第3話 冒険するニート

「ウウウウウウウゥゥゥゥゥゥウッッ」

「なんだなんだなんだっ!?」

 外に響くけたたましい音にハクェイトは飛び起きた。

 人が叫んでるような、大きな機械が動いてるような、そんな感じの音だ。

 外を見ても、まだ日本体の姿も見えない。

「早朝からなんだっていうんだよまったく...」

 ハクェイトがさっきの音で痛めた耳を抑えていると、凄い勢いでドアが開く。

「お兄ちゃん行くよっ」

 リーナは突然飛び込んできたかと思うと、ハクェイトの腕を掴み、そのまま引っ張っていく。

 ハクェイトは引きずられるようになりながら寝起きの体で必死で歩く。

「ちょ、ちょ、なんなんだよ!?」

「いいから早く!」

 リーナは頭をクエスチョンマークで満たされるハクェイトをなおも引きずり、そのまま外へ出た。

「走るよ、お兄ちゃん」

「は?」

 ハクェイトが頭で理解する間もなく、リーナは全速力で走り始める。

 ハクェイトも前につんのめりながら、死に物狂いでその後に付いていく。

 ふと周りを見ると、同じ様に全力疾走している屈強な男たちがいた。

 一様に、同じ場所を目指して走っているようだ。

 そして、ハクェイトの体力が98%尽きた頃、二人はハンデルベン=デンスベルグ城に辿り着いた。

「ゲホッ、ガホッ、っ、なんっで、城に」

 息を切らしながら今更ながらハクェイトはリーナに城に来た理由を尋ねた。

 リーナはさすが学院の優等生だけあって、息は若干乱れている程度だ。

「さっき聞こえた音は軍隊緊急召集のサイレンなの。聞こえたら兵士たちは準備も何もせず、とにかく城に集まるの」

 なるほど、よく見れば周りは私服の屈強な男のみだ。

「でも、なんで召集するんだ?」

 少し落ち着いてきたハクェイトは何となく気になったことを聞いてみる。

 しかし、リーナは急に険しい顔になって消え入りそうな声を出した。

「それは...出兵するから...かも」

「いっ...!!!?」

 それはハクェイトたちも戦場へ駆り出されるということになる。

「あくまで推測だけど。だって、今の一度も緊急召集なんてかからなかったんだよ?かなりよくないことって捉えるのが妥当だよ」

 流れで浮かれて軍に入隊してしまったが、戦場に出たが最後、敵と殺し合いをしなければならなくなる。

 ハクェイトたちには荷が重すぎる。

 今からでも入隊を取り下げて来よう、のんて考えていると、城の演説スペースから陛下が顔を出した。

「兵士の諸君、集まってもらったのは他でもない。隣村、レーデルディアへ出兵するためである」

 どうやらリーナの読み通りである。

「出兵にあたり、一つだけ規則を設ける。全員知っているだろうが、レーデルディアは情勢が混乱し、覇権を軍部が握ってその軍部が暴走している。よって、我々の敵は軍のみである。市民や国王には手を出してはいかん」

 陛下が声を張り上げる。

「え?そうなの?」

 場が緊張に包まれる中、ハクェイトは一人訳が分からなくなっていた。

(軍が暴走してるとか普通に聞いてなかったんですけどぉ)

 いつもならリーナが気付いて説明をしてくれるところだが、リーナも緊張した面持ちで、そのような余裕はないようだ。

「この後、ゴンドレッドがルート別に班を振り分ける。その後は各班、別行動で隣村を目指すように」

 そこまで喋って、陛下は息をついた。

 そして両脇の兵士に目配せすると、大きく息を吸った。

「ハンデルベン国王ハンデルベン十二世、ここにハンデルベン軍出兵を宣言するっっっっ」

 ひときわ大きい声で力の限り叫ぶと、陛下はマントをなびかせながら部屋の中へと戻っていった。

 その瞬間、群がっていた私服の兵士たちは雄叫びを上げながら一斉に坂を下っていく。

 それに流され、ハクェイトは村の入り口の門付近に結局来てしまった。

 しかも、鎧に着替えた兵士たちが続々集まってきていて、家に帰ろうとしても押し戻されてしまう。

 リーナはリーナで、もう行く気まんまんで門のところを陣取っている。

(こうなったら俺も覚悟を決めるしかねえかあ)

 ハクェイトも入隊を取り下げて家に帰ることは諦めて、気合を入れることだけに専念した。

「ちょっとハク、何黄昏てんのよ」

 顔を上げると、がっしりした鎧に身を包んだアイネスが昨日預けたハクェイトの剣を持って立っていた。

「この剣、結構重いんだから、早く受け取んなさいよ」

「わ、わりぃ」

 緊張感の片鱗も見られない態度に面喰いながらも、ハクェイトは陛下から賜った剣を受け取った。

 渡すと、アイネスは背に刺してあった自分の剣を持ち、グリップを確かめた。

「あとうちの班は王女様だけね」

 一緒に行動しなければいけないので、早く見つけなければいかねいのだが、いかんせん王族なので、この群集の中に紛れているとは思えない。

(後で拾ってくるしかないか...)

「あの...ここにいます」

「!?!?」

 ハクェイトが振り向くと、ピンク色のワンピースを着たアンが恥ずかしそうにもじもじながらハクェイトの方を見つめていた。

「お、王女様いつからそこに」

 さすがのアイネスも顔を引きつらせて訪ねる。

 変なことを言って御気分を害されたらどうなるか知れたことではない。

「つい、さっきです」

 アンは小さな声で答える。

 ___この娘が本当に戦場で戦えるのだろうか...。

 ハクェイトが言えた義理じゃないが、そんな風に思った。

「皆の者、静まれ」

 腹の底に響くような声と共に、ゴンドレッドが姿を表した。

「では準備が出来次第、来い。私が経路を示したらそのまま出発だ」

 その声が終わるか否か、兵士のおっさん共はゴンドレッドの周りに群がった。

 その中に入っていく勇気はないので 少しすくまで待ってから行くことにした。

 空をぼーっと眺めること数十分、ほとんどの班が出発し、残す班はハクェイト達含めて四班になった。

「そろそろ行くかあ」

 ハクェイトはようやく重い腰を上げ、アイネス、リーナ、そしてアンと共にゴンドレッドの元へ向かった。

 ゴンドレッドは顎に手を当てながら、品定めするように四人を眺める。

「うん、お前らは森ルートを行け。この先の十字路を直進だ」

 ゴンドレッドはさして迷う様子もなく命令した。

 命を受けたハクェイト一行は早速進軍(進班?)を開始した。

 言われた通りに十字路を直進すると、やがて道はなくなり、ひたすら深い森へと入っていく。

「これ、本当にこの道であってんのかよ」

 垂れ下がるつるを手で避けて歩くハクェイトが愚痴をこぼす。

「このまま真っ直ぐ歩いていけばレーデルディアに着くはずだよ」

 地理とかに詳しいリーナが言うのだから、まず間違いないだろう。

 じゃあそのままずんずん歩いていこうとハクェイトが歩調を早めようとすると、急にアイネスが前に飛び出してきて通せんぼうした。

「なんだよ、突然」

「あんたたち、これから何しに行くか覚えてる?」

「ん?何しにって...」

 正直覚えてない。

 何のためにこんな森の中へ分け入ったんだっけか?

