はそのうちの一人、岡崎千佳。愛称・チカリン。パッチリと開いた三白眼と毛先にウェーブがかった黒の長い髪がウリで、四人の中では清楚なお嬢様ポジション--というのが肩書き。


 本当の私は違う。そもそもアイドルになんかなる気は無かった。オーディションの賞金に目がくらんだ母が、勝手に私の写真を送ったのだ。知らないうちに私は事務所に拘束されるようになり、賞金を手にした母は新しい男を作って私の元から忽然こつぜんと消え去ったのであった。


 以来、私の世界はガラッと変わってしまった。華やかな衣装を着るのと引き換えに、目に映るものがすべて色を失ってしまったかのよう。以前は母がよく作ってくれて大好物だったハンバーグも、今は食べようとすると油の臭いでむせて吐き気がする。


「チカリン。お願いだからもう少し感情込めてセリフ言ってくれないかなぁ」

「無理。だってこのヒロインに欠片も共感しないんだもん」

「共感しないって言ってもさ、この役は一応チカリンのイメージに合わせてオリジナルで作ったんだよ」

「それは世間がそういう私を見たいっていう勝手なイメージでしょ」

「……ああもう、参ったなぁ」


 はぁとため息をついて頭を抱える彼女は映像ディレクターのエミ。いつもすっぴんでガサツな彼女。女としては底辺にいるはずなのに、それでも生き生きとしている不思議な人。いつも興味深く観察しているから、私は彼女の些細な変化に気づいて思わず笑いが溢れる。


「何笑ってんの」

「いや、エミちゃん変わったね。髪にツヤが出てる。最近美容院行ったでしょ? 男でもできた?」


 そう問うと、彼女はむすっとして私から目をそらした。


「ベーつに、ただの飲み友達だよ。そういうあんたは不気味なくらい男の噂が上がらないね。同じグループの子はこないだ週刊誌でイケメン俳優とのお泊りデートがパパラッチされてたってのに」

「ふふ。だって興味ないんだもん、男なんか」

「うへえ、18の少女のセリフとは思えないわそれ。あ、そうそう監督がね、チカリンがどうしてもやる気にならないんだったら役を変えるって言ってたよ。候補はこの役。その気があるなら目を通しておいて」

「……うん、わかった」




 タクシーを降り、私は高層マンションの玄関口に立つ。左手にはエミに渡された配役変更の台本。右手にはレンタルビデオ店のビニール袋。


 母が私の元を離れてからというもの、私はここに一人で暮らしている。都会の高層マンションは、コンクリートがひんやりと冷たくて孤独だ。だから家にいる間はひたすらDVDを流す。ジャンルにはこだわらない。洋画コーナーの片っ端から借りている。とにかく音がないと、なんだか牢獄にでも閉じ込められているような気になるから。


 オートロックの鍵を開けようとした時、一瞬背後に光を感じた。フラッシュ。私を都合よく型抜く大嫌いな光。バッと振り返り、フラッシュがたかれた方へと歩み寄る。「ヒッ」という声とともに、道路を挟んで向かいの通りの電柱の陰から無精髭でボサボサとした髪の男が現れた。男はしょんぼりと肩を落とし、ぶつくさと呟く。


「ついてねぇ……本人に見つかるなんて……」

「あなた何?」

「芸能誌のカメラマンっす。要はパパラッチ」

「ふうん。何か用?」

「用って、俺たちが芸能人つけ回してる理由なんか一つしか無いでしょう。岡崎千佳のスキャンダルをカメラに収めるためっすよ」

「で、撮れた?」


 そう尋ねると、男は深いため息を吐きながらボリボリと頭をかいた。


「いんや、今のところ全部シロ! 先輩たちが諦めた理由も分かりますわ。岡崎千佳は清廉潔白だ、って。だけどね、俺は諦める訳にはいかねぇんす。もう後がねぇって脅されてるんで。どんだけ難しくったって岡崎千佳のどす黒い本性を暴いてやる! ……って思ってたんすけど、本人に見つかっちゃあなぁ」


