レビヤタンと夢の金貨

@ekunari

第1話 冷たい朝と、いらいらの学校

 早朝の部屋の中で目を覚まし、真っ白なため息をつく。

 幼い頃から、僕は冬が嫌いだった。灰色の石畳が覆う街が、いっそううら寒さを増している。

 木製の壁や床からは、遠慮なく冷たい空気が部屋の中へ吹き込んで来る。

 大きな街の隅にある小さな僕の家は、壁も家具も隙間だらけだった。毛布はもう、布よりも穴の方が大きい。

 十二歳の冬のある日はそんな風に、昨日と何も変わらない、憂鬱な一日だった。


 靴下をはくと、足の指が少なくとも四本は、つま先に開いた穴から出てしまう。

 ベッドの下に置いてあった木靴に足を入れると、ひやりとしたものの、風に吹かれない分、素足でいるよりは少し寒さがましになった。

 二階の僕の部屋から一階に降りると、母さんが炊いたスープを、父さんがテーブルですすっていた。

 僕は真ちゅうの鍋から自分の分のスープを器に入れ、立ったまま、スプーンを使わずに器に口をつけて飲んだ。味つけは塩だけ。具は、豆が三粒。

 お行儀が悪いと最後に叱られたのは、いつだったろう。両親は二人ともテーブルに突っ伏すようにうつむいて座っている。このところ、正面から向き合っておはようを言い合ってもいない。いずれ、お互いに家族の顔を忘れてしまうんじゃないかと心配になる。

 「学校へ行って来ます」

と言って、ドアを開ける。

 両親からの返事はない。


 通学路を歩いていると、冬のせいなのか、街の大人たちは毎月ごとに元気をなくして行くようだった。馬車を引く馬に鞭打つでもなく、御者も気力の抜けた顔でぼんやり手綱を握っている。

 以前は元気よく声をかけてくれた酒屋のペシュおばさんも、ベーカリーのオージおじさんも、二輪車屋の若旦那のジニオさんも、おもちゃ屋のリサおばあさんも、刺繍屋のユアンさんも、何となくこの頃はしおれて見える。

 ただ、僕も元気に返事をするようなことはない子供だったので、少し気楽ではあった。

 けれど学校に着くと、最悪にゆううつな気分になった。教室に入るや否や、

「やあ、イーリー。今日のご機嫌はいかが」

とクラスメイトがはやして来る。僕の名前はイエルバレット。愛称のイーリーという響きが、僕は嫌いだった。必ずと言っていいほど、からかいを含んで呼ばれるからだ。

「イーリー、君は男の中の男だよな。なら、これを飲みこんでみろよ」

 男子の一人が、手のひらにのせたミミズを僕の口に押しつけた。

「やめろ!」

「できないんなら、それって女の子だ。ズボンを脱がしてやるよ、代わりにスカートをはけ。そうらみんな!」

 他の男子も一緒になって、僕に群がって来た。内容は毎日違っても、されることは同じだった。彼らは僕への嫌がらせを何種類も思いついては、ためらいなくそれを実行する。ただし、大きな問題にならないように暴力は振るわない。

 僕は三人がかりで腕を抑えられ、更にもう一人がズボンのボタンを外して引き下ろそうとした。その顔面を蹴り上げようとした時、両親の顔が浮かんだ。

 相手の子に怪我をさせれば、お互いの親が呼ばれるだろう。元気をなくしきった今の父さんと母さんが、僕が問題を起こしたなんて聞いたら、まともでいられるだろうか。

 恐怖心で、足が縮こまった。そのせいで反撃ができない。これも、いつものことだった。

 その隙にズボンが下げられ、下着が少しのぞく。その時――

「いい加減にしなさい。もう授業だぞ」

 教室のドアを開けて、先生が入って来た。僕はちょっとほっとした。でも次の先生の言葉を聞いて、すぐに、また気分が悪くなる。これもいつも通り。

「それ以上騒ぐようなら、全員反省室で放課後居残りにするぞ」

 ギャロシー先生は無愛想な男の人で、生徒に笑顔を見せたことのない教師だった。

 男子たちはつまらなそうな顔をしてそれぞれの席へ向かう。

 不愉快なのは、彼らと僕がいっしょくたに怒られることだ。学校というのは、いつもそうだった。今までもそうで、これからもそうなのだ。ずっと。ずっと。

 いらいらしたまま一日の授業が終わるまでひたすら耐え、終礼が終わると僕は学校から飛び出した。

 行くあては特にない。でも、学校にも家にもいたくなかった。

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