「戦争よ!これから私たちは戦いに行くの!この意味分かる!?」

 すっかり忘れてた。

 ハイキングみたいな調子で歩いていたものだから、うっかり。

「つまり、ここからは敵に見つからないように慎重に動く必要があるの。会話も最低限、歩調もゆっくり、隠れる場所を探しながら動くのよ」

 アイネスの言う通りだ。

 今の状態で敵地に踏み入れば、声で気付かれて囲まれて終わりだ。

「ここからは戦場経験のある私の指示に従って。いいわね?」

 唯一鎧を纏っているアイネスが言うと何だか説得力がある。

 ハクェイトは何の異論もなく先頭をアイネスに譲った。

「じゃあ、身を屈めてついてきて」

 アイネスの指示通り、一歩ずつアイネスの背中を見ながら歩を進める。

 さっきとは打って変わって、四人の間には緊張が渦巻いていた。

「あのさ...」

 しばらく歩いた所で、ハクェイトが小声 喋り始めた。

「何かあった?」

 アイネスが立ち止まり、それに従って三人も止まる。

「そろそろ休憩しねえか?」

 正直、ハクェイトは体力は限界だった。

 それに、炎天下の中動いていたせいで、全身から汗が噴き出し、脱水症状になりかけていた。

 アイネスは呆れながらも小声で返す。

「ったく、ほんと頼りにならないわねぇ、まだ三時間しか動いてないわよ」

「三時間っっ!!?」

「しっ、声がでかい」

 ハクェイトは思わず大声を出してしまう。

 何せ、ハクェイトが今まで生きてきて、活動をし続けられたら時間は最高で一時間半である。

 それをいきなり三時間も中腰で歩き続けさせられたんじゃ身が持つわけがない。

「あの、私もそろそろ休みたいです」

 リーナが静かに手を上げた。

 やはり、元々兵士であるアイネス以外には三時間中腰前進はキツかったようだ。

「分かったわ。でも、ここじゃ十分に休憩できないわよ。もっと適した場所を見つけてからの方がいいと思うんだけど」

 アイネスの意見ももっともだが、それまでに息絶えてしまったんじゃ元も子もない。

 短時間の休憩だということを織り込み済みで休むことにした。

 それぞれ、持ってきた最低限の飲み物で体を潤す。

 その時、突然アンが(伏せろ)と合図する。

 アイネスとリーナはそれに従って飲み物を脇に置きながら伏せた。

 ハクェイトは合図に気付かず、リーナに無理矢理伏せさせられた。

 アンは二脚を置き、愛銃をその上に設置した。

「敵影あり、六時の方向に五人程度です」

 アンがスコープを覗きながら小さな声で報告する。

「私が後方支援するので、三人は前衛に回ってください」

 アンは小声で、しかし大事な情報は的確に伝えた。

 城であった時は無口な子だと思っていたが、やっぱり戦場では恥ずかしいなんて言ってられないらしい。

 三人はアンの報告を受け、顔を見合わせるとゆっくり敵に近付いていく。

 とは言うものの、まだ三人は敵影を確認していない。

 六時の方向、という情報を頼りに手探りで進んでいく。

 と、目の前の茂みが音を立てた。

 ____ここかっ...。

 アイネスは愛剣を構えると、攻撃の構えを作りその茂みの奥へ飛び込んだ。

 そこにはアンの言う通り、五人の黒い鎧を着た者達がいた。

 レーデルディア軍だ。

 こちら側に気付いてなかったらしく、アイネスを姿を確認して慌てて腰の剣を抜いた。

 が、構える前にアイネスが飛び上がり、一人の敵に全体重に重力の助けを借りた重い一撃を食らわせた。

 敵の剣はいとも簡単に手から滑り落ち、アイネスの剣は敵の肩へと入った。

 そいつは短く呻き声を上げると肩を押さえて倒れ込んだ。

 確実に肩の骨は折れただろう。

 その隙に残る敵がアイネスに向かって剣を振り下ろす。

 しかし、それはアイネスが重い剣を振り回すと軽々と一遍に弾かれ、逆にアイネスの剣が全員の顔に次々と入った。

 頭も鎧に守られているとはいえ、クリーンヒットすればひとたまりもない。

 敵はぐうの音も出ないままにその場に崩れ落ちた。

 最後に周りを見渡して敵影がないか確認する。

「オーケー、多分終わりよ」

 アイネスの合図で四人が一カ所に集まる。

「さすが四剣士の一人ですね!すごいです!」

「もうアイネス一人でいいんじゃねーか?」

 ベルシュタイン兄弟がアイネスをはやし立てる。

「長くここに留まる理由はないわ。早く先に行くわよ」

 照れを隠すようにアイネスがさっさと歩いていく。

 それを追ってハクェイト達も更に先へと進んだ。


 もちろん、最初に釘を刺されていたので、話という話はせず、またしばらく歩いていた時だった。

 ハクェイトはある異変に気付いた。

 アイネスがちょっと前からから剣を両手で握っているのだ。

「なあ、アイネス、何かあ...」

「しっ」

 訪ねようとしたハクェイトをアイネスが制す。

「まずいですね...」

 アンは既に状況に気付いているらしく、息を潜めながら言う。

 アイネスも静かに頷く。

「な、何かあったのか?」

 未だに状況の掴めていないハクェイトはただおろおろするばかりだ。

 その時、両脇の草むらが揺れたかと思うと二人の敵軍の兵士がアイネスに切りかかった。

 アイネスはそれを正面で受け止める。

 ハクェイトが呆気に取られていると、さらに草むらから二人出てきて、今度はハクェイトに切りかかった。

「うわっわわわっ」

 ダメだ、切られる...と思った次の瞬間、自然にハクェイトの剣が敵の剣を弾き飛ばしていた。

 さすが陛下にもらった魔法剣だ。

(ここであの魔法ぶっ放せば...)

