短編ミステリ『二人の男と死体の皿』

悠戯

短編ミステリ『二人の男と死体の皿』

薄暗い室内で、一人の男が目の前の死体を見下ろしていた。


 死因は失血性のショック死。鋭利な刃物で首を切られた事が原因だ。なにしろ、男が自らの手で殺めたのだから間違いは無い。

 死体は既に温かみを失い、その瞳は何も映さずに薄暗く濁っていた。


 「……このままではマズイ」


 男は、誰に聞かせるでもなく呟いた。

 この場所は勝手知ったる自らが経営する職場であるが、だからといっていつまでも死体を置いておく事など出来るはずもない。もしも第三者にこの状況を見られたら、誰が殺めたかは一目瞭然だ。

 今日は休日なので他のスタッフはいないが、明日には皆も出勤してくる。そうなれば、もはや死体を隠し切る事は不可能だ。



 ピンポーン。


 死体の処理をどうしようかと思案していると、不意にそんな間の抜けた電子音が聞こえた。職場の裏口のインターホンの音だ。誰かが訪ねてきたようだ。

 居留守を決め込もうかとも思ったが、窓から漏れる灯りのせいで室内に誰かがいるのは明白だ。ひとまず死体の処理は後回しにして来客に対応すべきだろう。

 そう判断した男は固定電話の受話器を持ち上げ、インターホンを鳴らした相手に告げる。


 「はい、どちらさまですか?」

 「失礼、お休み中にすみません、私は警察の者です。〇〇署の刑事課のAと申します」


 何故、ここに警察が?

 不思議に思ったが、無下に扱って無用の勘繰りを入れられても面倒だ。丁重に対応して早く帰ってもらうとしよう。男は一瞬のうちにそう考えて続く言葉を口にした。


 「警察の方がどういったご用件でしょう?」

 「じつはこの近所で殺人事件が起こりまして。この付近で聞き込みをしているのです」


 「殺人」と聞いて驚いたが、男とは無関係の事件のようだ。

 実際、A刑事が調べている事件については男は何も知らないし、ここは正直に知らないと答えても問題ないだろう。


 「この近所で殺人だなんて怖いですね。残念ですが、お役に立てそうにはありませんが」

 「そうですか……いえ、ご協力ありがとうございます」


 男が事件について何も知らないと言うと、A刑事はなんら疑問に思うことなく納得したようだ。まあ、これに関しては当然であろう。


 「では、お邪魔しました。私はこれで失礼します」

 「はい、お仕事頑張って下さ……あ、ちょっと待って下さい!」


 だが、収穫なしと見て帰ろうとしたところで男がA刑事を呼び止めた。

 男の脳裏に先程の死体の事が浮かび上がる。


 「お忙しいなら無理にとは言いませんが、よろしければお食事など如何ですか? こんな形でなんですが、一市民として刑事さんにご協力できればと思いまして」


 A刑事は一瞬迷ったようだったが、左手首の腕時計をチラリと見てから男に言った。


 「ちょうどお昼時ですし、折角ですからお言葉に甘えてご馳走になるとしましょう。どうせ、この後どこかの店で食事をしようと思っていたのです」


 A刑事は食事の誘いを受けて忘れていた空腹を思い出したようだ。少し照れたように頭を掻きながら、招かれるままに男の職場に足を踏み入れた。


 「いま料理を持ってきますから、飲み物でも飲んで待っていてください」

 「これはこれは、何から何まで悪いですな」


 愛想良く振舞う男にA刑事はなんの疑いも持っていないようだ。仕事中に良い息抜きが出来たとばかりに、出されたお茶を飲んですっかりくつろいでいる。


 一方で男は、A刑事に食わせる食材、すなわち先程の死体を見下ろして笑みを浮かべていた。


 「これをあの刑事に食わせてやろう」


 早速オーブンを加熱し、刃物で切り分けた死体の一部をその中に放り込む。

 焼けるにつれてオーブンの中から匂いが漂ってきた。臭みが出ないかが心配だったが意外なほどに美味そうな匂いだ。余った分を自分でも少し食ってみようかと、そんな考えが男の脳裏に浮かびそうになる。


 「くく、こんなところか……」


 すっかり焼けた肉を包丁で切り分け、新鮮な野菜と一緒に皿に盛り付けると、即興で作ったとは思えないような立派な料理に仕上がっていた。これを見て怪しむ者などいるはずもない。

 男は、ちゃんとした食事っぽく見せるために自分用にとっておいたパンやサラダなども一緒に、何も知らずに待っている刑事の下へと料理の乗った盆を運んだ。


 「お待たせしました、刑事さん。さあ、召し上がれ」

 「おお、これは美味そうですね。では遠慮なく頂きます」


 A刑事は、未だに何も疑うことなく呑気に喜んでいる。刑事というのは激務な割に給料が安いので知られているし、きっと思わぬところで豪勢な料理にありつけた事を無邪気に喜んでいるのだろう。ナイフとフォークで肉を切り裂き、喜んで食べる刑事を見て、男の心にわずかな同情心が浮かんだ。


 「お味はいかがですか?」

 「じつに美味いですな! こんなに美味しい食事は久しぶりですよ!」

 「それは良かった。よろしければお替りはいかがですか?」

 「おお、すみません。是非ともお願いします」


 A刑事の健啖ぶりを見て、男はニヤリと笑みを浮かべた。

 この刑事だけに全部食わせるのは流石に無理だろうが、同じ要領で客を招いて少しずつ食わせれば、案外簡単に死体を全部始末できるかもしれない。






































 「いや、じつに美味いですな、このは!」

 「お気に召したようで良かった。これは養鶏場から私が選んで買ってきた鶏を自分でシメた肉なんですよ」

 「ほう! たしかに冷凍チキンとはまるで違いますな」


 男、つまりこのレストランの店主は、自分が殺した鶏の死体のローストを食べるA刑事に朗らかに語った。

 オーブンでじっくり焼いた事でパリっとした皮も、その下の肉汁溢れるジューシーな肉も、そこいらの冷凍物とは比べ物にならない。材料にこだわる店主が、養鶏場から選んで買ってきた鶏を手ずからシメて血抜きをし、そこから更に低温で熟成させた逸品である。

 生のままではマズイので調理法を考えて迷っていたのだが、A刑事の喜びようを見る限りではローストチキンにして正解だったようだ。

 多めに仕入れた食材が無駄にならないかと心配していたが、この分ならば残った分の肉も問題なく捌けるだろう。


 「刑事さんには頑張って貰わないといけませんからな。さあ、今日はお代は結構ですからたんと召し上がってください」

 「いやぁ、わざわざ休日に押しかけたというのに、何から何までありがとうございます」


 こうして、休日中に偶然訪ねてきた刑事をもてなしたお人好しの店主と、運良くご馳走にありつけたA刑事は和やかな昼のひと時を過ごすのであった。

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