モンスターストレンジャー

A.D.2533

研究所にて


「お前は結構、見た目で損するタイプだと俺は思うわけだ」

 スピーカーを通して男が喋る。男は強化ガラスの向こう側に立っていた。

 部屋の中には怪物がいた。怪物はどろどろに溶けた皮膚に覆われていた。背は成人男性二人分ほど。四足歩行で背中は丸まっており、動きは非常に遅く、ぶよぶよに腫れた手足でのそのそと這いずるように移動する。頭はあるものの顔は一見、見当たらない。時折口らしき裂け目や、大きな眼らしき窪みを観察できることから、柔らかすぎる顔の皮膚が怪物の顔を隠してしまっているのだと考えられている。食性はいまだもって不明であり、奇々怪々な見た目とは裏腹に、何かを襲って食べようとする行動を取ることはない。

「記録によれば2403年、お前はあの謎の墜落体から現れた。皆、あれは当時この国と戦争状態にあった某国の化学兵器で、お前はそれに影響を受けて変異してしまった何かなんだろうと言う。ああこの際お前の正体なんて大した問題じゃない。もしオカルト雑誌が言うようにお前の正体が外宇宙から飛来したUFOに乗ってきた宇宙人なんだとしたらそりゃあロマンはあるとは思うがな」

 本来無機質な壁と観察用の強化ガラスの窓に囲まれているだけだったこの部屋は、所長であるこの男の意向で、この部屋には不似合いな絵本がそこかしこに積み上げられ、ぬいぐるみが床に散乱する、さながら子供部屋のような有様になっていた。

 怪物は前足で器用に絵本をめくった。目のない顔でじっとその内容を見つめた。

「お前は映像を与えれば映像を見る。本を与えて、本を読む映像を見せれば、本を読む素振りを見せる。他の奴らは、それを見てお前には学習能力があるだとか、多少の知性があるだとかって言うけどな。それだけじゃない。お前には気持ちがある。感情がある、俺はそう思う」

 怪物は首をゆっくりと動かし、不思議そうに天井近くのスピーカーに顔を近づけた。まるで犬がにおいをかぐように鼻先にあたるであろう部分でスピーカーをなぞるように頭を動かした。

「だがな、お前が誤解なく正しく気持ちを伝えるためにはな、すまないが、お前に人間の流儀に合わせてもらわないといけないんだ」

 怪物はガラスの外で喋る男に気がついた。そうしてガラスの外の男とスピーカーを交互に見比べていた。

「人間と怪物の流儀は違うだろう。でもどうかよくよく見て聞いて感じておくれよ。俺たちがお前を観察するように、お前もきっと俺たち人間を観察できるはずだろう?」

 男は怪物に両腕を広げた。怪物はガラスの向こう側の男を見ていた。

 怪物はスピーカーから離れ、のそのそと這い進んだ。怪物が這ったあとには、白い液体がぬらぬらと光っていた。長い時間をかけてようやく男の前にたどり着いた怪物は、強化ガラスの前で座り込んでかがみこみ、頭を男へと近づけた。

 男は破顔した。

「おお、話を聞いてくれるか! 嬉しいぞ!」

 怪物は黙って男を見た。

「そうさな、人間の流儀と言っても色々ある。でもその大本の部分は実は結構簡単だったりするんだ」

 男は得意げに指を立てた。

「人間に気持ちを伝えるためにはな、笑いたいときには笑って、怒りたいときには怒ればいいんだ」

 怪物は男に何も反応を返さなかった。男はしまったと額を叩いた。

「あー笑いたいときがどんなときかがまず分からないよな、そうだな、笑いたいときっていうのは、こう嬉しい!ってときや楽しい!ってときだな。心地よくてむずがゆくて走り出してしまいそうなときとか、笑顔の人と一緒に笑ってみたいって思ったときとか、好きだぞって伝えたいときとか。そういうときに人間は笑うんだ」

 怪物は何も反応を返さなかった。ただ、楽しそうに語り続ける男の前から離れようとはしなかった。

「笑顔はいいぞー! 笑顔はいつだって人を幸せにするんだ! そら、こうするんだ」

 男は両手の指を使って、口の両端を引っ張って、声を上げて笑った。

「ひひひ!」

 怪物は黙って、笑う男を見ていた。その様は怪物に語りかける男を観察しているようにも見えたが、何も思考せずにそこにあるだけのようにも見えた。しばらく無言で見つめ合ったあと、男は肩を落とした。

「そうだな。急には無理だよな。うん。無理を言って悪かったな」

 男はがっかりして怪物に背を向けようとした。怪物は男にさらに頭を近づけた。

 男が見上げると、のっぺらぼうの怪物の顔に大きな裂け目が現れた。顔の下の方を横切るように走ったその亀裂は、端のほうだけが少し歪んでまるで笑顔のようになった。

「ひ、ひ、ひ」

 それが怪物の発した音だったということに、男が気がつくのには少しかかった。遅れて理解した男は飛び上がって喜び、ガラスに張り付いた。

「そうだ! そうだぞ! 笑えるじゃないか、ひひひ!」

「ひ、ひひ」

「ひひひひ! その調子だ! そうだな、今度は怒り方も教えよう。お前に知ってほしいことはまだまだたくさんあるぞ。一緒にたくさん練習しようじゃないか!」

 山のように詰み上がったおもちゃや教導映像の記録媒体の前で、男は嬉しそうに笑った。

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