読まれる小説を書きたいなら、小説を書くべきでは無い2つの理由

落果 聖(しの)

読まれる小説を書きたいなら、小説を書くべきでは無い

 ある意味においてこれはエッセイではないし、創作評論でも無い。個人的な体験と統計から生ずる妄想とある種の悲鳴だ。

 この文章が自分に対する慰め以上の価値は全くもって無いかも知れないし、あるいは自分と同じ様な人間に対しては同じ慰めを与えてくれるかも知れない。

 人によってはエッセイとしても創作としても価値のある優れた文章かもしれない。


 その事に関して私は何とも言えない。


 あまりにもデータが少なすぎるし、今までの自分が培ってきた経験から生じた火花みたいな文章がこれだからだ。

 

 何よりもこんな泣き言めいた序文を入れてしまっているのがこれから語る文章に対して矛盾してしまっている。



 それでも演説ぶった悲鳴をあげたいと思う。



 久しぶりに時間的な余裕が生まれたので、また小説でも書いてみようじゃないか。それがカクヨムで小説を書いている理由の一つだ。カクヨムだった理由はタイミング的に出来たばかりで、小説家になろうとは別の方向に進んでくれるかも知れないと言う楽観的な希望からだ。


 おおよそ二ヶ月ほどかけて私は「白百合の吸血鬼」と言う小説を書き上げた。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054880760860

 自画自賛するようで申し訳ないけれども、小説としてはある一定の水準は超えていると思うし、読めない代物では無い。少なくとも今までかき上げた小説の中で優れている物をあげろと言われたらこれをあげるだろう。

 

 ただし、web小説としては失敗している。

 

 小説を書き始めてけっこうな年数がたっているけれど、今日のこのタイミングに至るまで私は致命的な間違いを犯し続けていた。

 

 web小説は小説では無い。


 この一見すれば矛盾しきった発想に気付かなかったからだ。


 この一文はweb小説は小説として出版できるレベルでは無いとかそう言う話では無い。web小説からアニメ化に至った作品なんて今では珍しい話じゃ無い。ハリウッド映画のオデッセイはキンドルで99セントで発売されていた個人出版の小説だ。


 それでもなお私はweb小説は小説では無いと主張する。


 web小説はwebコンテンツの一つでしかない。


 私が言いたいのはそういうことだ。


 ゲーム、twitter、フェイスブック、アマゾンや楽天等のネット通販、blog、まとめサイト、それらと競い合うコンテンツの一つでしかない。


 読書に浸ると言うのは、おおよそまとまった時間をその一冊の本と共に過ごす事が多い。


 しかし実際にスマホやパソコンで何かのコンテンツに触る時、私たちは同時に多くのことをこなしているだろう。


 実際この文章を書いている私もitunesで聞きたい曲を探し、執筆に必要な資料を検索しながら書いている。執筆しているときにはチャットをしながらアニメを見つつ執筆なんて時もある。

 

 小説が生まれた時代からもう随分と変化が生じすぎている。小説と言うのはいずれ滅びるとすら自分は思っている。

 

 ただ、ここで大事なのは滅びるのは小説という文化であって、物語では無いと言う事だ。物語は人類が生き続ける限り形を変えてあり続けるだろう。  


 友人等の協力もあって「白百合の吸血鬼」はそこそこ読まれた。百合好きの愛好家が読んで満足してくれるならそれで十分な作品だ。自分も小説を書く感覚という物を取り戻せたし、三人称の練習も出来た。


 ただし、人間の欲望に底は無い。


 カクヨムでそこそこ読まれた作品が小説家になろうで連載した時どの程度のPV数に差が出るのだろうと言う疑問がわいた。

 ただ勘違いしないで欲しいのはタイミング的に小説家になろうもページ構造を変化させていたために自分が求めていたような情報は得られなかったと言う事だ。(その代わりがこの文章だ)


 twitterやふたばで広告(広告とここでは書くけれども自分はかなりの期間虹裏に入り浸りっているとしあきの一人だ)してPVを伸ばして異世界恋愛ジャンルの日間ランキングに入る事が出来た。

 もちろんそれ自体は嬉しいことだ自分が作品を書くとき、俺は狙って面白いものが書けるぞ! と言うある種の慢心を納得させる事が出来るからだ。


 しかし実際の所それだけだった。ランキングには入ったしPVは増えたがポイントはほとんど増えなかった。おおよそ多くの人は最初の数話だけ見て、もっと魅力的なコンテンツに移っていったのだろう。

 

 そりゃそうだろう。コンテンツとしてつまらないからだ。

 ハッキリ言ってそれは書いているときからある程度自覚していた。その為に小説のラストシーンを最初に持ってくるハリウッド的な手法も入れた。

 そこから徐々にどうしてそう言う状況になっていくのか読者の興味を惹こうというのが自分の狙いだった。

 キャラクターの変化していく姿を描写する作品なので劇的なシーンというのは終盤に至るまでほとんど無い。序盤は少女の日常を描写しているだけだが、読者はどうして最初の場面にいたるのか気にしてくれるだろうと思っていた。


