「はい」か「いいえ」
絶望&織田
生前死後
──いつもいつも見栄ばかり張っている女の子がいました。
──彼氏もいないのに恋人が外資系で働いていて、旧財閥の御曹司。
──自分はコンビニのアルバイトなのに大企業のОL。
──口に出す度に彼女の嘘で、塗り固められた経歴は増えていくばかり。
彼女の名前は「田中麗子」さん(仮名)は霊が視える体質だった。
夏のある日。
帰宅すると。
自室の机の椅子に。
長い黒髪の女性が俯いて、座っていた。
麗子さんは霊を視慣れているため。
特に臆すことなく、アイスを食べたりテレビを視ていた。
たいがい、こうして日常を送っていれば。
霊は消えるのだが。
その日は例外だった。
いつまで経っても。
霊は俯いたまま居座り続けた。
半袖やジーンズといったラフな服装。
視た限り、同世代。
麗子さんは霊とコミュニケーションを取ることにした。
年齢は?
住んでいた場所は?
名前は?
好きな食べ物は?
いつまでいるの?
いくら質問を並べても。
答えは返って来なかった。
麗子さんは、もしや?と思い。
こんな質問を返した。
「もしかして、喋れないの?」
霊は無言。
ただ、小さく頷いた。
「OK!じゃあちょっと待ってて」
麗子さんはテーブルを用意して。
霊にコミュニケーション方法のルールを説明した。
糸色望 ルールその1
「聞かれた質問には正直に答えること」
ルールその2
「はい、なら左手をテーブルの上に出す。いいえ、なら右手をテーブルの上に出す」
ルールは以上、上の2つ。
シンプルだ。
霊は小さく頷いた。
麗子さんと霊は向かい合って座り。
コミュニケーションが始まった。
「あなたは私に恨みがありますか?」
麗子さんは率直に聞いた。
あるか、ないかで大分。
今後に支障をきたすからだ。
霊はゆっくり。
トン、と。
右手を出した。
──いいえ、だ。
麗子さんは微笑すると。
フレンドリーな気持ちで次々と質問を浴びせた。
「暑くない?」
──いいえ。
「嗅覚はある?」
──はい。
「私、あなたのお友達になれるかな?」
──はい(かなり間を置いて)。
「お腹空いたりしない?」
──いいえ。
「年は…十代?」
──はい。
「ん…16?」
──いいえ。
「じゃあ17!」
──はい。
「マジ!?アタシと同い年じゃん!?」
──はい。
「ねーねー顔見せてよ?無理?」
──はい。
「ちぇ、ケチ~」
……。
そうして、時は過ぎていった。
麗子は少し気がかりなことがあった。
霊が右手を出した時。
手首に切り傷があったのだ。
麗子は死因に興味が湧いてきた。
霊の右手を指差して聞いた。
「ねー、リストカットしたことある?」
──はい(かなり時間を置いて、左手が少し震えていた)
「ふーん、まだ痛む?」
──いいえ(右手首を見せながら)
「うわ!肘の方まで切り傷だらけじゃん!?」
──はい。
「なんか恨みでもあったの?」
──はい(右手を出したまま)。
麗子さんもリストカットの経験があった。
失恋や友人との些細なケンカ。
つい、剃刀で切る。
痛み。
鮮血。
出血による麻痺と喪失感による現実逃避。
麗子さんには覚えがあった。
「そっかー私もリストカットしたことあるから分かるよ?あなたの気持ち」
──いいえ(素早く)
「あはー、ごめん、質問じゃないけどさー怒った?」
──いいえ(テーブルを軽く叩き)
麗子さんは苦笑して、話題を変えた。
「ぶっちゃけさー死んで悲しくない?私にできることがあるなら…」
──いいえ(ゆっくり、右手が酷く震えていた)。
「手…震えているけど大丈夫?」
──はい(出した左手も震えていた)。
「ねぇ…本当に大丈……」
──霊は両手を出した。
どん!どん!どん!どん!どんどん!どん!どん!どん!どん!どんどん!どん!どん!どん!どん!どんどん!どん!どん!どん!どん!どんどん!どん!どん!どん!どん!どんどん!どん!どん!どん!どん!どんどん!どん!どん!どん!どん!どんどん!どん!どん!どん!どん!どんどん!どん!どん!どん!どん!どんどん!
