一話間欠
九層霞
戦士と光の剣
「くっ。私は負けんぞ!」戦士たる私は堂々と宣言した。
だがどうだ。資料の作成フローは私の所で止まり、進行中の企画では私のした作業の粗を全員がフォローしていた。
私はトイレ休憩を装い、剣を手に外階段へ向かった。
びゅん、びゅん、びゅん。ここで剣を振っている時だけ、私は名誉ある戦いに思いを馳せる事ができる。サービス残業やハラスメントなどといった生ぬるいやり取りを超越した、死と隣り合わせの世界。私が本来いた世界に。
「おつかれ」「む……」私はそいつに気づいた。やたら馴れ馴れしい同課の男が、ボトルコーヒーを私の頬に押し当ててきていた。
しゅぱ。私は切って返し、コーヒーの首を切り飛ばした。キャップはビル風が持っていく。
「情けは……受けよう。同僚だからな。ありがとう」私は甘ったるいカフェオレをすすった。
「またいちいちさあ。反応が堅苦しいよね、戦士ちゃんは。そこもカワイイけどさ」この男は軽薄で、どれが本気なのかわからない。きっとどれも本気ではない。
「そうだ。考えてくれた?今度の土曜……」言いかけた男の鼻先に、私が剣を突きつける。
「お前は悪魔族か?」私は聞いた。元の世界にいた悪魔と戦士は、永久に敵同士である。
男は両手を押さえるように突き出して、剣と私から目をそらした。私は少し痛みを覚える。
「私の味方だというのなら。それ以上近づくな。切りたくなる」
私は矛盾している。この男に殺意があれば、私はボトルコーヒーで殺されていた。
///
私は作業に戻った。進捗は泥の河を横断するコンドル牛のように悪かった。上司は上級魔導師の呼ぶ火の石の雨のように私を叱った。
私は見知らぬ女性とともに食べ物屋に居た。私が帰り道フラフラとしていた(らしい)所を、この女性が見かねて声をかけ、それだけでなく定食とデザートをおごってくれたのだ。奇特な人がいたものだ。
どん。私はパフェの底でカウンターを叩いた。
「私は与えられた試練を、約束の日までに全うした!私に落ち度はないと自負している……」「うんうん!貴方は悪くないよね!一緒に頑張ろうね!」この女性は何事も否定せず、私の言った事をまず真摯に受け止めてくれる。やり手の占い婆を思わせる。
「だが、戦士長の期待には添えなかった。どうしてだ、私は私の全力を。いやわかっている、鍛錬不足だ。どうしてもこうしてもないのだが」「うんうん!」
今日の仕事ぶりと評価。今思い出しても歯噛みしてしまう。
「くっ……私は負けんぞ!」私は言った。私が弱音を吐いた瞬間に、女性がにったりと笑った。そこから猛烈な早口でしゃべり始めた。
「そうだよね!一緒に頑張ろうね!新しい仲間を百人以上増やせば、私たち選ばれた人だけ、『最終戦争』が人類を滅ぼす前に『船』に乗って『脱出』できるからね!ここサインできる?『一緒に』『頑』『張』『ろ』『う』『ね』!頑張ろうね!頑張ろうね!頑張ろうね!頑張ろうね!頑張ろうね!頑張ろうね!頑張ろう」
「うおお!悪魔め!」
私はあまりの事に抜剣し、彼女のつむじから股下までまっすぐに切り下ろしてしまった。
女は倒れた。泡を噴いて気絶していた。
この光の剣は、悪魔以外の生き物には傷ひとつ負わせない。本当の窮地に陥った時でないと真価を発揮しないのだ。つまりこの女は悪魔ではなかったらしい。
///
「あの、模造刀って仰るけどね、貴方は。実物かもしれない物を所持して、構えたりするだけで、普通の方々には恐怖を与えますから。これで通じてます?」
「ハイ……ハイ。あの、わかりました。反省してます」
私はなるべくうつむいて頭を下げる。地図とか統計とか色々挟んだビニールシートの上に、無造作に置かれた光の剣。すごく小さく見える。
「わかってんのかなあ。じゃあ貴方ね、次もめ事になったらね、もう次はないからね。本気で前科つけるから。お巡りさんも別にしたくはないけど、仕事ですから。いい?」
「わかりました。今後は無いようにします。重々気をつけます」
「反省したんだ?じゃあいいよ、行ってもう。あ、このオモチャは持ってってよ」
「はい。ありがとうございます。いつもお疲れ様です」
ガラガラピシャ。私は交番から出た。
「勘弁してくれよ。マルチと剣振り回し女とか、どっち信じりゃいいのかわかんねえだろ……」雑談が漏れ聞こえた。
///
ピンポーン。どうしようもなくクサクサした私が腹筋で四桁目を数えていると、ドアチャイムが鳴った。私はドアの穴をのぞきに行く。知り合いがそこに立っていた。
「先輩。最近ヤバくないですか?」
後輩ちゃんはほとんど同期なんだけど私の方が数ヵ月早かったのでずっと先輩後輩の体にしてくれている。業績は後輩ちゃんの方が良い。
「いや、先輩がヤバいのは入社した時にわかってますよ。それにしたって最近ヤバくないですか?今日のタスク進行とか何すか?」
「くっ……私は負けんぞ!」つい言ってしまった。売り言葉に買い言葉。私は言い終わるより早く後悔した。
「出た。何に負けないんですか?周りを見て下さい。誰も戦っていませんよ。あとついでに女戦士のテンプレってだいぶ古臭くなってます。ハッキリ言って浮いてるんですよ。普通に色々恥ずかしくなって来ないですか?戦士のプライドに照らして。答えが無いんでもう一度聞かせて下さいね。『誰と戦ってるんですか』?」
そう真正面から聞かれては私だってわからなくなる。あれ、誰と戦っているんだろう。
「うるさい。聞きたくない!」私は扉越しに大声を張り上げる。大人の態度ではない。そして後輩ちゃんはやめない。
「私、わからないなあ。あなたが戦うのをやめるだけで。少なくとも、あなたの世界には平和が訪れると思うんですよ」
いつの間にか後輩ちゃんの体が扉をすり抜け、私の頭を抱きしめていた。
あったかかった。いつぶりだろう、誰かに抱きしめられたのは。
「私は……。私はッ……!」
私は抗い、森の精霊に答えを願った。歌と踊りの神や、雨と清流を見守る竜、かつて郷土を拓きし偉大な祖霊たちにも聞いた。ことごとく返事はなかった。鉄と雷が支配するこの国で、神秘はなりをひそめていた。
仕方がないので、自分自身で考えた。答えは出なかった。私は後輩ちゃんを突き飛ばした。
「わからん。だから、これが答えだああああ!」
私は剣を抜き、その本名を唱える。私に応えろ、<<<光をなぞる(レイ・トレーシング)>>>!
マンション街をこだまする文明の光。それら直線の軌道をねじ曲げ、私の剣は吸い付けていく。輝きの失せた町にただ一つ、まばゆい光の薄片と化した剣を、私は瞬時に十数往復。後輩ちゃん……に化けた悪魔の、どす黒い霊体を切り払う。細切れになるまで!
だが悪魔は笑い、自ら霧散してみせた。
(ちぇっ。次こそは……)
「ああ。今回もギリギリだった。次はお前たちに負けるかもしれない」私はチン、と鞘を鳴らした。「……だが何度でも来い!」
剣の光が散らばって、町中に帰っていく。停電とでも説明されるだろう。
私は剣を枕元に置き、寝支度を整える。
明日も戦場へ行くのだ。
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