 ハクェイトは咄嗟に右手を敵の目の前に突き出す。

「リア充爆発しろおおっ!!」

 ...しかし何も起こる事はなく、我に返った敵が再び切りかかってくる。

「何やってんのよハク!」

「敵影十ニ時の方向に十人、三時と九時の方向に五人ずつ、完全に囲まれてますっ」

 アンが必死に叫ぶ。

 ハクェイトはここでようやく状況を理解した。

 ハクェイトは何度も何度も切りつけてくる敵の剣をその都度受け流した。

 護身用の剣なのだから、反撃はできない。

 ひたすら守っていると、自分の相手を片付けたアイネスがハクェイトに群がる二人を隙のない動きでさっさと片付けた。

「残りの敵は任せてください、皆さん。少し離れて」

 リーナが自信に満ちた顔で敵のいるであろう方向を向く。

 三人は言う通りに少し後ろに下がった。

 リーナはそのまま前に手のひらを突き出すと、目をつぶって何かを唱え始めた。

「...炎の精霊よ、我に火炎を分け与えたまえ」

 決め台詞のように言い放つと、瞬く間に眼前が炎に包まれ、燃え尽きた木々が次々に横倒しになった。

 火が収まって見れば、数十メートル四方が焼け跡になっていて、立ち込める煙の中に二十人強の人が倒れているのが見えた。

「やったよ!お兄ちゃん!」

 リーナは滅茶苦茶に喜んでハクェイトに向かって親指を立てた。

 アイネスとハクェイトは呆気に取られて口が開きっぱなしになっている。

 そして、見た目とのギャップに思わず身震いをした。

「王女様も、人数を教えてくださり、ありがとうございました」

 リーナがかしこまってアンに礼をすると、アンは困った顔をしておろおろした。

「あっ、あの、ここでは堅苦しいこと、なしにしません?無礼講でお願いします」

「無礼講...ですか...」

 アンの提案に逆にリーナが困惑する。

「私の方が年下なのですから、お姉さま方には敬語を使わないで頂きたいのです。...駄目でしょうか」

「王女様がそう言ってんならいいんじゃねーか?アンだっけ?」

 見かねたハクェイトがタメ口でアンに話しかける。

「ちょ、あんたっ...」

「いいんです。私のことはアンとお呼び下さい」

 そう言われてもハクェイト以外の二人には少し難しいことだ。

 しかし、それがアンの意向なので、リーナはできるだけフレンドリーを意識して話しかける。

「じゃ、じゃあ私はアンちゃんって呼ばせて頂き___呼ばせて?アンって何か呼びにくいから」

「はい、喜んで」

 ちゃん付けされて、アンは照れ笑いをした。

 アイネスも何か話そうと思ったが話の種が見つからなかったので、今直面している問題について話すことにした。

「アン、囲まれたってことは...」

「はい...」

 それだけでアンには言わんとしていることが伝わったらしい。

「敵に私達の所在がバレている可能性があります」

「それってヤバいことなのか?」

 ハクェイトが緊張感の欠片もなく言う。

「あんたね、いくら私とリーナちゃんが実戦強いったって限界はあるのよ?何百人と来られたら勝てる見込みはないわ」

「問題はどうしてそれが敵にバレてるかです」

 アンが軌道修正する。

 本題はそこのようだ。

「伝書鳩...あるいはのろし。いずれにしても、倒した敵が生き返って何らかの形で本部にコンタクトを取ったのでしょう」

 つまり、それが指し示すところ、それは...。

「こいつらを生かしておくとヤバい、と」

「簡単に言えばね」

 アイネスがため息をつく。

 それが疲労からくるものなのか、状況からくるものなのかは分からない。

「じゃあさっさと殺しちゃいましょうよ、それで一件落着です!」

 リーナは何とも普通に「殺す」と言ってのけた。

 そして懐からナイフを取り出すと、倒れているレーデルディア兵の首に振り下ろそうとした。

 しかしそれは兄ハクェイトによって止められた。

「人をそんな簡単に殺すな」

 いつになくハクェイトは真剣だった。

「でも学校で習ったよ、敵を殺すのに躊躇しちゃだめだって」

 リーナはあっけらかんと言ってのける。

「俺はニートだし、学校のことなんか知らない。でも、敵だろうとなんだろうと、人は人だ」

「でも、お兄ちゃんだって遠征の時にたくさんの人を殺したんでしょ!?」

 いつの間にか兄妹喧嘩に発展していた。

 その原因は敵を殺すか殺さないか、といういささか珍奇な状況だったが。

「ああ、確かに殺した」

「だったら...」

「でも、殺したらお前は罪悪感を背負うことになるっ!!」

 ハクェイトはひときわでかい声を出した。

 しかし、アイネスもここでは何も言わない。

「確かに、殺した後すぐは能天気に喜んでたさ。でもな、時間が経つに連れて思うんだよ。あいつらにも家族がいて、帰る場所があったんじゃねえかって。応援しに来てる家族があの場所にいたんじゃねえかって。そう思ったら、少しも喜べねえだろ」

