ショートショート3 明赤

 とある街の片隅にある一軒のバー。洋楽のバラードが流れる店内には、疎らに客がいる。そこのカウンター席で一人の若い男が酒を呑んでいた。彼は誰とも話をせず、ただカクテルを呷るだけであった。

 不意に、ドアが開かれる音とともに、中年の男が店内に入ってきた。


「いらっしゃいませ」


 バーのマスターはそう言って、中年に会釈する。対する男も頭を下げ返す。彼は一通り周囲を見回した後、若者が座るカウンター席へ近寄っていく。


「アンタの隣、空いてるかい?」


 かけられた言葉に、若者は首肯する。口を開くことは無かった。それを見た中年は「ありがとよ」と言って若者の隣の席に座る。


「マスター、俺にこの兄ちゃんと同じ物を頼む」


「畏まりました」


 バーのマスターは手早く中年の注文に取り掛かった。出来上がるまでの間、中年は若者に話しかけることにした。


「まさか、アンタがこんなに若い人だとは思わなかったよ。俺の娘と近い歳なんじゃないか?」


「……」


「別にアンタを信用してない訳じゃないぞ。単に予想と違ってたからビックリしてしまっただけだ。気を悪くしたのなら謝る」


「……」


 若者からの返事は無かった。しかし、中年の一方的な話はその後も続く。しばらくして、中年に手渡されたのは真っ赤に彩られたカクテルであった。それを受け取った中年は一息に流し込む。


「なんだこれ。トマトジュースじゃないか」


「……ブラッディマリーですよ。一応お酒は入ってますから」


今まで閉口していた若者がそう答えた。中年は目を丸くして若者を見る。


「ようやく喋ってくれたな。話が通じないと思って、オジさん寂しかったんだぜ」


「すみません。依頼人とはあまり世間話をしたくない主義なものですから」


「なら、何で俺に返事してくれたんだ?」


 中年が尋ねると、若者はようやく彼の方に目を遣った。持っていたグラスを机上に置く。


「それは、貴方が僕の仕事上では見かけない類の人だからですよ。とても後ろめたい事情があるようには見えない」


「ハハッ。そりゃ、オジさんにだって後ろめたいことの一つや二つぐらいあるさ。嫁さんに言えないことや、世間の誰にも言えないこともな」


 中年は笑い、若者は無反応であった。数秒の沈黙が流れ、若者は口を開く。


「そうですね。初見で人を判断するのは失礼でしたね。すみません」


「別に構いやしないさ。悩みが無さそうだと、周りからよく言われるしな」


「そうですか。さて、そろそろ今回の依頼についてお聞きしてもよろしいでしょうか」


「そうだな。話せば長くなるんだが、どこから話したものか」


 うむ、と中年は髭の生えた顎に手を当てる。若者は催促せず、傍観を決め込む。


「よし、まずは俺の勤める会社のことから話すことにしよう。その方がターゲットと俺の関係がよく分かるだろう」


 そうして、中年はこれまでの過去を語り出す。若者はじっと中年の方を見つめる。

 幸い、彼らの話を気にかける者はいなかった。マスターは何も言わず、通常業務をこなしている。他の客は一人、また一人と退店していく。

 そして、時間は日付が変わる手前に差し掛かろうとしていた。

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