大きな回り道
まりぃ
プロローグ 1
「あの頃に戻りたい」人は誰しもそう思う瞬間があるだろう。
「中学からやり直してー」
「学生に戻りたいわ」
それぞれ戻りたい時期も様々だし、戻りたい時期がいっぱいある人もいるだろう。
かくいう私もあの頃に戻りたい、と思う人間の一人である。私が戻りたいのは、高校2年生。2011年。この年私の人生は大きく方向を変えて進み始めた。
私はカナダのマニトバ州で生まれた。父がカナダ人で、母が日本人。いわゆるハーフである。2歳になる前に家族で福岡県の飯塚市に引っ越した。小さい頃から頑固な私はなかなか新しい環境を受け入れなかったそうで、アパートに着いた時はひたすら帰りたい、と泣いたらしい。全然記憶にはないけれど…。私が憶えている一番最初の記憶は、弟が生まれたときに病院へ行ったこと。その頃はもう新しい生活に馴染んでいたんだろうなと思う。
幼稚園は近所の私立幼稚園に入園し、そこでたくさん楽しい思い出を作った。習い事も始めた。バレエは3歳から。そしてピアノは6歳の時に。
小学校は地元の小学校へ進学した。最初の頃は容姿のせいで、「外人」とからかわれていた。からかわれるのが嫌で、悔しくて、それに対抗するように、いつしか強気な性格になっていた気がする。からかわれるとすぐに手や足を出して男子に反撃していた。といっても「ちょっと男子ー、やめてよー!」というようなノリで、だが。今思うとすごく幼稚な行動で、なんか笑える。でも、それが逆にみんなと仲良くなるきっかけにもなっていたような気がする。高学年に上がる頃には、男女関係なく、みんなと和気あいあいとした小学校生活を送っていた。人前にでて、みんなの役に立ちたいと思う気持ちもこの頃ら強くあり、代表委員や児童会(注1)などの役割も買って出ていた。6年生のときは、学校で特に親しくしていたメンバーもおり、毎日学校へ行くのが楽しくて仕方なかった。
中学校もそのまま地元の中学校へ進んだ。私の住んでいたところは小さな地区のため、小学校のメンバーがそのまま中学校へ上がり、全部合わせて9年間、変わらない仲間との日々を過ごした。残念ながら、私の通っていた中学校は2014年に廃校になってしまった。私の学年は2クラスあった最後の学年で、それがなんとなく自慢である。同じメンバーとはいえ、中学校に上がると、小学校とは違う環境に最初は戸惑いを感じた。1年生のときのクラスは最初なかなか馴染めなかった。初めて同じクラスになる人もいて、知っているようで知らない関係にどうしたらいいか分からないときもあった。そんな気持ちも少しすればあっという間になくなり、充実した中学校生活を送った。学年が上がるにつれて濃い思い出も増えていき、一つずつ挙げていくときりがないくらいだ。2・3年のときの担任とは時々連絡を取り合うし、今でも親交のある友達もいる。振り返ってみると恵まれた3年間だったと、そう思えるくらい学校か大好きだった。仲のよい友達も多く、相談に乗ることがよくあった。しかし、その反対はあまりしなかった。本音をぶちまけるようなことはなかなかなかった。信頼していなかったわけではない。ただ単に恥ずかしかったのだ。人前に立つのが好きなくせに人見知りで、本当の自分のを出すことはあまりなかった。その根底には、みんなが嬉しくて楽しい気持ちでいてほしいという思いがあったからだ。それだけみんなが大好きだった。(みんなはどう思っていたかわからないが…。)
そんな私にも高校受験がやってきた。みんなと離れるのがすごく嫌で、何度も涙を流したのを憶えている。そんな私が選んだのは、地元とは離れた福岡市の高校だった。選んだ理由は校風が好きだったから。地元の高校はきっちりした校則あるところばかりで、朝課外や、わけのわからない指導などの強制されることをあまり好まなかった私は、一緒にいたい気持ちを押し殺して、自分に合うところへ進んだ。唯一の救いは、幼稚園から一緒だった幼馴染が同じ高校へ進学したことだった。もし私1人だけなら、その高校へは進学しなかっただろう。
大きな回り道 まりぃ @mariecla
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