アルビレオの恋
@okunot
001
ある夏の日
一九五七年八月十九日 午後五時十三分
午後の診察もあらかた終わり、表では
女房を亡くした三年前、田舎の無医村に流れ着き、ちいさな診療所を開いてはみたものの毎日が
長い休みに入るたび、あの美しいふたりがやってくる。ひとりは難しい病を抱えているため、年に数度の長期療養という意味合いが強い。もうひとりは
姉と妹。本人たちはそう言うが、ふたりの関係を厳密に定義しようとすると難しい。わたしたち、本当の姉妹なんだから。真剣な眼差しでそう言うふたりが「親しい友人」以上の何かであることには違いない。だとすれば、仰せのとおり「姉と妹」でいいのかもしれない。
姉妹を分け隔てなく愛した養父母は、この診療所で死んだ。いつまでも恋人同士みたいな、仲睦まじい夫婦だった。父親は病んでなお泰然自若、母親は伏してますます聡明可憐。どちらも身体の隅々までがん細胞に食い荒らされた。先に父親が特異に進行の遅い悪性新生物に冒され、数年後、母親がスキルス性の胃がんで倒れた。父親は長い時間をかけて徐々に衰弱していき、母親の病状はみるみる父親に追いついた。そして「きっかり同じ日」に天国へと召されていった。手と手を取り合い、寄り添うようにして死んでいった。目尻と鼻孔と歯茎とに赤黒い血をにじませながら、互いが互いの利かない身体を労りながら。夫が待ったのか、妻が急いだのか。幼い姉妹の行く末を案じながらも、愛する人と融け合うように逝ける幸せに包まれて死んでいった。彼らは最後まで恋人同士のようだった。あの暑かった日から、もうじき三度目の夏が過ぎようとしている。
残された姉妹は、いつからか、星や星座にまつわる物語ばかり読み漁るようになった。周囲の大人が、お父さんとお母さんはお空へ帰ったんだよと言い聞かせすぎたのかもしれない。この夏も、新しい小説や絵本や天文雑誌を隣町の本屋から段ボールいっぱい取り寄せたのだが、新学期がはじまる前にすっかり読み終えてしまうだろう。古代ギリシアより語り継がれた神話から、現代の流行作家が創作した短編小説まで。次から次へと、かわりばんこに。中でも姉妹のお気に入りは、はくちょう座の二重星アルビレオにまつわる短い童話だ。あたりを明るく照らす琥珀色の主星と、矢車菊みたいに美しい蒼色の伴星。わし座のアルタイルを想うふたつの星の淡い恋心を描いた、作者不詳のちいさな物語。二重星にとって、互いの存在は何よりかけがえのないもの。なぜなら二重星は、ふたりでなくては名前すらないからだ。それなのに二重星は、ひとつの星を好きになってしまった。自分たちの存在をかけてまで、たった一人のアルタイルを好きになってしまったのだ。そもそもアルタイルというのは彦星だから、こと座のヴェガつまり織姫という立派な恋人がいる。だからそれは「二重に悲しい恋物語」だった。姉妹が自分たちをアルビレオになぞらえたことは、いかにも正しい。あのふたりには、全天でも際立って美しい二重星こそ相応しいという気がするからだ。暑苦しい髭面に腹の突き出た中年が、年端もいかない少女に「北天の宝石」を見るなんて、どうかしてると思われるかもしれないけれど。
おしゃべり好きで明朗闊達、いつもみんなの「中心」で微笑む、外交的な妹。常に一歩引いたところから「中心」をまぶしそうに眺める、内気な姉。ふたりの性格は、まるきり正反対だった。にもかかわらず、ふたりを視覚的に識別することは、不可能だった。
それは、神の御業でなければ悪魔の所業だった。ふたりの少女の間には、互いを隔てる境界線が存在しなかった。成長し、その美しさを我がものとしてゆくにつれ、ふたりはますます識別不能となっていった。思春期を迎えるころまでには、口を開かぬ限り絶対に見分けがつかなくなっていた。学校の担任やクラスの友人、施設の職員や通院先の看護婦など周囲の人間は、ふたりの自己申告を信ずる以外になくなった。片方の主治医であるわたしだけが唯一、ふたりの間の僅かな差異を見分けることができた。
そんなふうだから、自分たちの身体を「とりかえっこ」して遊んだことも、一度や二度ではないという。はじめは大いにドキドキしながら、でも悪戯を重ねるごとに、お日さまの下でも堂々と。
「たとえば、こうよ。どちらか一方が三度目のデートに誘われたとするでしょう? そしたら、もう片方が素知らぬ顔で出かけていくの。そして、その
情熱的な目をくるくる踊らせながら、妹は言う。
「罪悪感もあるけど……あの子のためだから。頼まれてもいないのに、黙って会いに行ったことだってある。もちろん、見破られたことなんて一度もないわ」
凛とした瞳を伏し目がちにしながら、姉は言う。
いかにも安い探偵小説みたいな話だが、現実には、誰ひとりとして、ふたりの
「恋人との約束だって、代わりに果たしてあげられるわ」
しかし、それぞれがそれぞれの「自我」を確立させてゆくに従い、ふたりはいつしか「自分自身であることの証」を身につけるようになった。
蒼いモルフォ蝶と琥珀色のモナーク・バタフライが、その見事な羽根をまだ見ぬ世界へ大きく羽ばたかせるかのごとく、ふたりは競うように自らの存在を主張しはじめた。わたしは妹であって、姉ではない。私は姉であって、妹ではない。そう、強く念を押すようになった。そして、そのことを対外的にはっきり表明するため、しるしをつけるようになったのだ。
姉は右の耳に、誰もいない海のような蒼色のサファイアを。妹は左の耳に、向日葵みたいに明るい琥珀色のトパーズを。どんな心境の変化があったのだろう、それはわからない。どちらかが誰かに恋をしたのかもしれない。
ギギ、ィ。
何百年も閉ざされていた土蔵の鎧戸を解き放つかのように、自分たちの正体を白日のもとへ晒しはじめた。こうして姉妹は、識別可能となったのだ。
以来、人々が姉妹のことで戸惑うことはなくなった。なにしろ一目瞭然だった。サファイアだったら姉であり、トパーズだったら妹なのだ。そろばん塾の先生や隣家の下男、寺の住職や駄菓子屋の老婆など周囲の人間は、こぞって胸をなでおろした。ふたりを取り巻く者たちの生活は、すっきり明快で曇りのないものとなった。姉妹が密約を交わす可能性は、もちろんあった。ふたりが耳飾りをこっそり取り替えていた場合、見破ることは不可能だったからだ。しかしわたしの知る限り、ふたりがその禁を犯したことは一度もない。それはおそらく
だからふたりは、騙すときには堂々と騙した。必要とあらば、自らの証を身につけたまま、互いの心と身体をくるくる入れ替わってみせたのだ。その完璧なまでの変わり身たるや、ふたりの「見分けかた」を知らぬ者はもちろん、耳飾りの意味を知っているはずの者でさえ、うっかりすると、すっかり騙されてしまうのだという。その意味でも姉妹は、まさに「ふたりでひとりのアルビレオ」なのだろう。実に興味深いケースだ。
<つづく>
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