──霊は渾身の力を込めてテーブルを叩いた。
テーブルは揺れ手垢にまみれていった。
──はい。
──いいえ。
──はい。
──いいえ。
──はい。
──いいえ。
──はい。
──いいえ。
──はい。
──いいえ。
──はい。
──いいえ。
──はい。
──いいえ。
──はい。
──いいえ。
──はい。
──いいえ。
それから、麗子さんは事の次第を友人に話した。
「麗子、それマジ話?」
半信半疑だった友人。
そして、青ざめる麗子。
「マジだよ…本当…私嘘つかない!嘘つかないから!カタリマセン!カタリマセン!カタリマセン!カタリマセン!カタリマセン!カタリマセン!カタリマセン!カタリマセンカラアァ!」
麗子さんはしきりに潔白を訴え。
左肩を抑えていた。
麗子さん曰く。
──あれ以来。
──霊が背後に立ち。
──鬼のような形相で睨みながら。
──誰かと話す度に、内容によって。
──物事が真実なら左肩を叩き。
──物事が偽りなら右肩を叩く。
──まるで、麗子さんが強いたルールの当て付けのように。
──冬。
麗子さんの友人は喪服で葬儀場にいた。
精神を害し、引きこもりがちになった麗子さん。
麗子さんの両親が心配になって。
自宅を訪ねると。
赤い風呂場で身体中を切り裂いた麗子さんが湯船に浸かっていた。
鏡には。
「はい」と「いいえ」
そして。
「かたるな」
という文字を残して。
葬儀場。
皆が俯き、涙をこらえながら若くして散った命を惜しんだ。
友人も例外ではなかった。
遺影の麗子さんは対照的に笑っていた。
「──…」
お坊さんの声が黙々と響く中。
クラスメート。
親族。
両親。
友人。
一人一人が御焼香をあげ。
思い思いに浸っていると。
一人、二人と。
次々。
振り向いた。
後ろの正面には誰もいない。
けれど、それぞれが振り向いた。
左肩や右肩を誰かに叩かれて。
友人は思った。
「かたるな」とは。
「騙るな」と。
友人は叩かれた肩をさすり視線を正面に戻した。
友人は苦笑してポケットからスマホを取り出す。
着信履歴には自殺する前から、麗子さんの着信の表示でいっぱいだった。
友人は回想する。
あれから何かにつけて相談してくる麗子さん。
正直、友人は煩わしさを感じていた。
麗子さんと違って霊は見えない。
そのうち、嘘の用事を盾に麗子さんとの接触を拒んだ。
電話もメール、ライ○も例外ではなかった。
それでも着信音は収まらない。
まるでそれは麗子さんの悲鳴のようで、胸や胃をキリキリと締め付けてくる。
友人の脳裏には「はい」か「いいえ」が浮かぶ。
友人は「はい」を選択する。
溜まった受信メールの山。
それらは読まれることはない。
事務的に削除されるだけなのだから。
ディスプレイに浮かび上がる。
「受信メールを──件削、除しますか?」
友人の指はディスプレイをタップする。
その指先は微かに震えていた。
友人は回想を終えると再び苦笑する。
目の前には長い黒髪の少女が立っている。
半袖やジーンズといったラフな服装だ。
麗子さんが自殺した時、服装がこれだったことを友人は知っている。
あまりにも電話やメール、ライ○がしつこいので、こう言っていた。
「そんなに辛いならさ!いつものラフな格好で、リストカットしてみなよ!」
一度、吐き出した呪いの言葉は溢れ出て、止まらなかった。
「そんでスマホで動画を撮って、水風呂に浸かれば!?頭冷やせよ!!どうせかまって欲しくてしてるんでしょ!?」
動画には痩せ細った麗子さんが水風呂に浸かり、しきりに歯を鳴らしていたのが印象的だった。
最後に麗子さんは笑って、リストカットした。
「約束だよ」と呟いて。
友人はスマホをしまうと三回目の苦笑をする。
視線を上げると。
麗子さんが無表情で友人を見下ろしている。
真っ白な手には真っ赤に濡れたカミソリが握られていた。
麗子さんはしきりに、掠れた声で「約束だよ」と呟き続けていた。
友人は満面の笑みを浮かべて麗子さんに言った。
「これで一緒だね」
「違うよ」
「え?」
麗子さんは首を横に振って、右肩を叩いた。
「私のことはもう忘れて」
「なんで...別に私は...」
麗子さんはスマホが、収まっている友人のポケットを指差して言った。
「ならどうして...私からのメールや動画、履歴を消さないの?」
「それは...」
「約束だよ...私を忘れて...幸せに....なって」
麗子さんの体は震える。
声は涙声で、掠れが増す。
友人は知っている。
幼い二人の内、自分がいじめられっ子で、いつも麗子さんに助けられた事。
それが原因で、麗子さんがいじめられるようになった事。
自分は助けるどころか、距離を置いた事。
涙が溢れて止まらない。
いつしか二人は泣いていた。
「あんたは昔から見栄っ張りなんだよ麗子!本当は怖かったくせに!リストカットしてまで頑張った!バカ!大バカなのは私なのに!!」
右肩が叩かれた。
「でも友達が苦しむのはもっと怖いよ」
「うるさい....!」
友人は麗子を抱きしめた。
温もりはなく氷のように冷たい。
そして、折れてしまうほどに細い躰。
それでも、もう離さないと言わんばかりに強く、力を込めた。
更にカミソリを奪い取ると、自ら手首を何度も何度も切り、血を流した。
「な、なんで!?」
「友達が苦しいの嫌?その言葉、そのまま...お返しするよ」
温かい血が畳を打ち、数多のシミとなっていた。
「大バカな私は...死んだら治るのかな?ねぇどう思う?」
友人は聞いたが、麗子は嗚咽を零すばかりで言葉はなかったが、きっと......。
「......そうだよね、あっちの世界はどんな感じかな?でもアンタと一緒なら...きっと....」
それが彼女の最後の言葉になった。
つづく
「はい」か「いいえ」 絶望&織田 @hayase
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