 30代くらいのいかにも甲斐性のなさそうな男。格好は汚いのに、カメラだけは立派にピカピカと輝いている。私はなぜだかそんな彼に、胸の奥がくすぐられるような心地がした。


「もしスキャンダル写真が撮れたらどうなるの?」

「俺は報酬と次の仕事をゲット、あんたはアイドルの座を失いジ・エンドっす」

「くすくす。じゃあ……命運はあなたの手に」

「はぁ……?」

「知らない? ハンニバルのレクター博士のセリフ」

「俺、そういうのあんまり詳しくないもんで」

「諦めなくていいよ。頑張りなよ、どす黒い岡崎千佳が見れるその日まで」

「へ……? いいんすか?」


 私は返事をせず、ただひらひらと右手を振ってマンションの中へと入った。





 それからほぼ毎日、彼は私をけるようになった。よほど下手くそなのかどこにいるのかバレバレだったけれど、あえて気づかないふりをすることにした。だって私は楽しかったのだ。彼がシャッターチャンスを狙っている瞬間は、自分が孤独でないような気がして。


 一方で、薄々気づいてはいた。私自身にスキャンダルが無ければ、いつまでもこの鬼ごっこは終わらないということを。終わらせたいのか、終わらせたくないのか正直自分でもよく分からないまま数ヶ月が過ぎていた。




--そしてその日、幕引きは突然に訪れる。




 マンションのポストに入っていた一通の手紙。そこにはただ「お前の母親の居場所を教えてやる。今夜21時、俺のところに来い」と書かれていた。手紙の末尾には新宿のとあるホテルの住所と部屋番号が記されている。私は彼が尾けているのを確認すると、わざと彼に聞こえるくらい大きな声で運転手に目的地を告げ、タクシーに乗り込んだ。バックミラーにあたふたと車に乗り込んで私を追おうとする彼の姿が見え、思わず笑みがこぼれた。




 その部屋では見知らぬ茶髪の男が上半身裸でベッドの上に腰掛けて私を待っていた。怪しいピンクの照明。ここはラブホテルだ。


「やっと来たか、千佳」

「あなた誰?」

「お前の母さんの恋人だよ」

「お母さんはどこ?」

「そう焦るなって。ちゃんと教えてやるさ……報酬を頂いたらな!」


 そう言ってたくましい腕で私をベッドの上に引きずり込み、乱暴にまたがってきた。四肢をホールドされて身動きが取れない。私はそっと部屋の扉の方を見た。うっすらと隙間が空いている。わざと閉まらないようにしておいたのだ。ねぇ、そこにいるんでしょ。チャンスだよ。


「へへ……なんだよ、嫌がらねぇのかよ。血は争えないってやつかぁ!?」


 男は荒い息で私のブラウスを無理やりに左右に裂く。その時--




「うわあああああああああああああああああ!!!!」




 無精髭の男が無様に喚きながら部屋に押し入り、私にまたがっていた男を思い切り殴った。ゴンッ! 鈍い音が響く。あーあ。思わず呆れて嘆息が出た。凶器に使われたのは、ウン十万もしそうなカメラ。殴られた男は気絶して床に伸びてしまった。




「はは……ダメじゃん、せっかくスキャンダルが撮れるところだったのに」

「もうなんか我慢できなくて。俺、やっぱカメラマン失格っすね」


 しょぼんとこうべを垂れる彼のくせ毛。触りたい。そう思う前に手が伸びていた。


「ううん、合格--」




 まさかのまさか。


 私自身、こんなことをするなんて思ってもみなかった。それだけ自然と吸い寄せられ--私は彼の唇にキスをしていた。


「私の本当の姿を見ようとしてくれるのはあなただけ。お願い、私を堕として」






「チカリン、最近演技良くなったねぇ。何かあった?」


 休憩時間、エミが感心したように話しかけてきた。結局、役はそのままで撮影を続けている。


「ううん、別に。でもまぁ……アイドルは失格かな」

「なんだよそれ、意味深」

「いいの、どうせ私の本当の姿を見ようとする人なんていないんだから。あ、一人を除いてね--」




***end***

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