 リーナは何も言い返すことなく俯いている。

「もし、リーナが本当にこいつを殺したいなら俺が殺す。どうする?」

 言いながらハクェイトは横たわるそいつの首に剣を突き立てた。

「...ごめんなさい」

 リーナは鼻を赤くして謝る。

「学校の言うことを素直に聞くのは感心だが、それが真実なのかを決めるのはリーナ、お前自身だ」

 ハクェイトは剣をそいつの首から外して、左手でリーナの頭を撫でた。

 しかし、リーナは思い出したように言う。

「あ、でもそれじゃ私たちの場所がまたばれちゃうんじゃ...」

 どうすればいいか迷っているリーナを見て、アイネスは笑って返した。

「別に生かしておいたら絶対死ぬってわけでもないし、私は別にいいわよ」

 アンは何も言わなかったが、アイネスに賛同するように首を縦に振った。

「じゃあ決まりだな」

 ハクェイトはにっと笑う。

「まだ問題はあるわよ」

 アイネスが人差し指を立てながら言う。

「お兄様の魔法のことですね」

 察したようにアンが補足した。

 確かに、リア充爆発しろ、と叫んだものの、うんともすんとも言わなかった。

「リア充が一人もいなかったんじゃねえのか?」

「でもあれだけいれば一人くらいはいるんじゃない?」

 アイネスの言うことも一理あるが、それだと大前提が崩れることになってしまう。

「リア充がいたとしても、その人が彼女___ないし彼氏のことを考えてなかった、とか」

 リーナが天を仰ぎながら言う。

「または、リア充が二人揃ってないと意味がない、とかね」

 アイネスが真剣な表情で意見する。

 __実際話しているのはリア充のことなんだけれども。

「いずれにしても、発動理由が不確定だから、今後の実戦で見極めてく必要がありそうね」

 最終的には意図的に発動できるところまで持っていくのがベストだろう。

 まだ見通しが決まったわけではないが、ハクェイトの体には力が入る。

「立ち止まってるのもなんだし、もう出発しましょ。もう少し行ったら野宿するのにいい場所を探すから」

「やっと今日の仕事終わるぅぅ」

 ハクェイトがのびをすると、その腹の虫が大きな音を立てた。

「食糧も探さなきゃね。何はともあれ、もう少しの辛抱よ」

 そうして、一行はレーデルディアに少しでも近付くべく、再び鬱蒼とした森の中を歩き始めるのだった。


 辺りが暗くなってきた頃、ハクェイトは薪拾いに勤しんでいた。

 細いのとある程度太いのを組み合わせて、それを抱え込むように持った。

 むき出しの木の根に気を付けながら、さっきみんなと別れた広場まで歩く。

 広場に戻ると、既に他の三人は戻っていた。

 アンは大木の上でスコープを覗き、リーナとアイネスは石で簡易的なかまどのようなものを作っていた。

 そして、その脇の木の根元には大きなイノシシが横たわっている。

「あ、お兄ちゃんお帰り~」

 リーナが気付き、手を振る。

「おう。...すげえイノシシだな」

 ハクェイトはでかすぎるイノシシに苦笑した。

「すごいでしょ!アンちゃんが仕留めたんだよ!ばんっ、ばんって二回だけで!」

 さすが凄腕狙撃手と言ったところか。

 何はともあれ、食事には困らなそうだ。

「早く火を起こして、ご飯にしましょ」

 アイネスがハクェイトの持ってきた薪をかまどの中に並べていく。

「さて、と」

 アイネスが汗を拭う。

「...どうやって火付けよう」

「は?」

 アイネスの汗はどうやら冷や汗のようだ。

「いやいやいや、火付ける方法も考えずにやろうとしてたのかよ!?」

「わっ、私だって泊りがけの遠征なんか初めてなんだから仕方ないでしょ!」

「あ、そうだ、リーナの魔法で...」

「私の魔法は攻撃魔法なの。火力が強すぎて消し炭になっちゃうよ?」

「ったく...誰か火打石みてえの持ってるやついねえのかよ」

 アイネスはもちろん、リーナも首を横に振るばかり。

 念のため、アンにも聞くべくアンのいる木の真下に行く。

 そこから上を見上げると、ワンピースでしゃがんでいるアンの姿が確認できた。

「アンー、火ーつけるなんか持ってねえかー?」

 アンは手元の銃はそのままに、顔だけ左右に動かした。

「あと、今更だがワンピースはやめた方がいいぞー。パンツ見えてるー」

 それを聞くと、アンは動揺して、咄嗟にワンピースの裾を両手で抑え、銃を取り落としてしまった。

「この変態っ、何アンのスカート覗いてんのよっ」

 アイネスが頭に角を生やしてハクェイトに迫ってくる。

「そんなんじゃねえよっ、俺にロリコン趣味なんかねえよ」

 ハクェイトはきまずそうに頭を掻く。

 アイネスは「どうだか」とぼやきながらなんだかんだかまどの方へ戻っていく。

 ハクェイトも戻ろうとすると、木からアンが枝を伝って降りてきた。

「なんかごめんな」

「いえ、どうせ食事をとるために降りてくるつもりだったので」

 どうやらハクェイトの謝罪を銃を取り落としたことに対してだと受け取ったようだ。

(危ないお姫様なこった)