 しかしweb小説ではその手法は通用しない。


 おおよそ3000文字程度である程度の満足感を与え続けなければ成らない。怒りでも悲しみでも優越感でも何でも良いとにかく何かしらの感情か、役立つ(かもしれない)情報を与え続けなければならない。


 限り無く短い時間で多くの情報量を詰め込まなければならない。それがwebコンテンツだからだ。


 その呪縛からはgoogleすら逃げる事が出来ないでいる。

 https://www.suzukikenichi.com/blog/website-performance-optimization/

 もっと適切な文章があるのかも知れないしもっと最新のデータもあるのかも知れないが、自分が表現したい事を書くにはこれで十分だ。


"ユーザーがページ表示に待てるのは2秒まで。

3秒以上かかると40%以上のユーザーは離脱する。

表示が1秒遅れるごとに顧客満足度は16%落ちる。"


 googleですらこれである。

 3秒だ。

 一体何文字読めるだろうか?

 それを考えればweb小説の読者は私たちが考える以上に優良な人々なのかも知れない。


 web小説のタイトルは長すぎると言われているが、それは全くの逆である。長いあらすじを短縮化した結果だ。

 

 web小説もwebコンテンツの一つでしか無い以上そのタイトルを読んだだけでどのような情報なのか解らないといけない。


 もしも貴方がニュースサイトを見て内容がわからないリンクを開くだろうか? 私は開かない。

 書店と違って立ち読みなんてして貰えないし、カクヨムのキャッチコピーがどれほど効果があるか解ったものじゃない。


 そう言う意味で言えば、「白百合の吸血鬼」はweb小説的にはそこまで外れたタイトルでは無い。百合 吸血鬼。その単語に反応する読者には満足して貰える様に書いているので、読書したい方々には満足して貰えたと思う(思いたい)


 ふたばで晒した時にあらすじが短すぎるのでは無いかと言う指摘を受けた。



" 魔法による産業革命から数百年。森の中の城で吸血鬼の少女がパパの帰りを百年単位で待ち続けていた。ある日ボロボロに傷ついた少女が城に来たことから歯車が狂い始まる。

 これは少女と吸血鬼が愛を知る物語。"



 なるほど確かに少ない。これではどういうストーリーなのかキャラなのかさっぱり解らない。彼の言うとおりだと私は感じたのでとしあきたちと一緒になって色々訂正を加えていった



"魔法による産業革命から数百年。森の中の城で、吸血鬼の少女がパパの帰りを待ち続けていた。


そんなある日、彼女は気まぐれから少女、ブレティラを助けてしまう。ブレティラは彼女に、色々な物事を教え、リリーという名を与えた。ブレティラと生活を共にする内に、傲慢だったリリーの性格は徐々に温和になっていき前までの生活が孤独で寂しい物だと理解してしまった。

独りが嫌なリリーはブレティラに城で永遠に生活することを提案するが、ブレティラにはどうしてもやらなければ成らない使命があった。"



 たしかこういう風に書き直したと思う。原文は残していない。

 なぜって?

 このあらすじに変えた1時間半の合間だけPV数が半分近く落ちたからだ。

 

 小説家になろうのPV数では何分間にどれぐらいのアクセスがあったか解らないし、本当にあらすじだけの問題なのかも解らない。しかしあらすじを戻したら多少PVが回復した。


 ようするにあらすじを詳細にしたことによって読者に飽きられてしまったのだ。このあらすじ読むのにどう考えても3秒以上かかるだろう。

 むしろあらすじなんて書かずにタイトルとタグだけの方がマシだったかも知れない。

 あるいは


 これは女吸血鬼と少女が愛を知る物語。


 これだけにした方が良いのかも知れない。少なくとも異種間の同性愛である事が伝えられる。


 もう書き終わった小説なのでこれ以上弄ろうと言う気は無い。そしてとしあき達の言ってる事も間違っているとは思わない。投稿用の小説なら間違い無く正しいからだ。




 ここで少し話を変えたいと思う。


 小説を書いてはいけないもう一つの理由について


 私の受けないweb小説よりも大人気のweb小説と

 私の大好きなゲーム マジックザギャザリングについてだ。


 私はマジックザギャザリング(以下MTG)が大好きだ。

 likeかloveで聞かれたらlifeと答えるぐらいには好きだ。

 もはや生活の一つで思想の固まりであり、創作の原動力ですらある。自分の創作物はMTGのコラムから色々な着想を得ている。


 余裕のある人はMTGの開発コラムに是非目を通して貰いたい。

http://www.4gamer.net/games/136/G013687/20160318166/

 あまりにも含蓄が多くそれでいて簡潔に書かれており、その一つをここから抜き出して書くことなど自分の力では不可能だし、今回の話とは直接関係が無い。


 膨大なMTGのコラムの中で自分の探すコラムを見つけられなかったがコラムにはこういった文章があった。


 なぜプレイヤーがMTGをプレイするのかと言えば、MTGが楽しいと知っているからだ。


 これは他の色んな事に言えるだろう。


 どうして貴方が小説を読んでいるんですか? 小説を読むことが楽しいと知っているから。

 どうして読者がweb小説を読んでいるんですか? web小説が楽しいと知っているからだ。

 

