第5話 パスポートは持ってます。

僕は途方に暮れていた。

大見得切って出てきたが、アルが消えてしまった原因など皆目見当がつかなかった。打ち合わせが少し長引いてもういい時間だ。一度家に帰って過去の作品を読み返そう。なにか手掛かりが見つかるかもしれない。



僕は再び途方に暮れた。

他の作品からもアルがいなくなっているという新たな問題が発覚したのである。主人公である彼はシリーズを通して登場しているのだから、冷静に考えれば至極当然のことだ。

しかし納得している場合ではない。これはさすがに僕一人の力でどうにかできる範囲ではないのでアポロ書房の片岡詩織かたおかしおりに電話をかけ、取り扱っている書店と図書館へ棚に出さないよう連絡して欲しいと伝えた。

「眩暈がしそう・・・できる限り早急に連絡します。」

「本当に申し訳ないです。何か問題が起きたらすぐ僕を呼んでもらって構いませんから。」


夕飯の後、少しでも落ち着こうと、角砂糖を一つとミルクを入れたアールグレイの紅茶をすすりながら解決策を模索していた。


「どうかしたの?」

子どものようなの声がした。

「・・・?」

ちょっと待て。僕は一人暮らしだし、まだ独り身だ。

驚いて声のした方を振り向くと、真っ白な服を着た少年が立っていた。

年齢は13歳くらいで、髪は真っ黒 。ふわふわしたフードの付いた白い上着に、くるぶしの少し上までの茶色いブーツに白いズボンを入れ込んでいる。肩にかけたショルダーバックも真っ白だ。

「アル・・・?」

「さすがは生みの親。そう、あなたが書いた雪と氷の国に住む少年アルだよ。

それにしてもここ暑すぎじゃない?よくじっとしてられるね。」

クーラーの効いた部屋で、少年はそう言いながら上着を脱いだ。白い長袖のタートルネックを腕まくりする。


僕は夢を見ているのか?

本物な訳ないよな?

誰かのいたずらか?

本のことは僕と詩織たちさんしか知らないはず?

どうやって入ったんだ?

セキュリティには気を遣っているはずだが・・・。


「あれ?聞いてる?夢でも見てるんだとか思ってない?俺、やっと本の中から出て今すごく気分が良いんだ。ねぇ、あそこの重そうな箱は何?」

「え?あ、あれか?あれは電子レンジっていって・・・いや、待ってくれ!」

「なにさ。さっきから全然俺の質問に答えてくれないくせに。」

アルは口を尖らせた。

「君の言い分も分からなくはないが、僕には状況が全く理解できていないんだ!君がもし仮に本当にあのアルなら・・・本の中の登場人物である君が、何故?」

先ほどの口ぶりから彼は自分が本の世界の住人であることを承知しているようだし、あえて直球で聞いてみる。

「まぁ、それもそうか。混乱するのも無理ないよね。あなたの言うとおり、俺はあなたが生みだした『登場人物』だよ。でも、本の世界だって読まれている時が全てじゃない。俺たちにもちゃんと普通の営みがあるんだよ。」


僕の頭はパンク寸前だった。しかしアルは気にせずに話を進めた。

「あなたは『海外旅行』ってやつ、行ったことある?俺のじいちゃんは生き字引みたいな人で、俺たちの世界はもちろんだけどその他にも『外』の世界についても本当によく知ってるんだ。で、聞くところによると『外』の世界にも言語の違う国がたくさんあってそこに行くことを『海外旅行』って呼ぶんでしょ?自分を証明するものを準備したり特別なことをするって。」

「じゃあ、君は僕らの世界、つまり『外』の世界に旅行しに来たってこと?でも、どうやって?」

色んなことをとりあえず考えない方向で頭を切り替え、何とかアルの言わんとしていることを拾い上げる。紅茶からはすでに湯気が立たなくなっていた。

「簡単に言えばそうかな。悪い執事に故郷を乗っ取られるし、なんだかんだ怪物と闘わなくちゃいけないし、まぁ色々ね。あと俺がどうやって来たかだけど、この点に関してはあなたの力が大きい。感謝してるよ。」

「僕が?そりゃ僕が書かなければ・・・」

言い淀むとアルは少し笑った。

「はっきり言っても良いのに。あなたは優しい人だ。じゃあ種明かししてあげる。俺達の世界には、『外』の世界の人間から俺たちの存在を知られることで成長し実をつける林檎の木があるんだ。『物語』と呼ばれる世界にそれぞれ一本ずつ。でも、本の中の住人がみんな知ってるわけじゃないし、より多くの人間に知ってもらえなければ大きくならないし、実もつけないからなかなかお目にかかれない代物さ。」

「じゃあ、君は何故その木の存在を?」

アルは少し得意げな顔をする。

「言ったでしょ?俺のじいちゃんは生き字引だって。」


冷め切った紅茶を口に含みながら、アルがここまで辿り着いた経緯を必死に咀嚼した。物知りの祖父から不思議な林檎の話を聞き、さらにその実を食べれば『外』へ出られるらしい。アル曰く海外旅行の資金を貯めるようなものらしい。多くの人間に知られるということは、こちらで言う発行部数の多さや読者の多さだろう。何かの企画で特番として映像化されたこともあったが、あれもきっと貢献していたに違いない。キャラクターデザインには厳しく注文をつけ、原作のイメージを忠実に再現した。


何はともあれ彼の話を信じよう。今は、こんなあり得ないことにだってすがるしかない。

しかし急に捕まえて本の中に戻れなんて言ったって聞き入れてくれるほど素直な子じゃない。そういう性格にしたのは僕なんだけど。

「でもアル、これからどうするんだい?」

「今日はとりあえずあなたの家に泊めてくれないかな?どうするかは明日考える。知らないところに来るのってやっぱり疲れるね。」

「とりあえずって・・・一人で出歩くつもりか?」

「だから明日考えるって。ここのソファーで寝かせてもらうよー。」

そう言うと上着に包まってさっさと眠ってしまった。


「思ったより早く解決しそうだな。」

僕は内心ホッとして、風呂に入りベッドに潜り込んだ。


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