 ハクェイトは悪びれもないアンを横目にアイネス達の元に戻る。

「で、どうすんのさ、火起こし」

 ハクェイトは近くにあった手ごろな石に腰を下ろす。

「金属を擦れば火花くらい起きるかな」

 リーナとアイネスもかまどを囲むように座る。

 アンもどこかに座ろうと辺りを探すが、四つ目石が見つからず、まごまご歩き回った結果、何故かハクェイトの膝の上に落ち着いた。

「おい」

 ハクェイトが声をかけるとアンは座ったままハクェイトの顔の方を振り向いた。

 ちょうどハクェイトがアンの頭を見下ろす格好になっている。

「あんまりくっつくのはやめた方が...」

「お兄様、ちょっとじっとしていてください」

 膝から降りてもらおうとしたのだが、ハクェイトの言葉はアンに遮られた。

「お兄様、何か食べました?口元にチョコレートみたいなものが付いています」

 ハクェイトはぎくりとする。

 同時に、リーナとアイネスの視線がハクェイトに注がれる。

 実は、途中に倒した敵からくすねたのであるが、ほかのみんなには秘密で一人で貪り食ったのだ。

 ばれたら怒られるに違いない。

 どう言い訳しようか思案していると、アンがさらに顔を近付けてくる。

 何をしているのかと不思議に思った瞬間、アンの舌がハクェイトの口元に付いたチョコレート片をそっと舐めとった。

「!!?!!???」

 ハクェイトはもちろん、リーナとアイネスも硬直した。

 アイネスに至っては剣を取り落としている。

「なっなっなっ」

 やっと発した声がそれだった。

 ハクェイトの顔がみるみる紅潮していく。

 ...とそのときだった。

 ぽっと気の抜けるようなしたかと思うと、かまど内の薪に火が付き、そして勢いを増した。

「あ、火が付いたんですね、良かったです」

 当事者であるアンは周りの反応などお構いなしに喜んでいる。

 リーナとアイネスもハクェイトのことはひとまず置いておき、火の方に視線を向けた。

「リーナちゃん付けた?」

「いえ、アイネスさんじゃないんですか?」

 二人は顔を見合わせる。

 アンも、火が付いた瞬間はハクェイトといちゃついていた訳であるから、残るは...。

「「ハクェイト(お兄ちゃん)の魔法?」」

 二人は同じ結論に達した。

「でも、お兄ちゃんは叫んでないし、対象もリア充じゃなくてただの薪ですよ」

「もしかしたら、ハクの魔法の発動条件は本人の思ってるものと違うものかも」

 再びハクェイトに視線を戻すと、ハクェイトはまだ放心状態で固まっている。

「お兄様、どうかしましたか?」

「い、いやあ、何でもないよ、なんでも、ははは...」

 アンの心配そうな顔に気付き、気のない返事をして、最後に「席譲るからどいてもらえるかな」と告げるとすぐにどいた。

 アンを石に座らせ、アイネスとリーナの間に移動する。

 ___ああ、またいろいろと罵られるんだろうな。

 そう思っていたハクェイトだったが、二人の顔は予想に反して明るかった。

「お兄ちゃん、もしかしたらお兄ちゃんの魔法、リア充を爆発させる魔法なんかじゃないかもしれない」

 リーナが嬉々として言う。

 だが、ハクェイトには内容がいまいちつかめない。

「今、私たちが何もしてないのに火が付いたのよ」

 アイネスが補足説明をする。

 __なるほど。

 __それでそれが俺の魔法だと。

「ほかに原因があるんじゃねえのか?」

 言ってはみたものの、自分でもその可能性は低いと思う。

「とりあえず、ハクェイトの魔法だと仮定してみましょ。そうすると、今はアンと...よからぬ事をして魔法が起きた」

「別になんもしてねえだろっ!??」

 アイネスに目を背けられ、ハクェイトは必死に弁明する。

「それより、重要なのは、今のこととリア充の共通点だよ」

 リーナが軌道修正をする。

「で、なんなんだ?その共通点ってのは」

 ハクェイトが訊ねると二人は顔を見合わせて頷く。

 どうやら答えはもう出ているようだ。

「共通点は___」

 リーナは人差し指を空に向け、一言一句丁寧に発した。


「恋愛感情だあっっっ!!?」

 ハクェイトが大声を出す。

 その声は夜の森に凄く響いた。

「お兄ちゃん煩い」

 リーナが辺りをきょろきょろ見回す。

 敵を警戒しているのだろう。

「そう。自分、もしくは目の前にいる人が恋愛感情にある場合、発動するんじゃないかって」

 アイネスは至極真剣に話す。

「それじゃあリア充爆発の魔法はその逆になっちゃうだろ」

「違う違う」

 ハクェイトの意見は即座にリーナに否定される。

「発動条件が恋愛感情だってだけだよ。つまり、リア充を爆発させるときは、リア充共の恋愛感情を魔法に変換して、その魔法をリア充爆発に使った、ってこと」

 リーナの話し方に何かとげを感じたが、大体のことはハクェイトにも理解できた。

 それが本当だとすれば、リア充共は自分自身の愛で別れさせられたことになる。

 __皮肉なこった。

「そうなると、愛さえあれば俺は何でもできるってことになるじゃんか」

「だから私たちが喜んでるんじゃない」

 さもアイネスが当たり前のように言う。

 この二人はもともとその結論に達していたのだろう。

「でも、逆に言えば恋愛の対象がいなけりゃ話にならない」

「そんなの目の前にいるじゃない。三人も」

 アイネスが悪びれもなく飄々と言ってのける。

「...お前正気か?」

 ハクェイトは正直気が引けた。

 幼馴染や王女、ましてや妹とそんな関係にはなりたくない。

 今の関係を壊したくはない。

「何も、付き合おうってんじゃないのよ」

「ん?違うのか?」

 __覚悟しようとしてた俺が馬鹿みたいじゃんか...。

「今の状況を思い出しなさいよ。別に二人が付き合ったり、恋をしていたわけじゃないでしょ?でも突然の出来事に一瞬心を奪われた___」

「つまり、恋愛感情って言っても、かなり大雑把なんだと思うの。だから、恋愛的な恥ずかしさみたいなものを与えれば魔法が使えるんじゃないかなあって」

 アイネスとリーナに一方的に説明を受けるが、それが意味するところのつまり...。

「俺はこれからずっとお前らから恋愛感情を引き出すためのドッキリみたいなのを浴びせ続けられるわけか?」

「ご名答。王女様にはそんなことさせられないけどね」

 アイネスがさらりと言ってのける。

「ま、楽しみにしてなさい」

 アイネスは意味深な言葉を残すと、リーナと共にご飯の準備を始めた。

 __ああ、もう帰りたい。


 ハクェイトは汗をかきながらアイネスの背中を追いかけて歩いていた。

 その背にはぐっすり眠ったアンをおぶっている。

 寝ている間に敵が攻めてくるのを警戒して、夜の間中ずっと見張りをしてくれていたのだ。

 よく眠っていて、歩いていても耳元で寝息が聞こえる。

 ちなみに、おぶっている関係で草むらに隠れるのはやめ、全員普通に直立して歩いている。

「お兄ちゃん遅い」

 後ろを歩くリーナに急かされるが、そうは言ってもおぶってるのだからしょうがない。