 web小説の読者が求めるのはweb小説であって小説では無い。大人気なテンプレ展開のweb小説を求めている。だってそう言う展開が楽しいと知っているからだ。


 言ってしまえばコカコーラに飽きたからと言って、いきなり抹茶を飲む訳じゃ無い。

 同じような体験でありながら自分の知らない体験。たぶんレモンコーラを飲むかペプシコーラでも飲むだろう。


 これは小説家になろうのランキングが躊躇だろう。

 特別な力を貰って異世界に行く話が大量にあり、そして今日も大量に生産されるだろう。

 悪役の令嬢となって転成し、その運命を変える話もだ。


 もしも貴方がカクヨムや小説家になろうで人気になりたいと思うのならば、テンプレ展開から派手に外すような事は止めるべきだ。

 貴方は楽しいかも知れないが、それを読む読者は特にそんなの求めていない。


 ところで私はなろう系のweb小説はあまり好きじゃない。

 大体同じような話で途中からマンネリ化が激しい。味のしないガムをかみ続けてる気分にさせてくれる。

 しかしなろう系のweb小説は大人気だ。そのことについて私は特に疑問に思った事は無い。


http://mtg-jp.com/reading/translated/mm/022979/


"70年代、大新聞が大規模な市場調査を行い、読者がなぜその新聞を読んでいるのかを調べた結果、その第2位に入ったのが「ニュースを得るため」だった。そして、第1位が、「毎日の日課だから」"


 かなりの多くの読者にとってweb小説を読むのが日課になっている。面白いかどうかはさほど関係無い。ただ、日課になるまでには関係するだろう。その為多くのコミュニティーでは日刊掲載を推奨する。

 日課になってしまえばおもしろさなど関係ないからだ。

 それが個人的な結論だ。


 ならどういう小説を書くべきなのだろうか?


 もちろん趣味なら好きに書くべきだ。小説を読みたい人だってカクヨムにも小説家になろうにも来る。web小説の事など頭の片隅において好きに書くべきだ。

 

 しかし貴方がランキングに乗ってみたい、もっと読まれたいと思うのなら話は別だろう。

 自らSEO対策が出来ない以上 読者の求める内容を簡素でかつ、毎回応えなければならない。


 そう言う意味で言えば「蜘蛛ですが、なにか?」が一番参考になるかもしれない。タイトルとタグだけで異世界転生物でさらに異種転生なのが解る。

 私自身はいつものテンプレだと思って途中で読むのを止めてしまったので、現状どうなっているのか知らないので的外れな事を言うかもしれない。

 しかし自分の読んだ範囲では

 主人公の蜘蛛が少しずつ成長し、世界が広がっていく。それが毎回続いていた。

 そう言った成長ストーリーが好きなweb小説の読者達にとってこれほど良い小説も無いのだろう。

 もちろん他にも好かれているweb小説のテンプレ展開はあるのでそう言った展開で書くのも良いだろう。


 小説を書いてみたいと言う人にもテンプレ展開を勧めたいと思う。読みたい読者が大勢いて彼らは感想を書くのも大好きだし、どう書けば良いか悩むことも少ないだろう。とりあえずギルドに行ってゴブリンでも倒せばいいのだから。


 テンプレ展開を嫌う人も多いが、人が好む展開などパターンが決まっている。実験的なSF小説や奇抜なトリックを使うようなミステリーでも無い限りある程度ストーリーは決まったパターンに当てはめる事が出来る。


 これは特に大金をかけて作られるハリウッド映画が顕著だ。本屋に行けばハリウッドの脚本技術に関する本があるので買って読んでみると良い。


 個人的にはマトリックスとスターウォーズEP4が解りやすく良い例だと思っている。

 もっともweb小説では読者を2時間も箱の中に詰め込んでおくことなど出来ない。

 

 もしも貴方が創作者でありネットで発表し、人々からの反応を待っているのならば、それが作品であるという感情を捨てなければならない。


 貴方が書いているのは描いているのは作っているのは


 webコンテンツの一つでしかない。

 そしてコンテンツは常に求められた物を提供し続けなければならない


 これが2つの理由だ。

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