第15話 空想の自由

 光が説明を続けた。

「昔の人たちは、ちゃんと仮想世界と現実を、うまく使い分けていたの。だから現実ではやってはいけないことを小説や動画で表現していた。ストレス発散のためね。あ、ストレスっていうのは敵性語だから知らないと思うけど、心のなかにいろいろたまった、もやもやしたもののこと。鬱屈したもの、といえばわかるかしら」

 だいたい理解できる。

「だけど絶対人権委員会は、意図的に仮想空間と現実を同一のものと市民たちに思わせている。それによって『空想の自由』を奪おうとしているの」

「空想の自由……」

 そんなことは、いままで考えたこともなかった。

「昔はどんな空想をしても良かった。人を殺そうが、爆弾を使おうが、ぜんぶ自由。ただし『現実世界でそんなことをしたら厳しい罰が待っていた』。そうやって人々は空想の世界と現実世界をきっちり分けていた。でも絶対人権委員会は、違う。彼らは空想の自由すらも奪った。もしそんなことをすれば、絶対人権委員会に逆らうものが出てくるかもしれないから」

 まだ信じたくない、と考えている自分がいる。

 しかし、光の言っていることはひょっとしたら正しいのかもしれない、という気が少しずつしてきた。

 単に思考感染しているだけかもしれないが。

「あー、だけどそれ、おかしくない?」

 矛盾点を等は見つけた。

「昔の人はええと……鬱屈したものを吐き出すために、仮想空間で仮想の人間を殺したりしていたんでしょ。だったら、いまの社会だと、みんなにそういうものが溜まっていると思うんだけど」

「鋭いわね」

 光が見なおした、とでもいうように目を細めた。

「その通り。だから、絶対人権委員会は、別の方法で市民からそういうものを奪うことにしたの。方法はとても単純。常に人々に貧しい暮らしをさせて、不満を爆発させる気力すらなくさせたの。さらにいえば、乙種や丙種の市民が食べている食料にはすべて、ある種の薬物が含まれている。思考力を低下させて、軽い抑うつ状態にさせるものが。ただ飢えさせただけでは、極限まで追い込まれると人々は暴走する。でも、これに薬物を与えると、市民は家畜みたいにおとなしくなる、というわけよ」

「家畜……」

 光の辛辣な表現に、さすがにぞっとさせられた。

「まあ、厳密にいえばこれは『人間に関する空想』で、例外もちょっとあるんだけどね。それに人間にはやはり個体差というものがあるから、丙種という階層を絶対人権委員会は作ったの。丙種は生命力が活発なものや、反人権的思考をする者が多い。いままで、何度か乙種適正試験、うけたことあるでしょ」

 等はうなずいた。

 乙種適正試験は、乙種市民であれば必ず定期的に行われる。

「あれは、乙種のなかで他の階層に市民を移すための試験。人権的かつ能力が高く、絶対人権委員会に従順なものは甲種になれる。逆の場合は丙種落ち」

 丙種落ちするかもしれないという試験前の恐怖は、簡単には忘れられるものではない。

「そうやって、いまの体制にとって厄介な連中がここみたいに丙種地区に集められるわけ。丙種地区では日常的にハンザイが行われているし、強盗や殺人も珍しくない。つまり、過剰な力をお互いに潰しあわせているわけ。そうやって、厄介な連中をどんどん減らしていくのよ」

 ハンザイというのは、たぶん反人権的行為のことだろうと文脈で理解できた。

 光の言っていることが真実なら、この国はとんでもない国家だ。

 信じたくない。

 いままでのように、絶対人権委員会がすべて正しいと考えていられればよかったのに。

「嘘だ……そんなの、嘘に決まってる……」

「さあ、どうでしょうね。ただ、せっかくここにきたんだから、紙の本、読んでみれば」

 これ以上の思想感染は恐ろしいが、強い好奇心が働いているのも確かだ。

 あちこちに、昔の紙の本とおぼしきものが山積みになっている。

「どんなものでもいいけど、とりあえず、これがお薦めかな。この小説に描かれている世界は仮想世界だけど、いまのこの国に結構、似ているから」

 一冊の本を光が差し出してきた。

 タイトルは「一九八四年」と書かれている。

 著者はジョージ・オーウェル。

 名前からして、米国か欧州諸国の人間としか思えない。

「中身は日本語だから安心して。もしわからない単語があったら、私が教えてあげるから。たぶん、絶対人権委員会はこの小説をいろいろと参考にしていまの体制をつくりあげていると思う。たとえば、言葉をどんどん削っていくあたりとか、そっくりだし」

 緊張に胸の鼓動が高まっていく。

 一体、どんな小説なのだろう。

 なにかに憑かれたかのように、等はゆっくりと黄変した紙の頁をめくっていった。

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