第19話 魔王と天使の交渉


 二日が過ぎた。

 宇宙空間では、地上を監視する為の船が今日も浮かんでいる。

 船の数は百と四十四。静止衛星軌道から三光日までの距離をカバーしており、テレーズが撃たれてから即時配備された二十七に加えて、百と十七が追加配備された。魔王の来訪、それに正体不明のテロリストの襲撃を受けてのものだ。

 銀河連邦が保有する戦力の、実に三割がこの小さな星の周辺に集まっている。

 何故、こんなことになったのか――

「知りたいかね?」

 と。

 ベルゼビュートは問いかけた。

 目の前には、最高指揮官であるフェルナンドが座っている。

 場所は、監視衛星のひとつの中にある執務室。ガラスのテーブルを挟んで、二人は座っていた。

「何をおっしゃりたいのか分かりかねますが、まずは会話の盗聴や録音をやめてからにしていただけますか?」

「ふ」

 少年はにやりと笑い、スーツのポケットから小さな機械を取り出して握りつぶす。

「鋭いな」

「職員への疑心暗鬼を招く為に、ある事ないことを喋ってリアルタイムで聞かせるおつもりだったのでしょう?」

「その通りだ。だが、聞かせた方が良いと思うがな。部下を守りたいのなら」

「それは私の方で判断します」

 抑揚のない声。

 死んだ魚のような目が、ベルゼビュートの仮面に向けられている。

「くっくっ」

 魔王は短く嘲笑した。

「過去にその調子で上に逆らって、今の体たらくではないか」

「挑発する意図が分かりかねますが」

「殺されるぞ、貴様ら全員」

「陛下が手にかけるという意味ですか?」

「違う。分からんか。説明しよう。貴様らの本来の目的はデスマーチの封印だ。……いや、否定しても無駄だ。貴様らの一番偉い奴から直接聞いたゆえ」

「アインス殿と話をしたという証拠は?」

「ない」

「証拠もないのに信じろというのも無理な話ではないでしょうか」

「状況証拠はある。私はデスマーチに一番深く関わっている。それにデスマーチの検証実験をする為に一番重要な情報――最愛の相手は誰か――嘘偽りなく調べられるのは私しかいない。読心術を使える能力者がいたとて、京四郎が誰を誰より愛されているかなど本人にも分からぬからな。だが、奴と最も長く付き合った私なら少し話をすれば分かる」

「……」

「もともと、私と天使が争うような問題はないのだ。昔のことはさておいてな」

「……」

「天界はデスマーチを封印したい。私は京四郎に自由に生きていて欲しい。ここで二人の利害は一致している。デスマーチの宿主である京四郎が無限の命を持てば、問題は無限に先送りできる。ではどうすればいいか? 京四郎を魔王にすればいい」

「それでは陛下がお隠れなされることになるのでは?」

 隠語で、死ぬという意味である。

「それはそれで構わん。私は京四郎の中で生き続ける」

 歪んだ笑みを、魔王は浮かべた。

 死んだ魚のような瞳で、フェルナンドは彼を見つめた。

「理解しかねます」

「理と知で生きている天使には分からぬだろうな。ともあれ、貴様らの上と私との間でこの件の調整はついている。京四郎を魔王にし、寿命を数億年に引き伸ばすことでデスマーチの納期問題を回避する、と。そこで実務的な話だ。新しい魔王を作るにはどうしたらいいか知っているかね?」

「既存の魔王を殺すことでしょう」

「そうだが、そのほかに二つ条件がある。まず一つは、魔王を殺した者が魔王となるに足る霊的な器を備えていること。つまりは相応の経験値を積んでいることだ。これは過酷な戦闘を経験させることでクリアできる。もう一つは分かるか?」

「いえ」

「魔王に匹敵する膨大な魔力だ。そして魔力は生贄を捧げることで効率よく手に入る。私の時代は先代魔王の血肉の九割九分と、数千兆人の人間を差し出した。結果的にだがな。そして今回はどうするか? たとえ京四郎の住んでいる惑星一つ、数億人程度の人間の命を捧げたところでとても足りぬ。いや、少し待て。生贄の質が高ければ数はそう多くなくて済む。たとえば恒星破壊級の生物を数百人用意できれば、必要な魔力のほとんどをまかなうことができる」

 そこで言葉を切り、ベルゼビュートはフェルナンドに笑いかける。

 フェルナンドの瞳は、相変わらず虚空をさまよっていた。

「分かるな?」

「我々を生贄にするというわけですか」

 抑揚のない声。およそ感情を感じさせない能面。

「そう。だから言ったのだ。このままでは全員殺されると。もちろんフェルナンド殿も生贄の対象に入っている。派遣された奴らのリストを注意深く見ればある傾向に気づいたはずだ。ここに集められた奴らは、天界上層部にとって不都合な、あるいは反抗的な人材ばかりしかいない。その理由を」

「……」

「盗聴、させた方が良かっただろう? 知ってしまった今、部下に伝えようとすれば禁則事項に触れて昔のように懲罰を受けてしまう」

 ベルゼビュートの言葉の端々に、明確な悪意が満ち満ちていた。

「不可解ですね。そんな機密情報を漏らして、陛下に何の得が?」

「簡単な事だ。他人が苦しんでいる姿を見るのは楽しい」

 仮面から露出した口元が薄く長く広がり、三日月のような形を作った。

「くっくっ。冗談だ。派遣された警察職員の中には魔族の者もいる。そして私は魔界の王だ。臣民を守る義務がある。はなから情報をリークさせてもらうつもりだったが、その過程で卿にいらぬ不審を抱かせたくなかった。私は上位の天使を敵に回したくないし、臣下に職場放棄して逃げるチャンスは与えておきたい」

