第6話―精霊「ドッペルゲンガー」―

「母さん!」


 少女を背負って必死に駆けること何十分。ようやく我が家とも言える洞穴に辿り着いた。

 洞穴の前に立っていた見張りの男も、俺の様子に何事かと振り向いたが、すぐに元の仕事へ戻る。


「ライク、どうしたの? そんなに慌てて」


 最近俺が元気になっていたので、母の表情は明るい。俺の姿を見て傷がないことを確認し、声音も落ち着いている。母は本来は穏やかで明るい性格なのだ。


「この子を、この子を治してほしい!」


 対照的に俺は息を荒げ、母の前へと少女を下ろす。母はその少女を見て、目を見開いた。


「ライク……この子を、どこで?」


「山で狩りをしていたら、猪に襲われているところを見つけて助けてきたんだ!」


 冷静な母に、早く回復魔法をかけてほしい気持ち一心で声が荒くなる。死んでしまうかもしれない。そんな考えが、俺を切迫させていた。


 しかし、すぐにそれも母の言葉でおさまった。


「この子は――精霊よ」




 精霊。

 そう呼ばれる種が、確かに存在していることを母から聞いたことがある。

 俺は未だに見たことはない。


 精霊は、火、水、風、土、光、闇などの自然の属性に分けられるが、どの属性の精霊も姿は一貫しない。

 力は強いものから弱いものまで様々であり、総じて人間の前に姿を現わすのは珍しい。


 本来精霊というのは、自然そのものだ。

 精霊の属性は変わることなく、属性ごとの自然のある場でなければ、力が弱まっていき死滅してしまうらしい。


 そして精霊の力は、人間にとってとても有益である。

 火の精霊は火を起こし、水の精霊は浄化などの力を持っている。

 他の精霊にも、同じように有益な力が備わっている。


 そして肝心なのは、精霊と契約をすることができれば、誰でも魔法が扱えるということだ。

 魔力というものをこの世界に存在するすべてのものは持っている。しかし人間や生物が、それを放出し魔法という形で現せることができるのは一部である。


 だが、精霊は違う。精霊は身体そのものが魔力の塊のようなものであり、魔法を扱えない精霊はいない。

 その精霊と契約することで、自分の中にある魔力を魔法という形で精霊に使ってもらうことができるのだ。

 精霊も人間と契約すれば、人間の魔力により生命を維持でき、行動範囲を縛られないというメリット? もある。


 人間は欲が深い。

 そのような背景から、昔、精霊は人間に乱獲され、無理やり契約させられ、利用されたという歴史があったそうだ。

 なので精霊の数は減り、人に姿を見せることもなくなった。


 以上が母から聞いた精霊の知識だ。

 と、考えても目の前の少女が精霊だなんて言われても信じられない。まず精霊を俺自身が見たこともなければ、前世の記憶のせいで素直に受け入れることが容易ではなくなっている。



 しかし同時に、呼吸もなく生きている姿を俺は見ていた。

 精霊は姿も様々だ、人間と似た姿を持った精霊もいるだろう。

 ……いや、今は関係ない。少女がどんな存在であれ、助けたいという気持ちに変わりはない。


「精霊だと、母さんの魔法では治せないの?」


「えぇ、回復魔法は生物の治癒能力を高める魔法。精霊は魔力の塊だからね。……それに」


 母は、一呼吸置いて、真剣な顔で言う。


「この子は本来絶滅した精霊、ドッペルゲンガー。助けても人に危害を加えると思うわ」


 ドッペルゲンガーといえば、俺も前世に記憶している。

 自分と全く同じ姿をしており、見たら死ぬと言われている。


 だが目の前の精霊である? 少女は俺の姿とは全く違う可愛らしい少女である。俺自身の姿は水たまりに映ったことで見たことがあるが間違ってもこんな少女ではない。それどころか最近では目つきも妙に悪くなり体も引き締まって、親父の悪役顔に似てきたところだ。


「ドッペルゲンガーはね、出会うとこちらの姿を模倣して、力が全く同じになるの。それでいてドッペルゲンガーとして魔法も使うから、運悪く出会ったら死ぬと言われているわ。身体が魔力でできているから精霊と言われているけど、好戦的でどの属性に位置しているかもわかっていない。人間には害しか及ぼさないから、私は助けないほうがいいと思うんだけど……」


 黙っていた俺に説明してくれた母。

 なるほど、見たら死ぬという意味ではドッペルゲンガーという名前も納得だ。


 うーむ、俺もいくらか冷静になってきたが、助けたいという気持ちは変わらない。が、あの心優しい母がここまで言うほどの存在だ。


 これが幼い少女の姿でなければ俺も納得していたかもしれないが、男としては……くっ、これもドッペルゲンガーの策だとでもいうのか。


「っ……ん…………」


「…………!」


 しばらく俺が唸っていると、少女が目を覚ました。

 母は座ったまま身構え、手のひらを少女へと向ける。


「虹色の瞳……間違いない、やはりドッペルゲンガーね……!」


 俺はその間に慌てて入った。


「ま、待った待った、母さん、待って!」


 うちの母は回復魔法だけではなく炎の魔法も扱うことができる。持っている魔力によって扱うことのできる可能性が出てくるかもしれない属性の魔法も違ってくる。さらに魔力の属性は髪の色に出る。

 母は深紅の美しい長髪をしていた。回復魔法に属性は定められていないので、純粋な火の魔力ということを表している。


 ちなみに俺はそんな母と親父の魔力を引き継いでいるが、魔法は全く使えず、髪も赤みがかった黒髪である。


「ライク、危ないから離れていなさい!」


 母のこんな姿は初めて見た。声を荒げているところもだ。

 様子から相当危険だということはわかるが、俺はどかなかった。


「大丈夫だって母さん! 俺はさっきこの子と話した! 心配はいらない!」


 嘘である。

 少女は一言喋っていたが、俺は動揺して何も返せなかった。ここに俺の女性経験の付き合いのなさなどは理由に含まれない。


 しかし俺の態度に、母は呆気なく引き下がった。よく見るとニコニコと微笑んでいた。


「……そう。ライクが、そこまで言うなら仕方ないわね。大丈夫、お母さん信じるわ。……それにしても、ライクが自分から強く主張してきてくれるなんて……ふふっ」


 なるほど、母は息子の成長に感動してくれたということか。うちの母は相当な親バカであるらしい。俺も母の反応に感動して泣きそうになるが、そうはしていられない。


 急いで振り返り、少女と向かい合う。


 少女は身体を起こし、ジッとこちらを見ていた。


「……大丈夫か?」


 今度は言えた。

 マントを羽織らせているので、裸にどぎまぎとかしたりはしない。

 母親のおかげで少しは女性との会話に耐性もついたのだ。


「なんで、助けたの? なんで?」


 そんな俺に、迫るように質問を投げかけてくる少女。


「そ、そりゃ女の子が襲われてたら、助けるのが男だってもので……」


 相も変わらず抑揚のない少女の問に、俺は上手く返せず言い淀んだ。


 母はそんな俺の姿を後ろでにこやかに眺めている。


 だが、空気は少女の一言によって凍りついた。


「――アタシは、死にたかったのに」

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