「だったら先に行けよ」

 リーナには聞こえない声でハクェイトがぼやく。

 一方のリーナは場にそぐわない変な緊張を覚えていた。

 私服___Tシャツにホットパンツ姿のアイネスがちらちらと振り返ってリーナのことを見てくる。

 最初は鎧を着ていたのに「みんな着てないし、私の腕があれば鎧の重さがなくても大丈夫よ!」と脱いでそのまま置いてきてしまった。

 そのアイネスと昨晩話し合い、決めたことを今実行しようとしていた。

 簡単な作業のはずなのだが、心の準備ができない。

 ターゲットのハクェイトは目の前をふらふらと歩いている。

 __やってやるっ。

 リーナはハクェイトと同じ速さを保ちながら、その隣に並んで腕を組んだ。

「んぉ?なんだいきなり」

 ハクェイトは目を丸くしてリーナを振り返る。

 リーナは恥ずかしくて目を地面にそらした。

「な、なんとなく」

 口調がどことなく怒ったようになってしまう。

 そしてすこしずつ密着度を上げていく。

 覚悟を決めたリーナは、そのまま勢いをつけて意識して胸をハクェイトの腕に押し当てた。

 まだまだ大きくなりたてだが、平均よりは大きいはずだ。

「おいおい、やっぱなんか変だぞ、リーナ」

 ハクェイトは不快感をあらわにする。

 リーナもこのままでは引き下がれないので、更に強く胸を押し付けた。

「ん、もしかして胸が大きくなったアピールか?」

 ハクェイトが気付いてくれたことはありがたいのだが、面と向かって言われると強烈に恥ずかしい。

 その沈黙をイエスととったのか、ハクェイトは「ふーん」とにやにやし始めた。

「まー、確かに昔よりは大きくなったかもなー。でも男にもてたいならもうちょっと必要かもな」

 ハクェイトはたいして反応を示さないだけでなく、そんな小言まで付け足した。

 我慢の限界に達したリーナは思いっきりハクェイトの頭を叩いて「ふんっ」とそっぽを向いた。

「ったく、なんなんだよ...」

 ハクェイトは不服そうにしながらも、そのまま歩き続けた。

 前を行くアイネスはその光景を肩越しに見て、志向を張り巡らせていた。

 やはり、長年連れ添った妹やアイネスのような幼馴染では効果は薄いかもしれない。

 次にどんな作戦がいいか考えていると、ハクェイトが急に立ち止まった。

 ハクェイトの背中にいるアンが目を覚ましたのだ。

「まだ寝てなくて大丈夫か?」

「はい、もう大丈夫です」

 そう言いながらも、アンはあくびをした。

「じゃ、下ろすぞ」

 ハクェイトは肩の上を通るアンの腕の付け根辺りを持って腕の力だけで持ち上げた。

 そして自分と向かい合う格好に持ってきて下ろした。

 しかし、どこかアンの様子が変だ。

「どうした?アン」

「あの...」

 アンは顔を赤くしてもじもじしている。

「お兄様の手...んっ」

「手がどうかしたのか?」

 ハクェイトは自分の手を見てみる。

 アンを持ちあげるために、その脇あたりをしっかりと持っている。

 そしてその親指は___。

「っっっ!!!」

 ハクェイトは顔を耳まで真っ赤にして飛び退く。

 ハクェイトの親指は、アンの少しだけ突き出た胸の先端部分にピンポイントで接していた。

「あんた、やっぱりロリコンでしょ」

 様子を確認するために引き返してきたアイネスがハクェイトを侮蔑の視線で見る。

 リーナもさっきのこともあり、泣きそうな顔でハクェイトを見ている。

「違うっ、俺が好きなのはあくまで大人のお姉さんだっ!!」

「どっちにしても最低じゃない」

 そのとき、突然、なんの前触れもなく、ハクェイトが右目を押さえて唸りだした。

「何?中二病発動した?」

「そうじゃない...痛っつっ」

 そして、唸るのをやめたかと思うと急に眼を見開いた。

「敵がいる」

 ハクェイトの言葉で四人は咄嗟に身をかがめる。

「真正面をずっと行ったところに二十七人」

「なんでそんなのがわかるのよ」

「わからない、でも見えるんだ」

「は?」

「目に映像が流れ込んでくるというか...」

 リーナとアイネスははっとして顔を見合わせる。

「それって...」

「魔法...」

「本当に真正面なんですね?」

 アンが狙撃の準備をしながら訊ねる。

「ああ」

「射程圏内に入ったら、何人かは私が対応します。残りはお姉さまたちにお任せします」

 アンは自身に満ち満ちた表情で、二脚に銃を立てた。

 そして敵と向き合うような方向で寝そべると、スコープを覗いた。

「敵影発見。ですが、まだ射程圏からは程遠いです」

 そこからの時間は長く感じた。

 何にも喋ることなく、ひたすらそのときを待った。

「...いきます」

 アンが言った次の瞬間、銃が火を吹いた。

 厳密にいえば魔力を込めてある魔銃であるから、火は吹いていないのだが。

 そして、わずかに遅れて男の悲鳴が聞こえてきた。

 恐らく見事命中したのだろう。

 そして、アンは立て続けに銃の引き金を引いた。

 一度魔力を込めれば、いちいち弾を装填しなくてもいいというのも魔銃の利点だ。

 しばらく打ち続けた後、アンがスコープから目を離す。

「打ち損じ五人です」

「あとは任せて」

 頷いてリーナとアイネスが立ち上がった。

 きっと二人なら五人程度どうってことないだろう。

「殺したのか?」

 ハクェイトは後片付けを始めたアンに聞いた。

 アンは予想してたように微笑んで見せる。

「心配しなくても大丈夫ですよ。全員左肩を撃っただけです。致命傷じゃありませんよ」

 どうやら、アンはハクェイトのためにわざわざ殺さなかったらしかった。

 ハクェイトが礼を告げると、照れたように「いえ」と言っただけだった。

 案の定、アイネス達は五人を一瞬で捻りあげて、アンが一式を片付け終わったころには戻ってきた。

「アンが減らしてくれたからだいぶ助かったわ。ありがとう」

 アイネス達にも礼を言われて、アンは「私はただ撃っただけです」と謙遜をした。

「それはそれとして」

 アイネスは突然真剣な顔をする。

 直前の雰囲気との差に戸惑いながらも、ハクェイトも顔を引き締めた。

「ハクの魔法の件」

 そういえば、先ほど意図せずに魔法が発動した。

 その原因は予想はついている。

「リーナちゃんがアタックした時は何も反応しなかったのにアンといちゃついた時には即座に反応した...」

「とっ、突然だったんだから不可抗力だろ!?ていうか、リーナ、さっきのやつわざとだったのかよ!?」

 ハクェイトに指摘され、リーナは口笛を吹いてそっぽを向く。

「裏を返せば、突然のことに対しては魔法が発動しやすい、と」

「まあ、そうなるが...ほどほどにしてくれよ」

 ハクェイトは苦々しい顔をして首を横に振る。

「...じゃあいつまでも話してるのも時間の無駄だし、さっさと進みますか」

 __それもそうだ。

 他の三人も無言の同意で一斉に立ち上がった。

 そしてすたすたと歩きだしたアイネスの後を生まれたての小鳥のように付いていく。