「なるほど。では殺される、と仰りましたがどういう手段でしょうか。まさか陛下自ら手にかけるわけでもありますまい」

「デスマーチを使う。卿も知っているはずだ。アレは犠牲者を少なくする事は出来んが多くする事はできる。発動の際に術者に介入してある条件を満たせば、報復対象と生贄対象の相手を追加指定させられる。私が魔王討伐戦の最期にやったように。具体的なやり方は私と京四郎、神埼恵那、そしてミストレスのアインスからツヴェルフまで知っている」

 十二使徒。天使の最上級に位置する熾天使のことである。

「……」

「協力しないか?」

「協力……?」

「卿は部下を救いたい。私は魔王として娘と臣下を守りたい。全ては無理にせよ、何人かは逃がす事もできよう。ただし、私と卿とがくだらぬいさかいをしなければの話だ。

ふ。安心しろ。上に逆らう必要はない。事務的な事柄に少し融通を利かせてくれるだけでよい。効率的に時間を使えれば、それだけできる事が増える」

「はいともいいえとも答えかねます。私は与えられた任務をこなすのみですので」

「賢いな」

 皮肉とも賞賛ともつかぬ声音であった。顔の半分は、仮面に隠されて見えない。

「一つ、お伺いしたく存じます。その返答次第では、陛下は私の敵となりましょう」

「ふむ。答えられる範囲でかまわぬのなら」

「三日前、地上に派遣した部下達が全て襲われ、重傷を負いました。陛下の仕業ですか?」

「違う。が、知っていて見過ごしたという意味では同罪かもしれぬな。ミストレス・アインスの息のかかった天使だ。手練を見るに神埼流を修めている。白兵戦、それも惑星を壊さぬ規模でという条件付きなら、今ここにいる連中で敵う相手は私と卿以外にはいないだろう」

「信じてもよろしいのですか?」

「アインスの名前まで出したのだ。もし奴に濡れ衣を着せた場合どうなるか、卿もよくわかっていよう。あれは目が利く。鼻が利く。耳が利く。おまけに宇宙最強だ」

「失礼しました」

「敵にはならない、ということでよいのかな?」

「ええ。面子を潰すような事をしない限り、なるべく融通を利かせましょう」

「感謝する」

 それから二人は四時間ほどの間、細かな打ち合わせを行った。



***



 ベルゼビュートは、一旦魔界に帰ることになった。

 京四郎の住む星域は中立地帯に指定されており、魔王のような広域破壊生物が立ち入るには宇宙連邦に対していちいち面倒くさい手続きを取らなければならない。

 しかしこれは体面上のことで、魔界から連邦に圧力をかけたという疑惑も、連邦が圧力に屈したという疑惑も払拭する為である。

 魔界に到着して半日後には、公式な渡航許可とビザが発行される事になっている。

「ふ。うふふふ」

 帰途。宇宙空間をテレポートで移動しながら、ベルゼビュートはこぼれる笑みを抑え切れなかった。


――物事が計画通りに進むのは、楽しい。


 二年ほど前、京四郎の居場所を知ったのは偶然だった。

 魔王暗殺計画に関わったテレーズをやむなく放逐し、しかし気になってどこに住みどういう暮らしをしているかを諜報機関に探らせ、報告させた。

 するとテレーズの流れ着いた星、住み始めた国に、京四郎がいるということがわかった。

 シュザンナは奮い立った。

 過去の、二億年もの昔の思い出を大切に暖めながら親友との再会を待つ。そんな時間が終わりを告げ、確かにそこにいる愛しい相手を見つけたのだ。

 連邦の監視を掠めて通信機を渡し、テレーズを見るという名目で部下に近況を報告させ、京四郎がどう暮らしているのか、幸せにしているのかどうかを想いながらすごした。

 そして、知った。

 今の彼の愛が、自分以外の者に向けられていることに。

 あまつさえ妻を持ち、家庭を築き、自分以上に愛する者を作ったことに。

 京四郎に会った時、彼女は何度も尋ねたい衝動に駆られた。

『許されると思っているのか』と。

『私以外の相手を愛する事が、許されると思っているのか?』と。

 その衝動を我慢できたのは、魔王としての間に培った忍耐力と、そしてこの先に待っているドス黒い愉悦のためだ。

 京四郎に対して味方だと、彼の家族を守りたいという態度を示した。

 デスマーチが発動し、彼が家族を失う事になろうとも、彼女の手引きによるものだとは疑うこともすまい。彼女がミストレスのアインスとつるんでいることも、勘付かれはすまい。

 愛する者を失った男は、堕ちやすい。

 抱きしめ、涙をぬぐい、慰めてやろう。

 そのすぐ後に彼女も死ぬことになるが、かまわぬ。

 その時自分は、京四郎の最も愛する者になっているからだ。

 たとえ死のうと、彼女は京四郎の中で永遠に生き続ける。唯一無二の親友として。


 ――楽しい。

 ――人の信頼を裏切るのは、楽しい。


 笑みが、こぼれる。

 シュザンナは歪んだ女だった。

 生まれた時から人を殺し、殺すことについての禁忌を一切持たぬ人間だった。

 人に恨まれる事、人を殺すことは彼女にとっての日常であり、人の期待を裏切る事を上回る愉悦は、彼女にとって一つしかなかった。

 シュザンナは笑う。

 京四郎から奪い取った、魔王ベルゼビュートの肉体を使って。


――愛しい娘が死んだとき、京四郎はどんな顔をするだろう……?


 シュザンナは、笑う。



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