 __俺ここになにしに来たんだっけかな。

 ふと、ハクェイトはそんなことを思った。


 ハクェイト一行は鬱蒼と生い茂った森の中を談笑しながら歩いていた。

 最初の頃の緊張感は既になくなり、話の方向も世間話へと転じている。

 アイネスも振り向きつつ会話に参加していたのだが、少し前からずっと黙り込んでいた。

 頭のなかでシミュレーションをし、手順を確認する。

 ___よし。

 アイネスは覚悟を決めると、歩幅を狭めた。

 必然的に後ろを歩くハクェイトとの距離が狭まる。

 そして、そこで話しかけようとした風に見せかけてハクェイトの足を踏む。

「あっ...」

 ドジを踏んだような声を出し、そのままハクェイトを押し倒す。

「うおぉっ!?」

 急な出来事にハクェイトは対応できず、そのまま尻餅をついた。

「いってぇな...何すんだよ急に」

 ハクェイトの上に多い被さるようにしてアイネスも倒れている。

 ___密着度は高いけど...どうよ!

 アイネスはハクェイトの顔を覗き見る。

 ...が、ハクェイトは特に何の反応も示さず、顔をしかめて「はやくどいてくれ」なんて言っている。

 アイネスは落胆で思わずため息をつく。

 その様子を見てハクェイトは「あ」と声を出す。

「もしかしてわざとか?そんなドッキリじゃ俺は引っかかんないぞ」

 ハクェイトがどや顔を披露するが、今は引っかかってくれないと魔法が使えないのだ。

 ___もっと状況を見てほしいわ...。

 しかし、アイネスもただで転ぶわけにはいかないので、立ち上がる際にも思考を巡らせていた。

 そして何となく思いつき、ハクェイトが立つのを手伝うフリをして腕を自分の方に思いっきり引っ張った。

 ハクェイトはそのままアイネスを巻き込んで再び倒れた。

 上下が変われば気持ち、何か変わるかもと考えてのことだ。

 しかし、アイネスの思いも虚しくハクェイトは顔を引きつらせて胴を上げた。

「同じこと何回も言わせるな」

 ___やっぱり駄目か...。

 結局上手く行かずに、再び落胆するアイネスだったが、ふと下の方に違和感があることに気付いた。

 それはハクェイトが少し動く度に増大していく。

「んぁっ...」

「大体お前は...」

 アイネスが変な声を出してしまったにも関わらず、ハクェイトは気付かずに説教を垂れている。

「ハク...」

「なんだよ」

「ハクの...膝が...」

 アイネスは震える声で訴える。

 ハクェイトは苛立ちながらも自分の膝を見た。

 ハクェイトの右膝はアイネスの両太ももの間に収まっており、その先端の関節の部分はその付け根のホットパンツに押しつけられていた。

 ハクェイトはさっきのアンの時同様、真っ赤になって飛び退いた。

「お兄ちゃんのすけべ」

 リーナが軽蔑の視線を向けてくる。

「しっ、仕方ないだろっ、不可抗力だっ!」

「お兄ちゃん浮き足立ってるよ」

「この場合は浮き足立つとは言わないだろ」

「いやいや、自分の足見てよ」

 リーナに言われた通りに自らの足を見ると、その足は地面を離れ、だんだんと空に進み出していた。

「おいっ、物理的に浮いてんじゃねえかっ」

 ハクェイトの体はどんどん浮かんで行こうとする。

 このままではどこへ行ってしまうか定かではない。

 アンはいち早くハクェイトに駆け寄り、引き戻そうと掴んでくれた。

 しかし、それで今度はアンが浮きそうになっている。

 そこに仕方なくリーナが加わり、ハクェイトの上昇は収まった。

「い、今のは成功...ね」

 いつの間に復活したのか、アイネスがハクェイトを抑える二人の後ろに立っていた。

「単純にエロいことすればいいんじゃないの?」

 リーナがハクェイトを睨みながら言う。

「別に俺は好きでこうなってるんじゃねえんだよ!!」

 ハクェイトは必死で弁明するが、リーナは聞く耳を持ってくれない。

「でも、その可能性も否定できないわ。万が一の時は脱ぐ覚悟も必要かもね」

「ねえやめて?」

 ハクェイトが懇願するが、アイネスは否定も肯定もしない。

 極地になれば本当に実行するつもりだろう。

 そのまま変な雰囲気が漂ってしまい、結局ハクェイトの魔法が切れるまで誰も喋らなかった。

 ハクェイトが地上に降り、再び進み出した後もリーナは機嫌が悪く、ずっとそっぽを向いていた。

 アンは先頭のアイネスとスイーツの話をしている。

「...お兄ちゃん」

「...ん?」

 先に話しかけたのはリーナの方だった。

「お兄ちゃん、何で私だけ反応してくれなかったの?」

 リーナは下からハクェイトを見上げて訊く。

「何でって.. 反応したら兄失格だろ。あくまで妹なんだからな」

 ハクェイトの意見はもっともだ。

 しかし、リーナの中にはジェラシーの様な物がのた打ちまわっている。

「でも、それって私だけ女の子として見てくれてないってことでしょ?」

「あのなあ...」

「兄妹でも恥ずかしがるくらいしてくれてもいいじゃん」

「...俺だって我慢してるんだよ」

「え?」

「いや、何でもない、忘れろ」

「ちょっとお兄ちゃんどういうこと!?」

 ハクェイトがリーナに追求されているとき、突然アイネスが人差し指を口の前に付けた。

 見ると、前方に白い煙が上がっている。

 ___敵がいるかもしれないっつーことか。

 ハクェイトは若干ある意味安心しながらも、剣を構えた。

 煙は近付けば近付くほど大きくなっていく。

 これがのろしだとすれば相当大規模にやっていることになる。

「えっ!?」

 先頭を行くアイネスが困惑の表情を浮かべる。

 追いついてその先を見ると、煙の正体は温泉だった。

 それもかなり広い。

 駆け寄って手を突っ込んでみると、少しぬるめだが、そのままでも全然浸かれそうな温度だ。

「これは思わぬ収穫ね」

 アイネスの声は弾んでいる。

 こういう戦いの場合、懸念要素の一つがお風呂に入れないことだ。

「今日は時間も丁度良いし、ここで野宿しましょ」

 アイネスのありがたいお言葉にハクェイトはその場にへたり込んだ。

 ___体の節々が痛い。


 例の如く、ハクェイトは周辺で薪を拾ってきた。

 野宿をするのは見つけた温泉から30歩くらい離れたところだ。

 そして、作り上げられたかまどに薪を突っ込む。

 アイネスはアンの取ってきたうさぎを捌いている。

「...で、火を付けるにはまたハクェイトに魔法を使ってもらうしかないってことね」

「ちょっとまて」

 ハクェイトが冷や汗をかきながらアイネスを制止する。

 が、思いの外アイネスが早く折れ、作業に戻る。

「こっちは暫くかかるから、ハクは先に温泉に入っちゃってくれる?私たちは食後に入るから」

 なんだか拍子抜けてしまったが、アイネスの言葉に押されるようにハクェイトは温泉に移動した。

 アイネスが口角を上げたのも気付かずに。


 ハクェイトはお湯を手ですくって軽く体にかけ、そのまま足を突っ込んだ。

 体を慣らしながら全身を浸けていく。

「ああ^~~~」

 静まった森の中にハクェイトの長い息が響く。

 湯は白みがかった半透明で、底はただの地面のはずなのだが、化学反応か何かで固くなっているらしい。

 足には一切泥は付いていない。

 湯の湧き出している所は奥の方にあり、ボコボコと音を立てて噴き出している。

 溢れた湯は一筋にまとまって、どこかの川へ流れ落ちているようだ。

 あまりの広さゆえに泳ぎたくもなったが、まずは体を休ませることを第一と考え、頭を縁に預けて目を瞑った。

「いい湯だね~」

「ああ...ってああっっ!!??」

 突然聞こえた声に目を開けると、ハクェイトの隣でリーナがごく普通に湯に浸かっていた。

「お前、いつ入ってきた!?」

「お兄ちゃんが目を瞑った辺りから」

 ハクェイトは納得はしていなかったが、ひとまずは元の体制に戻った。

 さっき驚いていたのは、別に恥ずかしかったわけではなく、単純に驚いたからのようだ。

 しかし、これではリーナが覚悟を決めて入ってきた意味がない。

「い、一緒にお風呂入るの久し振りだね」

 わざと意識させるような事を言ってみるが、ハクェイトは「あぁ...」と微妙な返事しかしない。

「昔は俺がリーナの頭洗ってやってたからな~」

 ハクェイトは特別意識はせず、ただ昔の思い出を振り返っているだけである。

 それを見て、リーナは次の作戦を決行した。

 ハクェイトの方を向き直し、胸を水面ギリギリのとこでキープする。

「お兄ちゃん、見て、胸、大きくなったでしょ?」

 捨て身の攻撃だが、これにもハクェイトは釣れない返事をする。

「確かにこう見ると昔よりもでっかくなったな。一緒に風呂入ってた時代はぺったんこだったもんな」

 まったくこれでは埒が明かない。

 リーナはアイネスに言われていた通り、最終兵器を使うことにした。

「お、お兄ちゃん!」

「ん?なんだ?」

 ハクェイトがリーナの方を向いた。

 リーナはハクェイトの目を真っ直ぐに見つめて言った。

「お兄ちゃんのこと、大好きだよ!」

 言ってしまった後で、既に赤みがかっていたリーナの顔が真っ赤になってしまった。

 ハクェイトは面食らった顔をしていたが、すぐに顔を緩めた。

「俺もリーナのこと大好きだぞ」

 ___違う。

 ハクェイトの「大好き」はリーナの「大好き」とは根本的に違う。

 リーナは改めて想いが叶わないと悟って、下唇を噛んだ。

 いくら兄妹だからといって裸であれば多少意識してくれると思っていたのだが、とんだ勘違いだったようだ。

「あら、いい雰囲気ね。邪魔しちゃ悪かった?」

 ハクェイトが声の方を向くと、さっきまでかまどで作業していたはずのアイネスが温泉の縁に座っていた。

 下は手拭いで隠し、胸は腕を組んで辛うじて先端だけ隠していた。

 これで、ハクェイトはリーナとアイネスに挟まれる格好になる。

「お、お前まで!?ていうかお前ら後で入るっつってたじゃんか!」

「でも火が付かないんだからしょうがないでしょ」

 アイネスはにやにやしながら腕を緩める。

 ハクェイトはすぐに視線を別の方向へ逸らした。

「だいたい、男女が一緒に風呂入るんのはおかしいだろ!?リーナは妹だからいいとして」

「私たちだって昔一緒に入ったことあるでしょ?」

「それはそうかもだけど...それとこれとは違うっっ!!」

 必死になってハクェイトが叫ぶが、アイネスは涼しい顔をしている。

 そうこうしていると、アイネスは湯の中に全身浸かり、ハクェイトに密着した。

「お、おい、離れ...」

 ハクェイトがアイネスから離れようと手を突き出すと、それはアイネスの二つの膨らみの片方にクリーンヒットした。

 アイネスはそれを見かねてわざと高い声を上げる。

「ごっごごごごめっ...わざとじゃ...」

 慌てふためいている間に、今度は左腕にリーナがくっついてくる。

「お兄ちゃん、私には何にも反応示さないくせにアイネスさんのときは顔赤くするんだ」

 ハクェイトの羞恥メーターは振り切る寸前だった。

 どうにか耐えられたのは、そこでアイネスが戦線離脱したからだろう。

 突然真顔になるとさっさと湯から上がってしまった。

「もう上がるのか?」

 体を見ないようにハクェイトが声だけ張り上げる。

「そもそも薪に火を付けるためにやってただけだし。それに、あんまりやりすぎると燃え尽きちゃうでしょ?」

 アイネスはそう吐き捨ててさっさとかまどの方へ戻っていってしまった。

 本心でないのにあんなことやこんなことをしていると思うと、自分のせいではないが、ハクェイトは胸を痛めた。

 リーナもしばらくはもじもじと浸かっていたものの、ハクェイトより先に上がっていった。

 一人残されたハクェイトは星の輝く夜空を見上げ、深く溜め息をついた。


 四人は煌々と盛る炎を囲み、昨夜と同様に食事をしていた。

 しかし、先程の事で三人はすっかり黙り込んで、普段喋らないアンが必死になって話題作りをしようとしてくれているが、それに答えることもなかった。

「なあ、こんなこと終わりにしないか」

 突然、ハクェイトが浮気している夫みたいなことを言い出した。

 リーナとアイネスも呆けている。

「お前らも好きでこんなことやってるんじゃないんだろ?無理にやってるんだったらもうやらなくてもいい。というか、もうやるな。嫌々やられるのは、やられる方も辛いんだ」

 それからしばらく、また全員黙り込んでしまった。

 アンは状況が分からず、おろおろしている。

 その沈黙を最初に破ったのはアイネスだった。

「ハク、ちょっと付き合ってくれる?」

 アイネスはそう言うと、有無を言わさずハクェイトを森の奥の方へ連れて行く。

 しばらく行くと、開けた場所があった。

 見える範囲が広い分、見える星も必然的に多い。

「ハク、あんたは鈍感だから単刀直入に言うわね」

 アイネスはそう前置きして、下を向いてたハクェイトの顔を無理矢理上に向かせた。

「ハクの事が好き。心から」

 ハクェイトの目に映るアイネスの目は真剣にハクェイトに訴えかけていた。

「...は?いや、だって...」

「さっきは仕方なくやってたって言ってた、って言いたいんでしょ?でも、ハクも私が思ってることを素直に言う性格じゃないってしってるでしょ?それに、本当に好きじゃなきゃ、わざとでもあんなことはやらないし」

 ハクェイトはまた下を向いた。

 女の子に告白されるなんて初めての経験だったから、どう反応すればいいか分からなかったのだ。

「だから、ハクは何も心配せずに、私たちのなすがままになってればいいの」

 アイネスはいつになく優しく微笑んでみせる。

「でもリーナは...」

 ハクェイトが訊ねようとしたが、その口にアイネスの人差し指があてがわれた。

「それは自分の心に訊いてみなさい。さ、戻るわよ」

 アイネスに急かされて、リーナ達のいるところへ急ぐ。

 その間もハクェイトは自問自答していた。

 ___俺は...。

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